幽世綺譚3:告知事項あり - Notification Matters
紬 蒼
Case1. 鏡の中の女
1.ボーズ、ホストを拾う
人は一人一人違う。
個性の話じゃない。
差別はいけないことだと説きたい訳じゃない。
人は一人で生まれて一人で死んでいく。
たとえ双子であっても、心中するんだとしても。
人の生と死は常に『個』だ。
だから、同じ世界を共有することはない。
同じ世界に生きていると思うのは、錯覚でしかない。
一人一人違う人ならば、一人一人の心がある。
それはとても複雑で、同じ『悲しい』という感情にも感じ方は様々だ。
同じことを経験し、同じものを見ても、その捉え方も様々だ。
同じ時間を過ごしても、それを長いと感じるか短いと感じるかも人それぞれだ。
だから、世界は一つのようで一つではない。
幾つもの世界が重なり合って一つのように見えているだけだ。
だから『みんな』はいないし、『ふつう』という基準もない。
ただ、それらは世界が一つだという幻想の中にだけ存在する。
一人は寂しいから。
違うことは悲しいから。
***
早朝。
神社の神主は満開に咲き誇る桜を忌々し気に見上げた。
美しくひらひらと舞う花弁が地面を埋め尽くさんとばかりに降り注ぐ。
やれ、掃き掃除でもするかと箒を取りに物置小屋へと向かうと、境内に人が倒れているのを見つけた。
慌てて駆け寄ると、黒スーツの男性がうつ伏せに倒れている。
身なりからしてヤクザを連想させる。
酔って寝てしまったか、はたまた喧嘩でもして逃げて来たか。
「おい、大丈夫か?」
とりあえず声を掛けてみるが返事はない。
傍らにしゃがんで顔を見た瞬間、ヤクザじゃねぇな、と神主は思った。
若くて顔が良く、このスタイルならホストだろうと勝手に想像した。
揺さぶってもみるが反応はなく、ひとまずどこかへ移動させようかとも思ったが、女性ならともかく男性を運ぶのはいささか面倒だと思い、スマホを取り出した。
「多分、怪我人なんだが、ちょっと来てくれんか?」
近所の町医者に電話するが、これが腰がとにかく重い人物で、うだうだと電話だけで済ませようと応急処置の仕方を言い始めた。
が、神主も面倒事を抱えるのは嫌なので、医者ならとにかく来い、と一喝。
渋々医者が承諾し、徒歩五分の道程を三倍かかってやって来た。
石段をえっちらおっちら上りながらブツブツ文句を言う。
「くそボーズ、こんな朝っぱらから呼び出しやがって」
医者は神主を『ボーズ』と呼ぶ。
見事なツルツル頭なので昔馴染みの人は皆、神主をそう呼ぶ。
いっそ住職に鞍替えすればいいのに、と何度言われたことか。
「人が倒れとるのに、朝も夜もあるか。医者だろうが、このヤブが」
一方、医者の方は腕はいいのに『ヤブ』と呼ばれている。
『藪医院』という名前から来ているのだが、聞こえは悪い。
ヤブ自体は外科が専門で元々『藪整形外科』という名前だったのだが、継いだ息子が内科医だったので『藪医院』に名前を変えている。
「倒れとるってコレか? ただの酔っ払いじゃねぇか。揉め事に巻き込まれンのはごめんだぞ? そんなんでこの階段を上らされたんじゃ……」
「お前は医者だろうが。境内で死人が出たなんて縁起悪すぎだ」
「引退したって言ってンだろ。呼ぶなら息子を呼べよ。オレは外科医だぞ?」
「倒れてるんだ。骨折ってたらお前の専門だろ?」
チッ、と舌打ちをしてヤブは倒れている男性の傍らにしゃがみ込んだ。
大学生くらいに見えるが、服装は全身黒いスーツ姿で
アルコールの匂いはせず、擦り傷や喧嘩した痕などの外傷もなく、寝ているようにしか見えない。
とりあえず頬を叩いて起こす。
「おい、兄ちゃん。こんなとこで寝てたら風邪引くぞ?」
何度か叩くと、瞼が動き、ゆっくりと目を開けた。
「やっと起きたか。なんだってこんなとこで寝てンだい?」
ヤブが問うと、二、三度目を瞬いて、がばっと勢いよく起き上がり、立ち上がって周囲を確認するように見渡した。
「ここは?」
ホストの第一声はそれだった。
立ち上がったホストはヤブやボーズよりも背が高く、こりゃさぞかし人気のホストなんだろうよ、と二人は思った。
「神社の境内だよ」
少々迷惑そうにボーズが答えると、神社、と呟き、ホストは片手で頭を抱えた。
「どうした? 二日酔いか?」
ヤブが問うと、ホストは白い顔で首を横に振った。
「何も……覚えてない……」
その衝撃の一言に二人は一瞬顔を見合わせ、
「何もって……自分の名前もかい?」
ヤブが問うと、ホストは頷いた。
「黒スーツなんざ、ヤクザかホストくらいだろ? あんたの場合はどっちかってぇとホストだろ? 昨日バカ騒ぎでもしてここで転んでそのまま寝ちまったンじゃねぇのか?」
「……何も……思い出せません」
ホストはそう言って俯いていたが、何かに気づいたように顔を上げると、宝物庫の方を見つめた。
ボーズが神主を務めるこの神社。
小さなものではあるが、それでも拝殿があって宝物庫もあり、初詣にはこの町のほとんどの町民が参拝に訪れる為、結構な賑わいを見せる。
その宝物庫。
名ばかりで宝物は一切納められていない。
あるのは気味の悪い人形やら掛け軸、写真などで、さらにはどれもが曰く付きなのだ。
神主とはいえ、ボーズに霊感やましてや神通力といったものはない。
皆無だ。
それ故、神社だからといってそういったものを持ち込まれても困ります、どこどこへ持って行かれた方がよろしいですよ、と丁重に断っているのだが、それでも黙って置いて行く人は後を絶たない。
それを捨てる訳にもいかず、かといってお焚きあげするのにも抵抗があり、とりあえず倉庫にしまっていたのだが、いかんせん数が増えて来た為、宝物庫を作ったのだ。
「単なる蔵を増築しても良かったんだけどな、神社なら宝物庫の一つくらいあった方が箔が付く気がしてね。それに曰く付きのもの入れてるってバレたら人が来なくなるだろ?」
とはボーズの談である。
だが、年末年始の間に雇う巫女さんのバイト達がここ最近集まらずに困っている。
宝物庫から変な声が聞こえたり物音がするから怖い、と言ってすぐに辞めてしまう。
ボーズ自身も妙な物音を聞いたことはあるが、気のせいや勘違いだと思うことにしている。
そういったものを怖いとは思わないが、気味が悪いとは思う。
一応神職なので神様の存在は信じてはいるが、基本的には目に見えないものは信じないタイプだ。
とはいえ、変な噂が広がり始める前に手を打たねばとは思っているが、ボーズにも一応神主であるというプライドがある。
お祓いを頼むにしてもこっそりとやらねばならないのだ。
それがボーズの現在の悩みの種であるのだが。
その宝物庫を見つめられ、ボーズはドキリとした。
彼には何か見えるのだろうか、と。
「……何か?」
思わず丁寧な物腰で問うと、ホストは「染みが……」と言いかけて「なんでもありません」と首を振った。
「染み?」
数年経つがまだ比較的新しい。
そんな宝物庫に目立つ染みはまだなかったと思ったが、とボーズも宝物庫を見つめる。
「ま、ぱっと見、大した怪我もなさそうだし、記憶がない以外は元気そうだが……頭打っとるだろうからどっかでかい病院で一度精密検査受けて来い」
ヤブが医者として当然の助言をホストにしたところで、ボーズはふとひらめいた。
「なあ、あんた。身元が分かるまでうちで住み込みで働かんか?」
その提案にヤブは「あ?」とボーズを振り返り、ホストは小首を傾げた。
そんな二人にボーズはニヤリと笑いたいのを我慢し、にっこりと微笑んだ。
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