再始動

「じゃあ、この『るしふぁー』ってのが、フォローされると死ぬっていうアカウントなのか?」

 いつも通り講義後に訪れた情報教育センター。そこで涼介と瑞奈から一通り説明を聞いた隼人は怪訝な表情でスマホの画面を睨んでいた。

「どうも、そうらしいんだよ」

「お前、まさかこのネタで記事書こうとしてるのか?」

「いや、それは……」

「やめとけよ、こんなの絶対却下されるって。どう考えてもただのB級の都市伝説じゃん」

 隼人は見損なったぞと言わんばかりの呆れた表情を浮かべている。

「まだ何も言ってないだろ。俺だって別に信じてるわけじゃないし」

 涼介は内心の動揺を隠しながら隼人の言葉を否定する。もちろん涼介自身、その言葉に嘘はなく、死神の裏垢の力が本当に実在するとは到底思えない。どう考えたって非科学的で、理屈では説明がつかない。

 一昔前には視聴率稼ぎのためにそういう類のネタを取り上げる心霊番組が流行ったりしたが、ネットの普及で物事の真偽がかなり精緻に検証される世の中になってからは、総じてそのようなオカルト番組は姿を消していった。要は、大抵がでっち上げだっということだろう。自分が死神の裏垢を記事として取り上げるということは、そのような過去の未成熟なメディア時代に立ち返ることに他ならず、将来一流のメディアマンを目指す自分の理念に反するものでもあった。

「あれ、ちょっと待って」

 二人の言い争いをよそに、じっとスマホ画面を見つめていた瑞奈が小さく声を上げた。その声は、どことなく微かに震えているように思えた。

「死神の裏垢のフォローが増えてる……」

「うそ……」

 涼介は急いで自分のスマホを手に取ってツイッターを開き、るしふぁーのアカウントを覗いた。

「ほんとだ……フォローが十八になってる」

 確かに、るしふぁーのフォローアカウント数が一つ増えていた。それまでは間違いなく十七だったのに。

「誰だよ、新しいターゲットは」

「えーっと、『馬場』って名前だねアカウント名は。シンプルだな」

 涼介は興味半分でそのアカウントの中を覗いてみた。プロフィールを見るに、どうやら同じく都内の大学に通う、同年代の男子のようだった。最近はほとんど投稿されなくなっていたが、過去に遡ると自撮りの写真があるなど、陽気な人柄が伺えた。

「この『馬場』って人が近いうちに死んじゃうってことか?」

 隼人が嘲るように言う。

「まさか、な」

 そう強がって答えた涼介の声は、言葉と裏腹に小さかった。


 『るしふぁー』のフォロー数が増えてから一週間が経った。涼介は毎日欠かさずそのフォローされた『馬場』というアカウントの様子を確認していたが、特に変わった様子は見られず、フォローされる前と変わらず音沙汰のない凪状態だった。

「これじゃ、仮に何かあっても判別つかないな」

 涼介は動きのないアカウントを見つめながら呟いた。

「そう言えば、今日誰も家にいないのか」

 今日は母の沙苗は通院のため帰りが遅くなるということだった。黒川が夕方からやって来るということだったが、まだ姿は見えず家の中に自分一人だった。思えば、家に誰もおらず一人きりという時間は随分と久しぶりのことのように思えた。

「晩飯どうしよう。どっか食いにでも行くかなあ」

涼介はスマホと財布だけを持って部屋を出た。廊下を歩き、階段を降りて一階へ向かう。玄関へ向かう通路の途中で沙苗の寝室を横切ろうとした。

「母さん、大丈夫かな」

その時涼介はふとした衝動に駆られて足を止め、がらんとした沙苗の寝室に足を踏み入れてみた。部屋の中は綺麗に整理されており、沙苗の几帳面な性格がよく伝わる状態だった。

「あれ……」

 整然とした部屋の中で、唯一目を引くものがあった。机の上にアルバムが無造作に開かれて置かれていた。涼介は机の前に歩み寄り、そのアルバムを手に取った。その中には家族の集合写真が何枚も収められていた。

 若かりし日の父、母、そして自分。微笑ましい情景がいくつも並んでいた。

「ん……これは?」

 とある一枚の写真に、涼介の目が吸い寄せられた。その写真には、自分たち三人に加えてもう一人の男の子が写っていた。年は自分よりいくつか上だろうかということは分かったが、全く見覚えがなかった。この人物はいったい誰なのだろうか。涼介は必死で頭の中の記憶を漁った。

「おい、涼介」

 すっかりアルバムに夢中で見入っていて気付かなかった。部屋の入り口に黒川が立っていた。

「勝手に部屋の中入っちゃダメじゃないか。怒られるぞ」

「ごめん……つい出来心で……」

「沙苗さんには内緒にしといてやるから、そのアルバムも元あった場所に戻しな」

「うん……」

 涼介はアルバムを元あったように机の上に置いた。

「今日、遅かったんだね」

「ああ、ちょっと別件が長引いちゃってね。申し訳ない、ご飯はまだかい?」

「うん、ちょうど食べに出ようとしてたところ」

「そうか。じゃあ今から一緒に食べにでも出ようか」

「いいね。ごちになります」

「ほんと、調子良いな」

 先ほど母親の部屋に無断で入ったことを咎められた負い目もすっかり過去のものにして、涼介は黒川に図々しくも甘えてみせた。黒川も言葉とは裏腹に愉快そうな表情を浮かべている。

 二人は連れ立って家を出ると、すっかり陽の落ちた夜道を並んで歩いた。季節はすっかり冬の入り口に差し掛かったと言ったところで、涼介は薄着で出て来たことを後悔していた。

「久しぶりに、ここはどう?」

 自宅から歩いて数分の位置にある昔ながらの中華料理屋の前で黒川が立ち止まった。常連と言えるほどではないが、昔からちょくちょく顔を出している馴染みのある店だ。

「いいね、ここにしよう」

 寒さと戦いながら歩いていた涼介は、黒川の提案に頭を使うこともなく乗っかった。

「おっけい。お邪魔しまーす」

 黒川が店の扉を開け、涼介もそれに続いて中へと入った。そのまま店の奥のテーブルに向かい合って座る。

「何にする涼介? 僕はチャーハンセットかなあ」

「うーん、俺もそれでいいや。店長、チャーハンセット二つで」

「はいよー」

 涼介が厨房を振り向きながら言うと、店長が気の良い返事を寄越した。

「ん……」

 その時涼介の視線が、店内の中央に置かれたテレビに釘付けになった。

「この人……」

 ニュース番組の中で取り上げられていた顔写真にはっきりとした見覚えがあった。同年代くらいの、茶髪で陽気な人柄が伺える男子。

『馬場』のアカウントで見た写真に間違いなかった。まさか、テレビ画面の中で再び見ることになろうとは。

「大田区で起きた通り魔による殺傷事件で死亡したのは、都内の大学に通う馬場史典さん二十一歳だと判明しました。警察は周囲の聞き込み情報を元に、犯人の行方を追っているとのことです」

 ナレーターがテレビ画面の中で神妙な面持ちで語った言葉に、涼介は頭を思い切り殴られたような衝撃を受けた。

「死亡……」

 涼介は驚きを隠せなかった。隠そうとする精神的な余裕もなかった。じわりと嫌な汗が額に浮かび始める。

「どうかしたのか、涼介?」

 只ならぬ様子を感じ取ったのか、黒川が心配そうに声を掛けてきた。涼介は「いや、何でも……」と必死で平静を装った。

「ちょっと、用事思い出したから外で電話してきていいかな?」

「ああ、もちろん良いけど……」

「悪いね」

 涼介は下手な芝居をどうにか演じてその場を立って、店の外へと出た。あれほど感じていた肌寒さも、今は全く気にならなかった。

 涼介は急いでラインで隼人に電話を掛けた。幸いにも隼人はすぐに出た。

「もしもし、どうしたの急に」

「ニュース見たか?」

「は? 何だよニュースって」

 動揺しているあまり、涼介は何の前置きもせずに要領を得ない質問をぶつけた。隼人が怪訝な様子で聞き返してきたのも致し方ない。

「いや、あの、馬場だよ」

「馬場? 何だっけそれ」

「死神の裏垢にフォローされたあのアカウント!」

「ああ、そんな名前だったっけか」

「その馬場が死んだんだよ!」

「え……」

 電話の向こうで隼人が息を呑むのが分かった。

「嘘だろ……」

「ほんとなんだよ。馬場のアカウントに乗っけられてた写真が、さっきニュースで出てたんだよ。通り魔に刺し殺されたって……馬場史典、通り魔、で検索してみれば分かるよ」

「まじなのかよ……こんなことって……」」

 二人ともしばらく言葉を失った。重苦しい空気が、電波を伝って遠隔にある二つの場に満ちたようだった。

「いよいよ、本物なのかも知れない。死神の裏垢」

「……でも、やっぱりどう考えてもおかしいよ。フォローされたら死ぬなんて、説明がつかない」

「そこはやっぱりわかんないけど……でも、このままほっとけないよこの話は」

「まあ、そうかもな」

「また大学で話し合おう。瑞奈にも俺が伝えておくよ。怖がるだろうけど、あいつ……」

「ああ、そこはお前に頼んだよ、涼介」

「おう。じゃあ、またキャンパスでな」

「おす」

 涼介はそこで電話を切った。

 本格的な冬の到来を間近に控えた冷たい夜風が吹き付けた。電話を切り徐々に落ち着きを取り戻しつつあった涼介は、ようやくその寒さを肌身に感じることが出来た。その寒さは、体の中に染み込み心までも凍てつかせるように思えた。


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