夢現の手紙。

@yuune0921

女学生になれなかった私より。


夢を見たのです。愛しい貴方の夢です。

私は女学生で、貴方と同じ高校に通っていました。えぇ、えぇ、おかしい事だと貴方は仰るでしょうね。私達が出会ったのは高校を卒業した後の大学で、私は貴方の高校を知らないし、高校時代の貴方のことも知らないのに。でも、たしかに私は、夢の中で、貴方と同じ高校で、女学生をしていたのです。

夢の中では体育祭が行われており、私は長い髪を後ろで結って、体操着に身を包んで、額の汗を首に巻いたタオルでせっせと拭いていました。メークはしていなかったので、ファンデーションが落ちないように汗を拭く必要は無く、何度も無遠慮にタオルを顔にあてました。学生達の混ざりに混ざった制汗剤の香りが、夢ですからもうどんな香りかは忘れてしまいましたが、むせかえるようで、とても気持ち悪く感じたのを覚えています。

ごった返す人混みの先では、リレーが行われようとしていました。リレーだなんて、懐かしい響きですね。私は、貴方が参加する競技だ、と思いました。誰からも聞いていないのに、そうわかりました。そして、ぐいぐいと人の中を進んでいきました。貴方の勇姿を一番前で見たかったのです。遠くで、若い貴方が準備運動をしているのが見えました。頭に赤いハチマキを巻いて、屈伸をしたり、足首をぶらぶらさせたりしています。普通、あんな遠くにいたら貴方の表情なんてわかりません。でも、夢なのでしょうね。あなたの姿がズームされていて、表情はもちろん、流れる汗すら見えました。腕や脚に浮かぶ筋肉の筋や、血管も、うっすらと見えていました。とても綺麗で、かっこよくて、私は言葉では言い表せないほど幸せな気持ちになりました。夢でも現実でも、私は貴方に恋をしていたのです。うっとりと貴方を見つめていると、もうすぐリレーが始まるというアナウンスが入りました。すると、貴方はアンカーだったらしく、アンカーが肩にかけるたすきを体育祭の実行委員から笑顔で受け取っていました。実行委員は女の子で、私は少し嫉妬してしまいました。こんなことで、と思うかもしれませんが、人は本気で恋をすると、なんにでも嫉妬するのですよ。実際、私は貴方に大切にされる、サッカーボールすら羨ましかった。一生懸命、大切に、大きな手で磨かれているのを見ると、私はそのボールになりたいとまで思いました。なんだか腹が立って、私は貴方の手からボールを奪い取り、私が磨く、とまで言い出したこともありましたね。貴方はお前もやってみたいのか、と笑ってくれましたが、そうではなかったのです。ただの醜い嫉妬です。私は貴方のように優しくボールを磨くことなんて出来なかった。酷い人です。でも責めないでやってください。貴方に嫌われるなんてことがあったら、私はきっと生きてはいけない。おかしいですね。私は勝手に貴方に命を預けてしまっているのです。掌に私の心臓を握らせてしまっているのです。ああでもその心臓は捨てないで。大事に持っていてください。いつか私がちゃんと取りに参りますから。

天に向かって、鉄砲の弾ける音がしました。ついにリレーが始まったのです。選手達が皆グラウンドを全速力で走っています。周りの生徒達は喉が枯れるのではないかと思うほどに声を張り上げて応援をしています。中には祈るように手を握っている女子もいました。自分のチームの旗を一心不乱に振っている男子もいました。私はただ貴方を見つめていました。真剣な表情で貴方も仲間に声援を送っています。貴方の薄い唇が大きく開いているのが魅惑的でした。私は貴方の唇が好きです。妄想の中で何度も触れました。貴方の唇の感触はどんなだろうと、寝る前にぼんやり考えたこともあります。気持ち悪いと貴方は思うでしょうか。きっと思うでしょう。だからこれは私だけの秘密。ええ、墓まで持って行きますとも。

貴方がついに、力強く地面を蹴りました。貴方の手についに赤いバトンが渡されようとしています。いよいよリレーも終盤です。私は胸がドキドキしてきました。貴方はバトンをぐっと握り、たすきをなびかせながら今まで以上のスピードで走り出しました。とても速く、後ろを走る人とはどんどん距離を離して、前を走る人とはどんどん距離を詰めました。私は、貴方の足が速いことを現実でも知っています。でも誰かと競っているところは見たことがありません。高校を卒業してしまうと、もう誰かと徒競走をすることはありませんから。だからこんな夢を見たのでしょうか。前に、貴方の中学時代からの友人が、貴方がいつも選抜リレーの選手に選ばれて、チームを勝利に導いていたという話を私にしてくれました。それはもうとても速くて、瞬きしている間に敵チームの選手をぐんぐん追い越して大きな差をつけてしまうものだから、敵チームからすると面白くない競技だっただろう、と言っていました。私はそれが見たいと強く思いました。タイムだけでなく、貴方と誰かの勝負を見て、貴方の速さをとことん感じたいと思いました。それはきっと、叶わないだろうけど。

止むことのない学生達の声援が、また段々と熱を帯び音を上げていきました。もう少しでゴールです。私の心臓の動きも早くなります。貴方は走ります。険しそうな顔です。一生懸命な顔です。私は喉を震わせました。聞こえなくてもいいから、学生時代の貴方にも応援の言葉をひとつかけたかった。

「頑張って!」

高い女の声でした。周りの男子学生とは違う、細い声でした。間違いなく私の声でした。恋する乙女の、ソプラノの、美しい声でした。

また、鉄砲の弾ける音がしました。貴方が見事トップでゴールしたのです。遅れて数秒後、数人の他チームのアンカーがゴールします。貴方はゴールから少し離れて、汗で張り付いた体操着をぱたぱたと扇ぎながら、呼吸を整えています。わあっと、観客席からたくさんの学生達が貴方に駆け寄り始めました。貴方のチームの仲間です。駆け寄って、賞賛の声を上げています。貴方はその円の中心で笑顔でした。不思議と、はっきり、額の汗の粒を数えられるくらい鮮明に、その笑顔が見えました。現実なら、貴方の顔なんておろか姿すら見えなかったでしょう。でも、夢ですから、映画の1コマのように、貴方の笑っている姿が見えました。10年以上経っても、貴方の笑顔は変わらないのですね。えくぼなんか、ええ、特に。仲間の女子の一人が、貴方にタオルとペットボトルの水を渡していました。女の子の顔はぼやけていて見えませんでした。夢ですから、貴方以外の人の顔はぼやけているのです。貴方はタオルを受け取り、それを首にかけて額の汗を拭き取りました。そしてペットボトルをあけて、喉を鳴らして飲みました。かっこいい。水を飲んでいるだけなのになんでこんなに貴方はかっこいいのですか。本当にずるいです。あの女の子もずるい。なんで、私の夢なのに私はこんな遠くで、貴方を見つめているのでしょう。この夢の中の私と貴方は、きっと友達ですらないのでしょうね。だってこんなに遠いのですから。お疲れ様の一言だって、貴方に言いに行くことが出来ないのです。現実では肩を組んでいたずらに歩くくらい、近いのに、夢の中では、どうしてこんなに上手くいかないのでしょう。これは、貴方との心の距離を表しているのでしょうか。私にはわかりません。

夢はいつか終わるものです。視界が段々靄を帯びてきました。遠くの方で、聞き慣れたベルの音がします。もうすぐ私は目を覚まします。うるさい目覚ましを止めて、重い瞼を擦って、起き上がり、顔を洗いに行きます。洗い終えたら髭を剃らねばなりません。そういえば、ワイシャツにアイロンはかけただろうか。ああそれに、昨日は会社の上司に誘われてのカラオケだったから、喉がガラガラになっているかもしれないな。男の中でも私は低い、バリトンのような声だから、これ以上喉を傷めでもして低くなったら、電話の時なんか聴き取りづらい、と怒られてしまう。朝、コンビニでのど飴を買っていかないと。

来週は愛しい貴方の結婚式です。私は友人代表スピーチを務めます。貴方と、貴方の高校時代からの友人から妻になった人への、祝福の言葉を考えなければいけません。

ああもし、私が女で、もっと早くに貴方に出会えていれば、なんて。そんなこと考える私は、やはり貴方の友人にはなれないのです。

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