第167話 これが夢じゃないのなら

 レオはただただ圧倒されていた。


 本能的な恐怖を感じる。目の前で起こっているのは現実なのか、そうでないのか。


 きっと、目の前で踊るように剣を振るっている男は自分に気を使っているに違いない、レオはそう確信している。


 仕込み杖の剣だから刀身は細い。綺麗に急所を狙って一撃で倒された魔物は結晶にはならない。普通は。


 だが、ゴブリンの死体の山などレオに見せたくないメネウは、剣を持って踊るように動き回った。


 返り血は浴びない。細い刀身で急所を的確に狙いながら、自身の力でそのまま風圧でゴブリンの体を刃の振り抜きで粉々にしては結晶に変えていく。


 メネウは気持ち悪いと言われる事には怒りはしていない。悲しいが、納得すらしている。だから一緒に来るとなった時に覚悟していた、どんな罵りや謗りを受けようと、レオを……一時的にでも仲間になった彼女を守り抜くと。


 彼女はいずれ研究所に戻る。綺麗なだけの世界に帰る。その彼女に汚いものはなるべく見せたくない。メネウはその一心で剣を振るって、返り血は避け、死体を残さず結晶に変えていく。


 その工程こそが、レオに圧倒的な恐怖を与えているとは知らずに。


 だが、レオは馬鹿でも恩知らずでもない。


 あの凶刃が自分に向くことは無いと知っている。理解できる。だから、レオの中にあるのは、畏怖。


 魔法でも敵わない、自分の研究結果のはるか先をいく、それでいて召喚術が使え、剣の腕も相当にたつ。


 なぜ、彼の仲間は一緒にいて平気でいられるのだろう。怖くは無いのだろうか。あのトットという少年の盲目とも言えるメネウに対する信頼。


 帰りたい。レオは思った。こんなモノのそばにいたら、頭がどうにかなってしまう。


 レオがそんな事を考えている間に、何十匹と飛び出してきたゴブリンたちは最後の一匹が仕留められたところだった。


 息を切らした様子もない。ただ、たくさんの結晶の真ん中で、メネウは落書き用の紙を取り出してゴブリンの血を拭って捨てた。そのまま剣を戻し、杖の先で捨てた紙を軽く突くと、紙は一瞬青く燃えて炭さえのこさず消えた。


 これが夢じゃないのなら、と、レオは思う。


 夢じゃないのなら、冒険者とは侮っていい人間ではない。いや、冒険者とくくってしまうのは間違っている。


 専門知識に関しては長けていると思っていた。それは間違いじゃない。


 若くして研究職に就き、成果をこの畏怖の対象に認められた。それも間違いじゃない。


 ただ、夢であって欲しかった。これは夢だと、思いたかった。夢でないのなら……。


 メネウが振り返ってレオに笑いかける。終わったよ、と声を掛ける。頭がぐわんぐわん回っているレオには、それに応える事はできない。


 魔力切れ寸前でひどく眠いし空腹だ。だが、目の前で行われたのは……蹂躙。


 あれは蹂躙だ。敵じゃない。邪魔ですらない。踊るようだったのは、ゴブリンの数という有利を翻すメネウのスピードのせいだ。


 あんなモノと一緒に旅を続けていたら、自分の中の何かが壊れてしまう。そう、レオは直感していた。


「大丈夫?」


「はっ……」


 いつのまにか目の前にいたメネウに、来るな、と。言いかけた。


 しかし、言葉は飲み込めても表情は隠せない。メネウは少しだけ困ったように笑って、結晶の回収をするのにレオのそばを離れた。


(ちがうんだ! お前の事が嫌いなわけじゃない!)


 そんなのはメネウもわかっている。


 怖がらせたくなかった。汚いものは見せたくなかった。やがて綺麗な場所に戻る彼女には、一生必要のない光景。


 メネウが剣を使ったのは、万が一レオにゴブリンが向かった時に魔法では対処できないから。間違ってもレオに当ててしまう事のないように、最小限の武器で、最大の効果を発揮した。


 魔法で焼き尽くしてしまえばよかったかな、と小さな後悔を抱くが、そはそれでますますいけなかったように思う。


 あえて、自分はレオと違う人間だ、と明確にレオに見せつけたかった。自信をなくして欲しくなくて。


 レオの才能は本当に素晴らしいとメネウは思う。自分の意識は異世界からのもので、画面の向こうの妄想、ゲームや漫画での概念でエンチャントを知っていても、本当に魔法がある世界でそれを組み立てることができるのはメネウには真似できない事だ。


 レオが創造する技術は、途切れる事なく研究され続け、やがて世界に広がっていく。


 メネウができるのはメネウにしかできないこと。そこには生産性も継続性も無い。


 ただ、ひとつレオとメネウに共通することがあるとすれば。


 今を精一杯生きること。


 メネウの残すもの、絵というものは、やがて人目に触れ精霊の存在をしらしめるかもしれない。だが、メネウは描くことが目的で、死者の書とやらが完成した時、その絵が消えてしまってもメネウは惜しくない。


 描いたという事実は消えず、メネウが描いた絵は仲間が見てくれたから。それでいい。それでこの世界が混沌とやらに巻き込まれず、レオのような才能が生き続けるならば。


 今、目の前で出来ることをやる。


 レオにとっては人生を掛けた研究がそうだろう。自分一人では完成させられないかもしれない。しかし、体系化したならば、それはレオの名前と共に、レオの寿命よりもずっと先まで生き続ける技術。


 だが、レオはそこまで考えてはいない。今自分にできる研究を、成果を出すこと。それに注力して生きている。


 レオの生業は研究だ。戦闘じゃない。メネウの生業は絵だ。戦闘じゃない。


 それでも、メネウは描くために戦う。描いたものを見てもらえる仲間のために戦う。いつか自分の絵に触れてくれるかもしれない世界のために戦う。


 そして、その中にはレオも入っている。


 ラルフたちはまだ戻ってこない。サーチで見ている限り、巣は潰して結晶を回収しているところのようだ。


 メネウはレオとは充分に距離をとって、落書き用の紙束を取り出すと、スケッチ用の木炭で絵を描き始めた。


 きっとレオはこの先にはついてこない。さっきの反応を見れば明らかだ。


 だから、メネウは自分にできることでレオに残したいと思った。

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