第7話 血筋

 カイルを見送った翌日、ノクスは買い物に行った際にとある子供の死を耳にする。どうやらとある子供が家族との食事の最中に喉を詰まらせて死んだようだ。それだけなら悲しい事故の話と聞き流せたが、問題はその子供の名前。

 死亡した子供は、つい昨日クリスに石を投げ、カイルの怒りを買った子供と同じ名前だったのだ。

――これは、カイル様のせい……かな。

 石を投げた子供に対する怒りをカイルは隠さなかった。そのあとに、怒りの対象者が死んでいる。これは確実に、カイルの犯行だろうと、証拠もないのに確信した。

 ノクスは、カイルが異質な存在であることを知っている。だから、カイルが『権能』と呼ばれる力をもっていることも、それを利用し裁きを下してもおかしくないことも理解している。

――流石カイル様だ。だけど……ちょっと不安だな。

 台所で食事の用意をしながら、短くノクスは息を吐く。ノクスにはカイルの行動に異を唱えるつもりは無い。しかし、もしカイルがクリスに害をなすものを軒並み始末していく方針をとるなら、それはとても危険なことである。

――カイル様は聡明な方だから、考えているとは思うけれど……。もしそうなれば、私が止めなければ……。

 考え事をしながらコンロの前に立ってぼんやりと鍋を見つめていたその時、服の裾がくいと引かれる感覚がして、ノクスは我に返る。

 慌てて目を向けた先には、丁寧に仕立てられた子供服を身につけたクリスが、こちらを不安げに見つめていた。


「どうしました? シン様」


 クリスの前にしゃがみ込み静かに問いかけたノクスに対して、クリスは躊躇いがちに口を開き、鍋の方へと指を向けた。


「へんな、におい、する」

「えっ? ……っ、あ!」


 急いで立ち上がり目を向けた先で見たのは、焦げ臭いにおいを発する鍋であり、ノクスは慌てて火を止めた。



 翌日の深夜。クリスだけでなく街も寝静まった頃に、カイルはノクスの家にやってきた。何故こんな時間にと疑問を呈したノクスだが、カイルは『深夜の方が行動しやすい』と小さく笑う。


「親は寝てるから、いちいち視線を気にしなくてもいい分楽なんだよね。ただ街には浮浪者なんかもいるから、下手に遭遇しないように気をつけないといけないけれど」

「なるほど……。ですが、二度手間では? 今日も昼間にシン様に会いにこられたというのに」

「クリスに会いに来てるのに、なんで君と込み入った話をしなきゃいけないのさ。二度手間ではあるけど、これでいいんだよ」

「それは失礼しました」


 軽く微笑んだカイルに謝罪をし、ノクスはテーブルについた彼にホットココアを用意しながら、街中で聞いた少年の死についてぶつけた。すると、カイルは躊躇いもなくあっさりと己の犯行であることを認める。予想通りの答えに、驚くような、安堵するような妙な気持ちになる。


「勿論僕だよ。あれ、なにも言ってなかったかな、ごめんね」

「やはり貴方でしたか。……いえ、別に私に報告などせずとも良いのです。貴方は、思うようにやって頂ければ、それで、よいのです」

「……本当にそう思ってる?」


 カイルの前にカップを差し出していたノクスは、彼の言葉に思わずびくりと肩をはねさせた。その拍子に、配膳のために手に持っていたカップが音を立て中身が大きく揺れる。幸い零れなかったものの、胸中を見抜く言葉に動揺は隠せず、一気に体が強ばる感覚がした。

 ノクスはそれでも平静を装ってカイルの前にココアを置き、静かに言葉を返す。


「……勿論、本意ですよ」

「ふぅん」


 しかしカイルは全く信じていないようだ。疑いの意が宿る翡翠の瞳でノクスを見つめたあと、ふいと目を逸らしココアを口に含み考え込む。

 二人の間を沈黙が支配する傍ら、ノクスの心臓はバクバクと高鳴る。恐らくノクスが抱いた不安はカイルに露呈している。他人の心くらい本当に見透かしていてもおかしくない相手だ。ならば見抜かれていることに対する不安をひた隠すより、いっそ胸にあるしこりを打ち明けた方がいいのかもしれない。そう考えてみても、直接異を唱える行為には躊躇いがあった。

 芳しいとは言えない空気感の中、萎縮するノクスの心境を察してか、カイルは困ったように眉を下げて口を開いた。


「……ノクス、別に意見があったところで、僕は怒らないよ?」

「……ですが……」


 戸惑い目を丸くするノクスに、カイルは言葉を続ける。


「僕も君も、クリスのために行動したいという気持ちは同じだけど、それ以外は何もかもが違うんだ。年齢も、人種も、立場も。色々なものが違う者同士、意見の擦り合わせは大事だよ。だから忌憚きたんなく意見は述べてほしいね」

「……良いのですか」

「うん。僕はそこまで横暴じゃないよ。それに、僕は当事者じゃないからね。当事者の意見を聞きもせず無視するのは、君にもクリスにも不誠実だ」


 その言葉に、ノクスは少しだけ納得した。今更なことではあるが、カイルと立場は異なれどクリスとは非常に近い立場なのである。

 ノクスは改めて己の容姿をひとつずつ確かめる。黒い肌にラベンダーのような色合いの髪、そしてルビーとエメラルドを彷彿とさせる瞳。それは、どれも異様で不気味なものだ。

 少しでも外に出て見れば確認出来ることではあるが、世の中の黒い肌の人間はみんな黒い髪だ。ノクスやクリスのような鮮やかな色合いの人物など何処にも見当たらない。更に左右で色が違う瞳も、奇妙なものとして判断される。

 普遍的な色を持つカイルと特殊な色を持つノクス。彼等の内どちらがクリスの置かれる状況に近いと考えれば、後者だろう。それらの事実を考えた上でカイルは述べているのだと理解し、自らを内心叱責して、カイルの厚意を受け入れた。


「そのように考えていたとは。考えが及ばず申しわけありません」

「いいんだよ。君が意見を述べることに抵抗を覚えても、なんらおかしくないんだから」


 目元を緩ませて、カイルは自分の向かいをトントンと叩く。座って胸中にある不安を全て吐き出してしまえと言うことだろう。ここまで言われて黙っている訳にもいかない。気持ちを落ち着けたノクスは、表情を正して椅子に腰を下ろした。

 テーブルの上で手を組んで、ノクスは徐に話し出す。


「……私が不安に思っていたのは、ただ、貴方が凶行に走らないかということです」

「凶行かあ」

「例えば、シン様に危害を加えた者を軒並み抹殺するような……そのような行為を考えているのであれば、控えていただいた方がいいだろうと考えます」

「……なるほど」


 カイルの言葉を短く肯定したノクスの心境は、先程までとは比べ物にならないほどの暗雲に包まれていた。いくらカイル本人から遠慮なく話してほしいと言われたところで、主とも言える相手に具申するのは相応の抵抗も覚えるというもの。

 しかしノクスの不安とは裏腹に、カイルは困ったような表情を浮かべて自らの行いを省みているようだった。


「どうやら僕は、随分と短絡的な思考に陥っていたらしいね」


 自嘲気味に笑ったカイルは、顔色を切り替えてノクスを見やる。彼の様子は実に落ち着いていた。


「確かに危害を加えたからって手を下していたら、クリスはどうあれ孤立してしまう……それは非常に良くない。クリスには、可能な限り多くの人と友になってほしいからね」

「はい」

「虐げられる人間だからこそ、味方になってくれる友が必要になってくる」

「……そう、ですね」


 どうやら本当にカイルからの顰蹙ヒンシュクは買っていないらしく、ノクスは胸を撫で下ろす。胸にあった暗雲も多少晴れていく。クリスを独占するつもりはないという言葉には驚いたが、彼にも真っ当な感覚が備わっていた証拠だと不敬ながら内心思う。

 直後、心の内を見透かされたような指摘を受け動揺したが、それをこれ以上咎めずにカイルはココアを口に含む。不満げな表情で相手の心境を見透かすようなことを言っておきながら、それを認識していないかのように振舞うその様は心臓に悪いが、知らぬ振りをされたのに下手に食いつくのもおかしな話しだと、身を引く。

 だが、カイルが幾ら自らを省みてもクリスを取り巻く環境も両親への憎悪も変化しないだろう。それを確かめるために、ノクスは静かに口を開く。


「……カイル様は、やはり、ご両親に対する憎悪は、あるのですよね」

「うん。そりゃね。だって、あの女のせいでクリスは苦しんでるんだから」


 ノクスの重い雰囲気と違い、カイルは軽い調子で躊躇いなく言う。その言い方はとても冷ややかで、親に対する情などまるで存在しないように感じられた。

 けれど、そうではないとカイルは言う。


「別に親に対する情が無い訳では無いよ。勿論情はそれなりにあるし、母親の境遇は哀れだと思う。身に覚えのない不貞を疑われたんだから」

「不貞……。えぇ、そうでしたね」

「そう。ということは君は知ってるのかな、僕の母親が元々は貴族のお嬢様っていうことも」

「……えぇ、存じ上げております、トールギス家の方だと」

「そうそう。折角だ、確認も兼ねてクリスの血筋の話をしよう」


 カイルはその言葉を肯定し、語り出す。自らの母親の境遇と、クリスの出生について。


 トールギス家というのは、ブリタニアで数百年続く貴族の名である。現在、当主の失踪という大きな問題を抱えているが、当主代理である長男の働きにより貴族の務めを果たしている。カイルの母親は、その分家に生まれた令嬢であった。

 彼女は一般的な女性より高い背丈にコンプレックスを抱いていたが、艶やかな黒髪に輝く翡翠の瞳はとても美しく、華やかだった。全てが順風満帆とはいかなくても、あたたかな家族に囲まれた彼女は立派な淑女に成長し、やがて社交界デビューをした。

 そんな彼女は、とある男性と恋に落ちた。それは、王弟を父に持つ生真面目な男性だ。王族の彼と婚約し結婚した彼女は、直ぐに子宝にも恵まれた。そして生まれたのが黒い肌の子供――クリスであった。


 そこまで話して目線を下げたカイルは、悲愴げに息を吐く。


「……血筋だけ見ると、とてもとても高貴な人なんだよね、クリスって」

「そうですね」

「父親は王族は母親は貴族。青い髪は父親似、翠の瞳は母親似。……肌の色以外はなにもおかしくないし、本来ならこんな所にいるような方じゃないんだよ。立派な家で、不自由なく暮らせて、正当な教育を受けられるはずだったんだ」

「……その通りです。でも、シン様は、肌が黒かったから……」

「そう、それなんだよ。両親共に白い肌なのに、生まれた子供は黒い肌だった。それが問題だったんだ」


 何かを堪えるように体を震わせて、カイルは言葉を続ける。

 黒い肌の子供が生まれたことは大層な騒ぎになり、真っ先に母親の不貞が疑われた。その証拠が出ないとなると、外出時に襲われたのではないかとも言われ、とにかく様々な憶測が飛び交ったが、当然母親はどれも否定した。外出時は基本的に付き人がいるし、もしそんなことがあれば誰かに言っていると。周囲に異なる人種の者などいないし、いた所で当たり前のように異人種を蔑む彼女が、関係を持つなど有り得ない事だったのだ。

 先祖に異人種がいたのではという可能性をもって調査もされたが、調べた限り該当者はおらず、母親は身の潔白を証明することができなかった。

 その結果、彼女はよりによって異人種と不貞を働いた女として糾弾され身を追われたのだ。


「……本当、不憫なものだよ。本当にね」

「可哀想な方だ。……しかし、母についてよくご存知で」

「これでも色々と調べたんだよ。あの女、クリスに向かって『私の人生めちゃくちゃにしやがって』ってよく言ってたから、気になってね」

「なるほど。……その後、自分を信じてくれた一部の者と町で暮らしつつ、自分を受け入れてくれる男性を見つけて再婚し、カイル様が生まれた、と」

「そうそう。だから僕の父親は単なる庶民だよ。身分差凄いよね」


 冷めつつあるココアをスプーンでぐるぐる回しながら、カイルは相槌を打つ。それを一気に飲み干した彼は、口の端についたココアを舐めとった。


「そこまでなら、僕もあの女にもっと寄り添えただろうね。身に覚えのない罪で苦しんだ、哀れな人だとね。……でも僕が納得いかないのは、クリスへの対応なんだよ」

「愛さなかったことが許せない……という訳ではないのですよね」

「そうそう」


 その問いを肯定したカイルは、軽い動作で椅子から降りる。そうして向かったのは、ベッドですやすやと眠るクリスのところ。カイルがいることも何知らずに眠るクリスは、純真無垢な赤子のよう。そんな彼を優しい眼差しで見つめるカイルの姿は、慈愛に満ちている。


「本当は、僕と対等な兄弟として扱われるのが理想だろうね。でも、彼女からしてみれば、自分の人生を壊された相手だ。母親だから受け入れろというのも酷な話。だから、それは、まだ、諦めもつくんだよね」

「……そうですか」

「うん。僕が納得いかないのは、この子を生かしているにも関わらず、あんなところに閉じ込めていたことだよ」


 すやすやと眠るクリスの髪を撫でたカイルは、無防備に毛布からはみ出している手を握る。


「どこかの施設に託す、こんな子供知らないと捨てる、人生を壊された復讐に殺す。どれもしないくせに、子として愛すわけでも、例えば使用人のように働かせることもしない。ただ、あんな汚いところに閉じ込め、鬱憤を晴らすだけ道具のように扱っていた。……なんだか、それがとても許せないんだ」

「……そうですね」

「だから僕はあの女が嫌いだし、それなりの報いを受けさせたい。僕の行為は間違ってると思うし、あの女を殺してもクリスが世間で白い目を向けられるのは変わらない。要はただの自己満足だ」


 自嘲気味に発された声に、ノクスはなにも返せなかった。否定も肯定も、してはいけないような気がしたのだ。

 カイルは、他者からの返答など気にしていないように、言葉を続ける。まるで決意表明のように。


「それでも僕はクリスのためという名目であの女をいつか殺す。他の脅威や危害に目を瞑れても、あの女だけは……許せない。別にそれでも、君は否定しないよね」

「はい、勿論ですカイル様」


  少しだけ物憂げに発された言葉だったが、ノクスの使命や忠誠心は何一つ変わらない。主を不安にさせぬためにも、ノクスは鋭く言い切った。

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