突然の訪問者・1
「あ、それと、ライターも買っておいて」
「ライター?」
愛はメモを取っていた用紙から顔を上げ、荷物の積み上げられたソファの横で大きな登山用のリュックに荷物を詰めている姉の真衣を見た。
登山用リュックは一つだけでなく、今、真衣が詰めているものの他に、まだ二つ真衣のすぐ後ろに置かれていた。
「ん、買ったはずなのに、どこかに紛れ込んだのか見つからなくて」
「わかった。………ねえ、お姉ちゃん……お父さん、無事だよ……ね」
真衣が荷物を詰める手を止め、愛を見た。
「 当たり前でしょう、お父さんが無事でないはずないじゃない」
「そ、そうだよね!」
変な言い回しの真衣の言葉に、それでも、ほっとした様子で、愛はメモと財布をポーチの中にしまった。
「ん、じゃ、行ってくるわ、じゃない、行ってきます」
真衣にポーチを振って出かけようとした愛は、部屋のドアが開き、隆彦が入ってきたのを見て、慌てて言い直した。
「どこかに行くの?」
隆彦が聞いた。
「買い出しです。夕飯の材料とか、買い忘れたものとか」
愛が答える。
「じゃあ、車で行こうか? 暑いし、荷物も多くなるだろう?」
「えっ、ほんと? やった! お姉ちゃん、いい?」
愛が真衣を振り返る。
肩をすくめ、真衣が答えた。
「しょうがないわね。隆彦さん、お願いします」
「お願いしまーす」
愛が、おどけて隆彦に頭を下げる。
「お願いされましょう」
と、笑いながら隆彦、そして、手に持っている封筒を持ち上げ、
「じゃ、先に行っててくれる、これ、教授に渡してくるから」
「はい」
愛はうなづくと部屋を出でた。
廊下を歩く愛は上機嫌だった。
隆彦と一緒に車に乗れるだ。しかも、二人っきりでだ。思わず、笑みが浮かんでくるのもしかたがあるまい。もちろん、隆彦は姉のものだ。それはわかっている。痛いほどわかっている。二人の邪魔をする気などない。いや、仮にしようにも、姉と隆彦の間に愛の入る隙間はない。絶対ありはしないのだ。
しかし、それでも隆彦の運転する車に乗れるのは嬉しかった。しかも、いつもは姉の指定席の助手席にだ。
愛は満面笑みを浮かべ、玄関のドアを開けた。うれしさのあまり、力が入りすぎていたかもしれない。
ドアは勢いよく開いた、途中までは 。
こうして愛は、家の外で、今まさにドアを開けようとしていた、真夏に長袖のスーツを着た、異様に(?)髪の長い男の額に、玄関ドアを思いっきりぶつけたのである。
しかし、そのことを愛はまだ知らない。
「え?」
ドアが少ししか開かなかったので、愛はドアを何度か、小刻みに動かしてみた。しかし、やはり何かに邪魔され、途中までしか開かなかった。
愛は首を傾げると、一旦、ドアを閉め、そしててもう一度ドアを開けた。少し強めに。
「え? あ? えっ!?」
ドアは、今度はなにも邪魔されることなく開いた。いや、開きすぎた、愛の予想以上に。
愛がドアを押したのは、ごく最初だけだった。押したその直後、ドアは勝手に開いたのだ。まるで外で誰かが愛が押すのよりずっと強い力で引っ張ったかのように。
いや、ようにではない、まさにその通りだった。
ドアに引きずられるようにして外に出た愛の目の前に、ドアのノブをつかんだ男が立っていた。
彼がドアを外から引っ張ったのだ。
「え、あ? す、すみません 」
事態が飲み込めないまま愛は、半ば反射的に頭を下げ謝り、そして顔を上げ、男を見た。
男は愛よりかなり背が高かった。だから愛が男の顔を見たのはこの時が最初だった。
前に立ちはだかる男の顔を見上げ、愛は言葉を失っていた。
これは夢だ、と愛は思った。
でなければ幻に違いない。
そうとしか思えないほど、目の前の男は美しかった。
生まれてこの方――といっても、わずか、15年と8か月だが、愛はこんな綺麗な人間を見たことがなかった。想像さえしたことがない。想像の範疇を超えている。
人には、それぞれ好みがある、美人の基準もそれぞれ違うだろう、しかし、この男を見れば、誰もが口をそろえていうのではないだろうか、美しい、と――。
いや、綺麗だとか、美しいとかいう言葉自体、この男の前では、恐れをなし、尻込みするのではないだろうか。
だが、他にどう表現すれがいいのだろうか、この男の美を やはり、美しいとしか、言いようがない。
形のよい眉、その下の、はっとするような綺麗な目、この目に見つめられ、平気でいられる人間はいまい、ほどよい高さの形のよい鼻、寸分の歪みもない綺麗な唇 この唇で笑いかけられたら、それだけで、一生幸せな気分に浸れそうだ。額の形のなんと見事なことだろう。そして いやいや、そんなこと一つ一つあげてなんになろう、たとえ、古今東西の美男美女を集めてきても、この男には遠く及ぶまい、美の常識を遙かに超えているのだ、この男は――。とても現実のものとは思えない。
美の神の寵愛を一身に受け、それはそれは丹精に、丹精に、それこそ髪の毛一本一本にまで、細心の注意を払い、創りあげられたかのような、美の結晶、それが、この男である。
この男に見つめられ、口説かれたら、動かぬ石像とて頬を染め、しなだれかかるのではないだろうか?
「ここは、立木芳明の家か?」
美の結晶、いや、男が言った。
愛は答えられなかった。果たして男の言葉が耳に入っているのかどうか……。我を忘れ、男の顔に見入っている。
「ここは、立木芳明の家か?」
男が再び、聞いた。そしてしばらく待つ。
しかし、愛は答えない。
男は綺麗な眉を顰め、それからドアを拳でたたき大きな音を出し、
「ここは、立木芳明の家かと、聞いている!」
と。
それでも愛は、まだ男の質問に答えられなかった。何を聞かれているのかさえ、いまだにわかっていない。
男はさげすむような目で愛を見て、小さなため息をついた。
そんな男の姿にさえ、見とれる愛である。
男はため息をついた後、ドアノブをつかんだままの愛の腕に手を伸ばした。愛
愛の腕をつかみ、男が自分のほうに愛を引き寄せようとしたとき、愛の背後で声がした。
「愛ちゃん、おまたせ」
愛の後を追って玄関に来た隆彦の声だった。
しかし、隆彦の声にも愛は気づかなかった。
「お客さんなの?」
靴を履きながら、隆彦が尋ねた。
隆彦は、愛から男に視線を移し、そして 絶句する。
青の青 さゆねこ @sauneko
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