第139話 トロメライ

 風の防壁で熱湯の滝を抜けた先は、さらに熱い空気で満たされていた。


 地面が溶けてマグマ化しようとしている。黒く炭化した地面に面して、ノーチラス号は止まった。


 カノンが頑張ってくれているうちに、メネウは次の手を打たなければならない。風の厚い防護壁を越えて熱気が船内を満たしていく。


 絵筆を取り出し、素早くコートとブーツを全員分描いた。耐熱効果、ではまだたりない、遮熱効果の服と靴だ。カノンはラルフの懐に入れ、スタンはモフセンの服の中に収まり、ヴァルさんはトットの背に背負われていれば問題ないだろう。


「それ着て入り口で待ってて」


 メネウの言葉に一同服と靴を纏う。船に遮熱効果を持たせなかったのは、精霊を描くのに魔力を使うからだ。巨大な物にそこまでのイメージを持たせたら魔力がごっそり持っていかれる。魔法は周囲の元素を借りて発動する物だが、万物具現化はメネウの魔力を元にする物だ。


 カノンが船頭でまだ頑張っている。隣に行って首を抱き、メネウがウインドストームでカノンの役目を引き継ぎ、小さくなったカノンが慌ててメネウの服の中に飛び込んできた。


 その状態を維持して入り口に向かい、ラルフにカノンを任せると、意を決してメネウは入り口のハッチを開けた。


「ひー……いるだけで熱い気がする」


 実際は遮熱効果で少しも熱くはないのだが、ザクザクと炭化した地面を熱気で歪んでいる景色の中進んでいく。


 進む方向は分かりやすかった。熱源と思わしき光っている存在がいたからだ。


「何用か。……む、兄弟がいるな」


 光っている存在に近づくと、厳つい鬼のような形相の、真っ赤な肌の男が炎を纏ってそこにいた。


 兄弟とはカノンの事だろう。メネウは臆さずに話しかけた。


「トロメライ、俺はメネウ。君を描きたくてここにきた。……でも、今君はとても怒っているね?」


「メネウ……我は貴様を待っていた、待っていたが……人間の所業に、今ははらわたが煮えくりかえっている」


「わかるよ。魔物をさらって改造している人間がいる……話は聞いた。俺はそいつをどうにかする為に君の力を借りたい。描かせてはくれないかな?」


「ぬぅ……」


 トロメライは一つ唸って黙り込んでしまった。


 メネウは彼の答えを待つつもりでじっと彼を見上げていた。


 二人の精霊を描いて分かっていた。精霊を描くというのは、精霊と同化して筆に乗せるということ。


 トロメライが許さなければ、自分には彼を描く資格は無い。まして人間に憎悪を抱いている彼を、そのまま描いてはいけない気がした。


 遮熱効果の上着を着ていても分かる。急に熱が収まり、トロメライの中に収束していった。


「メネウ、我は貴様を待っていた。貴様が魔物たちの現状をどう変えるのか、見届けたいと思う。我にはこうして保護する程度の力しかあらぬ」


「保護するだけでも凄いことだよ。トロメライ、俺は直接魔物を助け続けることはできない。敵対すれば魔物を倒す。でも必ず、その大元を叩くことを約束する」


 メネウはトロメライに向かって手を伸ばした。


 トロメライはメネウの周りにいるものを見た。剣士と兄弟、少年と木の竜、老人と神獣。神の写身もいるが、無自覚なようだ。チグハグでまるで頼りなく思えるのに、メネウに寄せている信頼は本物。だから彼らは黙ってメネウを見ている。彼の背中を守っている。


「我が名はトロメライ、全ての命の灯火であり怒りたる炎の精霊。メネウ、我が兄弟よ、我を描くたりえる者として認めよう」


 メネウの伸ばした手に、トロメライは額を押し当てた。熱い。火傷するほどでは無いが、彼を描くにはこの熱を知らなければならない。


「ありがとう。トロメライ、俺の兄弟。君を描くよ」


 メネウは手を離すと絵筆とスケッチブックを取り出した。白いページに、トロメライを見ながら筆を滑らせていく。


 深く地下を走るマグマ、日常の中で使われる火、魔物と人間の別なく熱を持つ全ての命を潜り抜けていくような爽快感。


 温かい日向も、凍えそうな山で炊く火も、眩しく煌めいて彼の中にある。


 描いている時、メネウはそれらを追体験する。走らせる筆は音楽を奏でるように緩急がつき、メネウの意識は筆の上にありながらトロメライの内包する炎の元素の中を泳いでいる。


 そして何よりも強く感じた、怒り。


 全ての熱を持つ者は等しくトロメライと繋がっていて、トロメライからその熱が奪われていく事への怒り。


 メネウの筆に力が入る。この怒りも全て、彼の一部。炎を描き切るには、この怒りも全て描かなければ。


 力強く怒りを体現したトロメライの顔と、全ての命の灯火を引き受ける神々しいまでの光を放つ優しい姿を、メネウは紙の上に写しとった。


 その絵とトロメライを何度も見比べて、よし、とトロメライにその絵を見せる。


「兄弟の目に写る我はこんなにも優しいのか」


「そうだよ。優しいから怒るんだ。俺はそれを描きながら知った、君は優しい」


 振り返ったメネウはラルフたちにもその絵を見せた。ラルフたちにとっては恐ろしいだけだったトロメライは、何故か暖かく優しい存在に見えてくる。


「いい絵だ」


「怒りと優しさ、うまく表現できとるんじゃないかの?」


「怖いと思ってましたけど……、今は怖くないです!」


「男前だね! いいんじゃないかい?」


 皆のコメントを受けたメネウがトロメライに視線を送る。トロメライは嬉しそうに声を上げて笑った。


「今後、何かあれば呼ぶがよい。このトロメライ、兄弟の為ならば駆け付けよう」


「ありがとう、俺の兄弟。いつも君の温かさを感じて生きているからね」


 こうしてメネウは3体目の精霊を描き切った。そのページにロックが掛かる。


「さて、兄弟。我からの依頼を受けてはくれまいか」


 トロメライがメネウに向かって困ったような声で訊ねた。


 メネウは「何?」と首を傾げる。


「火の竜を収めて欲しい。今の我は魔物の保護に力を割いている。そして竜は……」


「狂わされているんだね?」


 メネウの言葉に、トロメライは重々しく頷いた。


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