明日、行こう②
バースデー前日、金曜日。翌朝。
一週間最後の出勤の支度をする。今日は仕事帰りに彼が迎えに来てくれて、そのままおでかけだからと、琴子はちょっとお洒落をした支度を済ませる。
今日は彼が事務所まで送ってくれ、仕事が終わったら迎えに来てくれる約束。そのまま彼の車で、ドライブ。一晩早いお誕生日ディナーかな? 琴子もつい嬉しくて頬を緩めてしまう。
「英児さん。そろそろ……」
『おう』
洗面所から声が聞こえたのでのぞきに行くと、いつものティシャツにデニムパンツ姿の彼が歯を磨いて口をすすぎ終わったところ。
「支度できたか。じゃあ行くか」
そんな夫に琴子は聞いてみる。
「私……。今夜もゼットがいいな」
彼の運転で銀色の車で遠くに連れて行ってもらう。それが琴子のお気に入り。恋の始まりを思い出させてくれるから。
だけど英児は『そうだな』と笑っただけ。いつもと様子が違うように感じた。
そんな英児が、半袖の下、逞しい二の腕を少ししかめ面で気にしている。
「どうかしたの」
「い、いや。なんでもねえよ」
どこか隠すように彼が目線を反らしたので、琴子は気になって、強引にその腕を取ってそこを確かめた。
でも。琴子は『あ』と気がついてしまう。
「こ、これ……。昨夜、私、そんなに?」
猫にガリガリと引っかかれたような赤い傷がいくつも残っている。身に覚えがあり琴子は我に返る。
だけど英児も照れくさそうにして、隠してしまう。
「いいんだよ。ただ……。こんなにされるほど、俺……乱暴だったのかと思って。おまえ、途中からぐったりして。いつもより無反応だったから」
それを『俺、また自分のやりたいようにやって、琴子を無視した』と気にしている。だけど、そうじゃない。そして英児はやっぱり気がついていない。
でも、これ以上。この人をこんな顔にさせたくなくて……。
琴子はそっと、英児の背に額をくっつけて小さく囁いた。
「……たの、私」
「は、なに?」
英児がもどかしそうに肩越しから振り向くのだが、琴子の恥じ入る声はまだ聞こえないらしい。だから、琴子は今度ははっきり言う。
「英児さんがあんまりすごくて……」
気が遠くなりそうだった……の。
そこは少しだけ小さく言った。だけど英児がものすごく驚いて、琴子を正面に顔を覗き込んできた。
「え、マジで。え、これ……、俺が痛えって言ったあの時かよ」
琴子の頬は熱く、でもこっくりと頷く。すると英児がまだ染みるそのひっかき傷を手で押さえ、茫然とした顔。その目が遠く馳せていて、その時を思い返しているのだと琴子にも判った。
「うっそだろ。だっておまえ……、そんなふうに見えなかったし……」
「そうなんだけど。なんかしらないけど、昨夜……は、私もびっくりしちゃったし、でも英児さんは夢中で一生懸命だったから、もうすごくって意識が飛びそうで。だからつい……ひっかいちゃったみたいで」
「っていうか、琴子、おまえ……最近、」
めちゃくちゃ感度良くねえ? と言いたそうな英児。もう琴子は朝から恥ずかしくて、ついに英児から背を向けてしまう。
「知らない。でも……きっと英児さんのせいよ。だって。」
ツヤツヤ濡れているイチゴとか、くたくたにしてやるとか。そうして琴子の身体を熱くとろけさせることにまっしぐら。なんの躊躇いもなく、野性的に大胆に琴子の身体を開いてしまった男。
「もう英児さんじゃないと、きっとダメ」
別れることなんてないとは思うけど。もし彼がいなくなってしまったら、もうどの男も物足りないに決まっていると本気でそう思っている。
「琴子!」
背中から、彼がこれまた力いっぱい抱きついてきたので、琴子は突き飛ばされ転んでしまうかのようによろけたが、そこも逞しい英児の腕ががっしりと妻の身体を抱きとめ支えている。
「よーし、今夜も!!!」
「そんな続けてなんてムリ!!」
「やってみねえとわからないだろ」
えー。この夫が言うと本気で向かってきそう。逆にそこまで身体が保つのか心配になってしまう。
しかも今日も後ろから抱きしめる英児は、いつまでも離してくれない。もう遅刻しそうでハラハラしても、琴子も幸せに浸ってしまう。
無事に出勤、到着。英児が三好堂印刷まで、スカイラインで送り届けてくれる。
「じゃあな。いつものカフェで待ち合わせな。俺も遅くなるようだったら連絡するから待ってろよ」
「うん。ゼットに乗ってきてね」
念を押したのに、英児はにぱっと笑うだけ……。『おう、乗ってくるわ』といつものハキハキとした返事をしてくれないまま、龍星轟に帰ってしまった。
ちょっと琴子に小さなひっかかり。
また雨がサラサラと降ってくる。いつまでもじめじめした鬱陶しい季節。
「これじゃあ。ピカピカのゼットでおでかけは無理ね」
自分が生まれた季節を少し呪う。
それでも今日は久しぶりに……。あのロケット兄貴が『今夜限りの素敵なところ』へとまた連れ出してくれるかと思うと、夜が待ち遠しくてたまらなかった。
銀色のゼットがロケットになって、琴子が見たこともない夜の光へ、恋へ連れて行ってくれたののも、この季節だった。
今夜、彼のロケットはどこに連れて行ってくれるのだろう。
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