星揺り起こす風の章

 岩間のひと

1.精霊の言うとおり

「精霊を助けてくれたそうだね」

 怪しげな男に話しかけられてシェミネの心臓は跳ね、心底逃げようと思った。

 旅人というものは警戒されるし、旅人も他の者を警戒する。優しげに声を掛ける者とは距離を取るべしとリピアにしつこく教えた。恐れる出来事が起ころうとしているのか。スイも軽く息を止めて男の次の動作に注目した。三人が一目散に逃げ出さなかったのは、僅かに心当たりのある単語が引っかかったからだろう。

「精霊ってなんのことかな?」

 再三知らない人と話してはいけませんと注意を受けたリピアが、男に返事をした。


 リピアは何も知らぬ動物や幼子とは違い、確かに良識ある森のひとだった。街の生活を体験したばかりではあるが、三人で歩く範囲での問題は無いようだった。珍しい建物や装飾を面白く見て歩き、記号や絵に関心を持ち、たっぷりの睡眠と食事をとった。次の街がよほど危険でない限り、気ままに自由行動を楽しもうと話していたところだ。

 森と街の暮らしの違いはあるけれど、我々はひとなのだとリピアは言う。壁はあるが、意識は近い場所にある。ではさて、旅路の三人はひととしてどの程度理解を深めてこられたか。そして今は怪しげな男とどのように分かり合うか。

 共有する語句は精霊。精霊とは、街のひとが忘れつつある存在。リピアに見え、シェミネは森を通して僅かに繋がっていて、スイには見えない。街の人が忘れても、精霊はそこにいる。ただ見えないことは少しさみしい。街を住処と決めた精霊は、たまに振り向いてくれる者を待っている。


「私は岩間のひと。岩壁の隙間から視線を感じることがあるだろう。岩に耳あり。石に目あり。私はきみたちをいつも見ている」

「うそでしょう……?」

「嘘でしょう」

 シェミネが衝撃に身を震わせながら小声で言うのにかぶせて、リピアが低く切り払う。

「うそです。我々は地に根付き動かぬことを選んだ種。情報には消極的だ。橋の街より下った場所にある集落にひっそりと暮らしているよ」

 街の人は、ひとの輪を追われて孤立している。魔法を失った代わりに金属を用い力とするようになった。その金属は、場所によっては岩間のひとの領域とかぶる場所で採掘される。争わず力添えもしないが、交渉、取り引きは行われる。物を通じて、街の人も多少は受け入れられている。

「若い三人は、街の人と、森のひとのご一行だろうか?」

「その通りです。はじめまして」

「広場の精霊はここらの緑に力を与える存在。我々も僅かな緑を健やかに生かしたいと、たまに精霊の様子を見に行くのだが、今日は何故か草木がご機嫌で。さてはと思い来てみれば、珍しい森の香りがしたものだから、つい声をかけてしまった。驚かせてすまないね」

 岩間のひと、彼らはどちらかと言えば無口な種であり、集落からほとんど動かず過ごす。目の前の者からは、岩のごとき人々を想像出来ない。精霊が異種間の交流を育んだか。流れ者たちの、おかしな出会い。


2.隙間のトンネル

 集落を見学して行くかい。人懐こい岩間のひとが三人を誘う。我々が入り込むことを集落の人々は嫌わないか、スイが聞く。

「美しいと思うよ。鉱石が取れるんだ。それから街の人の出入りは、他の集落と比べると多い。鉱石のやり取りがあるんだ」

「ねえ、スイ。見てみたいな」

「リピアの好奇心に我々の運命を委ねよう」

 お願いしますと返すと、男は颯爽と歩きだす。岩の街道には、そこかしこに暗い口が空いていた。街の吊り橋から下を覗いても谷底は見えなかった。どれほど深いのだろう。谷底に通じるのだろうか、この岩と岩の隙間。入って行こうとは思えない闇を一つ選んで、岩間のひとは半身を滑り込ませた。闇の向こうから手招きする。石に惑うことなく彼に着いて行かなくては。


 地中へと招かれていく。足音と、水の落ちる音が不規則に重なる。連なりぞろぞろポタポタと、多足の生物になったよう。音の反響と動かない空気。トンネルを振り返りもせず歩く。入り口は既に見えない。

「私はおそらく君の生まれた街を知っているよ。砂と黄色い風吹く、鍛治の街の人だろう」

 口数の多い頭が尾に話しかけた。即ち案内人からスイ。

「今や街の名前も忘れてしまったけれど、おそらく今、あなたと俺は同じ風景を思い起こしているでしょう。ご存知なのですね。街の鉄はきっとあなた方から譲り受けた物なのでしょう。それにしても、俺は街を離れて久しい。それでも分かってしまうものですか?」

「君は鉄や鋼と仲が良さそうだからね。あの街の近くにも、岩間の集落があるんだよ。忙しかった頃があってね、何度か赴いたよ。しかし、そうだね、今の君は街の人ではなく旅路にあるのだから、君の街の様子を聞くことは出来ないよね」

 暗闇のトンネルに風を見つけようとするかのように、スイは匂いを確かめた。土は繋がっている。鍛えた鉄の中に、この土から出たものもあったかもしれない。生まれの街の匂いを思い出そうとする。暗闇にしみ入る湿気った匂いがする。乾いた砂の匂いは見付からなかった。忘れてしまったのだろうか。思い出そうと試みる。

「作物の育ちにくい不毛な山地で、代わりに岩の恩恵は受け、鍛治を頼りに生活する、比較的大きな街でした。それゆえに今は無いかもしれない。あったとして、行けるかどうか。出ることは簡単だったのにな」

「スイ、行けるかどうか、確かめよう」

「ああ、行ってみるよ」

「スイ! 私たちも行くよ!」

「そうなのか。ありがとう。今はここが帰る場所だけれどもね。この旅路が」

 リピアはものを作る人々の暮らしを想像する。街は森のようだ。旅装に最低限の荷物を背負う旅路も良いものだが、街の暮らしも楽しいのだろう。買い物籠を腕から下げてみたり、様々な道具を腰に下げたり、とりどりの商品の色に溺れたり。スイもシェミネもそのようにして暮らしていて、旅路にあっても街のかおりを引いている。

 旅路へと帰る身だとスイが言うので、シェミネは微笑んで、共に過ごせることを感謝した。

「スイがいなければ、私は自分の庭をぐるぐる歩き回っているだけだった」

「ここは誰の庭なのかな」

「誰かの通った道なのね」

「シェミネが庭を歩き回らなければ、俺はテラスで優雅にお茶を啜って見ているだけだったさ」

 テラスから庭へ、庭から野へ、野から森へ。この旅路は長い散歩だとシェミネは言う。気ままに歩き、帰る場所とはどこか。

「認識の外に出ることは、他のものの力が必要なんだ。森のひとも、認識を自ら広げることは出来ない。きみたちを追うから、私はこれほど遠くまで来られる。渡り鳥なのか、鳥に運ばれる種なのか。……おっと、なんだ、やや」

 リピアが踊り、言葉を切った。後退し、シェミネに抱きとめられる。ごめん、言いながら足元を見ると、キラリと一瞬光るものが。大きな宝石だ。持って帰ろうか。いいや、それは動き回る。

「虫なのか」

 宝石は地を這いまた闇に消えた。スイが光を手にしながらそちらを見る。

「硬く冷たくそわそわしたものが纏わりついたのさ、驚かせてごめんよ」

 リピアが詫びる。怪我は無いかなと岩間のひとが尋ね、害のないものだと教えてくれる。

「あれは鉱石虫。石なのか虫なのか分からないんだけれど。認識の外の生物なのかな。鉱石虫はひとをも身の内に招き、空のまた向こうを目指し、高空を彷徨うというお話があるよ」

「空の向こうへは行けないのですか」

「石であり虫でありひとである。何かは出来るかもね。認識の外の生物は、誰の認識を受けるんだろう」

「空かな」

 岩間にて、空を想う。


 ひとやものの繋がりが道になる。旅するものは誰かに呼ばれ、西へ東へ、見知らぬ世界へ。輪の中を廻り続けるひとの道から外れた街の人は、誰を求めて飛び出したのか。しずしずと廻るひとたちは、何を知っているのか。鋼や鉄と共にひとの間を行く彼、岩間のひとは、疑問に触れる。

「街の人は作り出すことを選んだ。何かをするために。環の中の我々が、木に岩に溶け込むことを選んだのは、日々の穏やかな眠りのため。環の外の街の人は、何をしようとしているのか。眠れない理由でもあるのかな? 環から外れた今の君たちを、我々はよく知らない。そこに壁がある。私は興味がある。だから私はひとの間を伝い歩き続けるよ。それから君たちは、とても面白い」

 長い長いトンネル。気の長いお喋り。


3.案内人の言うとおり

 そこには深い闇が広がっており、ときおりチラチラと瞬く光は星のようで、岩間のひとの集落からならば、空の向こうを想う鉱石虫も育つのだろう。

「ようこそ、ここが我々の集落だよ」

 灯りの下、岩間のひとが作業をしているのが見える。集落の規模に対して灯りは弱く少ない。岩間のひとはあまり動かない。作業をする者の他は、瞑想するように過ごす。集落は静かだが、気で満ちており淋しくはない。

 上よりも下に深いようで、鉱石虫の星空は眼下に眺める形になる。夜空に潜っていく。円くくり抜かれた空間であり、壁に沿って回廊があり、細かいトンネルや、小さな上下階段、小部屋といった構成。壁に掘られた階段や、下りのトンネル、誰かに挨拶をして、作業場などを通り過ぎ、またトンネル、階段を上った先は壁沿いの回廊なのだが。はて先程立った場所と同じであったか。暗闇と、それから円というものは感覚を狂わせる。慣れれば快適なのだ、と案内人は笑った。


「どうだい、少し散策してみては」

 集落の長への挨拶が終わってから、好きに歩いてみると良いとの案内人の提案。いつだって旅路は知らない道を行くものだ。ここが集落ならば迷って飢えることも無い。次の街に着いたら自由に行動しようと決めた三人は顔を見合わせる。好奇心は顔を出さない。修行僧のような岩間のひとの生活空間と、空に似た無限の闇の質量と、僅かな生活の灯りが星のように瞬く、ここは神秘の空間。間違いなく異文化。答えがまとまり、リピアが意思表示する。

「岩間のひとと森のひとは、住む場所違えど土と根で関わり合っている。隣人である。木がもっと深い場所に根を伸ばすわけにはいかないけれどもね。構造はそう、東西南北が分かるくらい。いや、分からないか。案内はもちろん、あると嬉しいな」

 なにしろ来た道さえ曖昧で、彼から離れると後から合流するのは難しい。何日か彷徨えば道も覚えるだろうし、急ぐ旅ではないが、それにしてもだ。案内人は、住み着いても構わないと茶化す。

「迷宮のようだろう? 私たちにとっては見知った道なのだけれど」

「本当に。通るたびに姿が変わる」

「岩は動かず変わらず静かなものだけれど、そういえばそんな場所があるよね。街の人の作った都市だよ。街が生きているんだ。王都だよ」

「なんと、奇怪な」

 リピアが声を上げる。岩間のひとは、スイを見ながら続ける。

「我々ひとの住処を知ったら、今度は自分自身を知るといい」

 引き続きご案内致しましょう、恭しく頭を垂れ、歩き出す。


4.彗星の通り道

 集落やその周辺では鉱石が採れる。手作業でトンネルを掘り進めるのは大変な労力だが、彼らはそれで生活しているわけではない。鉱石の声を聴いた者が、ただ呼ばれて岩を削る。掘られた鉱石は彼らの生活に組み込まれたり、街のひとの求めに応じて外に出したりする。鉱石が動くのは好かないから、外に出すことは少ない。やり取りは気紛れに行われる。案内人なども気分次第の仲介のようだが、不思議と取引先が集まる。

 縦横に掘られていったトンネル、小部屋、階段を見、顔を出した鉱石やそれらが蓄えられた部屋もちらりと見た。いずれ下層にも中央の空間のような広間が出来るのではないか、集落は地下深くまで広がっていくのかと聞くと、いいやそこはある程度というものさ、と答えた。

「木の根の届かない場所に住んではいるが、岩の入り込めぬ場所もあるのさ、それに広くし過ぎたって寂しいだろう、お隣さんが見えなくなってさ」

 中央の空間も、彼らの手によるものではないそうだ。岩に溶け、闇に拡散し、しかし孤独ではなく生きる彼らの中を歩く。湧き水の部屋や、光り苔の空間にしばし身を置き、闇と光がちょうどよく目に入るようになってくる。湿った空気に身体が馴染んでくる。階段の途中、足元や頭上で鋭く反射する鉱石虫の光にも慣れた頃である。

「もしここで私がふと消えてしまったら、君たち外に出られるだろうか。出られるだろうな。君たちだから。森のひともいる。そう、迷ってしまう人もいるんだ。君たちでも迷うかな? 迷うとどうなるだろう。外に出たときに、見える景色が変わるかな? 同じ景色の違う場所に出るだろうか」

 鉱石に惑わされないようにね。いたずらっぽく言った彼は、階段の先の闇のと同化した。おかしい、目は慣れてきたはずなのだが。

「そこにいるのですか」

「いるよ、階段を上っておいで」

 スイが先頭に立ち、シェミネの手を引き上っていく。お互いの顔が見えず、手元の光も威勢がない。闇の濃さは生暖かさを伴い、喉が詰まる。まるで火の前にいるような。

「君は金属を鍛えるとき、魂をすこしだけ注ぐだろう。大丈夫、魂が導くよ。街の人である君は、そうして旅をするんだね」

 金属には導かれている気がしない。スイがもごもごと言う。それは大きな力を持ち、火の中で怒鳴り合うように槌を振るい会話する。腰のあたりで大人しくしている剣や、どこかで血を吸った剣が何かを見出すとでも言うのか。

「君は鉄や鋼と仲が良いからね。ところで最近、金属の流れが一箇所に集まっている。そんな声も、聞こえているのではないかね」

 岩間のひとが、そこでぴたりと口を閉じた。温度が消えた。

「……スイはいつも道を照らしてくれるわ」

 ここまでだったのだろう。案内人は呼びかけに応じない。光源に顔を寄せ合い存在を確かめて、三人は歩き始めた。お喋りな彼がいないので、なんだか静かだ。

「その道はシェミネの中にあるんだ。俺が出来ることは照らすこと。点から線になれば空間が広がることと同じ」

 スイが先頭に立ち、体はロープで結び迷子防止。シェミネがリピアの手を引き、空色の外套を追う。

「私は自ら先に進めないけれど、二人について行くことで進めるようになるんだ。二人は私の空間を開いていく」

 幾つか分かれ道があった気もするが、なにしろ見えない。岩の隙間から広がった空間は、天体のごとく旅人を引き寄せ泳がせ、ほいと軌道から放り投げる。竜宮の亀ならば律儀に浜に返してくれるのに。しかし玉手箱を持たされるようでは困る。自力で元いた場所に戻るのだ。

「同じ星の上で、誰かの描いた軌道に乗りましょう」

 彗星が白く燃えた。光の尾を掴み、速さに乗って。

「シェミネ、俺はきみの中に終わりがあると思っているんだ」

 外の光に高揚し、スイはぽつりとそう言った。

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