あ・ら・か・る・と

花野屋いろは

第1話 彼の話

  送別会の締めで主役が挨拶をしている。その姿を末席で見ながら、よかったと、目を細めて見守る自分がいる。彼がここにバイトできて4年。就職氷河期もあり、結構いい大学の大学院を卒業するのになかなか自分の希望する職種の内定を得られなくて苦しんでいた。いっそこのまま、ここに就職するかと上から打診も受けていたようだ。それは、駄目。彼はここにいるような人じゃない。そう思ったから、彼が弱音を吐くときは、甘やかさず、中途半端な態度を揶揄し、結構きつく指導をした。

 確かにここは居心地のいい会社だ。業績は、この不況でも悪くはない。だからといって、そんなにすごくいいわけでもない。なにより、この会社には、進歩も進化もない。世の中には、成長する会社もあるが、成長しない会社もある。ここはその後者だ。この会社は、ルーティンワークを黙々とこなす業種だ。勿論、システムは、IT化に乗って変わっていくが、やっている仕事は同じだ。”早く、正確に”これをモットーに客先から信頼を得て業務をこなしていく。何かを開発し、大きく変革していくわけではない。この業務なら、彼は難なくこなせるだろう。でもそれでは駄目だ。彼が成長できない。ここにいるような子じゃないんだ。挨拶が終わり、ペコリと頭を下げた彼に周りが拍手を送る。瑛里もそれに合わせた。

 会場の居酒屋の表で、2次会参加を呼びかける人と、帰る人でなんとなく別れた。瑛里は、帰宅組だ。残念だが、明日は早番だし、もともとお酒は飲めないし、カラオケは苦手だ。2次会組の彼に、手を振り、声をかけ、帰宅組は歩き出した。

「青木さん…。」

呼ばれて振り返ると、彼が瑛里に歩み寄って声をかけていた。どうしたの?という顔をして彼を見上げる。182㎝だといっていた彼は、160㎝の瑛里より頭1つ分大きい。

「たまには、いきませんか?」

おずおずという彼に、首を振って

「明日は、早番なのよ。気を遣ってくれてありがとう。楽しんできて」

とやんわり断り、にっこり笑って踵を返して歩き出した。そして、帰宅組に混ざる。彼は2次会組に戻り、会場に向かうだろうと思い15mほど進んだところで振り返る。彼はまだ佇んでこちらを見送っていた。その彼に手を振り、皆に合流しろという合図を送り、また顔を戻すと、もう振り返らずに駅に向かった。

 彼の最終出社は、3日後だが、出勤シフトの関係上、もう瑛里と彼は、会うことがない。多分、2度と。瑛里は心の中で彼に声をかけた。

−−元気でね。


※※※

 今年もやってきました。棚卸し。今日から3日間通常業務を止め、製品の出し入れを止め、現在、倉庫にあるすべての製品の数を人海戦術で確認していくアナログな作業だ。アナログな作業とはいえ、デジタルなこともある。全員がポッドと言われる端末を持ち、それがで製品に張られているICタグを読み取る。もしくは赤外線で、パッケージに張られているバーコードを読み取っていく。20年昔は、1個1個数を数えていたんだけどねぇ、と来年定年を迎える吉田さんが、ニコニコ笑いながら言う。今は楽だよ、3日で終わるんだからね。昔は1週間、3交代でやったもんだよ。

吉田さんは、棚卸しの度にこの台詞をいう。

そして、何度も聞いているにもかかわらず、感心したように返事をするのは、彼の役目だった。

 倉庫の上の方に保管された製品のICタグを脚立にのって読み取りながら、吉田さんの台詞を聞いていた瑛里は、そういえば、こういった高所の読み取りは、いつも大きな彼にお願いしていたなぁと懐かしく思いだした。

彼とは、あれ以来合っていない。メールも、SNSも電話番号も知らない。彼と仲のよかった同年代の女の子たちは、月1ぐらいで、催しているカラオケの会に参加するように声をかけているらしい。

「来るの?」

と聞いたら、

「時々来ますよ。会社の同僚と一緒の時は歌えないやつを歌いに。」

と笑う。あぁ、そういえば、このカラオケの会は、ボーカロイドとかアニソンに特化したカラオケの会だっけと思い出した。まだ、彼がバイトに来ていた頃に一度誘われたことがあるが、何を歌っているのか試しに聞いたら、知らない歌ばかりだったので丁重にお断りしたのだ。その後で、彼がもう一度誘いに来たので、

「君が、『天城越え』を私のために熱唱してくれるんならいくよ。」

といったら、がっくりとうなだれて

「それは俺には、無理です。」

と引き下がっていった。ごめんね。いきたくないわけじゃないけど、君の歌聞きたいけど、歌合わないから。場をシラケさせちゃう。私だって本当に、天城越えを聞きたいわけじゃないんだよ。


※※※


 「吉田さんの送別会ですが、2週間後の金曜日となりました。どこまで声を掛ければいいですかね。」

と幹事に聞かれた。

「あぁ、もう、そんな時期なのかぁ。吉田さん、有休消化済んでるから、きっちり年度末まで出勤するんだよね。」

「そうですよ。で、どこまで声を掛ければいいですかねぇ。」

ともう一度聞かれた。

「課全員と、総務部、営業1,2課と…。」

そこまで言って、言い淀む。どうしようか、実のところここ4,5年吉田さんが一番可愛がっていたのは、一昨年就職のために辞めたバイトの彼だ。吉田さんは、今でも彼が元気か気にしている。連絡がつくようなら、誘ってみるか。

「もう一人声を掛けたい人がいるんだけど、私も連絡先はわからない、毎月のカラオケ会の参加者が知っていると思うから聞いてもらってくれる。」

「ああ、元バイトの…」

「そうそう、よろしく」

その後、彼の都合がついたのかどうかはわからないまま、送別会の日が来てしまった。送別会は、18時30分から、歩いて5分ほどの会社御用達の居酒屋が会場だ。一昨年、彼の送別会もそこでした。今、18時。本当なら30分前に仕事は終わっているのだが、私は鋭意残業中だ。予定外の納品があったため、倉庫での作業が残ってしまったから。若い子たちを早めに会場に向かわせ、黙々と作業を進める。誰かが倉庫に入ってきた気配がした。

送別会に遅れると呼びに来てくれたのかもしれないと振り返ると、そこに彼が立っていた。

初めて見る、スーツ姿。瑛里は、思わず見とれた。

「青木さん…」

「あ…、どうしたの?会場はいつもの居酒屋よ…」

と言いかけた瑛里のそばに彼は、早足で歩み寄り、

「会いたかった…。すごく…」

といって瑛里を抱きしめた。

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