第136話 観光ダンジョン

 トロメライに入る前に全員の目にサーチを掛けたが、一階層では罠らしい罠が見つからなかった。


 魔物はどんどん出てくるのだが、随所に安全な小部屋がある。今はその小部屋の一つに避難して休憩しているのだが、メネウはそこに嗅ぎ覚えのある匂いを感じていた。


「……んー?」


「どうしたんだい? まだダンジョンに入ってそんなに経ってないよ」


 メネウの不思議そうな声に、セティが首を傾げた。こんな早々に疲れる男ではないはずである。


「ちょっとラルフさ。そこのスイッチ押してみてくれない?」


 ラルフのすぐそこに、サーチでも不明な……しかし罠ではない……スイッチがあることはわかっている。


 しかし、こういった仕掛けは触らぬ神に祟りなしである。思い切り嫌そうな顔をされたが、罠ではないと分かっているのでラルフは渋々スイッチを押した。


 すると、部屋の中央の石畳ががこんと下がり、石畳のあった場所に乳白色に濁ったお湯が湧き出てきた。


「やっぱりー!」


「ふぉふぉ、まさかこんなところでこんな仕掛けがあるなんてのう」


 メネウとモフセンにはこの乳白色のお湯の正体は明白だった。が、他の3人はきょとんとしている。


「な、なんです、これ?」


 メネウがしゃがんでお湯の具合を見ている。熱すぎない、ちょうどいい温度だ。サーチのお陰で効能も分かる。


 肉体疲労や肩凝り、腰痛に効くらしい。


「温泉だよ。あー、卵持ってたかなぁ! いや、でもこの温度じゃ温泉卵は無理か」


「もしかして他の魔物が現れない部屋も……」


「たぶん温泉だよ! ダンジョンの中でお風呂に入れるなんて思わなかったね。でもセティもいるし足湯にしとこうか」


 いそいそと荷物からタオルを人数分取り出したメネウは、それを配ると早速ブーツをぬいでズボンをめくりあげた。


 そうして石段に腰を下ろすと、お湯の中に足をつけて長い息を吐く。身体中から力が抜けているようだ。


 モフセンも既に温泉に足をつけている。ラルフとトットとセティは不思議に思いながらも、とりあえず真似をすることにしたようだ。


 カノンやスタンはすっかり気に入ってお湯の中に潜ったり浮いたり泳いだりの有様だ。


 全員がお湯に足をつけると、なんともまったりとした空気が部屋の中に流れた。


 ダンジョンの中に温泉があるとは思っていなかった。しかもお湯はちょうどいい塩梅である。


「もうちょっと休憩したら続きに行こう……この仕掛け、気づかない人多いんだろうなぁ……」


 メネウの声が完全に蕩けている。まさか前世でも温泉の素でしか入れなかった温泉にこんな所で出会えると思わなかったのだ。


 さすがのラルフも足をつけて寛いでいる。トットも、眼鏡の曇りを気にしながらくったりと背中を丸めていた。気持ちがいいらしい。


 セティはかなり脚を出した格好なので、カノンたちとはしゃいでいる。旅を続けていると、湯船に浸かる事はそうそう無い。


 すっかり全員が体の力が抜けたころ、そろそろ外に出るかという話になった。気持ちいいが、いつまでもここで寛いでいるわけにはいかない。


 タオルで脚を拭ってそれぞれ靴を履き、カノンたちもタオルで拭った後に小部屋のドアをセティが開けた。


 が、外に出ずに固まっている。どうした事かと横からメネウが覗いてみると、そこにはあり得ない光景が広がっていた。


 さっきまでは殺風景な小部屋が並ぶダンジョンだった筈だが、温泉が川のように流れ、木造に朱塗りの柱の宿屋が至る所に建っている。土産屋もあれば、屋台で軽食を売っている店もある。


 そして、そこをゆったりとした布を纏ったホブゴブリンやコボルト、ケイブマンティス、多種多様な魔物が往来している。店を出しているのも、宿屋の前を掃除しているのも、全て魔物だ。


「らっしゃいらっしゃいー! 温泉で茹でた温泉卵はいかがすかー!」


「温泉で蒸した温泉饅頭ならうちが一番だよ! お客さんおひとついかがかね!」


 活気のある温泉街に様相を変えたダンジョンに、おっかなびっくりしながら、セティは足を踏み入れた。


 道ゆくモンスターも、店をやっているモンスターも、セティの後からぞろぞろやってきたメネウたちをあまり気に留めていない。


「人間が来るのはいつぶりだろうね」


「ま、ゆっくりしていきんしゃい」


 なんて声まで掛けてくる。


 これには流石のメネウも引きつった笑いになった。頰を抓ってみたが、ちゃんと痛い。現実のようだ。


「ど、どうなってるんだい……?」


「さぁ、俺にも……あのスイッチのせいだとは思うんだけど」


 言いながらラルフをみると、それ見たことかと睨まれた。メネウは縮こまるしか無い。


「一先ず宿でもとったらどうじゃ? その後聞き込みをすればええじゃろう。ここの魔物は襲ってきやしないようじゃしの」


 モフセンが髭をすきながらそんな事を言う。いいのだろうか、ダンジョンを攻略しにきたのに。


 しかしまぁ、それ以外に方法も無いような気がした。足湯のスイッチを押してみたら外の様相が変わっている。もう一度押したら戻れるのかもしれないが、この空間がトロメライの本来の姿だとしたら……まずはここの様子を探る方がいいだろう。


 空間系のスキルが使われていればメネウに分からないはずがないのだが、たぶんもっと原始的な方法で自分たちはここにいる。


 足湯が現れた時に、小部屋ごとこの空間に一階層『落とされた』と考えるのが真っ当だろうか。


 一先ずの拠点を決める、というモフセンの案も有用だと思う。ならば、とメネウたちは頷き合って、一番近くて大きな宿屋に入った。


 人間の通貨であるベルツでの支払いでもいいらしい。4部屋をとって、金貨を一枚支払った。1週間ほどは滞在できるらしいが、途中で出るならその時に精算します、とゴブリンの番頭に言われた。不思議な感覚である。


 後の事を決めるためにも、とりあえずは部屋に行って作戦会議をする事にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る