第123話 セト

 メネウは試しに蠢く蛸足を何本か斬ってみた。


 斬れた脚は地面の上でのたうち回ると、水になってまた水の竜へと戻っていく。


 ランダムにうねっていた蛸足が、攻撃を加えたメネウの方へと何本か向かってきた。


 危なげなく後ろに跳んでそれを避ける。床にひびが入る打撃に、メネウは小さく「ヒュウ」と口笛を鳴らした。そこまで硬いものだと思わなかったのだ。


 だが、よく考えたら水圧で人は圧死するのだ。その辺は自由自在なのだと思うと厄介である。


「じゃあこれでどうだ! イモビリゼーション!」


 黒い魔法陣を無数に展開させたメネウは、蛸足の一本一本を拘束した。


 が、それもするりと抜けられてしまう。変幻自在の水ならではの動きで、なかなか動きを抑える事が出来ない。


 メネウに向かって四方から蛸足が襲い掛かる。うちの2本をラルフが切り落として難を逃れた。


「サンキュ」


「礼はいい。……どうする」


 斬撃はダメ。魔法で拘束しようとしてもダメ。


「凍らせてみるか」


 少しの間ラルフに守りを頼むと、メネウは魔法改造で風魔法と水魔法を混ぜて氷魔法を創った。


 薄水色の魔法陣から吹雪が水の竜を襲うが、その様子を見ていた『彼』が小さく呟く。


「あれではダメだな……」


 その声は男の物であり、誰も聞いたことのない声でもあった。だが、確かに知っている人物から発せられた声である。


 モフセンとトットが驚いて『セティ』を見た。


「退きな、爺さん」


『セティ』は結界を抜けて外に出ると、一息にメネウ達へと距離を詰める。


 その体運びも、雰囲気も、何もかもが普段のセティと違う。


 彼の言った通り、水魔法と風魔法の混合の氷魔法では簡単に氷は溶かされてしまった。


「もう脚だけ焼き払うか……?」


 メネウが物騒な事を呟くと、それに返事が返ってきた。


「その必要は無い。凍らせるという発想は悪くないぞ、神の愛し子」


「誰?!」


 声に驚いて振り返ると、そこにいるのはセティだ。しかし、雰囲気が違う。


 まるで雄々しい年若い戦士のような風格と表情をしたセティがそこに立っていた。


「セティ……?」


「我が名はセト。同じ名を持つ我が娘の身体に顕現せし砂漠とキャラバンの神。アペプの危機と聞いた、助太刀する」


 そう告げたセトは片手を翳すと水の竜の背後にいくつもの茶色の魔法陣を展開させた。


 大量の砂がそこから溢れ、水で出来ている蛸足の水分を吸い取り重い枷となって圧し掛かっていく。


 砂は後から後から溢れ出てくる。完全に動きを封じられ、羽根の生えたウミウシと化した水の竜はその場でうごうごと蠢いている。


「これでいいだろう。さっさと『服従』させてやれ」


「あ、えっと、はい」


 圧倒的なセトの実力と言葉にメネウが目を丸くしてまごまごと答えると、仕込みの刃を杖に戻して歩いて近付いた。


 ウミウシの頭に杖を翳して祝詞を唱える。


「ここに水の竜をメネウの召喚獣と定める!」


 が、何の変化も起こらない。訝し気に水の竜を眺めてみたが、苦しそうにもがいているだけだ。


「名前を付けてやれ」


 またもやセトが口を出した。


 ヴァルさんもベルちゃんも名前を付けて服従させた事を思い出して、メネウは水の竜につけるべき名前を考えた。


(水……海……、でもそれじゃあ本質すぎる。湖……、泉……!)


「ここに水の竜クヴェレをメネウの召喚獣と定める!」


 杖と水の竜クヴェレの間で元素が強く光った。


 その光がクヴェレへと収束すると同時、黒光りする虹のような光がクヴェレから弾き出されたように見えた。


「きゅえぇ……」


 クヴェレはすっかり元気をなくして萎れている。


 それでも果敢に頭(と思われる場所)を持ち上げ、メネウへと祝詞を返した。


「ここに召喚術師メネウを主人と定め、その喚び声に応えて世界の果てまで参じることを誓う。水の流れがある限り我は千里を駆け、万里を超える」


 クヴェレの祝詞で正式に召喚獣として収めたのを見て、セトは大量の砂を今度は魔法陣の中に収め始めた。収納も可能とは便利な魔法である。


「メネウ……そして、セト様……大変なご迷惑をおかけしました」


 砂が退いて少し元気になったクヴェレが恐縮して謝ってきた。


「カプリチオ様、私はもう大丈夫です。どうか、元のお姿に……」


 そうクヴェレが宙に向って告げると、今度はクヴェレの背が光って割れた。


 そこから青い燐光を放つ蝶の羽が現れる。


 それは昆虫の変態によく似ていた。


 巨大な蝶は大きく羽根を広げると、その下から半透明の美しい人が現れた。ドリアードに似ているが、髪の部分が幾重にも水流が絡み合っているような姿だ。


 ずるり、と音をたててクヴェレからカプリチオが分離する。人の三倍はありそうな大きさである。


「あぁ、よかったです、クヴェレ……もとに戻ったのですね。本当に、本当によかった……」


 美女がウミウシに寄り添いうれし涙を流している。


 メネウはこの姿こそ描きたかったものだと目を輝かせた。


 しかし、今は先に片付けなければならない問題がもう一つある。


 メネウは名残惜しそうにカプリチオから視線を外すと、セティ……セトへと向き直った。


「事情を教えてくれる?」


 これを聞かなければカプリチオを描くも何もないと、メネウは思っていた。

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