第173話 希望の光を残して
レオとはお別れを済ませてある。だから、もう、この国に用はない。
メネウ達は馬車を駆って街道を進んだ。時々休みながら、小さな集落に顔を出して野菜やパンを買い求めたり、そうこうしているうちに隣国への関所が見えて来た。
ここには関所があるのか、と不思議な気分で向かう。今日も馭者はモフセンがやってくれていて、メネウはその背中から前を覗いていた。
そのメネウのズボンを、カノンが噛んでひっぱる。
「どうしたの? カノン」
「兄弟、あなたはこの国が、嫌いですか?」
「…………うん。いい所もあるのは分かってる。ただ、どうしても……俺には、合わない」
「では、質問を変えます。あなたはこの国に、希望があればいいと思いますか?」
カノンの問いは要領を得ない。
何の答えを求められているのか、何が希望なのか、そのあたりが不明瞭でメネウは言葉に詰まった。
本当は今すぐにでも、奴隷を使って女性体の研究をしている所を破壊しつくしてしまいたい。なくなればいい、あんな研究と思っている。
しかし、ラルフは母を亡くし、モフセンは妻を亡くし、トットも母を亡くしている。
人間の女性が弱い生き物なのは確かだ。この世界の絶対的なルール。出産という命を産む行為をした女性は、まず長く生きられないと思われる。モフセンの妻の話はちゃんとは聞いた事が無いが、側にいたはずのモフセンだけがこれだけ長生きしているのだから、やはり差はあるのだろう。
根本からそれをどうにかするには、膨大なデータが必要だ。だが、妊娠した女性というのはデリケートなものだと、メネウは地球の知識で知っている。安定期に入るまでは安心できないとか、臨月に長距離の移動は難しいとか、その程度ではあるが。
そう考えると、この国の研究施設は合理的だ。女性体を確保して妊娠から出産まで完全に安静に過ごさせることができる。それがたとえ、どれだけ人道にもとる行為に見えたとしても。
そして、そうやって人間以外の女性体のデータも合わせて取る事で、確実に女性の妊娠での身体の負担の割合や、他の種族との違い、そういった結果が出る。
全てを壊してしまいたいのに、切実に女性の寿命を延ばしたいと思っているこの世界の大多数の人達にとって、過程は知らずともいい結果が出れば、それはいいことだ。
「もう少し絞りましょう。兄弟が出会ってきた女性がみな、長生きすればいいと思いますか?」
「思うよ。……皺皺のおばあちゃんになっても、今みたいに、変わらず元気で、強くて、笑っていて欲しい」
「分かりました。兄弟、私に人間の研究の良しあしはわかりません。貴方がずっと心の中に抱えているどす黒いものも、私にはわかりません。私は雄でも雌でもなく、精霊。兄弟、今一度聞きます。この国に希望は必要ですか?」
カノンの質問の意図はまだよくわからないが、メネウは今度は迷わなかった。
「必要だ。……少しでも早く、この国に希望を、そしたらきっと世界に希望が広がるとは……思う。どうしても、好きにはなれないけれど」
人間は矛盾した生き物だな、とメネウは思う。長生きして欲しい、その為にこの世界での最先端の研究がここで行われている。だけど、その研究を行っているこの国が嫌いだ。でも、長生きして欲しい。
「ではこの地を離れる前に、少し走って来てもよろしいでしょうか?」
「え、あぁ、うん。……どこを?」
「試練の平野を。すぐに戻ります。関所があれだけ混み合っているのですから、暫く時間がかかるでしょう?」
それは確かにそうだが、と思いながら、それに何の意味があるのかはメネウの中で結びつかない。
「お忘れかもしれませんが、木の魔法……つまり、私は、喜びの精霊です。試練の平野は……兄弟の言葉で言えば、無地の膨大な魔力リソースと言った所でしょうか」
「つまり……、カノンは、試練の平野のリソースを、こう、国に喜びとして広げて来る、みたいなことをする?」
「はい。私にはそれができます。兄弟の心の黒いもの、私にそれが理解できないように、兄弟には私がする事の意味は理解できないとは思っています」
「……」
「ですが、必ず。喜びは、『誰の心にも』存在します。忘れている、感じ方をしらない、喜びとは何かを理解していなくても。私は、兄弟の黒いものを理解できませんが、兄弟にとってこの地での思い出が全て黒く塗りつぶされるのは嫌なのです」
カノンは木の精霊。喜びによって力を増幅させる。この国の研究所は全て感情に基づいた研究を表向きはやっている。が、その裏で感情を失った……あるいは、最初から持っていない女性体が研究材料として扱われている。
彼女たちにも、喜びが届くだろうか。生きている事、人権を奪われているとメネウには見えるあの箱の中の一生が、誰かの命を救うための一助である事を、無駄ではないことを、喜べるのだろうか。
それは、わからない。理解もできないし、メネウだったら、という考えは無駄だ。
しかし、カノンはメネウの心に残った黒いもの……許せない、破壊してしまいたいという、気持ちをなだめようとしてくれているのはわかる。
「お願い、カノン。パスを繋いで、君の目で、この国をもう一度俺に見せて欲しい」
モフセンに馬車を停めてもらったメネウは(関所を見るに、どうせ今日は通れなさそうであった)カノンと一緒に馬車を降りる。
大きくなったカノンの首を撫でながらパスを繋ぐ。カノンの見ているこの国を見る為に、メネウは馬車の傍に座り込んで目を閉じた。
カノンは風になった。その姿を捉えられる者は誰もいない。試練の平野に向かい、踊るように平野の大地を蹴る。
土が舞う。同時に、その土地に秘められた元素のリソースが、木の魔法に塗り替えられていく。
その木の元素……喜びは緑を帯びた金色に光りながら、カノンが中空を駆けるとその軌跡に沿ってらせん状に渦を巻いた。
美しい光の渦の中心で、カノンが力強く渦の中心を蹴って高く飛び上がると、光は四方八方に広がって、雨のように降り注いだ。
もちろん、メネウ達のところにも。
そっと目を開けて、カノンが降らせた希望の光の粒を掌に受け止めたメネウは、カノンの本当に言いたい事を理解した。
囚われるな。目先のことに、形だけなぞったことに、人の善も悪も自分の身の中にもある。できるならば、喜びを思い出に。立ち去る場所に、憎しみを残さないように。
メネウが思わず泣きそうになる。この国で、いいこともたくさんあった。
カノンは精霊だから、メネウが未熟な人間である事も知っている。だけど、同じくこの世界からはどこかズレた存在である事も知っている。
この世界を旅をしていて、もっと悪辣な事に出会うかもしれない。
将来のためだからと言って、命をあんな風に扱っていいとは、やっぱりメネウには思えない。
それでも。
この国にはいい所がたくさんあった。
レオのように邁進する人も、研究に夢中になる人も、もちろんあの研究を行っている人間だって、そして、あの箱の中に閉じ込められている女性体も含めて。
「そうだね、カノン……俺は、この国を嫌って出るよりも、この国の発展を願って、いい思い出を胸に出ていくよ」
カノンの、『そうしましょう、兄弟』という声が、聞こえた気がした。
カノンの降らせた希望の光は、建物も何も関係なく、国中に降り注いだ。
関所の近くでは「またどっかの魔法の研究だろう」なんて笑っていた。
また風になって、希望の光を振りまきながら戻って来たカノンは、メネウの傍に来ると小さくなって丸まった。
相当消耗するらしい。すぐに寝息が聞こえてきた。
「ありがとう……俺の兄弟」
その小さな背中を、メネウは優しく撫でて、今日はここで野営する事にした。
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