第88話 愛しのエリー
中に入るとカウンターの中から職員の男が片手を上げた。
待ち合い椅子が並び、カウンターの向こうは事務机が並び、いかにもお役所といった風情だ。
「いらっしゃい。……あぁ、モフセンじゃないか」
「ふぉっふぉっ、今日はちょっと見学にの。他国からの旅人じゃ。ところで今のは……」
「エリーか。あいつ、この町のスカラベ研究員なんだが、どうにも一匹迷子になりやすいやつがいてな。そいつの番がついてるから大丈夫だっつったんだが、迷子を探しに行ったよ」
研究員だの迷子だの番だの、これだけでもスカラベの扱いに関してナダーアは大分進んでいることが分かる。
「バンブルとガイネでしたっけ。そもそもスカラベってここに集まるんですか?」
メネウが首を傾げながら尋ねると、本当に外国人なんだな、と職員は笑って答えてくれた。
「あぁ。スカラベは一度言い聞かせればちゃんと帰ってくる。しかも頭がいいから、お願いして理由に納得すれば、だ。その代わり、一匹が納得すれば全員に伝えてくれる。この国じゃスカラベは日勤と夜勤に分かれていて、勤怠管理して働いてもらってんだ」
その代わり、集積場の堆肥を使う為に繁殖の手伝いをしたりするらしい。
他国よりもより深い共存関係にあると言えるだろう。
「研究員は町スカラベの個体数や体調管理、生体研究を行う奴らだ。うちの支部じゃエリーだな。今ちょうど日勤を休ませて、夜勤を出す時間なんだが……、さっきも言った通り日勤に一匹迷子常習犯がいてな。そいつを捕まえに行っちまった」
「はぁ……」
スカラベのようなチートの塊にご丁寧なことである。
しかし、メネウは侮っていた。この国ではスカラベの価値は爆上げされているのだ。
「日が暮れるとまずいからな。攫われる可能性もあるし……にいちゃん達、暇ならエリーを手伝ってくれないか?エリーみてぇに一匹一匹に名前を付けるくらいスカラベに執心してるやつが、無茶したら危ねぇ」
攫う?あのどこにでもいる虫を?
とはメネウの心中である。
それを察して職員は苦笑した。
「この国じゃ大きな問題の1つなんだよ。その集積場の個体が増えれば堆肥の量も増える。だから密売組織があるくれぇなんだ」
メネウたちにも合点がいった。だからスカラベを管理しているのだろうし、それを失っては大変である。
一度盗めればその後の再犯の可能性があがるからだ。
「分かりました。モフセンとトット、ラルフ、俺で手分けしよう」
これは、万が一(スカラベの)誘拐犯に出くわした時に対処できる振り分けである。
「すまねぇな。エリーはたぶん港の方にいるはずだ」
「分かった。行こう」
メネウが港へ、モフセンとトットは繁華街、ラルフは路地裏を見て回ることにした。
今外に出ているスカラベは迷子の二匹だけだという。簡単に見つかるかと思ったが、なかなか見つけられない。
石造りの町を海に落ちて行く夕陽が赤く染めあげる。
美しい水平線に目を奪われたが、メネウは頭を振ると探索を再開した。
海辺は倉庫街になっていて、その隙間を一つ一つ覗いて行く。
時々アルカッツェに寄ってこられたりしながら、20はあるだろう倉庫の端の方から、言い争う声が聞こえた。
「……から、わださね……!」
「……せぇ、お前も……!」
声の方へ急ぐと、奥の壁を背にスカラベ二匹とエリーという職員が。それを追い詰めるように3人の男が立っていた。
「おめ、……っ!」
現れたメネウの姿にエリーが驚きの声を上げてしまう。男たちは当然振り向いた。
仕方がない。メネウは後ろからの奇襲を諦めると、つかつかと近寄ろうとした。
が、男の一人がエリーを捕まえて刃物を向ける。
「おいにいちゃん、この女がどうなってもいいのか」
「よくないデスね」
久しぶりに敬いたくない人に敬語を使ったから発音がおかしくなった。
距離はそこそこある。こういう場面は洋画によくあるシーンだ。
対応策として騙されたふりをするのも考えたが、もう一つの方を採用する事にする。
男たちの視線を欲しいままにしたメネウは、その場で屈伸すると、倉庫の屋根よりも高く飛んでエリーを捕まえた男の背後へ立った。
人の想像を超える事をすると、相手は固まってしまう。その隙にエリーを取り戻し、背後に匿った。
「大丈夫ですか?」
エリーとスカラベ二匹に声をかける。エリーはまだ唖然としていたが、スカラベ二匹は後ろ足で器用に立ち上がると前足をひらひらと振ってみせた。大丈夫そうだ。
「と、いうわけで、あなた方は現行犯で騎士ギルドに引き渡します」
「ちっ、やれ!面が割れちまった!」
スカラベ二匹を誘拐しようとして、失敗したら目撃者を殺そうとする。
ボロい商売でスカラベ様々なのだろうな、とメネウは思いながら天空の杖で襲いかかってきた刃を受け止めた。
「意識が無い方が良さそうだ」
面倒臭い、という気持ちを隠そうともしない声で告げると、メネウは簡単に剣を弾いて杖を振り回した。
手の中で一回転させた杖の尻を的確に誘拐犯の鳩尾に入れる。
意識を失った仲間の背後で呆然としてる二人の男へも、逃げる隙を与えず距離を詰めた。
こういう時に手心を加えて声を掛けたり、意識を保ったままにさせるのは得策ではない。
メネウは杖を小脇に抱えて、二人の男の頭をそれぞれの手で掴むと勢いよく衝突させた。
脳が揺れて脳震盪を起こしたのを確認すると、メネウは魔法で彼らを縛り上げる。
「立てる?大丈夫?」
「お、おめー何もんだ……?」
「俺はメネウ。旅の召喚術師で、スカラベにはお世話になってるんだ」
召喚術師の体術では無いのだが、それは横に置いておく。エリーがそれに気付くのは衝撃が抜けてからのはずだ。
「た、助かった……わだすはエリー。スカラベギルドの研究員だ」
「うん、よろしくねエリー。バンブルとガイネは大丈夫?」
「はっ、んだ!怪我はねぇが?!」
エリーは振り返ると二匹をそっと抱き上げようとした。したのだが……。
それまで転がしていたのだろう糞玉を、二匹はそれぞれメネウの方へ転がして近付いてきた。
「……んっ?!」
嫌な予感がしますスカラベ先輩。
「ま、まさがスカラベさ求愛される人間がいる、だど……?!」
(求愛行動でしたかーー!)
糞玉の上に乗った二匹は『一緒に転がそ?』とばかりにメネウを見上げている。
蹴られるよりは体面はいいが、これはこれで困る。
何が困るって、今現状エリーの目が怖い。嫉妬に燃えている。
「と、とりあえず帰りません……?」
「あぁ……、…………負げねがらな」
エリーが通り抜けざまに低く呟いていった。
別に望んでいるわけではないが、こういう場合には美女とフラグが立つものではないだろうか?
事実、スカラベからは立ってますが。エリーからは物凄い敵対心……ライバル視を感じる。
メネウはバンブルとガイネに膝をついてお願いして、なんとか集積場まで糞玉を転がしてもらうと、エリーと一緒にスカラベギルドに帰った。
誘拐犯は魔法で動けなくしてあるので、人気も無いしとその場に転がして、騎士ギルドに通報しておいた。すぐさま派兵されて行ったので、問題なくお縄になるはずだ。
メネウたちは無事戻ると、スカラベギルドから人を出してもらって、ラルフたちを呼び戻した。
エリーはやっとバンブルとガイネのチェックが終わったようで、ラルフたちが戻る頃、夜の部のスカラベを外に出すところだった。
が、夜の部のスカラベたちは餌用の糞玉を転がしてメネウの前に持ってくる。メネウの周りにスカラベ大集合である。
「んんっ?!」
メネウの前には糞玉パラダイスが出来ていた。選びたい放題だ。
「にいちゃん、俺も長いこと勤めてるが、蹴られるやつはいても求愛されるやつぁ初めて見たぜ……雄も雌も関係なしによ……」
職員が呆れ、エリーが妬心に顔を歪め、ラルフは堪えきれずに蹲って笑っている。おいこらラルフてめぇこら。
「あ、後にも先にも、お、お前だけだろうな……」
息も絶え絶えに言わなくてもいい。
その後、業務に支障を来すのでなんとか求愛行動を辞めてもらうようにお願いする間に、とっぷりと夜が更けてしまった。
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