第168話 ずっと笑顔でいて欲しいから

 メネウはあっという間に絵を描きあげると、絵筆で色をのせていった。


 木炭のスケッチは粗いが、そこに色をのせることでだんだんと絵が華やかになる。


 最初から絵筆を使わなかったのは、やはりうっかり具現化してしまうのを避けるためだ。


 自分の仲間ならいい。全て知っていてメネウについてきてくれる仲間になら、万が一具現化してしまっても怖がられることはないだろう。


 ただ、レオはメネウの本当の力を知らない。


 描いたものが何でも現実になる力。そんなものが存在していると知ったら、きっとレオは研究を辞めてしまうだろう。何もかも無意味に思えるだろうから。


 改めて、自分はこの世界でもそれなりに異物だなとメネウは感じていたし、そして、自分はこの世界に順応しようとしているなと思う。


 前世では順応する気などなかった。それより大事なことがあったからだ。


 絵を描く。描き続ける。全く足りないといつも思っていたし、反面、充足しているとも思っていた。


 だが、この世界で知ってしまった。絵が目的である時と、絵が手段である時があると。


 特にメネウはコミュニケーション不全だ。前世では徹底的にコミュニケーションが取れなかったし、誰かとつるむ、という事もなかった。


 長く旅をしてきた仲間とならそれでも何とかやっていける。ただ、レオはそうじゃない。


 ハーネスの時もそうだ、結局自分は絵を手段にしてハーネスやバレットを助けたことに、満足した。


 自分は絵が目的なだけでは無くなっている。誰かと関わる時、絵という手段でコミュニケーションをとろうとしている。


 大きな変化だ。メネウにとって3大欲求よりも大きな絵を描くという行為が、よりメネウ自身に馴染んできているともいえる。


 そして何より、メネウが世界に馴染んできている証。


「よし!」


 メネウは色をのせ終わると、まじまじとその絵を眺めた。遠くの向かいに座ってぐったりと休んでいるレオは、不思議そうにメネウを見ている。


 そこに洞窟の中からトーラムたちが出てきた。


 メネウは立ち上がると、トーラムの肩に軽く手を乗せてお疲れ様と還した。ラルフとモフセンにも絵を見せる。


「よく描けているんじゃないか?」


「うむうむ、女子はな、笑顔が一番じゃ」


 メネウ一人でなければ怖がられないかもしれない、と思いながら、メネウは2人とカノンと一緒にレオの元に向かった。(因みにスタンはレオのそばにずっとついていた。これもメネウなりの気遣いである)


 3人が近づいてくると、レオはまだよく回らない頭でそれをぼうっと眺めるしかなかった。メネウと二人きりという状況は怖かったが、幾分かマシに感じる。


 レオはメネウが嫌いじゃない。嫌いじゃないが、ただ怖い。嫌われているとも思わないし、害されるとも思わないのに、メネウに圧倒されてしまった。


 ラルフとモフセンが背後に控えている状態で、メネウはレオの前にしゃがんだ。そっと彼女の肩に手を置くと、ゆっくりとメネウの魔力を分け与える。


 足りなくなっていた魔力を存分に補充されて、レオは怠さも頭の回らなさも無くなった。驚いてメネウを見る。こんな魔法が使えるのなら、どれだけの人が助かる事だろう。


「これはね、俺だけにしかできない事の一つだよ。……いや、人間なら俺だけ?」


「…………どこまで規格外なんだ、お前は」


 メネウのよく分からない言葉に、もう理解を放棄したレオはほろ苦く笑った。


「ね。俺は絵を描くのが好きなんだ。よかったら、これ貰ってくれるかな」


 メネウは先ほどまで描いていた絵をレオに向けて見せた。


 レオは目を丸くする。


 そこにはさらの杖でエンチャントが成功した時の、無邪気に笑うレオの満面の笑みが描かれていた。


 研究一本だった自分でもわかる。この絵には喜びを呼び起こす力がある。見ているだけで泣きそうになった。


 実際に目にいっぱいの涙を蓄えたレオは、それをローブで拭いながら「あぁ」と絵を受け取った。


「ごめん、ごめんな……メネウ、ごめん……ありがとう」


「ありがとうだけでいいよ。研究所に帰りたい?」


「……うん。俺、研究所に帰る。得るものはいっぱいあった。俺は俺ができるやり方で、お前が作った魔法を誰でも使える魔法にしてやる」


 泣きながら、レオは子供のように、そう宣言した。


 メネウたちの冒険とは決して綺麗なだけじゃない。怖い事もある。命を守るために敵を倒さなければいけない。


 そしてレオには、それは向いていなかった。


 冒険者なんか、とはもう言わない。メネウに対して抱いた畏怖は、冒険者に対する尊重の念でもあった。


 レオは絵を見る。この絵があれば、どんな魔法でも成功させられるような、躓いても俯かずに立って歩けるような、そんな気がした。


「……しかし、今回のゴブリンの巣はCランク相当では無かったな」


「そうじゃの。ゴブリンナイトにゴブリンメイジ、ゴブリンキングまでおったからの」


 ほれ、とモフセンが拾ってきた結晶を見せる。名有り程ではないが、確かにこんな大きな結晶の魔物がいたとなると少々危ない。


「うわ、本当だ。うーん……ねぇレオ。マギカルジアでさ、魔物の巣の中の元素量の大きさを測る魔導具とか作れないかな?」


 メネウの提案にレオは泣いていた顔を改めて、研究者の顔になった。


 Cランクとされていたが、突っ込んでみればAランク相当の巣だった。今回はこの規格外たちが当たったからいいものの、事故は増えるだろう。


「……あ、そうか。できる、と思う。実験に協力してくれたよな? 研究室では常にドームの中の魔力量を測定する魔導具を使ってる。……もしかして、冒険者の役に立つのか?」


「すごいね! そしたらきっと、冒険者も助かるよ。街に帰りながら話すよ、歩ける?」


「大丈夫だ、もう怠さも無い。で、どんな話なんだ?」


「それはねぇ」


 レオとの旅はこの冒険で終わるだろう。だが、レオにもメネウたちにも得るものはあった。


 だから湿っぽく終わらせるつもりも、冒険者と研究者の関係を切るつもりもない。


 メネウは帰りの道中、ラルフとモフセンにめいっぱい解説されながら、レオに魔導具の構想を話した。


 メネウが描いて量産するのもいいが、メネウはこれは研究者の仕事だと思った。


 あとあとまで、その人が死んだそのずっと後まで受け継がれ磨き続けられる技術。そういう物は、そういう人たちに任せよう。


 メネウはまた、人としてのレベルがあがった。

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