序 修理屋と少女

 遠い遠い未来。


 人々はテクノロジーという玩具を手に入れ、全てを科学し、科学で以って世界を構築し、支配する道を突き進んで来た。

 その結果、神は御伽噺の中で死に、代わりに科学者が『Wizardウィザード』と呼ばれ、神のように崇められる時代へと変貌を遂げた。

 科学的な者が非科学的な名で呼ばれることに、いささか矛盾を感じるが、神から同等の地位を奪い取ったのだから、その名もしっくりくるのかもしれない。


 人々の生活はWizard達によって豊かになったが、それによって戦争も勃発し、世界は荒廃した。

 人口も激減し、もはや国は機能しなくなり、奇しくも世界は一つになった。

 世界地図も戦前と戦後では大きく異なるが、地球上の全ての大陸、及び小さな島々、海も空もが遥か大昔にそうであったように一つの国となった。


 首都、今は『セントラル』と呼ばれる場所は、Wizardが多く生き残り、彼らが結集していち早く復興を遂げたが、地方、今は『都市エリア』と『地区ブロック』から形成される場所は、戦後三〇〇年経った今でも荒廃したままである。


 これは第七エリアを舞台にした物語である。


***


『心溶かす温も……あなたの腕……の中……抱いてくれる……』


 割れた音が流れるラジオを脇に置いて、人通りもまばらな路地裏に座した男は、目の前に無造作に置かれたガラクタをいじっていた。

 側には金属板に汚い字で『修理屋』と書かれたものが、横倒しに転がっていた。


『……浸透……言葉が解放……くれる……』


 途切れ途切れに聞こえてくる歌が、全く聞こえなくなると、男はラジオを乱暴に叩いた。


『……穏やかな……が素直にしてく……』


 ちっ、と男は舌打ちし、またガラクタをいじり始める。

 ふと、そこに影が射す。

 男が顔を上げると、少女が立っていた。

 よくできた顔立ち、ガラス球のような澄んだ青い瞳。


「修理、してもらえる?」

 そう言って少女が右手を差し出すと、掌にヒビが入っていた。


「……あの城はあんたに似合わないよ」

 男はそう言って少女の手を取り、ヒビの具合を確かめるように目を細めて見やる。

「堕とした人がそれを言うの?」

「ああ。堕としたからこそ言うんだ……どこが痛い?」

 少女は無表情に胸を指差した。

「……そこは痛みを感じない筈だ」

 男がそう言うと、少女は悲痛なまでに顔をしかめた。


「ヒビだけみたいだな。中は無事だ。これくらいなら自分で直せるだろ?」

 男がそう言って視線を掌から少女へと移すと、少女は首を横に振った。


「……なんで怪我した?」

 俯く少女に軽く溜息を吐いて男が問うと、少女は空を仰いだ。

 その視線を追って男も空を見上げる。


 大きな戦争が起きる以前から空は膜で覆われ、人工の太陽が昇ったまま、傾くことも落ちることもない。

 変わらない天気。変わらない空。どこまでも澄んだ青空が広がっている。

 夜さえも訪れない世界。闇の消えた世界。

 それはさながら巨大な温室。天気も気温も自在になる世界。


 夜が消えてから時間間隔はない。

 一日は大昔から変わらず二四時間だが、生活サイクルは人によって違う。

 今が朝なのか夜なのか。


 少女が何を見ているのか一瞬理解できなかったが、ああ、と男は気づいて両手に視線を落とす。

 黒い手袋を嵌めた両手。その甲に触れた。


「俺を責めているのか?」

「なぜ何もしないの?」

 全てを見透かすような瞳を真っ直ぐに向けられ、男はつい視線を逸らした。

「アークは『王』って意味もあるが『聖櫃せいひつ』って意味もある」

「『王』って意味でつけたんでしょ? 世界を支配する王。その力をそこに凝縮した。それを『聖櫃』と呼ぶの? どういう意味で?」

「……アークは単なる呼び出し装置だ。一般市民が持てる物より高価で性能も全然違う。ただそれだけだよ」


 男が口にしたアークとは男が両手に嵌めている手袋の下、その甲に装着された器具のことだ。

 それは携帯型の道具箱のようなもので、普通は『装着』して使用する。

 だが、この男のような人間は外れないようにというのもあるが、神経と繋いで即座に収納している道具や機能を呼び出せるようにする高度な技術が使われた、とても高価な代物が医療手術を受けて埋め込まれている。


 この男、今は修理屋などと看板を出して暮らしているが、世界を滅ぼし、そして復活させたWizardの一人である。

 そして、この少女は人ではない。

 世界の人口の八割は先の戦争によって失われ、たった一二人のWizardによって世界は復興しつつある。

 Wizardとそして彼らが生み出した有機人形オーガニックドールによって。


 この少女はその有機人形の中でもとあるWizardが熱心に何度も改良し、量産型ではなく、唯一オリジナルとして所有していた特別な有機人形なのである。


「私の中には辞書もプログラムされてる。言葉の意味は知ってるわ」

「そうだったな。でも言葉の講義がしたい訳じゃなくて……王だなんて名前を付けたが、世界に君臨するどころか本当は自分たちの墓を掘ってたんじゃないかって思ったんだ」

「人の歴史も知ってるわ。戦争について語りたいの?」

「違う。最近、人と人形の違いが分からなくなってきてな。人の寿命は戦争がなけりゃ一五〇年は生きられるようになった。でも、それは普通の人間だ。Wizardだけはクローンだの体の一部を機械化、部品化したり、記憶をデータ化したりして、永遠に生きることもできるだろう? 生きるって状態がどういうことかの定義も曖昧になった気がしてね」

「辞書的な説明ならしてあげられるわ。でもそんなの望んでないのでしょう?」

「ああ、そうだな……」


 呟いて、男は俯きながら首を振って立ち上がり、軽く尻をはたいて埃を落とす。


 人は眠るが、人形は眠らない。

 今は人よりも人形の方が圧倒的に多い。


「夜が見たいか?」


 男の問いに少女は知ってるわ、と答えたが、少し間を置いて、不安そうに男を見つめた。


「……店じまいするつもり?」

 少女は途切れ途切れにひび割れた声で歌うラジオを見やる。

 男の返事はない。

「直さないの?」

 男は『修理屋』と書かれた板を持ち、ガラクタを隅の方へ無造作に足で押しやりながら、ああ、と頷く。


「『聖櫃』ってお墓じゃなくて『契約の箱』のことでしょ? 神のいない時代に宗教的言葉を使うなんて、矛盾してるね。誰も信じてないのに」

 少女はラジオを手に取り、歌に聞き入る。

「王という地位を失っても、契約だけは残るんだよ……」

 男はそう言って、少女からラジオを奪い取り、バンバンッと叩いた。

 叩いた直後、途切れ途切れの歌声がスムーズに流れ始めたが、またすぐに途切れ始める。

 軽く溜息を吐く男に少女はいい歌ね、と呟いた。

 男はああ、と頷きながら傍らにラジオを置いた。


「もうすぐ夜だ。子供は家に帰る時間だろ?」

「見た目だけね。私は人じゃないもの」

「でもあの人の子供じゃないか」

「……子供の定義が違うわ」

「それなら家の定義について話すか?」

「話したくない。私の家は一つだけだもの。そんなことより修理、してくれない?」


 差し出された掌と空を交互に見やり、男は深い溜息を吐いた。

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