龍の静かなる暴走
「己、龍……くん。いぎでだあぁぁ。下水で溺れて死んじゃっだがどぉぉ」
「最高にイヤな死に方だな、それ……」
小さく息をついて己龍くんが目を閉じる。いつもは鮮やかな蒼碧のウロコが心なしかくすんで見え、痛々しいことこの上ない。
「俺たち宿星持ちは、調子が悪くなると勝手に四神の姿に変化しちまう。風呂の間くらいはもつかと思ったが……お前に頼んでおいて正解だった」
「ごめんなさい、遅くなって。まさか拾うのが己龍くんだとは思わなくて」
「謝るな。……助かった」
ドキンとあたしの胸が小さく音を立てた。
今のはもしかして、ありがとうと同じ意味?
「熱あるんでしょ? 虎汰くんがメールで知らせてくれたの。あたし何をすればいい? お医者さんに連れて行こうか」
「いや……今は人の姿になってもすぐ変化しちまう。ベッドまで運んでくれればいい。休めば勝手に治るだろ……」
そうか。具合が悪くなっても四神の宿主は安易に病院にも行けないんだ。
……なんだか切ない。
「お部屋、連れて行くね」
ゆっくりと立ち上がり、手の中の己龍くんが揺れないようにそっと歩いて彼の部屋へ向かった。男の子の部屋なんて初めてだけれど、そんな事にかまっていられない。
「お邪魔します……」
ドアを押し開けると、自分の部屋と左右対称の空間が広がった。
ベッドもクローゼットも勉強机も、全部あたしの部屋と反対の位置。それが男の子らしいブルーグレーのカラーでまとめられている。
あたしは掛け布団を少しだけずらして、その隙間に己龍くんを横たえた。
「ホントにこれだけでいいの? お薬とか、頭冷やしたりとか……何かあたしに出来る事ない?」
彼はまた何も答えず、荒い息遣いだけが返ってくる。
ベッドの中、枕の端っこに頭を乗せて眠る小さな龍。不思議で不気味な光景のはずなのに、それよりずっと心配な気持ちが勝る。
「……ゆっくり眠って。あたしリビングにいるから、何か欲しいものがあったら呼んでね」
布団を首の辺りまで引っ張ってあげると、あたしの指にチョコンと鋭い爪を持った手が掛かった。
「……バカか。なんて顔してんだよ……」
指に掛かった爪がフワッと滲むように輪郭を失くし、代わりに現れたのはあたしの手を握る長い指。
「ただの風邪だ。大げさに考えんな」
人の姿に戻って掛け布団からはみ出した素肌の肩、そして枕に乗ったイケメン黄金比の顔がわずかに微笑んだ。
「で……でも。手、やっぱりすごく熱いよ」
同じくらいあたしの胸も熱い。だって己龍くん、弱々しいけれど初めてあたしに笑いかけてる。
「お前、今から1分……いや5分だけ寝てろ。目は開けててもいい」
「なにそれ。意味が分かんない」
するとあたしの手を掴んだ彼の手に、キュッと力がこもった。
「このままでいろ。でもお前は寝てるからこの事は知らない。……知らないままでいい」
ベッドの上で熱い手があたしの手を握る。
「どう、して……?」
「出来る事ないかって聞いただろうが」
「そ、そういうことじゃなくて、だって」
手を繋いだまま、己龍くんが深呼吸のように長く息をついた。
「俺にもわかんねぇよ。ただ、すげぇ落ち着く。このまま死んでも気が付かないくらい静かで気持ちいい……」
そっと閉じられた瞼。本当に死んじゃったのかと思うくらい、その表情は穏やかで。
あたしは何も言えなくなって、彼に手を預けたままベッドの下に座り込む。
「四神には影響ないはずなのにな……。一歩、踏み込んでみたくなった。これもまだ知らなくていい」
二人きりの部屋にたなびいた、己龍くんの言葉。
踏み込むってどこに? そうだよ、あたしが触っても四神の人たちはなんともないはずだよね。それなのに。
(どゆこと……!? どう受け止めたらいいの? わかんないわかんないわかんないいぃ……!)
「……おい。グチャグチャに乱れた気をコッチに送ってくんな」
うっすらと瞼が開き、藍墨色の瞳があたしを軽く睨んだ。
「だだだだだ、て、むむむムリ……! いいい意味が……わか、わかんな……」
「ああ、そういやお前、免疫ゼロのフラれ神だったか。めんどくせぇな」
繋いだ手をチョイと引っ張り、彼が気怠くモノを言う。
「ちょっと耳貸せ……大声で言うもんでもねぇだろ」
「は、はい……?」
わけがわからないまま、あたしは伸び上がって微かに何かを囁く彼の口元に耳を寄せた。
「つまり……」
スッと繋がっていた手が離れ、それが突然背中に回ってあたしを引き寄せた。
「ふあぁっ!?」
なす術もなく倒れ込み、己龍くんの首根っこに顔が埋まる。
「こういうコトだ。俺は、[気持ちを宣言して返事を待つ]なんてしねぇ。お前が感じて、俺が感じればそれで成立だ」
己龍くんの肩が熱い、首が熱い、言葉が熱い。そこにムギュッと押し付けられたあたしの顔も大炎上!
(成立? 成立っていわゆるひとつの、彼氏彼女の関係? フラれ神のあたしにいきなりこんなハイスペック彼氏降臨!?)
ボディソープなのか、己龍くんからふわりとイイ匂いが立つ。ミントのようでちょっぴり甘いその香りにさらわれそうになる。
「あー……力入んねぇ。おい、逃げたきゃ逃げられるだろ」
「そ、だけ……ど……」
そろそろと絶賛炎上中の顔を上げると、そこには優しく細められたレモン形の瞳。ダレコレ、コンナ人シラナイヨ?
「ひでぇ顔……タコか。でもこの顔でお前が他のヤツを見ると腹立つ」
これ夢じゃないの? てか宣言しなくても、コレってけっこう素直な発言じゃない?
「
(初めて呼んだ……! あたしの名前)
もう何がなんだかわからない。
初心者相手にプロのボクサーがかかって来た感じ。ジャブ、ストレート、極めつけは心臓破りのボディーを食らって、あたしはタオルを投げる寸前。
「5分経っただろ。行っていいぞ」
あたしの背中を抱えていた手が、パタリとベッドに落ちる。
「でもあの……! やっぱり頭くらい冷やした方が」
「いい……」
吸い込まれるように、己龍くんはまた瞼を閉じた。至近距離で見る彼は本当にブロンズ像みたいに綺麗で……、まつげ長っが!
「じゃ、じゃあお薬は? この家、常備薬とか置いてない?」
「……ない」
返事をするのも辛そう。もう話しかけないで寝かせてあげた方がいい。
あたしがそっと起き上り、静かにベッドの上から下りた時。
「なんもいらねぇから。俺が寝るまで……ここに、夕愛……」
すぐに静かな寝息が聞こえ、己龍くんは完全に意識を手放した。
寝てしまったのに、あたしはベッドの下に座り込んでもう一度彼の手を握る。
(あっつ……やっぱりすごい熱。もしかしたら、熱に浮かされてあんなコト言ったのかな)
眠りにつくまで傍に居て欲しいなんて、小さな子供みたい。
「あたし、ここにいるよ。己龍くん……」
彼の寝顔に囁いて、あたしもコテンとベッドに頭を乗せた。
静かに繰り返される息遣いとあたしの鼓動が重なって、部屋の中に満ちていく。
(お前が感じて俺が感じたら成立。今のあたしの気持ち、己龍くんは何だと思う……?)
突然すぎてよくわからないけれど。
さっきみたいなドキドキ、もっともっと感じてみたい。
(恋、しちゃったのかな……? あたし)
フラれ続けて15年。
心機一転、東京にやって来て自分にこんなコトが起きるなんて。やっぱり東の空はあたしを呼んでいた?
ふわふわでエヘエヘな心持ちで、いつしかあたしは己龍くんと同じ夢の中へ……。
――落ちて、何時間経ったのかわからないけれど。
「――きーりゅうー、たっだいま! ねえ夕愛いないんだけど、どこ行ったか知らな……」
帰って来た虎汰くんが、手を繋いで眠るあたしと己龍くんを見て絶句したのは言うまでもない――。
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