22.おいしい苺は食べちゃうぞ

 二階自宅の窓辺に、新しい仲間。『ワイルドストロベリー』。

 彼女の指先が愛おしそうに緑の葉を撫でながら、霧吹きで水を与えている後ろ姿。

 就寝前で白い冬用のガウンを羽織っている彼女の側に、英児も寄ってみる。

「気に入ったみたいだな」

 入籍して数日、すぐに届いた後輩からのお祝いに、琴子も嬉しそうだった。

「紗英ちゃんは、いつも気が利くの。幸運の苺なんて素敵。早く、もっといっぱい実がなって欲しい」

 遠く小舟の漁り火が揺れる夜の内海が見える窓辺。そこで妻になった彼女が鉢植えを世話する姿を、英児はじっと見つめる。

「ほんとう、かわいい実ね」

 ひとつだけ実っているイチゴを、琴子もかわいくて仕方がない様子で手放さない。琴子がそのイチゴに触れるたびに、あの匂いが英児の鼻先に届く。

「琴子……」

 まだ湿った黒髪、風呂上がりで火照っている肌。しっとり熱ぽい彼女の身体を、英児は後ろから抱きしめてしまう。

「そのイチゴ、いい匂いだな」

 そう言いながら、英児は抱きしめる琴子が羽織っているガウンの腰ひもをといてしまう。

「英児さん、」

 手早い英児にはいつも敵わないと琴子は言う。

「俺、そのイチゴの匂いをかいでから、ずっと興奮している」

 ふんわりとぬくもりに溢れている彼女の肌。

「……だめ。そんな、毎晩、興奮しているくせに。今夜だけ?」

 毎晩。その通りだった。入籍した晩から、琴子の実家だろうが、この龍星轟に帰ってこようが、夜という夜は琴子と毎晩抱き合ってしまう。

 だから、琴子も『薄着』で準備を済ませている。すぐに旦那が脱がせられるように。直ぐに素肌を重ねられるように。彼女もその気で夜を迎えてくれている。

 でも。今夜も女房を欲するが、それでも今夜は違う。

 英児の止まらない手を、手首を琴子が戒めるようにぎゅっと掴んで止める。その肘が、もらったワイルドストロベリーの緑葉にあたり、またふわっと英児の鼻に鮮烈な野生の香りが届く。

「琴子、ことこ」

 か弱い彼女が止める力なんて、龍の男には意味がない。顎の下からじっと潤んだ眼差しで見つめてくれる彼女をみつけ、そこにある小さな唇へ。

「う、ん……エイジ・・」

 小さなうめき。彼女の黒髪をかき上げると、あの匂いがする。英児がみつけた夜のあの匂い。

 似てる。やっぱり似ている。ワイルドベリーと似ている。だから、昼間、初めて知ったイチゴの匂いなのに、よく知っている匂いで、好きな匂いだから興奮した。

 そっか。俺が好きな女の子の匂いって。これだったのか。俺が愛している琴子の匂いはこれだったのか。

 まるで覚醒させられるようだった。『おまえはこの匂いを嗅ぐと、男の本能が騒いでたまらなくなる。淫らになるんだよ』。イチゴを食べに来たヘビに囁かれているようだった。

 このイチゴ、食っちまいな。一口で食うなよ。もったいないから、じっくりゆっくり味わってから。おもいっきり……

 ヘビの悪魔的な囁きに、英児は従ってしまう。

「もう、ここじゃイヤ」

「わかった」

 ひとまずお預け。女の芯、そこも英児にはおいしいご馳走のイチゴ。そこが真っ赤に熟すまでには、まだまだ。

 ――新婚、五夜。

 今夜も、龍の男は自分の巣穴に、イチゴを持ち帰る。寝床にボンとイチゴを放ると、もう味見という味見をされつくした彼女が力無く横たわるだけ。

 龍の唾液に濡れたまま、もう食べられるだけしかないイチゴは静かなまま。

「な、俺。興奮していただろ」

「うん……。どうしたの」

「だから。あのイチゴのせいだって」

「よく、わからない……」

 説明は面倒くさい。英児はそのまま琴子の唇を塞いで、今夜も彼女の足を遠慮なく大きく開く。

「やっぱり、琴子はすげえ、いい匂いだよ」

 これがずっとずっと、自分のそばにある。その約束をしたばかり。

 龍の巣穴に持ち帰られたイチゴが赤くなる。龍の唾液に身体中とろとろに溶かされて、真っ赤に熟して、いつまでも味見をされて、なかなかひと思いにしてくれないと泣いている。

 最後に、龍ががぶりと彼女にかじりついて、奥の奥まで貫いて侵す時。彼女から甘い汁がぽたぽたとこぼれていく。そして、この男にしかわからないこの女の匂いが充満する。

「ほんと、琴子は甘い。俺の中でいちばん甘いんだよ」

 ちょっと虐めすぎたのか。彼女が掠れた声で『やりすぎ』と儚い抗議をしてきたが、そっと胸元に抱きしめて黒髪を撫でると彼女からも抱きついてくる。それで許してくれるイチゴは、優しいと思う。

 こんな時の彼女はやはり野趣あふれる香りを放つ、ワイルドベリーなのかもしれない。

 これがずっと英児の腕の中。何度も、巣穴に持って帰って食べ尽くしても、また彼女は香りで誘って『食べに来て』と笑ってくれるのだろう。

 そうだよ。意地悪なヘビを誘っているのは、甘い匂いで誘うイチゴのほうだろ。女だってデビルじゃねえかよ。英児はふとそう思ってしまった。


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 それかしばらくした月半ば。雅彦がついに『ドラゴンとワイルドベリー』をモチーフにしたデザインサンプルを持ってきた。

「いかがですか。数パターン、揃えてみたんですけど」

 また事務所応接テーブルに広げられた原稿を見て、英児は絶句し、そのうちのひとつを迷わず手にしていた。

「あ、そういうの。好きそうですよね。なんかそんなイメージありそうだなあって」

 雅彦も自分で納得のデザインなのか、英児が一発で手にしたので嬉しそうだった。

 だが英児はまたビリビリッと震えていた。

 そのステッカー。ドラゴンがワイルドベリーをかじっているイラストだったのだ。コケティッシュでコミカル、色遣いも女性が好みそうなパープルピンクがベース。龍は真っ黒、苺は真っ赤。緑の葉がアクセント。そしてかじられてしまった苺を離さない龍の尾の先が、苺の尖りにちょろっと巻き付いていたりして。

 これって。この前の俺じゃん、食べられていた琴子じゃん。そう思った。

 英児は思わず、雅彦を睨んでしまう。元カレのくせに、前カノが新しい男に食べられて侵されて束縛されているイメージを平気で描けたのか――と。

「あ、の……。もしかして、それ。嫌でしたか」

 この男。もう琴子のことをなんとも思っていないんだ。だから、こんなに突き抜けた。

 そして英児のことも、男としてよく見ている。そう思った。だから。

「参りました」

 何故かガラステーブルに手をついて、雅彦に頭を下げていた。

「え、あの」

「これドンピシャです」

 この男はデキるデザイナー。それ以外はもう、なにもない。きっちり英児の要望に応えてくれた。

 かわいい私を食べてね。男も甘い子は食べちゃうぞ。

 車屋に来る可愛い女の子、車屋に集まるカッコイイ野郎共。ここはそんな店。それが雅彦のイメージ。

「有り難う、本多君」

「いえ。気に入って頂けて嬉しいです」

 男同士、手を握り合った。

 龍星轟の奥さんのシンボルは、ワイルドベリー。それが街中に飛び出していくのも、もうすぐ。


 

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