9 一文無し
どさくさに紛れてなんとか街の中に入れたものの、背中とくっつきそうなほどに腹が減っていて、もう動き回れる気がしない。
細かいことは街を探索してからにしようだなんて、甘えたことを考えていたが、やはりそう都合よくことは進まないみたいだ。
「どなたか私にお恵みを……」
薄汚いボロ雑巾のようなローブを来ている物乞いが、近くの道端で通りすがる人々に食べ物をせがんでいる。
「おお! ありがとうございます! あなたに神様のご加護があらんことを……」
親切そうな男性にパンの耳を手渡され、物乞いは感謝を告げながら大仰に喜ぶと、すぐさまそれをペロリと飲み干した。
う、羨ましい……俺も真似しよっかな。
いやいやいやいや、ダメだダメだ。
そんなことをすれば、そういう状態に慣れてしまって、底辺ライフまっしぐらになってしまいそうな気がする。
せっかくウハウハライフを満喫するために異世界に来たのだから、それだけは避けたい。
しかし……あまりにも腹が減っているので、少しぐらいなら問題ないんじゃないだろうか?
うん、問題ないな。
よし、やろう。
物乞いの隣の地面にどすりと座り、俺は彼の異世界語を真似始めた。
「どなたか私にお恵みを……」
「どなたか私にお恵みを……」
なるほど。
意味はベルディーの翻訳でわかるので、一度聞いたことがあるフレーズなら再利用することができるのか。
マインドに1しか振っていないこともあって、俺の記憶力はゴミ同然だろうし、あんまり役には立たなさそうだが。
おっ、誰かが近づいてくるぞ!
「はい!」
通りすがった男の子が、俺の前にお菓子の残りカスっぽいゴミを置いていってくれた。
彼なりの親切心には感謝感涙なのだが―――これは流石に食べられないよな。
残念。
俺は男の子の姿が見えなくなってから、ぽいっとそのゴミを投げ捨てた。
――びくっ。
背筋に悪寒が走る。
おそるおそる殺気を感じる方角へと振り向いてみると、俺が投げ捨てたゴミを顔に飾っている隣の同業者が、大変険しい視線で俺を睨みつけていた。
何をそんなに怒っているのやら。
理由を訊こうにも、俺は異世界語を話せないので、とりあえず彼を無視して物乞いを続けることにしたが、あいつが放つピリピリとした威圧感の生で周囲の空気が凍りついてしまい、通行人が寄ってこなくなってしまった。
仕方がないので、場所を変えることにしよう。
どこかに人通りが良くて、日差しを避けられる、上質な物乞い用の立地はないのだろうか。
「おいおい、そこの嬢ちゃん。このリンゴを食べないかい?」
嬢ちゃん? あっ、女装中なのを忘れていた。
どこへ行けばいいのかわからず、うろうろしていたら、よぼよぼな婆さんに話しかけられた。
彼女は地面に敷いたシートの上に、たくさんの新鮮なリンゴを積んでいる。
これは露店商ってやつかな?
「ほれほれ、見てごらん。お腹を空かせているのだろう?」
ふむふむ……くんかくんか。
差し出されたつやつやのリンゴは、まるで香水のように甘い香りを漂わせていた。
俺は思わず婆さんが掲げたリンゴに勢いよくかぶりついてしまった。
「おいしいかい?」
おいしい! 美味すぐりゅうううううう!
空腹だったというのもあるだろうが、日本のスーパーで買っていたリンゴとは桁違いの美味しさである。
絶妙な甘酸っぱさが口の中に拡散し、飲み込むとそれは胃の中に染み渡るように俺を満足させた。
ついついむしゃむしゃと芯までしゃぶってしまう。
「じゃあ、10コペルトだよ」
婆さんは、俺が満足そうにリンゴを平らげたのを確認すると、何かを要求するように手を差し出して、そう述べた。
こ、こぺると? こんぺいとうの亜種か?
『それはこちらの世界の通貨ですよ、浮雲さん』
『は? そんなの持ってるわけないだろ』
『では、無銭飲食ですね』
いつまで経っても支払いをしない俺に、婆さんは
「おいおい、もしかしてお金を持っていないのかい?」
くっ、今すぐ逃げ――ようとしたが、スカートの裾につまずいて転んでしまった。
終わったな、これは。
よぼよぼ婆さんは俺のワンピースの腰辺りをぐっと片手で掴み、老人のものとはまるで思えない怪力でひょいと俺を持ち上げ、地面に敷いてあったシートで俺をぐるぐる巻きにした。
「じゃあ、お前さんには、あたしの奴隷になって、リンゴの代金を償ってもらうからね。警備隊に差し出さなかっただけ、ありがたく思いなよ?」
婆さんはにかっと邪悪な笑みを浮かべ、ぐるぐる巻きにされた俺を軽く背中に担いで、どこかへ向かいだした。
『おい、ラック全振りはどうなってるんだよ! ロクでもないこと、ばかり起きるじゃないか! ウハウハライフのつもりが、いきなり奴隷スタートなんてのはごめんだぞ』
『いえいえ、これは、まだついているほうですよ。この世界の普通の店で、ただ食いなんてしたら、体のパーツを闇市場で切り売りされるのがオチですからね。つまり、相対的には運が良いんですよ』
……本当にそうなのか?
こいつはいつも調子の良いことばかり言っている気がする。
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