第157話 彼のやりたい事

 花に埋もれたメネウの問いかけに、案内していた職員は目玉がこぼれそうなほど大きく目も口も開いたまま、池の鯉のようにぱくぱくと口を動かしていた。


 言葉にならないらしい。


 メネウの心境としては、描かずに具現化した事には驚きはしたが、いかんせん慣れという物がある。いつもやっている事を無意識にやらかしてしまった、というのが近いだろう。


 この花を全て引き取れと言われてもいいのだが(やった事の責任は取らなければならない)、しかし自分では活用法が無い。


 自分の服についた花を払いながら立ち上がったメネウに、ようやく呼吸以外を忘れていたような職員が口を開いた。


「も、もちろんです。喜んで引き取らせていただきます……!」


 先程のトットの花一つでも十二分に研究しがいのある成果が得られたのに、こうも大量のサンプルが一気に手に入ってしまうと、どうしていいか分からない部分もあるだろう。


 ひとまず箱を用意させて、少しずつ各研究室に運び込むようだ。


「あ、あの!」


 職員がようやくきびきびと動き出したところで、トットが声をあげた。


「ん? どうしたの、トット」


「どうされましたか?」


 自分の白いローブをぎゅっと握りながら、トットは臆せずに言った。


「よかったら、僕にも少し譲ってもらえませんか」


 トットがメネウたち以外にこういった申し出をするのは珍しい。いつもは控えめで弁えた態度を崩さないのだが、それだけこの花に興味があるのだろう。


 この魔法の結実が植物の形をしていたのも関係あるのかもしれない。植物……薬草や毒草の類ならばトットの専門分野でもある。ドリアードの花と同じく、この花にも何か薬効があるかもしれない。


 それを自発的に考え、口にし、実行しようとしている。


 メネウは黙ったまま瞠目した。いよいよ、この時がきたのかもしれない、と思った。


 ラルフは英雄を目指し修行の為にメネウに同行している。モフセンは残りの人生をメネウの使命を助ける事に使おうとしてついてきてくれている。


 だが、トットは違うのだ。


 トットに、どうしたい? と聞いた日が頭の中をよぎる。あの時のトットは何も知らなかった。自分でも役に立てる場所、だからメネウたちと共に来た。


 錬金術師になったのだって自由意志ではない。トットは何も知らな過ぎた。何もかも強要されすぎた。この旅の間に、自分を取り戻したのだとしたら、メネウにそれを邪魔する権利はない。


「……ッ、……。あの、この子にも分けてもらえますか?」


 メネウからも職員に向って口添えをする。メネウが創り出した物だ、NOと言う理由はない。


 職員はもちろんですといってトットに一抱えはあるだろう花を袋に入れて渡してくれた。


 それを嬉しそうにぎゅっと抱えるトットを見て、メネウはこっそりとポケットの中の優先取引権の証書に触れた。


(まだもうちょっとだけ……、まだ)


 一緒にいたい。


 メネウのそんな様子に、ラルフとモフセンは目聡く気付いていた。


 ラルフの傍にモフセンが自然に近づき、低い声で囁きかけた。


「もしこの国を出る時まで、メネウが何も言わなんだら……」


「分かっている。その時は、俺が言う」


「それがいいじゃろう。儂ではいかんのじゃ、きっと双方に甘えが出るじゃろう」


「……すまないな、そこまで考えさせて」


「孫が増えたようで楽しいぞい。ふぉっふぉっふぉがふぉっ」


 好々爺然として笑う口から入れ歯が落ちたのを素早く自分でキャッチしたモフセンは、何事もなかったかのように入れ歯を口に戻した。


 こうして二人は、未だ自分の置かれている状況に気付いていないトットと、そのトットに対して言うべき事を先延ばしにしているメネウを見守る事に決めた。


 メネウが言わない時はラルフが言うのだ。トット、お前はどうしたい、と。


 その時を思うとラルフも胃が痛いのだが、だれしも人生がある。トットは成長したのだ、この僅かな一年にも満たない期間で。それこそ、自分でも気づかない程のスピードで。


 メネウは分かっている。分かっているが、メネウもまた成長した。そして、寂しい、という事を覚えた。しかし、寂しいだけならばいい。それが独占欲であったらいけない。他人に目隠しをして道を塞ぐような真似を覚えさせてはいけない。


 猶予はまだある。この国は確実にトットに「合っている」。


 そんな事をラルフが考えて二人を眺めている間に、一人の研究員が抱えていた書類をばさばさと床に落とした。


「な、なんだこれ……お、おい! 誰だよこれをやったの!」


 歳の頃は15歳くらいだろうか。トットよりも少し背が高い、痩せぎすの少年のように見える。しかし、白衣を着ているという事はこの研究所の職員なのだろう。


「まずは書類を拾いなさい、レオ」


 案内役の職員が興奮する彼を静かに窘める。


 憮然とした表情で書類をかき集めて拾った彼は、改めてこちらに近付いて来た。


「……で? 誰がやったんだよ、これ」


「こちらの旅の方だ。実験に協力してもらったんだよ。……皆さん、こちらは当研究所のレオです。彼も高い魔力を持っていて定期的に実験をしてもらっています」


「俺が何度やったってこんな結果でなかったのに! 何で旅なんかしてるやつがこんな結果が出せるんだよ! どっちだ?! そこのローブの2人!」


 メネウは、あちゃー、という気持ちでいっぱいだった。ここに来て出てきてしまった、強大すぎる力は要らぬ妬心をなんとやらである。


「どちらも、だ。まぁこの量はこちらのメネウさんだが……」


「あんたか! 何をした! ちくしょう、俺がやってきた事を返せ!」


 思い切りメネウに突撃してきたレオは、メネウの襟首を掴んでぐいぐいひっぱっているが、何せ身体能力もピカイチのメネウは少しも揺らがない。


 それよりも、この状況をどうするかの方が問題だ。


「や、やめてください!」


 それを解決したのはトットだった。二人の身体の間に割り込んで、レオを思い切り突き飛ばす。


 同じくらいの身体ステータスなのだろう。土の上に尻もちをついたレオが、トットを茫然と見上げる。


 瓶底眼鏡の下で静かに燃えるトットと、茫然としながらも妬心いっぱいの目で見上げるレオのにらみ合いは暫く続いた。

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