声が聞きたくてさりげなく求めたら、なぜか異世界に飛ばされました。

はづる

プロローグ

プロローグ前半 ―日本―

 置き時計が、午後11時30分になっていた。


「はぁ、やばいな。電車がなくなるよ……」


 都心の高層ビル群、間も無く零時を迎えるというのに、大都会のプライドを誇示しているのか、無数の輝きが散りばめられていた。

 ビル群の界隈かいわいに建つ30階建てのオフィスビルに、

 ワンフロアだけ明かりがついているオフィスで、ただれるかのような赤い目になりながら、キーボードをカタカタと打ち鳴らし、必死に追い込もうと思ったとたん、俺の肩にトントンと叩かれた。

 振り向くと、上司が怒気満ちた顔で、睨まれた。


「おい、瀧島たきしま! 明日〆切だぞ! 間に合うのか? そろそろ終電になるぞ!」


 怒鳴り声を散らす上司は、メモ用紙を殴り書きし、俺に見せてくる。


「すみません! すぐに切り上げます! 明日、早く出ますんで……」


 と、立ち上がってメモ用紙を慌てて書いて、お詫びするように上司に見せた。


「はぁ……。お前、本当に大丈夫か? 先に上がるぞ」


 上司は呆れてるのか深くため息を吐き、オフィスの周りを眺め、


「今いるのは、あいつとお前、2人だけだぞ? 俺は帰るから電気消せよ?」


 と、投げやりな言葉を放った上司は、威張るようにオフィスを後にした。


(何なんだよ! あのクソ上司! 無理な仕事を突然、投げつけやがって!)


 俺――瀧島一樹たきしま いつきは、いい加減で仕事のやり投げばかりの上司に対して、かなり不満を持っていた。

 ゆえに、上司が後にしたドアの方へ睨みつける。

 オフィスには俺と、もう一人の男性がいる。そんな彼が、宥めるようにフォローしながらジェスチャーしてくれた。


「瀧島、大丈夫だよ。俺も明日、手伝うからさ」

「すまん……中野。色々と世話になって」


 中野は職場の同僚だ。

 中野優一なかの ゆういちという男性で、いつもお世話になっている。

 柔和な顔立ちで身長が高く、甘いマスクをしたモテリーマン。

 職場でも、プライベートでも、仲良しこよしだ。

 幼馴染からの長い付き合いゆえに、中野のことを信頼している。


 俺はそろそろ、三十路を迎える29歳のサラリーマンだ。

 紺のスーツにビシッとしたブルーのネクタイ、黒い短髪に、ルックスの良い顔立ち。

 就職氷河期に、辛うじて内定を取り、ゲーム関連の大企業に勤めている。


 勤めてから7年経つが、未だに悩ましい事がある。

 それは、上司や同僚と上手くコミュニケーションがとれずに苦労していることだ。

 そのことは誰にも言えずに、どこかで憂鬱ゆううつを感じながらも業務に追われる毎日。

 発声も上手く出来ない、人の声が聞きたくても、何を言っているのか分からないのだから。


 そう、俺は耳が聞こえないのだ。


 コミュニケーション方法とは基本的に、筆談を主体としたホワイトボードを使って、職場仲間達とやりとりしている。

 会話も全然分からない、聞き取りもできないため、人間関係に苦労していることを、中野と良く相談していた。

 俺は、思わず愚痴をもらす。


「なぁ、中野……積極的にこうとしても、面倒くさいような顔をされたよ」

「仕方ないさ。みんな、自分のことで一杯なんだよ。瀧島、お前だって、自分のこと一杯じゃないか?」


 優しげな表情を浮かべた中野は、メモ用紙を書いて見せてくれた。


 そうだよな……と、うつむいてしまった。

 情報が入らないことで、仕事に大きな支障がでるのは痛いほど分かっている。

 だからこそ、分からないことがあったら訊くようにしている。

 タイミング間違えると白い目で見られてしまったこともあり、ふと気づいたら会社の中で浮いていってしまい、一人になることがあった。


「難しいもんだな。人間関係って」

「ははっ、大丈夫さ。俺がフォローするから」

「ありがとう。助かるよ」


 現実は甘くないんだよね……とジレンマを感じながら、現代のIT技術を活かしたコミュニケーションツールをどう使うか、悩んでいた。

 現代のIT技術の1つ、コミュニケーションツールとは、人の声を読み取って、声を文字化するシステムのことだ。

 ああ、Siriがポピュラーかもしれない。

 自分の言いたいことをキーボードで打ち込み、入力した文章を機械が音声として出すことができる。

 現代のIT技術は、ここまで進化しているのだ。


 だが、予算の問題で、上司から、

「そんな金あるか!」

 と却下されていた。

 まぁ、不特定多数での打ち合わせまでは、技術的に行き届いていないのが現状なのだし。


「上司にコミュニケーションツールの提案を出したけど、ダメだったよ」

「ああ、聞いたよ。俺もいいなと思った。でも、ウチの会社はお金がないからなぁ」

 

 中野はそっと俺の肩を、手で乗せて慰めてくれる。

 俺は、悔しい思いに歯を噛みしめて、思わず天井を見つめた。


「あぁ、人とコミュニケーションをとるのに筆談じゃなくて、念話とかみたいなコミュニケーションをとれるといいなぁ」

「はは、そんなSFとか、宇宙人みたいにテレパシーでコミュニケーションか。確かにあれば、便利だな!」


 中野は椅子から立ち上がり、

「缶コーヒー、買ってくるから待ってな」

 と手を振って、自動販売機があるリフレッシュルームへ向かっていく。


「おう! ありがとう!」


 中野がいるから、俺は凄く助かっているんだと感謝を込めるように、つたない声で言った。

 日々、重なる仕事の疲労で精神的不安定になってしまった俺は、ファンタジー系の小説を読みはまってしまう。

 その影響なのか、


「異世界に行って、念話とか習得したいなぁ……」


 と、思わずつぶやく。

 そうつぶやいた時、オフィスに一瞬、明かりが消えて真っ暗になった。


「っ!」


 何も見えず、何も聞こえないため、恐怖を感じてしまう。

 急いで机の引き出しの中から懐中電灯を取り出し、ライトを起動しようとする瞬間、床面から紫色の光が照らしてきた。

 驚いて足元を見ると、円を描いた幾何学模様で、何やら文字らしきものが浮かび上がってくる。


 ファンタジー系小説を読んでいたので、まさかと思った。


「これって魔法陣……?」


 この言葉を最後に彼は消え、オフィスは懐中電灯の明かりだけ残った。


「おい! 大丈夫か? ……瀧島? ――どこにいったんだ?」


 リフレッシュルームから慌てて戻ってきた中野は、缶コーヒー2本を持ちながら、瀧島の姿が見えない事に呆然としていた。

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