8.プリティドラゴン
そんな女子会も無事に終わり、その日の夜、琴子は一人できちんと無事に帰ってきた。
女友達にどのように婚約者となった英児のことを報告したのか、または友人達の反応などを、嬉しそうに教えてくれた。
そして二人で結婚式の準備をするため、プランナーとの話し合いも開始した頃――。
「おう、タキ。今日のご新規さんなんだけどよ」
外回りから帰ってくると、留守を任せている矢野専務が報告をしてくれる。
留守の間の来客に、連絡、などなど。その専務が新しい顧客シートを社長デスクに落ち着いた英児に差し出してくれる。
「あれ。また女性の新規が来たのか」
「そうなんだよ。若いOLさんだな」
近頃、根っから車好きの男ばかりが集まるこの店に女性客が増えた。女性だけではなく、ちょっと違う層の男性客も。最初は不思議に思っていたが、徐々にその訳も判明。そして今回も――。
「今回も同じだ。この彼女と話していたら、三好デザイン事務所の取引先の社員さんだってよ。どうして店に来たのか知ったのかと尋ねたら、やっぱり琴子が取引先に英児のゼットに乗って訪問してきたのを見たのがキッカケだって言うんだよ」
「またか」
「ちっと今までと違う客層だなと思ったら、琴子か三好ジュニア経由だもんな。俺達が走らない、行かない、訪ねない。今まで開拓しなかったところから来ているのはそういうことだが、おまえの車を走らせることも、あのステッカーも、まだまだ宣伝効果があるんだと改めて実感するな。琴子が店長の車で今まで店長が走らなかったところを走らせる、取引先に乗っていく。または愛蔵のセリカ乗車を復活させた三好ジュニアも、龍星轟ステッカーを貼った車であちこち取引先へ乗り回してくれているのもあるんだろうな。このご新規の女の子も琴子が乗り始めた『滝田ゼット』を見る前から、街中のスポーツカーに貼られている龍のステッカーはよく目について気になった――と言っていたしよ」
それで、この新規の若い女性は車検を依頼することになったらしい。本当に龍星轟にとっては、新しい客層。ここで出来れば今までにない客層を捕まえておきたいところ。
「この子も言っていたぜ。『あの静かな琴子さんが、かっこよくフェアレディZに乗ってきたもんだから、すごく刺激されちゃった』ってさ。車検のついでに、ちょっとでもお洒落な車にするにはどうすればいいかって相談も持ちかけられて、とりあえずイメージを作ってきてくださいと女性車用アクセのパンフレットを渡しておいたからよ。若い者同士、次回はおまえが相談にのってやれよ」
「うん、わかった」
矢野じいから顧客担当としての引き継ぎも終了。すると矢野じいが目の前で『むふふ』となんだか得意げに顎をさすり、ご満悦の顔のままそこにいる。
「なんだよ。じじい。気持ち悪いな」
いつもの口悪に、途端に矢野じいが『あんだと?』と眉をつり上げたのだが、またすぐに頬を緩めた。
「だってよ。まさかこうして若い姉ちゃんが客に来るなんて、今までなかったからよ。嬉しいじゃねーか。女の子でも『ちょっとでも素敵な車にしたい』と相談に来てくれることが」
どんな客でも車を可愛がってくれるその気持ちに出会うと、この親父は嬉しくなってしまうらしい。矢野じいのこんなところ、『本当の車好きの愛て、でけえな』と英児は尊敬してしまう。『車を格好良くさせる男共のこだわりばかりが車好きではない。お気に入りの車と長く気分良くつきあえるお手伝い。それこそ車屋の使命だ』というスタンスを見せつけられると、英児はこの親父が師匠でよかったといつも思っている。
「これって琴子が運んできくれた客層だぞ。感謝しろよ、英児」
「うん、わかってるよ。冗談抜きで俺もそう思う」
「まあ、でも。英児、おまえも思いきったからだな。まさか琴子が運転をするとは思わなかったけどよ、英児自身もいきなり琴子に大事にしている車の運転を許したからな。あれで琴子が普通の女性専用車に乗っていたら、ここまで新規開拓にはなっていなかっただろうしな」
確かに。大好きな彼女が『フェアレディZ』をとても気に入ってくれたから、プレゼントした。『いつか運転できればいいな』と思っていたのに、プレゼントしたその日その時に運転されたのは本当に度肝を抜かれたことを思い出す。しかし、それが今になって英児の仕事へよい影響を与えてくれることになるなんて、まったく予想していなかった。嬉しい予想外である。
「それから三好ジュニアにも。機会があったらそれとなく礼を言っておけよ。先日やってきた中年の男性客も三好ジュニアと一緒で『ファミリーカーに変えてしまったけれど、昔はマツダのRX-7に乗っていたのを思い出した。今の車でもちょっとでも三好さんみたいに格好良く出来るかな』――と持ってきたしな。走ることを趣味にまでしていない、実用で走らせている客層の『ちょこっとでもなにかしてみたい』というリクエストもあるんだなあと知った気分だ」
英児も矢野専務同様に感じているところだった。今までは本当に根っから車好きのヘビーユーザーだけが集う男臭い店だった。オーダーもヘビーで、まあ、車好きの龍星轟メンバーからすれば『ヘビーなオーダー』ほど燃えるわけだが、経営的にはそれだけでは立ちゆかず。英児があちこちの経営者の集いなどに顔を出して、そこでパイプを作って小さな仕事を獲ってくる。という繰り返しだった。新規開拓はずっと課題ではあったが、まさか『嫁さんをもらう』ことになって、その嫁さんが引っ張ってきてくれただなんて――本当に予想外。
だが、そこで矢野じいがちょっとだけため息をついて、腕を組み俯いた。
「ただよ。ちこっと気になっているのが。その女の子達が『リピーター』になってくれるかどうかということだ」
「だよなー。琴子を見て『私も』と思って来てくれるのも、一度だけの物珍しさってところはあるかもな」
「それだけじゃねえよ。俺が気になっているのはよ……」
そこで親父が長袖になった龍星轟ジャケットの袖を指さした。そこには龍星轟トレードマークのワッペンが。
「女の子は、こんなハードなデザインのステッカーは貼ってくれねえってこと。少し前に来てくれた女性も『ステッカーはいらない』ともらわずに帰っていったもんなあ」
この店で整備やチューニングをしてくれたら車を返す時にステッカーを手渡す。しかし矢野じいが言うように、女の子が車に貼るには確かにハードなデザインではある。
「店のイメージはこのハードな龍星轟だと固執すると、新しい客層をこちらから追い出してしまうことになるんじゃないかと懸念している」
「しかしよ。そこは『貼る、貼らない』の自由があるわけだし――」
だが矢野じいが食ってかかってくる。
「バカ野郎。ステッカーが宣伝になる効果を実感しているだろ。興味がなかった女の子でも、町中でよく見かけると記憶してくれているほどだぞ。うちで手入れした車は全部貼って欲しいぐらいの意気込みをみせろや!」
師匠に怒鳴りとばされ、流石に英児はたじろいだ。しかし、である。
「今までこの店の名を広めてくれた車好きの男達のトレードマークでもあるしよ。変えることなんてできねえし、スタンスも変えるんじゃなくて、そこは絶対に残しておきたいだろ。車好きの男が支えてくれた店だぞ」
「俺だって理想はそうしたいに決まっているだろが。それだけでは立ちゆかないから、経営者のおまえにどうにかしようぜと言っているだけだ」
「……それは、俺もわかってるよ」
『理想だけ』なら矢野じいも同じだろう。このトレードマークの龍を貼りたいから来てくれる男達、そこまで広めてくれた古参の顧客達の気持ちも無視は出来ない。しかし店は維持して行かねばならない。さて、どうするか。いまそこにいる。
「難しいな。男達の気持ちを尊重させつつ、新規の女の子達の心も掴みたいとなるとな」
ため息をついた矢野じいだが、急にふっと何かがひらめいたのか、ぱっと明るい顔に。
「おおう、そうだ。こんな時のかわいい奥さんがいるじゃねえかよ」
『かわいい奥さん?』と英児は一瞬、矢野じいの美人な奥さん『麗子さん』を思い浮かべてしまい首をかしげる。
「麗子さんに聞いてどーすんだよ」
するとスパンと頭を叩かれた。
「いってーな。なんだよっ」
「うちのカミさんじゃねーよ。おまえのかわいい奥さんに決まってるだろが! まあ、まだかわいい彼女かもしれないがな」
「……あーっ、なるほど!」
いまどきの女の子のことは『かわいい奥さん』になる琴子に聞けということだと、英児もやっと理解した。
―◆・◆・◆・◆・◆―
その晩、親父との話し合ったことを、夕食後の珈琲を共に味わう琴子にも話してみると――。
「女の子にも貼って欲しいけれど、龍星轟のイメージは崩したくないステッカーを作りたいってことなの?」
「矢野じいとも話したけど、ステッカーでなければ、たとえば……ストラップとか、なにか女の子が使いやすいノベルティだとか。とにかく目について『それどこの』と聞かれるようなもの」
「ノベルティて、予算はどれぐらいかかるものなの? 英児さんが私に新しい合い鍵を作ってくれた時につけてくれた龍星轟のキーホルダーはどれぐらいしたの?」
だがそこで英児は唸ってしまう。
「あれは。今思えば、格好つけた企画で終わったという苦い経験だけが残った。けどモノはいいもん作ったんで、希少もんではあるんだけどな」
「つまりお金はかけたけど、続けられなかったということなのね」
「うん、金はかけたなー。他にも、ありきたりな小物にネームを入れるだけとか、すげえ安い小物を数揃えて配るとかいう選択もあったんだけどな。それはやりたくなかったんだよ」
こだわったノベルティを予算をかけて作ったが、効果があったのかどうかもわからないまま終わった。しかし手に入れた顧客の中には愛用してくれる者もいるにはいる。英児自身も記念にと大切に保管していたのだが、琴子用の合い鍵につけてあげたりしたこだわりの一品ではあった。
「確かにあのキーホルダーは『龍星轟』らしいわね。私もお気に入り。だけどあれを多数の顧客には無理ね……。しかも使ってくれないままお部屋の引き出しにという可能性も大きそう。宣伝になるかどうか」
彼女との話し合いの結果、二人の意見は一致。『やはりステッカーが手軽で気軽』ということに。
「今の龍星轟のデザインは、どこでやってもらったの」
「これぞ、と気に入ったデザイナーが東京にいたんで、頭を下げてこれだけはと金をかけて作ってもらったんだよ。だからすげえ納得で愛着湧くもんが出来たんだよな」
「本当に、英児さんのお店へのこだわりなのね。そのデザイナーさんにもう一度、龍星轟にも合う女の子用の『かわいいドラゴン』を依頼できないの?」
英児はすぐさま首を振る。
「いや。店を開く準備ということで俺もすごいこだわったんだ。マジでこれでもかってくらい金かけたんだよ。それに頼み込むのにすげえ時間かかった。頭を下げるのはもう一度出来るけど、あの予算はいまは組めないな」
「それほど……? でもなんだかわかる。確かに龍星轟のデザインて、このあたりの地方では垢抜けているていうのかな……」
デザイン事務所にいるだけあって、やはり琴子にもそう見えるらしい。
しかし。デザイン、デザイン――と話している内に、英児はやっと気がついた。
「あのさ。こういう依頼って。三好さんのところでもやってくれるのかな」
『え!』と琴子が驚いた。
「龍星轟のステッカー制作を、うちの事務所に依頼してくれるってこと?」
「ああ。どちらにせよ、どこかのデザイン事務所を探さなくちゃいけないわけだし。ひとまず見積もりだけでも出してもらうかな。そうだ。そうしよう。ジュニアさんの事務所がダメでも、この依頼に合いそうな他の事務所を紹介してもらいたいな」
「本当に女の子用のステッカーを作る気なの」
英児の素早い決断と提案に、琴子は呆気にとられている。
だが英児は、目の前にいる『かわいい奥さん』になる予定の彼女を見て、ますます気持ちを強めた。
「作るぞ。琴子のような女の子が乗る車にも貼れる龍星轟らしいステッカーをな」
これも結婚記念だ――。彼女のものになるゼットに似合う『かわいいドラゴン』のステッカーを。琴子に一番に貼ってもらおうと決めた。
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