#16 陥穽に落ち帰還した男の事
「あっ」
と、思った時には遅かった。
紅葉見物に来た男は得体の知れぬ
男は上方の陥穽の口から差し込む地上の光が徐々に遠く細くなってゆくを見て初めて自身の
――これは、助からぬ。だがどうして紅葉見物の道に陥穽があるのだ。そもそも何処にも穴など開いてはいなかった――いや紅葉だ。紅葉が山に穿たれた穴を秘していたのだ。それにしても底には
そこで男の意識は途絶えた。これは
次に男が目覚めた時、其処は穴底だった。
もう地上の光は見えなくなっていた。が、穴底は何故か薄明るい霞に包まれており、多少ではあるが周囲の見当がついた。どうやら穴底は坑道の如き空間になっているようで、先へ続くと思われる岐路が見つけられた。
男はこの後の事を考える。目前の岐路より他に道は無く、男が陥穽へと落ちた事に気がついた誰かの救助を待つのも困難に思われる――穴底には食料も水もないのである。
――岐路の先へと進むしか無い。だが、何方へ進めばよいのだ。岐路は二つに別れている。右か左か。何方が地上へと通じており、また、何方がより安全であるか。
するとその時、男はある事に気が付いた。穴底を包む薄明るい靄が、微かに左へと流れているのである。
男は左へと進む事を決心した。この流れを神仏の導きと考えたのだ。
丸一日あまり歩いたと思われるころ、男の視界に薄明の靄以外の明かりが急に差してきた。その明かりに目を凝らすと、あばら
――このような地下世界に家があるというのは、どういうことだ。
男は奇妙に思いつつもその家へと近づき、壁の隙間から中を覗いた。すると家の中では二人の男が向き合って碁を打っている。二人が碁を打つ碁板のわきには、一つの杯があり、杯には白色の飲みものが入っていた。
その時の男は穴へ落ちてからほとんど丸一日何も口にしておらず、もう飢えと渇きに耐えられなくなっていた。男は奇妙な穴底で碁を打つ奇妙な二人への警戒心など忘れて家の戸を開いていた。
男の
男は言われるままにそれを飲み干すと、それまであった疲労感や飢え、渇きが消えて気力が十倍にも増した感じになった。
その様子を見ていた二人うちの一人が言った。
「お前はここに住みたいと思うかね」
男が肯定せず、地上へと帰りたい事を伝えると、その人は、
「では、これから西へと進め。其処には天の井戸がある。中には蛟竜が多く棲んでいるからひと目で分かるだろう。その井戸へと身を投げよ。さすれば自然と地上に出られる」
と、教えてくれた。
男は言われた通りにして、一週間ののち、元いた山の麓にある村へと辿り着いた。
後ほど男は自身の体験を調べて
=====
以上の話は、
・前野直彬編訳(1968)『六朝・唐・宋小説選』(中国古典文学体系24)平凡社
に収録されている晋陶潜『捜神後記』という志怪小説集の一話「竜穴」を読んで書きました。お話の筋書きはほとんどそのままですが、具体的な地名を除いたり、結末が変わっていたりと改変してありますので、興味がある方はぜひ上述の書を読んでみてください。
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