第22話 衝突
咄嗟に少女の体を抱きかかえたのだが割れた窓は飛び散るのではなく崩れ落ち、次に撃ち込まれた煙弾の白煙が部屋の中を包みんだ。
これは部隊が敵アジトを襲撃するときのやり方だが、向こうがこちらの反撃を警戒しているのなら、すぐに突っ込んでくることはない。襲撃の基本は逃げ場がないよう出入り口を押さえること。しかし、立地を考えれば玄関から三人、ベランダ側からの狙撃が一人といったところだろう。狙撃の腕からして間違いなく春雨だが――ここで戦闘になるのは避けたい。賭けに出るしかなさそうだ。
「イリア。少し揺れるぞ」
片手にバックパックを握った少女と、ボストンバッグを持った俺は窓に残っていたガラスを蹴り割ってベランダへと出た。
確信があるわけではない。だが、春雨は撃たないと思った。少女が居るからというだけでなく、春雨は迷っているはずだ。だから、撃たない。
ベランダから気配を頼りにスコープ越しの春雨と視線を交わせると,、玄関の扉が吹き飛ばされる音が聞こえた。それを合図に、俺は少女を抱えたまま二階から飛び降りた。
「っ――!」
二人分の衝撃ともなればそれなりのものだが、鍛え方が違う。抱えていた少女を地面に下ろして走り出すと、二階からの銃弾が髪の毛を掠めた。少女を背に回してベランダに向かって撃ち返すと、三人は部屋の中へと戻っていった。
「今のうちだ!」
バイクまで辿り着くと、エンジンを掛けてヘルメットを被ることなく走り出した。
すぐに追ってくるだろうからと隠れる場所を探しながらも、感心していた。ゴム弾専用の銃にしては反動もいいし、音も本物と変わらない。部隊の奴らにしても、実際に弾に当たるか、外れた弾を調べたりしない限りは偽物だとはわからないはずだ。
銃撃戦をするのに住宅街はマズい。かといって都合よく無人の建設中の建物などがあるわけではない。しかし、事前の確認によれば近くに――あった。売り家に出されている屋敷と呼べる大きさの家だ。
バイクを乗り捨てて中に入ると、すでに家具もなく無人だった。
奴らの目的は一に少女の確保、二に俺の暗殺のはずだ。だが、心情的にはまず俺を狙ってくるはず。つまり、少女を安全なところに隠して、俺が一人で立ち向かうほうが良い。
「よく聞け、イリア。今から階段を上がって一番離れた部屋の一番見つからなそうな場所に隠れるんだ。そうしたら、俺が呼びに行くまで絶対に出てくるなよ。絶対にだ」
「んっ――!」
力強く頷いた少女の背を押すと、言った通りに階段を駆け上がっていった。
よし、ここからだ。
正直に言えば、俺が欠けた部隊を相手に殺し合ったときの勝率は……コンマ一パーセントといったところだろう。良くて十パーセントにも満たない。しかし、それはあくまでも真っ向から殺し合った時の話だ。今回は真っ向からでもないし、殺し合いでもない。やりようによっては、俺なら勝率を三十パーセントくらいまでは引き上げることができる。もちろん、勝利条件はこっちが設定したものに限るがな。
ボストンバッグの中から使えそうなものを準備していると、部隊の車両が屋敷の前に停まる音がした。
二階の階段脇から玄関に向かって小銃を構えていると、顔を隠した姿の三人が這入ってきた。俺の技術なら三人をそれぞれ一発で仕留めることが可能ではあるが、それはしない。ゴム弾というのもあるが、何よりも仲違いの溝を深めるつもりは無いのだ。しかし、とりあえずは会話が可能な状況に持ち込む必要がある。
バツンッ、と一発の威嚇射撃を外すと、途端に三人はしゃがみ込んで銃を構えた。たったの一発で上からの射撃だと気が付くのはさすがとしか言いようがない。
「……今のは警告だ! 俺はいつでもお前らを殺せる!」
まずはこちらが優位であることを証明する。
「副隊長! 俺たちにあんたを殺す意志は無い! 姿を見せてくれ!」
「嘘を吐け、秋津。マスク越しでもわかるぞ。そんな顔して笑う奴に殺す意志がないはずないだろ!」
そう言うと、秋津はマスクを外して隠す気も無い顔を見せた。すると、横に居た隊長が下がるように指示を出した。
「聞け、当麻。たしかに秋津はちょっとアレだが、少なくとも俺はまだお前のことを百パーセント敵だとは思っていない。目的は何だ?」
目的などない。あるのは理由だけだが、今それを言ったところで理解してもらうのは無理だろう。
「隊長、コードは何色だ?」
「コードは……グレーだ。だが、今は、だ。まだ変えることは出来る! 裏切っていないことを証明してくれ!」
天然なのか計算なのかはわからないが、話を逸らされているな。おそらく隊長の軍人魂からすると天然なのだろうが、話を戻すためにもう一度威嚇射撃をするのはこちらのリスクが高過ぎる。どうにか、会話で引き出さなければ。
「その通りだ、隊長。これは裏切りではない。むしろ目が覚めたというべきだろう。お前らはおかしいと思わないのか? どう考えたって今回の任務はおかしなところが多い。多過ぎる! なんの違和感も覚えていないというのなら、お前らのほうが異常なんだ!」
……修正する方向を間違えた気がする。
「副隊長。夏木です。俺は思うんですけどね――どうして俺たちが普通だと思っているんですか? 俺たちは初めから異常で、異常だからこそこの部隊に選ばれた。初めからおかしいくせに、今更何を言ってるんだ!」
返す言葉もねぇよ。しかし、だからこそ正常で、まともなことをしようとしているんだ。
「……春雨がいないな。いつも通り外で待機か? だが、声は聞こえているよな。なぁ、春雨! お前はいつもスコープを覗いて機械的に引鉄を引いている! そんな状況に違和感を覚えているんじゃないか? だから、さっきも俺のことを撃たなかったんだろ!」
感情を揺さ振れ。どこかが綻べば、戦況はもっとこちらの有利に傾く。
真実は関係ない。疑心暗鬼になればいい。
「……チッ。隊長。もういいだろ。辺り構わず撃っちまおう。長官からの免罪符で隠れる必要も、何かに気遣う必要もねぇんだ」
「いや……待て。当麻、お前は俺たちを殺せたはずなのに殺さなかった。その理由がわからない。情を持つようなタイプではないだろう。何故だ?」
ようやく話が本筋に戻った。
「さっきも言っただろ。俺はお前らを殺すつもりは無い。争うつもりも無いんだ。むしろ、手を借りたいとも思っている。考えてみてくれないか?」
部隊を相手に下手な嘘を吐くのは逆効果になる。真実を話さないまでも、事実だけで話を進めていくのが得策だ。
「いや、わかっているだろう。考える必要は無い。俺たちはただの兵隊であり、駒だ。盤上の兵を動かすかどうかを決めるのは長官だ。弁えろ! 当麻副隊長!」
軍人はどこまでいっても軍人か。とはいえ、話の流れで俺にも軍人であることを強制しようとした言葉自体が、すでに隊長自身が揺れている証拠だ。自分自身の意見に百パーセントの信頼を置けなくなったからこそ、他人にも賛同を求める――典型的な反応だ。
しかし、やはりというか……あまり気分が良いものじゃないな。
「考える必要がない、だと? だったら、隊長! あんたはあの少女を――イリア=フィニクスを、殺せと言われれば殺すのか!? 俺たちがこれまで殺してきた明確な悪とは違う、年端もいかぬ少女を、殺せるのか!?」
荒げた声に、三人ともが驚いたような反応を見せたが、それもそうだろう。本気で頭に来ているのは、どれほど久し振りなのかわからない。
「俺たちの任務は少女の保護だ! 殺すつもりなど毛頭ない! 履き違えるな、当麻副隊長!」
「っ――!」
また神経を逆撫でしてくるようなことを。
だが、奴らの狙いが俺の冷静さを欠くことだとわかっているから、逆に冷静になれる。それでも考えることを放棄した奴を相手にするのは骨が折れる。
「俺たちが出した結論を思い返してみろ。洞窟の中の熱源と少女。もしも、その少女に何も出来なかったとしたら、長官はどうすると思う? それでも本当にただの『保護』だと思うのか!?」
「言ったはずだ、当麻副隊長! 我々は考える必要など無い! ただ任務を全うするだけだ!」
「ふざけるな! 考えろよ! 自分の中で納得のいく答えが出るまで考え続けろ! せめて自分の意見を持て! そうじゃなきゃあ、お前は軍人の前に人ですらなくなるぞ!」
「違う! 人である前に軍人なのだ!」
「っ――クソがッ」
想定していたよりも拗らせてやがる。おかげで着地点が無くなってしまった。ならば、方向を変えるのみだ。
「……夏木、秋津、春雨、お前らはさっきから話を聞いているだけだが、何かないのか? 意見があるなら言ってみろ」
普段から物事を多数決で決めることはないが、合理的な理由を誰一人として持っていないのなら、まだ可能性はある。
「どうした、隊長に遠慮することはないぞ」
「いやね、副隊長。俺は不思議でならないんだよ。だってよぉ――あんた、伝説の百人殺しなんだろ? なぁ!」
『百人殺し』という単語に反応して張っていた気が切れたのを察されたのか、途端に秋津は二階の階段脇を銃撃してきた。奥に進みながら、今度はそれなりに狙いをつけて引鉄を引くと、三人は一斉に散開して二階からは見えにくい位置へと姿を隠した。
撃ち合いになれば無駄に時間を消費するだけだから避けたかったのだが、仕方がない。
こちらのゴム弾と違い奴らは実弾だが、やることはいつもと変わらない。一人ずつ確実に、だ。
先程から銃弾を受けては撃ち返しているが、まだこちらの居場所を掴めているわけではないらしいから、戦況を動かす必要がある。
さすがにスタングレネードの対策はされているだろう。手榴弾を使うか、もしくは貰ったオマケの中で使える物があるか。
「聞こえているか、副隊長! どうなんだよ、百人殺しよぉ!」
「それは何十年も前の話だ! 俺が生まれる前の、戦争のな!」
そういうことにしたのだ。古びた伝説、ある種の都市伝説になるよう画策したはずだ。
「違うだろ。長官と隊長から真実を聞いたぞ。数年前に起きた人知らぬ戦争で、戦場と化した太平洋上の孤島で、あんたはたった一人で敵兵百人を皆殺しにした! それが事実だろ!?」
また随分と古い話を持ち出してきたものだ。よくよく考えてみれば、俺が謀反を起こした時点で、相手の脅威を正確に把握するためにその話をするのは当然か。とはいえ、あの出来事自体を俺が明確に憶えているわけではない。
数年前に起きた某国の侵略により、日本は戦争に突入する直前まで追い込まれた。しかし、自衛隊というは自衛しかできないもので、攻撃を受けるまでは動けなかった。そのため他国のように戦争を事前に止める手があっても行使することができない。そこで政府が考えたのが『人知らぬ戦争』。正確な作戦名は『蜂の巣落とし』だった気もするが、それはどうでもいい。
とにかく、あの時は斥候と牽制のために一個小隊が孤島に送り込まれ、その数時間後に状況確認の偵察に俺が選ばれて、空から島へと舞い降りた。そこで、嬲り殺しにされている先行部隊を目の当たりにして激昂し――その後のことは憶えていない。俺と連絡が取れなくなったことを知った長官が後続部隊を送り込み、そこで百人の死体の中で片手に拳銃、片手にナイフを握り、全身に血を浴びた俺を発見した。
というのが事実で、本当に俺が一人で殲滅戦を行ったかどうかはわからない。
「そんな昔話、事実だとしても今は関係ないだろ!」
怒っているように見せながらもボストンバッグを探っていると、ようやく使えそうな物を見つけて、それの蓋を開けて、中身が飛び散るように一階に放り投げた。
「撃ち方止めっ!」
あいつは本当に俺の求める物をよくわかっている。
「……この臭い……ガソリンだ! 絶対に撃つなよ、引火するぞ!」
その瞬間に三人は銃をロックしてナイフに持ち替えた。これで漸く面と向かって対話が出来る。
「よっ――し!」
二階から飛び降りて、三人のど真ん中に着地すると、間髪入れずに夏木が襲い掛かってきた。
「副隊長! いつまでもあんたが接近戦最強だと思うなよ!?」
「思ってねぇよ。俺より強い奴なんてザラにいる」
夏木はなまじ自分の腕に自信があるせいかナイフも持たずに素手で掛かってきた。しかし、その実力は本物だ。手を抜けば、俺でさえ食われ兼ねない。だから加減ができずに申し訳ない。
「悪いな、夏木」
殴り掛かってきた拳を腕で受け、開いた腹部の鳩尾から斜め上に一発、続けて胸に掌底を打ち込んだ。
「っ――!」
肋骨を折られ、呼吸が止まればどんな大男でも動けなくなる。とはいえ、臓器などは傷付けないようにやったから、夏木のように痛みに慣れていれば二、三十分で動けるようになるだろう。
次。
秋津のやり口はわかっている。が――。
「まさか、直接頭を狙ってくるとはな」
振り返り際に、脳天にナイフを振り下ろそうとしている秋津の腕を掴んだ。
「俺からすりゃあ、あんたがどれだけ強かろうが関係ない。隊長ほど絆もなければ、夏木ほどあんたに恩義も無い。ただずっと――強い奴を殺してみたかった!」
「知ったことか!」
腕を弾き上げ、その反動を利用してナイフを捨てさせてから、顎に一発肘を入れ、ふらついた脇腹に思い切り中段蹴りを入れると壁まで吹き飛んでいった。
「あと――一人!」
身構えながら振り返ると、隊長は構えていたナイフを仕舞い、拳を握り締めていた。
「……どういうつもりだ、隊長。訓練ですら、俺に勝ったことがないだろう?」
「お前の得意分野でお前を倒せば観念するだろ? そうしたら、戻って来い。長官を説得するのなら、まだ間に合う」
お互いに拳を構えたまま、間合いに入るまでじりじりと近付いていく。
「思えば長い付き合いになったものだな、隊長」
「同期だった二人が隊長と副隊長になり、今や敵同士だ。人生ってのはどうなるかわからないな」
「ああ、本当に――っ!」
打ち出してきた右ストレートを受けて、続けてきた左フックも受け止めた。隊長のスタイルは主にボクシングだから脚を警戒する必要は無い。しかし、その代わりに拳の威力と速度が尋常では無い。とはいえ。
「受け切れないほどじゃない!」
カウンターで殴り返すと距離が開いた。
本気の殴り合いも偶には悪くない。もう少し打ち合っていたいところだが、ついさっきこれからの方針が固まったところだ。早急に終わらせてもらう。
取り出したナイフを隊長の顔目掛けて投げると、見事に避けられた。しかし、視線が外れたその瞬間に駆け出して、再び隊長の目が俺を捕らえるよりも先に、腹部に向かって思い切りタックルをした。
「っあ――!」
勢いを弱めることなく踏み込んで、そのまま隊長の体を壁に打ち付けた。
「……よし」
凹んだ壁を背にずるずると滑り落ちていく隊長を見て、一時の勝利を感じた。殺していないし、わかり合えてもいないから必ずまた次がある。とはいえ、今はこれでいい。あとは外でスコープを覗いている春雨だが、そっちも問題は無い。
意識はあるがすぐには動けないだろうから、今のうちにまた別の場所に避難しないと。
二階に上がり奥の部屋までイリアを迎えに行こうとした時、すぐ横から気配を感じた。が、振り向く間もなく先程の俺が隊長にしたようなタックルを下半身に受けて体勢を崩した。
「っそ――秋津か!?」
体格とやり口から誰かはわかるが、まさかここまでのタフネスがあるとは思いもよらなかった。もう少し、縁の高さが低かったら一階へと真っ逆さまだったろうが、取っ組み合いになった時点でお前に勝ち目はない。
「てことを、いい加減わかれよ!」
脇腹に拳を打ち込み、離れたところを追撃しようとすると二階に移動したということもあり、秋津は躊躇いなく拳銃を取り出した。しかし、零距離ならばむしろ恐れることはない。距離を詰め、拳銃を握る腕を巻き込んでそのまま一本背負いをして拳銃を奪い取り、一階へと放り投げた。
「っは――ごほっ……」
先程の蹴りのダメージも残っていたのか秋津は蹲ったまま立ち上がれなくなったが、明らかな殺意はひしひしと感じていた。腹部を押さえて苦しみながらも、予備の銃に手を伸ばそうとしているのが良い証拠だ。
「はぁ……仕方がない、か。悪いな、秋津」
取り出した拳銃の銃口を倒れている秋津に向けて、三回引鉄を引いた。
俺は知っている。何故、秋津が強い者との命を賭けた戦いを望んでいるか、を。それはただ強者と戦いたいなどという男くさい理由ではなく、最も根本的な――むしろ正反対の願いがあるからだ。相手を殺したいと思うのは、自らを殺してほしいという渇望でもある。だからこそ、俺には謝る以外の選択肢が無かったのだ。
「っ――まさ、か……まさか、撃ったのか? 当麻副隊長……秋津を、撃ったのか!?」
感情を露にする隊長だが、その言葉とは裏腹に動けないでいた。
戦場では常に人が死ぬ。そんな当たり前のことを忘れているわけではないのだろうが、その気持ちはわからないでもない。自分の監督下で部下が死んだともなれば責任を感じて当然だ。だから――せいぜい俺に感謝して、俺の考えを理解してくれると助かる。
「イリア! もう出てきていいぞ。場所を移動する」
奥の部屋まで言って声を掛けると、がたがたと音が鳴ったあと、ゆっくりクローゼットが開いた。
「よし。よく忠告を守ったな。行こう」
無意識に差し出していた手をイリアが握ると、そのまま抱き上げて目を瞑るように指示を出した。
惨状、というほどではないが倒れた男たちを見せる意味も無い。道すがらにボストンバッグを手に取ると、無防備に外に出た。が――春雨は撃ってこない。見られているのは間違いないし、確実に味方になったわけでもないのだろうが、撃っては来ないという確信はあった。理由を問われたところで答えようはないのだけれど。
ようやくこの状況を好転させる――いや、最低でも振り出しに戻せる方法を思い付いたんだ。可能性があるのなら、それに賭けるのは当然のこと。
……多少の犠牲を払うことになっても、な。
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