友として

「ルーフ。ちょっと待てよ」


「…………」


 ルーフはエンジュを見た。剣を持つ手に力が入ってない。アンバランスに空中で宙ぶらりんになっている感じだ。エンジュはルーフを食い入るように見つめて言った。


「俺は……正直、何が正しいのか分かんなくなってきたよ。だから、ルーフ。お前の気持ちも少しは……分かる」


「エンジュ……」


「……でも。このままお前を放っておいたらいけない気がする。お前が俺にとってかけがえのない存在だからだ。……友達として答えろよ。星の脱皮は起こさなきゃいけないのか? ここで引き返すことは出来ないのかよ?」


 ルーフは真剣なまなざしをエンジュに向け、つぶやいた。


「……僕は行かなきゃいけない。たとえ、何があっても。そう……決めたんだ」


「そうか……」


 ルーフが足を踏み出そうとした時、エンジュの声がそれを止めた。


「……やっぱり、お前をこのまま行かせるわけにはいかない。世界の命運だなんて重すぎるものを、お前一人に背負わせるわけにはいかないよ。どうしても行くって言うなら、俺も一緒に行ってやる」


「ダメだよエンジュ。これは僕が決めた事。誰であっても、巻き込むわけにはいかない。まして君を巻き込むなんてもっての他だ」


 エンジュの剣を握る手に力が籠る。エンジュは身の丈程もある大剣を構えて目の前の友に向けて言った。


「なら! この先へ行くなら、俺を倒していけよ、ルーフ!」


 ルーフの顔が引き攣る。どうしてここでエンジュと争う必要がある。あともう一歩なのに。どうしてエンジュは邪魔をするんだ。もうすぐで……皆が笑える日が来るというのに。


「冗談はよしてよエンジュ」


「冗談なんかじゃねえ。俺は一歩たりともここをどくつもりはない。お前が考えを変えるまではな!」


 ルーフの闘気が高まるにつれて、彼の右手が青く煌めき始めた。

「……この分からず屋!」


「分からず屋はおまえだろッ!」


 二人が同時に地面を蹴る。


 先手を取ったのはルーフ。エンジュの剣の間合いに入る寸前、呪文を唱え、火球を打ち出す。エンジュはそれを呼んでいた。以前に一度、ルーフが火球を放つのを見ていたからだ。撃ち出された火球を大剣でいなして弾き飛ばす。そして、一気にルーフとの間合いを詰めた。


「るああああッ!」


 エンジュが飛び、空中からルーフに斬りかかった。それを見て咄嗟に、ルーフは光る二つの指を剣の前に差し出した。まるで金属と金属がぶつかり合うような音があたりにこだまする。驚くことに、ルーフはたった二本の指でエンジュの剣を受け止めていた。


「……エンジュ。剣では魔術には勝てない。君が僕に勝つことは不可能だ。いい加減諦めてくれよ。君とは戦いたくない」


「っせぇ! 勝負はここからだ!」


 その声を皮切りに、エンジュが身を翻す。そして、四連の斬撃技ベルセリオストライクを放った。目にも止まらぬ四つの斬撃がルーフを襲う。剣を防ぐルーフの指も、エンジュの剣速さには追いつかない。


「く……ッ!」


 ルーフがもんどりをうって地面に倒れる。ルーフに一瞬の隙が生まれた。エンジュはそれを逃すまいと、追い打ちをかける。



 ――ルーフは思わず目を瞑った。



 しかし、襲ってくるはずの痛みが、剣がぶつかる衝撃を感じない。

 恐る恐る目を開けると、エンジュの剣はルーフの寸前で止まっており、剣を持つエンジュの手が震えていた。

 ルーフは咄嗟に後ろへ飛んで、エンジュと距離を取る。


「エンジュ……?」


 エンジュはルーフを倒す機会を逃した。目を瞑り、じっと動かぬルーフを見て、剣を持つ手が動かなかったのだ。戦いになれば、いずれこうなる事は分かっていた。ルーフを止めるために覚悟したはずだ。しかし、目の前で倒れているルーフを見ていると、どうしても剣を進めることが出来なかった。


 すぐに気持ちを切り替え、エンジュはルーフに向き合う。

 エンジュが雄叫びとともに、弾丸のような刺突を放つ!


 ルーフはそれをかわして呪文を詠唱する。


 ――特級魔術。ここぞという時に一度だけ使用することが条件に教えてもらった、妖精王の秘術だ。


《――siel-sandawre-gigas-reidine-marigoldes-end――》


 特級魔術の詠唱は長い。その間、ルーフはエンジュの攻撃の回避に集中する。


 思考が加速していくのが分かる。エンジュの剣の動きが手に取るように予想できる。次の瞬間に剣がどの位置にあるのかが感覚でわかる。考えているのではない。驚異的な集中力でエンジュの一挙手一投足を観察することで、ルーフにはエンジュの次の動きが視えていた。


 その時ルーフの頭にはエンジュの戦い以外には何もなかった。星の脱皮の事や、ナナシの事、これから自分がやるべき使命。そういったものが意識せずとも思考の外へと弾きだされていた。


 長い、長い詠唱がようやく終わろうとしていた。


《――re-zer-tactx-rebnd-arutemistic》


 白い光がルーフが手にした杖の先に収束していく。そして次の瞬間、杖を中心として連鎖的な爆発が巻き起こる。爆発はルーフとエンジュを巻き込んで、マナの森全体へと広がっていく。強い衝撃が襲ってきて、ルーフもエンジュも爆風に吹き飛ばされてしまった。


 爆発の最中、エンジュの顔が垣間見えた。

 それは誰かがルーフに見せた幻だったのかもしれない。

 エンジュの顔ははにかんでいた。途方もない爆発に包まれていく中で、はにかんだエンジュの顔がひどくルーフの頭の隅に焼き付いていた。





「ハァハァ……」




 最後まで立っていたのはルーフだった。


「エンジュ……」

 ルーフは地面に倒れ、気絶しているエンジュに目をやる。


 あの最後の瞬間、ルーフが特級魔術を放つ寸前、エンジュの顔にはわずかな笑みが見て取れた。そして、エンジュの剣の力が少し弱まった。その姿は、どうしてだろう……忘れもしないあの日のナナシの姿と重なって見えたのだ。


 エンジュはどうしてあの時力を抜いて、笑ったのだろう……。


 しかし、今は一刻の猶予も無い。間もなくこの世界は脱皮しようとしている。

 星の脱皮が始まろうとしている。

 急がなければ。もうすぐで……皆が笑える時が来るんだから。

 ルーフは若木の幹にぽっかりと空いた樹洞を見おろす。


『この先に、星の核があるのね』

 シルフィーがつぶやいた。


 ルーフはシルフィーを肩からおろして言った。

「シルフィー。君とはここでお別れだ」


『え……』


「この先には僕一人で行かなくちゃいけない。君を連れてはいけないんだ」


 シルフィーには分かっていた。妖精王からそのような話をされていたから。いつか、別れの時が来る。それは避けられぬ運命だと。

 だが、頭では分かっていても、心のどこかで納得できない。

 いつしか、シルフィーの瞳はひとりでに滲んでいた。


「……エンジュを、頼むよ」


 ルーフはそれだけ言うと、後ろを振り返らず先へ行く。ここで振り返ったら、先へは進めない……そんな気がして、ルーフは仲間に別れを告げ若木の下へ歩いていく。脇目もふらずにルーフは底の見えない樹洞の中に飛び込んでいった。

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