バレットワールド

榛川月出里

プロローグ



 乾燥した台地が時速二百キロ以上のスピードで近づいてくる。唸る風切り音の中、俺は二件並んだ家のうち、赤い屋根の家の近くに着地することに決めた。一番近い他の家もかなり遠いので、他の奴も降りてこないだろう。もう少し建物が欲しい気もするが、車も停まっているので問題ない。

 降りる場所をせっせと決められた俺は何百回目かの風景を楽しむことにした。道路の横に露出している土はいかにも水不足そうなハシバミ色をしている。興隆の多い地帯だが、アスファルトはところどころひび割れながらもあちこちを広めの道幅で繋ぎ、傍には標識が所々に立てられている。アスファルトのない部分には低めの雑草たちが所々に生い茂り、砂埃上げる乾いた風に揺られている。

 何度も何度も降り立ってはいるものの、十キロ×十キロの無人島を眺められるのはこの自由落下の時だけなので、高い所はあまり得意な方ではないが、この時間だけは少し心が休まる気がする。今降り立とうとしている南部は砂漠地帯だが、島の北部は緑地地帯も多く、川も流れているしのどかな田園風景…ではなく小麦畑が広がり、キャンパスを黄色に染めている。季節設定は初夏なのだろうか…。

 俺は風を防ぐために狭めていた目を大きく開き、リュックサックから垂れ下がっている紐を強く引き抜いた。リュックサックの背が開き、中から布の塊が飛び出たかと思うとボッという音とともにその翼を広げ、急降下していた俺の体は半ば上に引っ張られるように錯覚する。パラシュートが開き終わり、体がぶらんと宙に吊られると今回もまた俺はため息をついてしまった。

「何回やっても慣れないな……」

 課せられたGにそう呟きながら体重を大きく右に傾けてパラシュートの進路を変える。少し行き過ぎた所で今度は左に傾けて微調整を施して、最速かつ最短距離で目的地の赤い家を目指す。あと地上まで五十メートルほどになった所でしまったと頭を抱えた。

「またか……。やっぱりこれが一番難しいよなあ………」

 このままではどうやっても目的の家のすぐそばに降り立つことはできそうにない。せいぜいその家の三十メートルほど手前の小さな丘の下が限界だろう。

 今回はあきらめて最初は全力で走ることにした。最序盤は訳あってあまり走りたくないのだが、今回はそうも言ってられない。上を眺めるとはるか真上にまだ自由落下中の他の奴が見えてしまったので、急がなければならない。奴もきっと角度的にこの家を目指して降りてきているはずだ。

 あと二十メートル、十メートル、五メートル…。そして地上まであと三メートルほどになった所で俺はリュックサックを捨て去った。途端に俺を支えていた上向きの力は消え去り、俺は再び空中に投げ出される。真下はひび割れたアスファルトなので土よりは着地の時は痛そうだ。ただ土は土でちょうど着地した場所に小石があったりするからどっちもどっちなので最近はどっちに降りるかなど全く気にしていない。まあ草の上に降りられるならなるべく降りるようにはしているくらいだ。

 今回で二回目の自由落下はコンマ数秒ほどだった。たちまち迫ってきたアスファルトに右足が着くや否や俺はその地面を蹴って体を前に投げだして受け身をとった。くるんと綺麗に一回転を決めると、どや顔の成功のポーズはそこそこに、その勢いのまま立ち上がって目の前の坂の向こうにあるはずの目的の家を目掛けて走り出した。恐らくさっきの見立て通り三十メートルほどのはずだ。坂に隠れて見えないが間違いあるまい。

 靴を履いていれば滑って登りにくそうな砂の坂であるが、いつも最初は裸足にしていることが今回は幸いしたようだ。砂が滑る前にさっさと足を回してその急斜面を上りきると、さっきの家が見えてきた。二軒並んだ家の右が降りようと決めていた家だ。

 ふいに遠くでパパパンと乾いた音が鳴り響いた。このかすれ具合と方角だと六百メートルほど東にある隣町だろう。この時間帯だと、銃を持つ者と持たざる者の戦いだろうから、もう勝負はついているに違いない。この家を見終わったら次は車に乗ってそこに行こう、と考えている間にもひっきりなしにあちこちから銃声が鳴り響き始めた。どれも距離はかなりあるのでこの銃声達に心を乱す必要はない。

 ここでもう一度ちらりと上を見ると、さっきの上で降りてきていたやつがもうパラシュートを開いて地上のすぐそばまで迫ってきていた。目的地は俺と同じで間違いないだろう。

 やべっと焦りを口に出すと俺は急いで目前まで迫った家に向かって足を速める。家の外壁は白で塗装された木製だ。二階建てで一階からしか入れないのでまだ俺に有利がある。

 走りながら家の門にあたるであろう腰ほどまでの高さの柵に左手をついてそのまま飛び越えると、全速力のままに進む。ドアに手をついて減速するとすぐにドアノブに右手をかけてひねり、反対の手と一緒にドアを叩き開ける。この地域のドアはどれも乾燥で古びるのが早いらしく、時々これだけで腕がドアを貫通してしまうこともあるが今回は大丈夫だったらしい。

 バン、という音とともにドアが勢い良く開くと、ハリウッド映画でよく見るような内装が視界を埋め尽くす。床は板張りで一階部分は十五畳くらいのリビングがあり、弾丸の乗ったテーブルに椅子が三つしまわれている。傍にキッチンがあり、そこにはコーヒーカップの横にティースプーンがあったりと妙にリアルな生活感がある。

 そしてその奥には階段を挟んでドアが二つ。恐らく一つはユニットバスで、もう一つはこの家のもう一つの玄関だ。全くもって変な話だが、この《世界》の家は基本的に複数の玄関が備えられている。ご都合主義という奴で、住宅に出入り口が一つしかないと戦法が単純化されすぎるのだ。因みに窓から出入りすることも二階から出て飛び降りることも可能なので、一つの家でもかなりの数の出入り口が設けられていると言える。

 すぐに床に視線を巡らし、《物資》を確認する。すぐそばの床に無造作に重たい鉄の塊と小さい紙箱が二つ横たわっている。

 やわらかい曲線の少し特殊な形の鉄の塊を拾おうと身を屈めて手を伸ばした瞬間、屋上…だろうか、上からどさっという着地の音がした。さっきの上空にいたやつが地上に降り立つつもりがおそらく俺と同じく着地点を見誤って屋上に降り立ってしまったのだろう。

 やっぱりそれが一番難しいよなあと彼にある種の共感を抱きつつも、しめた、とこれから彼の待つ未来に同情した。そのまま淀みなく銃に手を伸ばす。どしっと重たい感触が腕を覆うと、続けて弾丸も拾い上げる。

 屋根に降り立つというのは、屋上のある家は別として、メリットの存在し得ない行為だ。まず、この家は二階建て。そして屋根というと三階の高さがある。屋根から住居に侵入できるドアはないため、地上に降りなければならないわけだが、三階の高さというのはダメージを受けるか受けないかの境界の高さだ。

 そしてもう一つ、タイムロスが大きすぎる。屋根に降り立って着地し、体勢を立て直して動き出し、ドアのある地上までもう一度飛び降りてまた着地して体勢を整えなければならないため、一気に地上に降り立ってすぐにドアを開けて中に入るよりもはるかに遅いのだ。

 そして彼がそうするまでに一階の武器を全て拾いきるには容易い。彼も俺の足音を把握しているに違いないので、着地したらこの家は諦めて隣の家に向かうはずだ。それを背中から叩く。

 そのイメージを脳内で再生しながら、慣れた手つきで鉄の塊に.45ACP弾を詰め込む。カチャっと奥まで装填が完了した音がすると、屋上の足音が消えた。空中に身を投げだしたのだろう。まだもう一つ武器を拾う時間はあるはずだ。掃除の行き届いてないリビングの奥にはもう一つ今手にしているサブマシンガン《Kriss Vector》よりも一回り大きいアサルトアイフルの《M16A4》が横たわっている。

 正直このベクターがあれば彼一人を殺すには十分だが、今空中にいる彼が何か血迷ってこの家に闖入し、そのM16A4を拾われたら厄介だ。この世界では拾われる前に拾っておくのが定石なのであらかじめ拾っておこう。

 そう思ってすぐそばのスタングレネードは無視してM16A4へと足を運ぶ。しかし想定の半分くらいの時間で外から着地の音が聞こえた。階段がもう一段あると思ったらもう登り終わっていて躓いてしまう感覚と似ている。そのイレギュラーな事態に俺の頭は一瞬フリーズした。

 刹那の思考停止の後、脳が再起動し、処理が追い付く。瞬時に先刻の判断の不完全さを悟り、余裕を持っていた動作に焦りがにじみ出る。

 ここまで致命的なことをどうして忘れていたのだろう。このタイプの家には、二階にわずかな大きさだがベランダがあるのだ。今の音はそこに彼が降り立った音だったのだ。そしてそのベランダには当然内部に侵入するドアが設置されている。ガチャリとドアの開く音がした。

 予定変更。武器を拾われる前にこのベクター一丁で最速で殺す。スイッチをひねり、バーストからフルオートへと射撃モードを変更する。至近距離でその真価を発揮する自動連射モードだ。

 移動するベクトルをM16A4から階段へと変更し、スピードを上げる。この世界では足音は誇張されているもののひとつであるため、俺の足音と二階にいる彼の足音が交錯し、方角が分かりづらくなるが階段を上がって右の開けた空間にいるはずだ。

 右側にある階段に察しかかったところで、スピードを緩めないまま右手で手すりを掴み、体を方向転換させる。この動きも足音で気づかれている。ふいに、何かを拾う音がする。

「くそっ!」

 焦りに思わず声を漏らしてしまう。階段を一段飛ばしで駆け上がりながらベクターの引き金に指をかける。安全装置は設計されていないので指を引けば即発砲可能だ。足跡で分かった、階段を上がって右にいる敵の方へ銃口を向ける。

 上半身だけは登り切って右へ体をねじり、ベクターを目の高さに構える。しかしうかつだった。彼はもう装填も完了させて壁から半身だけを出してこちらに銃口を向けていた。刹那、視線が交差する。

 俺がトリガーを引くよりも早く、およそ五メートル先で待ち構えていたノズルが発光し、鼓膜が揺られた。俺の銃声ではない。彼の銃声だ。すぐ反応することは能わず、俺の左頬を散弾の端っこがえぐり取っていった。

 幸い、狙いがずれて直撃は免れたが、それでも再生されるあまりもの痛みに俺は顔をゆがめた。頬が燃えるように熱い。視界がわずかに朱に染まった。しかし自分もコンマ数秒遅れで引き金を引く。トリガーに引かれたシアーがハンマーをリリースし、弾丸が回転を帯びて発射される。同時にボルトがはじかれ、ベクターに特有の構造により、普通は後方に移動するそれが内部で下方向へと移動する。これによって発砲による反動をかなり抑えられている。クリススーパーVという仕組みらしい。拡張マガジンも拾わなければ装填数がたったの十三発しかないのが玉に傷だが、この低反動が非常に優秀で、序盤は重宝している。

 一発の空砲ののち、すぐに初弾が装填され、下へとスライドしていたボルトが戻ってきた瞬間に発射される。その間わずか二十分の一秒。数回の反動があった所で、引き金から指を離す。そろそろ連射速度の遅い相手のショットガンの次弾が飛んでくるだろうため、放たれた銃弾を顧みずに迎撃態勢を解除し、階段を全部登りきり、目前の部屋に飛び込む。途中で敵の呻き声が聞こえたので、どうやら数発は彼に命中したようだと少しばかり安堵する。

 しかし足まで全て死角に入り込む直前に、もう一度銃声が鳴り響く。射線に唯一晒されていた右足に着弾したようだ。宙に浮いたままの下半身がその衝撃で左に振られる。

「ぐっ……」

二回目の着弾で苦痛の声を漏らしてしまう。しかしそんな痛みに構っている暇はない。ただの《瞬間的》なものなのだから。

 地面に転がりつつも次への動きは滑らかに行えた。部屋に体を隠しきったがすぐにもう一度ベクターで反撃する姿勢をとる。撃つ間隔で確信したが相手の銃は《ウィンチェスターM1897》だ。非常に強力な散弾を五発もリロードなしで放てるが、その分連射が遅く、《冷却時間》が〇・七五秒も課せられる。次の銃弾が飛んでくるまであと〇・五秒もある。先程の被弾の感覚の残る右足に鞭打ってドアから銃口と顔を僅かばかり晒し、視界にまだ焼き付いている五メートルほど先の敵の位置に向かってベクターを腰の高さから五発ほど打ち込む。

 転がるような銃声とともに撃ち込まれたベクターの弾丸はすべて空を切った。そこには敵はいなかった、いや視認できなかったのだ。一発撃ったら壁に身を隠し、そして次弾が撃てるようになればもう一度壁から体を出して撃つという戦法だろう。つまりあとコンマ三秒ほどで次の弾が飛んでくる。かちゃり、と敵の銃のポンプアクションの音がする。

 もちろん、その際には相手も体を射線にさらさなければならないため、そこを狙って自分のベクターを相手の頭に撃ち込むことは可能だ。そして俺ならその子細な狙いも難しくない。

 だがそれには当然自分の体も射線に晒すわけで、被弾のリスクもある。先ほどの二発のダメージのせいで、もし相手が相当の腕前の持ち主で、次の攻撃をしっかりと当ててきたら、自分も致命傷を免れない。相打ち覚悟で攻撃すれば、ギリギリのところで自分に分があるはずだが、問題は相手が散弾銃なのだ。一思いに殺してくれるフルオート銃ならともかく、束になって同時にかかってくる鉄塊の群れはあまりもの苦痛だ。どういうわけか痛覚は正常に作動してしまっているのだから。

敵にもう一発撃たせて冷却時間を課すため、ドアから乗り出した上半身はまだ隠さない。そして向こう側の壁からわずかに銃口が顔を出したところで、急いで上半身をドアより内側にしまう。

 それにうまく誘われてくれて、たちまちに同じ銃声が鳴り響き、こちらへと散弾が向かってくる。鈍い音とともに、それは全てドア横の壁へと吸い込まれる。壁を貫通したりはしないので安全だ。

 加速する脈拍を抑えようとしながらも、頭は冷静だった。奴のショットガンは装填数残り二発。対して俺のベクターは残り五発ほどか。当然リロードしている暇はない。十分の一秒ほどで使い切ってしまう量だが、既に削った彼のHPを全損させるには十分だ。時間的に回復アイテムを隠し持っているはずはないし、先ほど視認して確認したがまだ防弾チョッキもヘルメットも装備していない。頭か胴体にすべてを撃ち込めば俺の勝ちだ。そして俺なら外すことはない。

 しかし自分が傷を負う確率を最小限にするのが最優先だ。今までもそうしてきた。いつになく冴えている頭が狡猾な作戦を思いつかせた。

 かがんで壁に身を預けていた俺は思い立って立ち上がった。どたどたとあえて大きく足音を立てて部屋の奥へと走る。目的地はこの薄汚い部屋に唯一の明かりを提供している、あの窓だ。いや、窓ガラスだ。

 そのまま俺はベクターのグリップで窓ガラスを叩き割った。パリンと甲高い音が鳴り響くと窓ガラスは消滅し、出入り自由となる。割れた破片が飛び散らずに全て消え去るのはテクスチャの負担軽減のためだ。

 そして間髪入れずに窓際に落ちていた医療バッグを外に放り投げた。すぐに地面にどさっと落ちる音がする。

 そしてこちらへともう一つ、足音が迫ってくる。よし、作戦通りと口角を少し上げると、窓のすぐそば、つまり部屋のドアから一番遠い場所であおむけに寝転がった。当然、顔だけはしっかりあげて、銃も両手でしっかり構える。標準はドアの方、頭の高さだ。

 窓ガラスを割って外で何かの落ちる音がすることにより、彼は俺が窓から出て逃げたと思って焦って追って来ようとしている。窓の向かいは隣に並んだもう一つの一軒家だ。そこに入られて泥沼化を避けたいのは誰でも一緒だ。この後かなり遠くまで移動しなければならないことはマップを一瞥していればわかっているはずだ。

そしてその焦りを利用する。足音は近づき……そして彼の姿をこの目に捉えた時。


―――俺は、残り五発の全てを放った。


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