堕ちていく、ふたりの秘め事
赤崎シアン
1.泣き跡
お風呂上がりの火照った体が、しばらく扇風機に当たっていたおかげで大分冷めてきた。
濡れた重い髪が冷たくなって私の首筋を冷やしている。
このままでは風邪をひきそうだ。いい加減に髪を乾かそう。
ドライヤーを取りに脱衣場に入ると、風呂場からシャワーの音がする。
洗濯機の中を見るに弟が入っているようだ。
鉢合わせないようにドライヤーを取って足早に部屋に戻った。
温風を髪に当てて少しずつ乾かす。
癖のない髪なので指に引っかかったりはしないのだが、伸ばしているので乾かすのに時間がかかる。
テレビはさっきからずっと同じニュースを流している。なんでも近所で殺人事件があったのだとか。物騒な話だ。
その話をしているキャスターの声は私の耳には聞こえない。ドライヤーの音に掻き消されている。
髪を乾かし終わる頃にはそのニュースはやっていなかった。
代わりに人気タレント司会のバラエティ番組が始まっている。別に興味が無いのでテレビを消して、ドライヤーを持って部屋を出た。
脱衣所に入れない。
シャワーの音が聞こえないのだ。
この時期、うちではお湯を張らないのでシャワーの水音がしないということは、もう上がっているということだろう。
それなのにドアの向こうからは何も気配がしない。布擦れの音も歯磨きの音もしない。
時間的にもまだ部屋に戻っているわけではないだろうし、さっき部屋の前を通りかかった時に誰もいなかったのを確認している。
リビングにも誰もいなかった。
不気味だ。
いくら弟とはいえ裸を見るのは憚られる。
だから踏み込もうにも踏み込めない。
「お兄さーん、
……返事はない。
さすがにこれはまずい。
その時、ドアの向こうから金属がなにかにぶつかる音がした。おそらく軽いものだろう。音は一回鳴っただけでもう聞こえなかった。
すると勢いよくドアが開いて、緋影が姿を見せた。
「なに、姉さん」
「何って、びっくりしたじゃない。返事くらいしなさいよ」
「……別に姉さんに心配される義理はない」
話はそれだけだと言わんばかりに、私の脇をすり抜けて行こうとする弟の腕を掴んで引き留める。
「心配くらいさせなさい、それと……」
「それと、なに?」
言うべきか迷った。別に私が言うことじゃないかもしれない。弟は鬱陶しいと感じるかもしれない。
でも、言わずにはいられなかった。
「泣いてたでしょ」
「……っ」
弟の目は少し腫れていて、一重瞼が二重になっている。
弟はさっと目を逸らして逃げようと階段を上っていった。
腕を離さないように強く掴んで追いかける。
「離せ……」
「いや、どうしたの?、教えて?」
「離せって……」
弟の足取りは早く、何度も躓きそうになりながらなんとか掴んでいる。
多分このままだとまた弟は泣くだろう。
私が何とかしなければいけない。
「緋影っ」
後ろから抱きしめた。
さすがに驚いたのか足を止めてくれた。
お風呂上がりだからなのか暖かく、思ったより体はしっかりしていて、びっくりした。もう男の子なんだな、と思った。
「なんのつもり……」
「悲しいなら慰めてあげる、寂しいなら傍に居てあげる。それが姉の務め」
「……」
「ね、おいで」
ゆっくりと力を緩めて、体を少し引く。もう逃げなかった。
大人しくなった弟の手を引いて、自室に入る。
「ベッドにでも座って」
きちんとドアを閉めて鍵もかける。
部屋を見渡して……諦めた。どうせ姉弟だ。今更片付けができないことがバレても何も痛くない。
弟はベッドに浅く腰掛け、周りを見回して落ち着かない様子だ。
その隣に腰掛けて、弟の顔を見上げる。
背はとっくに抜かれてしまった。抜かれた時はかなりショックだったが、もう諦めた。
その大きな背丈も今は形無しだ。表情は沈んで体が小さく見える。
「どうしたの? 話してくれる?」
弟は首を横に振って、否定を示す。
さっきから一向に視線を合わせようとしてくれない。それは少し悲しい。
「そっか……じゃあ――」
私は弟の両肩を掴んで自分のほうに体を向けさせる。
弟は少し驚いたのか、目を丸くして私の顔を見た。私とはそんなに似ていない、でも面影はある。だから愛おしい。
そのままゆっくりと抱き寄せた。
「ねえ、さん、」
「なに?」
「バカ……」
「ごめんね、これしかわからなかったんだ」
すると弟は私の肩に頭を預けて、寄りかかってくれた。
まだ少し濡れている髪を優しく撫でる。反対の手を背中に回して、ぐっと自分のほうに引き寄せて距離を縮めた。
弟の体は暖かく、少し冷えた体には気持ちよかった。
「いい匂い」
「あんまり嗅がないでよ」
「ん」
弟が首を回して私の首に鼻先を当ててきた。息が首筋にかかってくすぐったい。
慌てて体を逸らせて弟から離れる。
不思議そうに目を丸くする確信犯。軽く頭をはたいてやった。
「痛い」
「そんなに強くしてないわよ」
「うん、ありがと」
「まだする?」
「……お願い」
両腕を横に少し開くと、弟は少し乱暴に飛び込んできた。驚いて目を瞑ってしまう。
私の体は重さに耐えきれずに後ろに倒れこむ。
目を開けると、見えたのは部屋の照明の逆光になって影になった弟の顔だった。
どうやら、押し倒されてしまったようだった。
「ふざけてるの?」
「いや」
「じゃあなんのつもり?」
顔全体が暗く、全く表情がつかめない。少し、怖いと感じた。
その時、頬に水が落ちてきた。
一粒、また一粒と落ちてくる。
よく見ると、弟は泣いていた。静かに声に出さずに涙を流していた。
それを見て、私の心はさっきまでとは驚くほどに違っていた。
愛おしい。悲しい。苦しい。綺麗。
怖い、という感情はいつの間にか消えていた。
手を伸ばして、弟の頬に手を当てる。それを少し上に滑らせて、親指で涙を拭い取った。
それでも涙は止まらず流れ落ちてくる。
「泣かないで」
「でも……」
「私に出来ることなら、なんでもするから。ね?」
そう言うと、力が抜けたのか、弟はゆっくりと私の上に崩れ落ちた。体全体に弟の重さと温かさが伝わってくる。
弟の背中に手を回し、反対の手で頭を抱えるように抱きしめた。
こんなに密着したのは久しぶりだった。もう十年近くこんなことはしていなかっただろう。
「姉さん」
不意に弟が呟くように私を呼ぶ。
「ん?」
しかし、返事が返ってこない。
私の腰に回した手が緊張したように固くなっているのを感じた。
呼吸も普段とは違って、深くゆっくりと吸って吐いてを繰り返していた。
「緋影、どうしたの?」
「……したい」
「聞こえない」
弟はおかしくなっていたのだと思う。
それと同時にきっと私もおかしくなっていたのだ。
だからこんなお願いを聞いてしまった。弟の姉であることをやめてしまった。
「キスしたい……」
「うん、いいよ」
緋影が私の肩に埋めた顔を持ち上げて、目を合わせる。
私はそのまま目を瞑って、緋影の首に両腕を回した。
口に柔らかく、暖かいものが押し当てられる。
それはすぐに離れていった。
「ごめん……」
「謝らないでよ……」
「……ごめん、姉さん」
まったく、こいつは……
「私にキスして、謝るな。するなら最後まで責任取れっ」
さっきまでの私の覚悟を返せ。
私をその気にさせたんだからちゃんと最後までしろ。
いつの間にか視界がぼやけて、今度は私の方が泣いていた。
「姉さん……だって……」
「姉さんじゃない」
涙を袖に吸わせて緋影の顔を睨む。
これはせめてものけじめだ。私たちが姉弟であることは変えようのない事実だ。
だけど、少しだけ忘れたっていいじゃないか。大切な弟のためなのだから。
「
緋影は驚いたように、目を丸くした。
当然だと思う。『姉さん』と呼ぶように言ったのは私なのだから。
「嫌なら、しない」
それだけ言って私は目を瞑った。
少しの間、時間が止まったかのように私たちは動かなかった。
耳元でシーツを撫でるような音がした。
「本当にいいの?」
「ん」
すると、大きく息を吐く音が聞こえて、私の口が塞がれた。
温かく、柔らかい緋影の唇が私の感覚を奪っていく。
緩急をつけて強く押し付けたり、弱く当てたりを繰り返しているうちに頭の中は緋影で埋まっていった。
ずっとこれがしたかった。緋影と繋がりたかった。くっつきたかった。
無意識のうちに、左手が緋影の服を掴んでいた。
不意に唇が離された。
突然取り上げられた気持ちよさに思わず、あっ、と声が出てしまう。
少し体を起こせばまたくっつける位置にある。
でも久しぶりの感覚に体がぐったりとして、言うことを聞いてくれなかった。
「大丈夫? 息荒いけど」
「大丈夫……」
体は動かないけれど、まだ緋影を求めていた。
緋影が、私の頬に手を当てて少し顔を寄せてきた。
その心配したような顔に少し見惚れてしまう。
「ね……緋菜多、やめとく?」
「やだ、したい……」
「でも……」
「もっと、して……?」
心からの本心だった。
それを聞いて緋影は視線を落としてぼそりと呟いた。
「止められる自信ない……」
可愛い。すごく可愛い。
私はもう一度、緋影の首に腕を回して、至近距離で目を合わせた。
「いいよ、しよ?」
「……ばか」
今度は少し荒っぽく、唇を奪われた。
唇とは違う濡れたものが這っていった。その感覚に思わず背中がざわつく。
私も舌を出して、くっつけ合う。唇とは違う感覚にどんどん感覚が深く落ちていく。
もっと、もっと、もっと。
もっと緋影に浸かっていたくなってくる。
唇を離し、震えた息で呟いた。
「……全部、触って、気持ち良くして……?」
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