小説を書くための諸実験レポート

脳幹 まこと

本編

10月14日ー寝言は100回書いてから言え


 これは単なる情緒不安定な男のヒステリーなのかもしれない。

 ホラーものの小説や映画ばかり見たせいなのかもしれないし、暗いニュースばかり流れているからなのかもしれない。

 充実した他者のタイムラインを見て、空っぽの自分を痛感しているからかもしれない。新しい職場に馴染めないせいなのかもしれない。

 ともかく、私は不安であった。私とは「脳幹まこと」のことであり、アラサーにして趣味も生き甲斐も持たない男のことである。

「何かをしよう」と朝目覚め、「何もしなかった」と夜眠る日常を過ごし、気づいてみれば今年で27になる。

 昔、世の先輩方がアラサーになって鬼気迫っていくのを不思議がっていたが、今となってはその気持ちが痛いほどに分かる。大学の同級生は概ねが同棲、結婚。残りは製作活動に精を出し、コミュニティの注目を得ているわけである。

 取り柄のないままアラサーというのは、思いの外きつい。自己啓発のサイトによると「人生は大体はコントロール出来ないので、その局面ごとを楽しめ」なんて話をしていたが、こんな砂時計の砂粒の落下を延々と見守るような人生、ちょっとばかりいじくってやらなければ、退屈さで気が狂ってしまう。


 ところが、私は全くダメな男であった。人一倍の欲求はあるのに、何かをしようとした途端に体が動かなくなるのだ。

 創作のひとつやふたつ、嗜んでやろうと思う。別に人に自慢しようって訳じゃない。ただ、自己満足のため、私は何かをしたのだという、ただの気休めのために実施する。気楽なもののはずだ。ところがそれでも体が動かない。

 別に怠けてやろうと思う訳じゃない。なのに、実行の段に移ると頭がもやもやする。自分がよくわからなくなり、こんなことしていいのか、これが正しい選択かというチェックをする。

 結果、いつの間にか何もせずに終わっている。これでよかったなんて感想はひとつもない。「どうしてこんなことに」と被害面するばかりだ。


 そして14日、私は一週間ぶりに自分会議を始めた。

 議題は「なぜ私は意思が弱いのか」というものであった。

 パイプ椅子に腰掛け、10分間瞑想をする。目を閉じ、呼吸だけに意識を集中させる。この時は現在の不満や将来の不安はすべて考えないことにする。

 意識がぼんやりとし、やがて頭の中でカーソルが出現した。私の先生がログインしてきたといったところだ。

 アラームが鳴り、私は先生と対話を始めた。一ヶ月もやっているので、会話はそれなりに流暢にはなっている。


――あなたは何か一つをやり遂げてみるべきだ。


 先生は開幕早々に結論を出した。しかし、何かをやり遂げようとして成功したためしがないから、こんなに苦しいことになっているのだ。

 そんなことは分かりきっている。それが出来れば苦労はない。

 椅子に腰かけたまま独りごちる。先生からの返信はこうであった。


――何か一つをやり遂げるのに、あなたは他を捨てていない。今までのあなたは保留と延長の繰り返し。今回はそうはいかない。あなたは今ここで一つを選ぶ。そしてそれ以外は一切考えてはいけない。最低でも一ヶ月はその状態を維持出来なくてはならない。


 めちゃくちゃだ。しかし、今の私にはそれしか救いがないような気がする。

 歳を重ねて頑固となった頭を一変するには、それなりの荒療治が必要になるのだろう。

 それが例え、どんな結末を招くことになろうとも。

 私はしばらく悩み、やりやすく続けやすいであろう「小説」を選んだ。

 先生は本当に大丈夫かと何回か念押しした後、このように回答した。


――では今日からノートに「小説を書きたい」と毎日100回ずつ書きなさい。


 なんだって。そこまでやるのか。


――あなたは小説を書く。書き続ける。書き続けなければならない。その為には、意識し続けなければならない。「小説」という概念を四六時中、脳内に印象づけなくてはならない。


 私は指示通りに100回通り記入した。10分かかった。ノートの1ページが「小説を書きたい」で埋まった。


――それから、ルーズリーフを20枚用意して、そこに「小説を書く。小説以外のことを考えない。小説のために生きる」と書きなさい。それを部屋の至るところに貼り付けるのです。


 まるで受験生の願掛けみたいだ。どこへ向かうのかも、何をすれば合格なのかもしれないが。100回書いた時点で腹は決まっていたので、先生の言う通りにした。

 自分を追いたてる何かを作り出すために。


――私との会議も毎日実施しましょう。


 休日ならともかく、平日にこの作業を実施することは中々の重労働のように思えるが、これを乗り越えなければ、何もするにも中途半端な男ということになる。

 私は承諾した。小説を書くために。否、作業をやり遂げる経験を通じて得られるであろう「何か」を手にいれるために。


 かくして、自分の正気を賭けた「小説」の模索作業が始まった。


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