モンスターへ乾杯!

アルキメイトツカサ

STAGE 0

 

 人は理解できないもの、恐れるものを破壊する傾向にある。

 

                  ――W・B・イエイツ





 十八世紀、アイルランド。

 植民地支配下により、島人の意識が大きく動き出そうとしている時代に、さらなる危機が生まれようとしていた。

 

 雷が轟き、嵐が吹き荒ぶ。

 木々が根元から折れそうなほどの猛烈な風に逆らいながら、一台の馬車が街道を走っていた。馬上の青年は手綱をしっかり握り、雨粒が石つぶてのごとく襲い掛かろうとも瞬きせず前を見つめている。肉体から漲る体力は経験が詰み込まれており、自信の強さを表していた。

 彼の名はパトリック・ケネディと言った。

 氷のような表情の裡に、瞋恚の炎を燃やし続け目的地へと向かっている。

 心臓を高鳴らせ、パトリックが赴かんとする場所。

 それは宿命の女――エセリンドが待つ城であった。



 エセリンド。

 それは墨を流したような黒髪と、蝋のような白い肌が特徴の絶世の美女。ひとたび夜の繁華街を歩けば性別を問わず、十人中十人が魅了されるであろう。絢爛豪華な城で悠々自適に過ごし、人生を謳歌しているという。

 しかしてその正体は強大な魔力を持ち、多くの闇の妖精を従える魔性の女。

 魅了した人間の血液を奪い、生き永らえる吸血妖精である。

 エセリンドはその超自然的な資質カリスマを駆使し妖精を操ると、若い少年少女を城に招いては生き血を吸う。彼女によって滅ぼされた村はマンスター中に多くあり、その脅威は島中や大陸にまで及ぼうとしていた。


 しかしそれは昔の話。


 闇があるところに光もまたある。

 悪しき妖精を滅ぼすために、聖なる槍を操る者――フェアリーハンターが現れたのだ。

 十二世紀。ウイリアム・ケネディという聖人がエセリンドと戦い、その魔城ごと封印に成功する。マンスターに平和が訪れ、人々に希望が蘇った。

 しかし、エセリンドは不滅の存在。完全に滅ぼすことはできず、百年に一度の周期に聖なる力が弱まると、人々の恐怖や憎悪を糧に復活してしまう。そのため、ケネディ家は後進の育成に励んだ。つまりは、彼らの子孫はいつエセリンドが復活しても討伐できるよう、鍛錬を積まされたのである。



 そして時は流れ現在――1792年。エセリンドは復活した。


 アイルランド南部――マンスターの沿岸部に魔城を蘇らせた彼女は、さっそくパトリックへ「招待状」を送った。度重なる戦いによって彼女もまたケネディ家を警戒しており、対抗策としてケネディ家に縁の深い少女を誘拐し、当代のフェアリーハンターを魔城へ誘い込もうとしたのだ。

 計画は成功した。

 パトリック・ケネディの恋人、レイチェルは悪しき妖精によって誘拐され――

 フェアリーハンター、パトリック・ケネディはエセリンドからの「挑戦状」を受け取ったのである。



〝――もうすぐだ、無事でいろよ、レイチェル〟


 稲光を浴びて、マンスターの荒々しい沿岸が露わになる。

 数メートル下の崖から潮が嵐で巻き上げられ、パトリックの視界を悪化させた。唇を噛み締め、前を向く。禍々しい瘴気を纏い、夜の世界を拡大せんと企む魔城がそこにあった。

 口端を歪ませ、フェアリーハンターは狂気的な笑みを浮かべる。


「エセリンド、早くお前を滅ぼしたくてうずうずするッ!」


 精力の漲った声が雷鳴に負けぬよう響いた。

 パトリックが手綱をしっかり握り、馬に全速全身の指示を与えた――そのときだった。


「な……ッ!」


 突然、パトリックの視界は白で塗り潰されてしまった。

 まるで猛吹雪の銀世界へ放り込まれたようだが、これは自然的な霧ではない。

 パトリックは本能的に理解する。これは魔法。それも、悪しき妖精の手によるものだと。


「クックック……」


 緊張の糸をぴんと張ったとき、闖入者の笑い声がパトリックの耳に届いた。

 声を手繰り寄せれば、馬車の前方に襤褸の外套を羽織った男が宙に浮いている。

 髑髏と見間違えそうになるほど痩せこけた顔。縮れた黒髪。その外見的特徴から結論を導き出し、パトリックは舌打ちすると覚悟を決めた。

 妖精は白目を剥き出し、その生気が欠けた唇を開く。


「待っていたぞ、ケネディ家の者よ……。お前の力がエセリンド様と相対するに相応しいかどうか、エセリンド親衛隊である我が試して――」

「うっさい滅びろ!」


 刹那。パトリックは筋肉の繊維が重なり合った腕を閃かせた。

 そのグローブに握られていたのは、妖精が嫌う鉄を棒状にして伸ばしたもの――

 槍。

 さらにその穂先は三つ葉のように並び、吸血鬼が嫌う十字の形を模していた。


聖十字槍デアルグキラー


 悪しき妖精と戦うために、先祖が生み出した聖槍である。


「グアーッ!」


【聖十字槍】の穂先は妖精の眉間を無慈悲に貫通。


「ちょ、ちょっとは我の話を聞いて……よぉ……」


 妖精は苦痛で顔を歪ませると、そのまますっと闇の中へと溶けてしまった。

 転瞬。霧のカーテンは破り捨てられ、パトリックの視界に魔城が広がる。すでに目と鼻の距離だった。


「今のは、ファー・シーか。初めて見たな。ま、もうどうでもいいけど」


【聖十字槍】をくるくると回すと、パトリックは馬車から飛び降り、魔城に向かって走り出す。


 そのとき、

 まるでパトリックの到着を待っていたかのように、嵐は止んだ。

 漆黒の雲が風で滑ると、顔を出したのは血の色をした満月。

 血の涙の残滓を受け、魔城は怪しく輝いていた。

 それは城主の存在感をいかんなく発揮する威容であった。




【妖精図鑑】

☆ファー・シー


 アイルランドに棲息する妖精。名前の意味は「妖精の男」

 人間の家族に死人が出るとき、その死を悼み泣き叫ぶという、いわば死神デスである。

「妖精の女」という意味のバン・シーとは夫婦の関係にあるが、彼女のほうが有名になり過ぎてしまいあまり伝承に残っていない哀れな妖精である。

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