その二

 園田又四郎と安井数馬、切腹した福山半助の三人が新選組に入隊したとき、又四郎と数馬は同じ二番隊に配属になった。半助は、最初から勘定方だった。

 又四郎と数馬は同門だったので、おそらく、ふたりの連携を期待しておなじ隊に入れられたのだろう。だが、数馬は昔から、集団に属するのが苦手なところがあり、二番隊の隊士たちとも、ことあるごとに口論になるなどして、あまりうまくやっていけなかった。しかし、団体行動がだめでも、単独での働きにはすぐれたものが以前からあった。そのあたりを、上層部が見抜いたのかどうかはわからないが、数馬は監察方に配属になり、今では探索任務のためひとりで働いている。勤王派に近づいて情報を得るなど、かなりきわどくて危ない橋を渡ることもあるようだが、やはり単独で動くのが性にあっているのか、二番隊にいたときよりも、気楽にやっているような印象を、又四郎は受ける。

 数馬は時々、連絡のために、屯所に帰ってくる。勤王派の連中に気取けどられないように、着物を着替えるのはもちろん、時にはつけ髭をつけたり、場合によっては歩き方まで変えて、屯所にやってくる念のいれようだった。


 数馬は、屯所の廊下で又四郎をみかけると、よう、と声をかけてきた。

「なんだ、数馬、帰ってきてたのか」

「ああ、このところ、勤王派の連中もなりをひそめていてな。探索していても、尻尾の先もつかめやせん。つまらんものだよ」

「半助のことは、知ってるな」

「ああ。そのことで、お前とちょっと話しをしたいと思っていた」

「俺もだ」

 そこで半四郎はすこし考える顔になって、

「ちょっと付き合え」

「なんだ、酒でもおごってくれるのか」

「馬鹿いえ。酒は割り勘だ。いや、その前に、ひと汗ながそう」

 又四郎は、数馬を道場に連れてきた。気持ちがくさくさしていたので、ちょうど体を動かして、気を晴らしたいと思っていたところだった。

 竹刀を持って向かいあうと、すうっと気持ちが落ちついてくるのがわかった。数馬も同じのようで、竹刀を正眼にかまえると、口もとから笑みが消えた。

 数回、切っ先をぶつけあうと、又四郎は飛び込みながら振りかぶり、えいっ、と竹刀を振り下ろした。数馬はそれを弾くと身体をひるがえし、ふたりは、体をいれかえた。

 そのまま、数回呼吸をすると、今度は、数馬のほうから打ちかかってきた。面から小手への素早い竹刀さばきだったが、又四郎はどちらもうまく受け流した。数馬はさらに、肩、腕、面と、狙いを変えつつ何度も打ちかかってきたが、又四郎はすべて受け止めた。

 数馬の腕が頭上に持ち上げられた。又四郎が苦手とする、大上段からの、凄まじい斬撃が襲ってくるのがわかった。

 ――攻めの安井、守りの園田、なぞと郷里くにじゃあ、ほめそやされてきたが……。

 又四郎は、何度数馬と手合わせしても、この大上段からの攻撃だけは、いつも避けきれなかった。

 裂帛れっぱくの気合いとともに、数馬の竹刀が振り下ろされた。又四郎は、受け止めようとしたが、受け止めきれず、そのまま左肩に竹刀が打ちつけられた。

「もう一本」

 又四郎は叫ぶと、再び竹刀を正眼に構えた。


 四半刻ほども、打ち合い続けただろうか、どちらともなく、竹刀をおろした。

 数馬は、いい汗をかいた、ともろ肌脱ぎになり、

「お前と打ち合うのは、やっぱり気持ちがいい」

 と云いながら、井戸へ汗を流しにいった。

 又四郎は、あがりきった呼吸を整えつつ、首を左右に振ったり、肩を回したりした。最初に数馬に打たれた左肩がかるく痛んだ。

 ふと、背後に気配がしたと思ったら、二番隊隊長の永倉新八が立ってい、

「貴様は、踏み込みがたりん」

 と、又四郎の痛むほうの肩を叩いた。

「自分が苦手とする攻撃を相手がしてくると感じたら、踏み込め」

 お前はへんに防御がうますぎるから、相手の攻撃を受け止めるように身体が動いてしまっているんだ。まずい、と思ったら迷わず踏み込め、と永倉はいうと、又四郎の尻をぴしりと叩き、さっさと屯所の奥へ去っていった。

 永倉は、又四郎よりも、二、三歳、歳が上なだけのはずだが、何度も修羅場をくぐってきたせいか、十歳ほども年上の印象を受けるほどの、貫禄のようなものがにじみ出ていた。性格も気さくで、又四郎は、兄のように思うことがしばしばあった。


 「こうめ」という飯屋は、昼間は飯をだし、夜は居酒屋になる店で、裏通りの、あまり人通りのない場所にあった。それでもやっていけているのは、女将のきっぷのよさと、さほどうまくはないが飽きのこない味の飯をつくる板前の腕のためだろう。訊くところによると、女将は江戸で生まれ育ち、縁があって京の表具師に嫁いだのだが、夫に先立たれたので、この店をはじめたということだった。店の名前は、女将が育った町の名前からつけたものらしい。女将は、正確な歳は語ろうとしないが、年増だが整った顔立ちの女で、江戸育ちの威勢のよさが、京の人たちには珍しいらしく、女将が目当てで通ってくる客もそうとういるようだった。

 「こうめ」は、八畳ほどの土間に、飯台をふたつならべ、そのまわりに長椅子を配置してあった。時分どきには、隣の客と肘で小突きあいながらでないと、呑むことも食べることもできないような狭さだった。土間の横には四畳半ほどの小座敷がふたつあり、常連や侍連中は、そこで飲み食いする。

 店は、女将と、又四郎はまだ一度も顔をみたことがない板前、そして、女中のの三人で切り盛りしていた。

 は、女将とは叔母と姪の間柄で、三年ほど前に父母が亡くなったので女将を頼って、江戸から京に上ってきた、ということだった。叔母に似て細面で、くっきりした目元に美しさがあった。

 又四郎は、はじめてこの店に来たときに、をひと目みて、心の深奥にきざしたものがあった。それは、恋というにはきわめて小さな、 かすかな心の らぎだったが、しかし、確実になにか惹かれるものがあったのは確かだった。だが、その後も又四郎はぐずぐずしていた。ぐずぐずと彼女の気持ちをはかりかねているうちに、は、いつのまにか数馬がものにしてしまっていた。そして、他人のものとなってしまった、という現実が、かえって又四郎の気持ちを揺り動かし、「こうめ」に来ると、我知らずを見つめていたりするのだった。


「そりゃ、京の人間なんて、そんなもんだよ」

 京富での一件を数馬に語ると、数馬はにべもなく云った。達観しているというより、人嫌いな性格が言葉にでたというふうだった。

 「こうめ」は今はまだ、夜の営業時間の前だったが、常連の顔見知りということで、無理に店に入れてもらい、店の奥側の小座敷でふたりは飲んでいた。小座敷という閉鎖的な空間で、酒も入り、他に客もいない気楽さから、しぜん、数馬の声は大きくなっているようだった。

「だいたい京の人間は、急所を針でつき刺すような嫌味を、普段の会話で普通に云いやがる。生来、根性が曲がっていやがるんだ」

「それは、偏見というものだ、数馬」

 数馬は、喉を鳴らしながら、水でも飲むように酒を呑んだ。それでも、正体をなくすほど酔う、ということがない。数馬の呑みっぷりとは、まるで反対で、又四郎は、ちびりちびりと呑む。呑むというより、なめる、と云ったほうが正確で、そうしないと、酔う前に気分が悪くなってきてしまうからだった。

「いや、偏見なものか。俺は、京に来てからこっち、この辺の人間から心の温かさを感じたためしがねえ」

「それは、お前がまだいい人に巡り会えていないからだろう。京の人も千差万別さ。いい人もいれば、悪い人もいる。どこのまちでも同じだろうさ」

 又四郎は、口ではいつも数馬に負けることが多い。しかし今は、たまには云い負かしてやろうという気になってきた。

「俺たちの藩の人間だって、よそのことは云えない。田舎らしく、閉鎖的で排他的で、ちょっと周りと変わったことをすれば、すぐに町じゅうから疎外されるだろ」

 と云う又四郎の言葉に、ふん、と数馬は、人を小馬鹿にしたみたいに鼻で笑って云った。

「田舎の連中は、狭い範囲でしか生きてこなかった。そうすると物の見方も狭窄きょうさくになるんだろうな。それに連中、周囲に気をつかうということをしらん。そんな生活を送っていたら、他人にたいする思いやりも育たない」数馬は、ふと故郷を思うような、なにか考えるような顔を一瞬し、まあ、つまりはだ、と続けた。「田舎の人間が性根が悪いといっても純朴な悪さだ。人としての深みと広がりがない。それだけのことだ」

「そらみろ、どこにでも嫌な人間はいるということだ」

 云った又四郎の言葉を聞き流すようにして、数馬はまた口を動かしはじめた。

「京のやつらはどいつもこいつも根性が曲がっている。町人まで、自分が公家かなにかと思って高慢でいやがる。天子さまのお膝元だから偉い、日本の中心だから偉い、歴史があって文化的だから偉い。みんながみんな、そう思ってるのさ。別に自分たちが偉いわけじゃねえだろうによ。お、こいつはいい奴だな、という奴にたまに出会うと、じつは、最近京に越して来たばかりか、何代か前によそから移ってきた人間だったりするのさ」

 又四郎は苦笑して聞いていた。

 ――この男は、他人の意見に耳を貸す気は、もうとうないらしい。

 よくもまあ、よその人のことをこれだけ悪く云えるものだ。京に来てからまだ日が浅い又四郎だったが、数馬の誹謗をきいていると、だんだん我がことのように不快になってきた。

 お前は、と数馬は続けた。

「お前は人がよすぎるんだ。お前はどんな悪人にも、心のうちのいかほどかは、善良な部分があると思っているだろう。嫌味な人間にも、敬意をもって接しなくてはならないなどと思っているだろう。お人好しもたいがいにせんと、いつか痛いめにあうぞ」

 などと、誹謗が又四郎に向けられはじめた。

 ――この男、なにかすさんでいるな。

 鬱憤がたまっているんだろうか。もうこれ以上、こいつのかたよった考えに付き合っていられるか、と思い、又四郎は話をかえることにした。

「そんなことよりも、半助だ。今日は半助の話をするために、ここに来たんだろ」

 ああ、となま返事をして、数馬は手酌で盃に酒をそそぎ、

「そう、半助だ。半助こそ、ほんとうのお人好しだった」

 と、膳のうえに、徳利を叩きつけるようにおいた。

「半四郎、お前は似非えせのお人好しだからわからんかもしれんが……」

「誰がえせだって」

「お前、人から だまされたら、後になって騙されたと気づくだろう」

「……まあな」

「でも半助は違う。騙されても、騙されたことにすら気がつかんほどのお人好しだ」

 数馬は、盃の酒をあおって云った。

「心底からのお人好しだから、騙されたんだ」

「騙された。誰に」

「勘定方の奴らだよ。誰かまでは、まだわからん」

「おい、聞きずてにできん話だな。どういうことだ。くわしく話せ」

「いいか、又四郎。あの半助に、人の金に手を出すような度胸があると思うか。だいいち、金がなけりゃ、実家にでも京富にでもせびればよかったじゃねえか」

「うん、それは俺も考えたが」

「だったら、簡単な理屈じゃねえか。められたんだよ、半助は」

 ――だとしたら、切腹したときの半助のあの目つきは、俺をうらんでいたのではなかったのだろうか。半助はあのとき、お前だけには無実を信じてほしい、と哀訴に近い気持ちで俺を見ていたのだろうか。

 なんにせよ、数馬の話がほんとうだとすれば、又四郎は友人を信じきれなかった、薄情な人間だということになる。

 又四郎は、腕組みをして、考えこんでしまっていた。

 そこへ、失礼します、とが襖をあけて入ってきた。

「おや、もうずいぶん、できあがっていらっしゃるのね」

「ふん、まだまだ、できあがっちゃいねえよ」

 酒が入って頬を赤くした数馬が答えた。は、数馬の膳の上のあいた徳利を新しいのと取りかえると、腰を浮かせ、又四郎のほうに向きなおった。とたん、数馬がの尻をぺろりとなでた。

「ちょっと」とは数馬のその手をはたいたが、まんざら嫌そうでもない。数馬は、鼻で笑って手酌で呑みはじめた。

「園田さまは、まだずいぶん残っていらっしゃるみたいね」

 は、又四郎の徳利を持ち上げて云った。の手は、指の間に多少あかぎれがあったが、細くて白くて、なめらかに動く指をしていて、又四郎はきれいな手だな、と心ひそかに思った。

 ――は、変わったな。

 以前の、どことなくただよっていた暗さが、いつのまにかなくなっていて、ここ数ヶ月でずいぶん女としての色気を身につけていた。挙措のひとつひとつに、ふと、なまめかしさを感じるときもあった。出会った当初は、媚びるような目つきもしていたがそれもなくなり、背筋に芯の一本通ったような、いちにん前の女性になっていた。数馬に女にされたのだ、数馬がを変えたのだ、と又四郎は心の奥底で嫉妬心が、うごめきはじめたのを感じた。

 ――これは、いかん。

 また、を見つめているのに気がついた又四郎は、この胸裡を数馬にけどられてはいかん、と視線を部屋の片隅に急いでうつした。

「ささ、もうおひとつどうぞ」

 は、又四郎に盃を持たせると、徳利をかたむけて酒をそそいだ。

「なんだ、俺にはついでくれんのに」数馬が子供のようにふくれっ面をして、云った。

「あなたは飲みすぎじゃありませんか」

「飲みすぎなものか、まだ徳利いっぽんじゃねえか」

「どうぞ、ご勝手に」

 と、は数馬のほうを見もせずに云った。

「ひとのことをほったらかしにして、隊務にばかりはげむひとのことなんて、わたし、しりませんから」

「なんだ、寂しかったのか。そうか、じゃあ、今日は泊まってやるよ」

「あら、別に寂しくなんてなかったわ。園田さんも、時々会いに来てくださってましたし」

「なんだと、又四郎。お前、俺の留守中に密通してやがったのか」

 ふたりの会話を、聞き流していた又四郎は、急に話をふられたので、いささかたじろぐ思いで、

「おい、さん、まぎらわしい云いかたはやめてくれ。ここには、飯を食いに来ていただけじゃあないか」

 は、ほほほ、と笑って、

「冗談ですよ」

 といたずらっぽく云った。そんな笑いかたひとつにも、以前にはなかった、なまめかしい女の色気がみてとれた。

「へ、わかってるよ。又四郎にそんなことができる度胸はねえからな」

「わからんぞ、俺も男だからな」

「へっ、できねえよ。お前にはできねえ」

 そういって、数馬はまたぐびりとひとくち呑んだ。

 では、ごゆっくり、とが出ていくと、部屋の中に、ちょっとのあいだ、沈黙が流れた。

「なあ、数馬」

「うん」

「お前、さんをどうするつもりだ」

「どうするって」

「ちゃんと結婚して、面倒をみるつもりはあるのか、ということだ」

「ははは、なに云ってやがる」

「なんだと」

「俺とは、身体だけの関係だ」

「まさか。さんは、お前にぞっこん惚れている」

「いや、あいつもその辺は割りきっているよ」

 又四郎は、さっきのの言葉から、数馬に対する不満を感じたのだが、数馬自身は、なにも感じなかったのだろうか。以前から又四郎は思っていたのではあるが、数馬は、ひとの心の機微にたいして、無頓着なところがあった。ひとの上辺だけしかみていないという印象があった。物事の深層まで探ることができないくせに、斜めからものをみて、真実を見抜いた気になっている。

 ――それだから、京の人に対しても、あんな偏見をもつのだ。

 それだけではない。半助に対しても、お人好しなどと、人を小馬鹿にしたようなことを云う。

「そうだ、数馬、半助が騙されたという話だがな」

 半助に考えが行き当たったので、又四郎が云うと、数馬は、面倒な話を蒸し返しやがった、という不快さを、露骨に顔にだした。

「勘定方の誰かが半助を嵌めたのが真実だとして、それでどうする」

 又四郎は、数馬の不愉快な表情にはかまわずに訊いた。

「さて、どうするかな」と数馬は吐息をもらして、続けた。「どうするにしても、俺たちだって気をつけなきゃな」

「なにに」

「へっ、ほんとに甘いぜ、又四郎。新選組の奴らにだよ。俺たちだって、嵌められなかったとしても、用がなくなりゃ、いつか簡単に切り捨てられるぜ」

「まさか」

「京の治安を守るだの、幕府の威信回復だのと息巻いちゃいるが、新選組なんぞ、内実は、ただのごろつきの集団だ。厳しい隊規で縛っちゃいるが、人を嵌めてでも、自分は得しよう、出世しよう、なんてことを、平気で思いつくような連中の集まりさ」

 又四郎は、また考えこんでしまった。

「新選組だけじゃねえ、藩のほうだってわかりゃしねえ。藩は俺たちを留学あつかいで、新選組に入隊する許可をすんなりとくれたが、あれは、藩の佐幕派連中の顔色をうかがってのことだ。世の中の趨勢すうせいが勤王に傾けば、俺たちは、あっさり切られるぜ」

「さすがにそれは、考えすぎだろ」

「ふふふ。やっぱり、お人好しだな、お前」

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