檻の中

眼精疲労

前半

「二人きりになっちゃいましたね」

 放課後の教室。俺の声が響く。

「んー、そだね」

 先輩が長い髪の毛先をいじりながら、そう返す。

 少し気だるげな様子は、いつもの先輩のそれで、俺は少しの安堵を抱く。

 兎にも角にも、今は普段通りというものが恋しかった。

 先輩は俺のあこがれの人だ。あこがれというのは、尊敬というよりも敬愛、あるいは愛情の意味の方が強くて。

 要するに、そういうことだった。

 俺は先輩が好きだった。

 たとえば世界が滅びようとしているときに、身を挺して先輩を守れるかと問われれば、答えは『イエス』である。

 そんな先輩と放課後教室で二人きり。普通ならテンションが上がる展開に違いない。

 けれど、今はそんな場合ではなかった。テンションよりも、アドレナリンとか生存本能とか、そっちの方を優先して上げた方が良い。

 というのも。

「先輩、ゾンビどんな感じですか?」

「あー、校庭に三十体ぐらい? 今は共食いの最中でこっちに注意向けてないけど、まあどうなるかはわからないよねー」

「了解です。引き続き警戒をお願いします」

 俺はそう言って窓から廊下に出る。扉の前にはバリケードが築いてあり、容易に出入りできないのだ。

 廊下から、階段へ。付近にゾンビがいないことを確認して、引き返す。

「廊下大丈夫です」

 帰還して先輩に伝える。先輩は眼鏡の下にある目を細めて微笑んだ。

「おかえり。どうもどうも」

「いえいえ、そんな」

 先輩のお礼にちょっと舞い上がるも、校庭の惨状を見て素に戻る。

 校庭では、俺たちと同じ制服を着ている男女の生徒(だったもの)が、互いに互いを殴り、千切り、食う、という様子が繰り広げられていた。

「……うえっ」

 俺はそのグロテスクさに、思わずえづいてしまう。

「ゴミ箱いるかい?」

「…………いえ、その中に吐くのはちょっと……」

 吐いたあとの処理に困る。吐いたはいいものの、ここに置いておくとなると、今度は臭いがこの教室にたちこめるし嫌だ。

「……それにしても」

 しばらくして、吐き気が消えたので話しはじめる。

「どうしたの?」

「いや、なんでこんな惨状になったのかなって」

「えーとね、なんかラジオ聞いてると、この学校の近くでゾンビっぽい病気が発症して爆発的に増えたとかなんとか」

「……またなんでこんな場所の近くで……」

 俺たちの学校があるのは、何の変哲も無い地方都市の駅近くである。近くに怪しげな研究所もなければ、軍の施設っぽいところもない。

 なので、新薬を作って失敗しただとか、軍の秘密兵器が何らかの形で漏れたとか、そんなことは考えにくい。

 どうして俺たちの学校の近くで、ゾンビがパンデミックを起こしたのか。そんな疑問を抱かなくもないが、それよりも何よりも、今は生き抜くことが大事だった。

「……じゃあ、もう一度見回り行って来ますんで」

「ん、気をつけて」

 俺は手を振る先輩をその瞳に焼き付けつつ、もう一度外に出る。

 廊下、特に問題なし。

『……グォォ』

 ……問題なし?

 明らかに聞こえてはいけないタイプのうめき声が聞こえた気がする。自我とか失ってそうな感じのやつだ。

 嫌だなあ、と思いつつ廊下にあった消化器を手に取り、声がした階段の方へ。

「…………うわー、いるわ」

 そう軽い調子で言ってみたものの、内心バクバクものである。ついでにションベンちびりそう。

 階段の踊り場に、ゾンビが一体立っていた。ゾンビは服が所々裂けていて、そこから腐った肉が垣間見えた。ああなるのは嫌だなあ、と思う俺である。

 さて、ゾンビは俺に背を向けている。

 どうしたものかなあ。このまま放置するのは駄目なんだろうなあ。

「…………仕方が無い」

 そう呟いて、俺はゾンビを倒すと決意した。

 とはいえ、どうやって倒すか。それが問題である。

 彼らの武器は爪と牙。そのどちらかに当たれば、俺も感染してゾンビになる。それは絶対に嫌だ。というかそうなったら死ぬ。

 なので、接近戦は避けたいところだ。

 どうするか、と少し思案して、結論。

 消化器をそのゾンビめがけて投げることにした。

 両手で消化器を持ち、狙いを定めて振りかぶり――。

 投げる。

 結論から言うと、成功。

 高さと運動エネルギーと消化器の重みにより、階段の踊り場がトマト祭のようになったことを報告しておく。

「……うぇっ」

 えづきながら眼下に広がる赤を一瞥して、俺は教室に戻ることにした。


                 ○


「……先輩、ラジオ聞いて良いですか」

「いいけどねー」

「……けど?」

「まあいいや、聞いてみて」

 そう言って先輩はラジオを俺に渡す。俺は電源を入れて、適当な局に周波数を合わせる。この非常事態だ。どこに合わせても、この事件の報道をしているはずだろう。

 まずはラジオ局A。

『……グォォ……グガァ……(ばりむしゃもぐもぐ)』

 聞こえてはいけないもの、あるいは美味しそうな効果音が聞こえてきたような気がする。

「……先輩これは」

「君の想像通りだよ」

「……いやいやまさか」

 頭によぎった嫌な想像をかき消すように、違うラジオ局に周波数を合わせる。

 ラジオ局B。

『(ばりむしゃもぐもぐ、ピチャピチャ)』

 今度は絶賛食事中で、発言をする暇すらないみたいだった。

「…………いやだなあ、もう」

 ため息交じりにそんな言葉を漏らすことしかできない。

 いやいや待てよ、と思いつつ今度は県外のラジオ局に周波数を合わせてみる。

 ラジオ局C。

『……待て、やめろ、やめてくれ俺を食べるぎゃっ、あっ、あぁぁ~~~~~(ばりむしゃもぐもぐぴちゃぴちゃ)』

「……ええ……」

 どうもパンデミックが広がっているみたいだった。もしかして、俺たち以外の人間は残っていないのではなかろうか、なんて嫌な想像が広がる。

『グォォ……グゥゥ……』

 ラジオからゾンビのうめき声が聞こえてくる。声色的に先ほど食べられた人と同一人物っぽいので、彼も仲間入りしたのだろうなあ、と思った。

 俺はラジオで情報収集することを諦め、ラジオの電源を切る。

「……先輩」

「どうしたのかね」

「……どうします?」

「……そうだねえ」

 先輩はそう言って気だるげな表情を浮かべ、窓の外を見る。俺もそうする。グラウンドのはそろそろ佳境を迎えそうだった。

 あのパーティーが終われば、彼らが向かう先は……想像に難くない。

 校舎の中だ。

 そして、ここだ。

 籠城して迎え撃つ? それもいいだろう。しかし、そうしたあとはどうすればいい?

 俺たちは生き物だ。食べるものも飲むものも必要だし、出すものを出す場所も必要だ。

 俺たちがいるのは、校舎の一角。付近にトイレはあるけれど、飲み食いするものがある場所はない。

 つまり、長い間の籠城戦はできない。

 仮に、囲まれたらどうする? そうなれば、逃げ場はない。

 どうすべきかと思案するまでもなく、答えは決まっていた。

「先輩」

 意を決して、先輩に話しかける。

「……どうしたのかな?」

「逃げましょう、ここにいてもじり貧です。生き残るためにはーー」

 立ち上がり、先輩の手を取る。

『ここから出るしかありません』

 俺は、そう言おうと思っていた。口も開いた。

 けれど。

 口は驚愕のあまりぱくぱくと無駄に動くばかりで言葉を紡げない。

 それはどうしてか。

 なぜならば。

「…………先輩、う、腕」

 俺は先輩の手を取った。すると。

 

 そう、文字通り、取れている。俺が持つ先輩の腕と、先輩本体との接続面には、腐った肉。

 なぜ、と思う。いや、答えはわかりきっているのだ。けれど、それを認めたくない。

「あー、今回はここでバレちゃったか」

 先輩は気だるげに笑う。その笑いは軽薄かつ、どこか残酷だ。

 まるで、試験動物を見ている科学者のような。

「仕方が無い。じゃあ、次もよろしく」

 先輩は制服の胸ポケットから注射器を取り出す。それはまるで銃器のような形をしたそれを持ち、先輩は一気に近寄ってくる。

 かしゅっ、という少し間抜けな音がしたと思ったら、俺の意識は闇の中に落ちた。

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