NPO法人にゃんけん

九里方 兼人

NPO法人にゃんけん

第一話 猫を愛でる女と愛する男

プロニャーグ

 子供が寝静まる時間の簡素な住宅地。

 その一角の草むらから小さな生き物がひょっこりと顔を出す。

 三角の耳をピンと立て、宝石のように目を光らせたその生き物は、長いヒゲを震わせると鼻を高く上げてヒクヒクと動かす。

 ひとしきり周囲の匂いを嗅いだあと頭を引っ込めると、注意深く周囲を窺うようにゆっくりと動き出した。

 そーっと片方の手が草むらから現れ、そのまま地面に落ちるが、手の平にある柔らかい肉の球は僅かな音を立てる事もない。

 その生き物は草から顔と手を僅かに出した状態で瞬きする事もなく静止する。

 周囲に動く物はない。

 しばし時間が止まったような静寂が続いたが、草が僅かに音を立てて、隠れていた生き物が全身を現した。

 手鞠てまりほどの大きさの生き物は短くもふわふわの毛に覆われ、長い尾を揺らしながら壁に添うように音もなく移動する。

 その姿は夜の闇に溶けそうなほどに黒いが、よく見ると所々茶色のまだら模様がある。

 俗にサビ柄と呼ばれる模様だ。

 サビ柄は少し移動しては止まりを繰り返し、先程から凝視している目標へゆっくりと近づいていく。

 目標物を射程圏内に捉えると首を伸ばし、得体のしれない黒い物体を値踏みする。

 先程から漂ってくる香りがその物体から出ている事は間違いない。しかしサビ柄は注意深く周囲を窺っているようだった。

 辺りは開けているので何かが近づいても直ぐに分かる。

 それでもサビ柄は注意深く黒い物体を観察した。

 網が組み合わされた、角ばった直方体は重厚で凶悪な雰囲気をかもし出していたが、サビ柄にしてみれば初めて見る物は等しく警戒すべきものだ。

 両側が空いている筒のような形だが、天井に何やらゴテゴテと付いている。

 鼻を伸ばして匂いを確認するが、それは中から漂ってくるいい匂いに邪魔された。

 その匂いの元に近づこうと頭を屈め、少し網に入ってはまた戻るを繰り返す。

 暫く繰り返したあと、安全だと思ったのか匂いに負けたのか、ゆっくりと地面を這うように網の中に入っていく。

 それでも奥へと進むごとに遅くなり、ついにはその動きを止めた。

 そのまま絵画のように動かなくなったが、やがてゆっくりと前進を再開する。

 そして、静寂を破る大きな金属音が周囲に響き渡った。

「やったぁ。入ったぁ」

 声の主は、潜んでいた茂みから身を起こすと金網製の四角い檻、捕獲器に走り寄る。

 海外から取り寄せた特注品――猫が下部の踏み板を踏む事で自動的に入口が閉まる――捕獲器の中には、何が起きたのか分からない顔の猫が収まっていた。

 周囲は既に薄らと明るみ始めている。

 栗色の髪をした細身の女性は捕獲器の中を覗き込んだ。

「ごめんね。怖いだろうけど、ちょっとの間ガマンしてね」

 優しい声がかかるも、サビ柄の猫は盛大な威嚇音で応える。

 女性は捕獲器を持ち上げ、依頼者である女性の元へと向かった。

「本当に捕まえられるのね。噂には聞いていたけれど、さすがはプロね」

 早朝であるにも関わらず応対してくれた年配の女性の声に、栗色の髪が揺れる。

「私はプロじゃありません。ボランティアでやってます」

 と言って名刺を差し出す。

 名刺には猫の肉球マークと共に『NPO法人 にゃんけん 代表 村上真央』と書かれていた。「でも、法人って……、会社じゃないの?」

「NPO法人は非営利活動する団体です。寄付を募る事もありますけど、基本活動資金は皆自己負担ですよ」

「あら、そうなの? でも……、その……、ねぇ?」

 歯切れの悪い言葉に女性は栗色の頭を傾げる。

「あ、ごめんなさい。ボランティアって、もっと私みたいなおばさんばっかりだと思ってたから。こんなに若くて綺麗なお嬢さんもいるのね」

 その言葉に照れ笑いを浮かべる。

「私達はTNRをメインに活動している団体です。他にも保護や譲渡、相談など、猫に関する事なら何でもやってます」

「ティー?」

「Trap Neuter Return。捕獲し、不妊去勢手術を行い、元の場所に戻す事です。そうする事で繁殖を抑え、不幸になる命を無くすのが私達の目標です」

 年配の女性は難しい言葉は分からないと苦笑いする。

「人間によって捨てられて、増えて、今も多くの動物が愛護センターに持ち込まれて殺処分されています。そういう不幸な命を少しでも減らすために私達は活動しています」

 動物愛護センターはその名前から動物を愛護――助けてくれる所だと思われがちだが、その実態は保健所だ。

 持ち込まれた動物はそのほとんどがまとめて殺処分される。

 空気が徐々に抜けていく部屋に押し込められ、窒息死させられる。

 人間の都合で増やされ、人間の都合で殺される命を少しでも無くそうと、自分にできる事をやっていると話す。

 真央はお辞儀をし、停めてあった車に向かった。

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