第一章 大いなる海竜種

第1話 旅立ち

 「本当に行っちまうのかい?」


 母が俺と妹に声をかけた。普段は凛々しく上がっている眉尻が、心配そうに下がっている。

 俺は着替えを広げた風呂敷に置いて、母に向き直った。


「ああ、母さん」


 その言葉に母は更に眉を下げた。母にそんな顔をさせるのは息子として忍びないが、生憎と俺は一度決めた事はそうそう曲げない主義だ。俺は大丈夫、と続ける。


「これまではこの和ノ国内だった旅の行き先が、世界に変わるだけだからさ」



 俺の名前はアカリ。和ノ国という小さな島国の山と海に囲まれた高戸という宿場町の出身だ。年は十七。去年まで三年程家を飛び出して、和ノ国中を武者修行の旅で巡っていた。

 いろいろなものや人に出会って、見て、聞いた。尊敬できる師匠に出会うこともできた。……なんかとんでもない人だったけど。多分あんなキャラが濃い人には人生ではもう出会わないだろうけど。というかそう信じたい。


 ……ともかくだ。刀の腕もそれなりに上がった自信のある俺が、今度は世界に出て、もっと腕を上げたいと思うのも自然の流れというものだ。だって男の子。冒険とかそういうの大好き。ワクワクするよな!


 しかしそれを家族に話した時、待ったと手を挙げた人物がいた。妹のメイだ。メイは十四歳の魔術師で、魔術の修行がしたいから連れて行けと銀色の髪を振り乱し、空色の瞳を潤ませて訴えた。

 三年も家を空け、寂しい思いをさせてしまった負い目もあった俺は、彼女を連れて行くことにしたのだ。


 当のメイは俺と母の会話を聞いているのかいないのか、魔術で空間を歪めているらしい鞄に上機嫌で物を詰めている。

 妹よ、物理的に入っても重さは変わらないからな、そんなに入れて持てるのか。絶対俺に持てと押し付けてくるだろ。……って重力操作魔術の印付けてるし。後で俺の鞄にも頼む。

 母はそんなメイを見やって、はあ、とため息をついた。


「とにかく、メイのことは頼んだよ。あの子は女の子な上、初めての旅なんだから」


 俺はそんな母にわかっていると笑った。母に余計な心配はさせたくない。ただでさえ旅館の仕事家の仕事が大変なのに。



 旅立ちの朝は、清々しく、爽やかだった。まさに最高の旅立ち日和。俺ってば天候に愛されてる。


 俺が部屋で愛刀___“雪華せっか”___の最終手入れをしていると、どたどたと足音がして、襖がスパンと開かれた。きっとメイだ。全く、お行儀が悪い。あとでちゃんと注意しておかなくては。

 そう思っていながら開かれた襖を見上げて。


「兄ちゃん! まだー!?」

「あと少しってメイ!?」


 俺は思わず声を裏返らせてしまった。無理もない。昨日までは腰のあたりで揺れていた妹の髪が、今は顎のラインでさらさらと揺れているからだ。兄としては一大事である。髪は女の命じゃないんですか!? ねえ!?


「どしたの兄ちゃん」

「どしたって髪、どうしたんだ!?」

「切った」

「切ったァ!?」


 目を剥く俺にメイは淡々と言う。


「だって旅するのに邪魔だし」

「そ、そりゃそうかもしれないけどさ……」

「てゆーか兄ちゃん早く! 船長さん待ってる!」

「うわちょ、引っ張るな……っ」


 まだまだ言いたい事は山盛りにあるのだが。メイに手を引かれ、慌てて鞄と雪華を引っ掴んで外に出ると、髪を後ろで一本に結った女性がいた。



 俺たち兄妹は宿屋を営む両親の友人が船長をしている商船に乗せてもらって、三大国の一つ、海の王国マリテに行くことになっている。

 俺よりも少し年上の気のいい彼女は、若いながらもベテラン商人と対等に渡り合うやり手の女商人だ。彼女の征く航路は海賊だろうと何だろうと道を空けるらしい。何したんだ一体。


 幼い頃からこの町に商人の父親に連れられて来ていて、自分の船を持った今でもよく土産を引っ提げて来てくれる。土産は異国のお菓子に始まり時々訳のわからない呪術的な何かなどなど。

 訳のわからない何かは丁重にお断りした。結局それは彼女の昔なじみの元に渡ったらしいが、その人は全力で悲鳴を上げてぶん投げたそうだ。合掌。


「しっかし、あんたも落ち着きないなあ。帰ってきてから一年も経っとらんやろ?」

「んー、暫く旅してたからさ。一ヶ所に留まるのが凄いむず痒くて」


 俺の返しに彼女はせやなぁ、わかるわぁ、と笑った。彼女も同じところにじっとしていられないところがあるからだろう。流石は年のほとんどを船の上で過ごす女である。



「出航準備、整いました!」

「おっしゃ! アカリ、メイ! はよ乗らんと置いてくで?」


 その言葉にメイが反応する。俺もそれはやめてくれと叫んだ。

 船長の冗談はいつものことだが、それにキチンと反応しておかないと彼女は気分が目に見えて下がるからだ。明らかにテンションを下げた彼女の気分を持ち直させるのは正直言って面倒くさい。

 ……メイにはそんな意図は無さそうだが。


「きゃー、置いてかないでー!」

「あっはっは。どーしよっかなぁー」


 メイに飛び付かれた船長はそのまま抱き上げて、くるくると回る。暫くそうやると、地面に降ろしてやった。あんな細腕にどんだけ力あるんだよ……。自分の腕を見やって目視で比べる。

 ……俺の方が筋肉あるよな、うん、よかった!


「よし、乗ったらすぐ出航やで!」

「はーい!」


 メイは右手を挙げて返事をすると、両親や見送りに来ていた宿の従業員の人たちに「行ってきます!」と元気よく声をかけてから、船に乗り込む。俺と船長も声をかけて、後に続いた。あ、うちの常連さんも混ざってる。



 船長は全員が船に乗り込んだことを確認すると、船首に立ち、声を上げた。澄み切って凛とした声が響く。


「錨を上げろ! 帆を張れ! 目指すはマリテの首都、アスター! さあ、出航や!」


 タンッと彼女が足を鳴らす。するとそこを基点にして、船全体に魔術式が広がる。これが"魔術船まじゅつせん"の出航の合図なのだ。



 "魔術船"とは、その名の通り、魔術を用いて動かす船である。船に予め魔術式を刻みつけておき、動かす際はそこに魔力を流す。

 魔術船を動かすにはそれなりの魔力と技術を要する。

 つまりは、"いい船長"とは、"いい魔術師"でもあるのだ。

 それは、"科学"のように"魔術"が使われているこの世界において、一種のステータスでもある。



 閑話休題。

 紀元7014年、春。

 船長の魔力を受けた彼女の船"天風丸あまかぜまる"は彼女の腕を示すように軽快に海面を滑りだす。

 頬を撫でる心地良い潮風。

 並走するように飛ぶカモメ。

 船員たちの声。

 遠ざかる故郷。

 俺の二度目、妹にとっては初めての旅は、こうして幕を開けた。

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