泣く場所を選べる人になろうとしたのに!

Kisya

序章

 高校生になる前のこと、かつて私はとても泣き虫でした。怒鳴られたり、なじられたりすると、すぐに泣いてしまうような、弱い泣き虫でした。

しかし、もっと正確に言えば、それは怒られたときにかぎった話ではありません。


 とにかく、感情が何かしらの理由で、何かしらの方向に高ぶれば、鼻先がピリッと痛み、目の奥が熱くなり、――そして、涙があふれ出す。

 そんな調子ですから、私は、悲しければ泣き、怒れば泣き、悔しければ泣き、嬉しければ、もちろん泣いていました。


 何かにつけて、何度も、何度も、よく泣いていた私は、大人になってもこのままなのは嫌だと強く感じるようになりました。そもそも、私にとって泣くことは、恥ずかしいことでした。私が涙を流せば、まわりの人たちは心配そうに声をかけてきて、それだけに収まらず、人によっては「また泣いた」と、うんざりして、毒づいたりして……。その有り様を見た私は強く自分を恥じました。

 そして、恥じれば、恥じるほど、なおさら涙は止まらなくなります。

果てに、喉がギュッと締め付けられるような痛みを訴える頃には、すっかり、人前で大いに苦しむ地獄が出来上がっているわけです。


 そんなことを繰り返すのはもうやめよう。ある日、私は決心したのです。


 泣かない人になるのは難しいだろうから、せめて場所を選んで泣けるようになろう。


 それが、今の私の悩みに繋がるとは、当時の私には思いもよりませんでした。




「うえっ……ぐひっ……」


 初夏に差しかかる時期でしょうか。やわらかな陽気が差す、ある日の帰り道の、その一角、静かで人通りのない道を、私は歩いていました。それも、声を潜めて泣きながら。


 とはいえ、別に辛いことがあったわけではないのです。


中学生の頃の私は、決意を固めたあの日から、ある特訓を行いました。常日頃、私は自分に自信がなく、それを補おうと努力を積み重ねていましたから、この場合も頑張って解決しようと思ったのです。


 しかし、得られた結果は、非常に極端なものでした。


 ――まさか、「ひとりきりになるだけで、どこであろうと、いつであろうと涙が出る」ようになってしまうだなんて。


 こんな変な体質になってしまうと、むしろ、私はある不安を抱えるようになりました。再三言いますが、私にとって、泣くことは羞恥なのです。

 いくら誰もいないところであれ、ここは外で、泣いた後始末は時間がかかり、すぐさま元通りの顔にはならない。……もしこんなときに、誰かが、しかもさほど仲もよくない半端な知り合いにでも、顔を見られてしまったら……。


 そんな不安を振り切るように、私は止まらない涙を流しながら、歩き続けました。

 ――大丈夫、もうすぐ家に着くところだから。そう自分に言い聞かせながら、私は足早に歩きました。


 しかし懸念はこの瞬間、現実になりました。

 俯いているばかりでは何かにぶつかってしまいそうだと、顔を上げたそのとき、見知った顔が、曇った視界の端に入ったのです。その見知った顔は、少なくとも、親しい家族や友人の顔ではありません。

 それは――私の通う学校で、そして同じクラスで、多少の挨拶を交わしたことのあるぐらいの、さして仲良くもない――ある男子生徒の顔だったのです。


 これはまずい。そう悟った時には既に相手との距離はたった3メートルほど。絶対に避けたかった事態が、今、ここに発生してしまったショックにあてられて、私の頭が使い物になるまでずいぶん時間がかかってしまったのでしょう。これではきっと、はっきりと顔が見えてしまう……。


 突如としてひとりきりではなくなった私の涙腺は、即座に涙を流すことを止めました。……しかし、泣き腫らした目とまだ頬に伝う涙は変わりありません。


「あっ、神崎さ……!」


 冷静さをひとつ残らず取りこぼしてしまった私をよそに、事態は悪化するばかり。ついぞ気づかれて、彼はこちらに駆け寄っては目を丸くするのです。

 今さら手遅れだとわかっているのに、震える私の手は、頬の涙を拭い去ろうとしていました。


「ど、どうしたの? 何かつらいことでもあった?」


 彼が私に話しかけたときはもう、恥ずかしくて、恥ずかしくて、つい、咄嗟に叫びました。


「――ひッ、人違いですッ!!」


 焦りすぎた私は、顔から火が吹き出るんじゃないかと思うぐらい熱くなった頬を押さえて、その道を走り抜けました。




 ついさっき、そんなことがあって、私は今、猛烈に悩んで頭を抱えています。

 封印されたと思っていた涙の羞恥が、この頭の中で、激しく転げ回って、もう、つらくて、苦しくて、涙が止まりません。

 私が自室で泣いているのはいつものことなのですが、今の泣き顔は特に最悪です。

机の傍らに立てかけた全身鏡に映った自分の姿といったら、手で掻き乱したり枕に擦り当てたりした前髪はぐっちゃぐちゃ、目どころか鼻まで真っ赤になって、口は上に凸の放物線のように歪み、その顔は、どこかの昔話に出てくるようなマヌケな人物そのもの。


「やだ……もう学校行きたくない……」


 なにもかも嫌になり、らしくもなく、私はいつの間にか携帯電話を手に、「熱を出す 方法」と検索し始めたのでした。

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