無限の迷宮――蘇りし記憶
誰が創ったのか分からない。何のために創ったのかも分からない。
目的理由の一切が謎に包まれている無数の階段がルーフの眼前に広がっていた。
ここは世界樹グランミリエルの内部。
ルーフは無限にさえ思われる階段を下へ下へと降りてゆく。
辺りは常闇に支配されており、一歩先が見えるか見えないかの暗夜行路。
一体どれほど下っただろうか……。終わりの見えない道をただひたすらに歩き続け、ルーフの表情には焦りと疲れの色が浮かんでいた。
「……シルフィー。星核は本当にこの先にあるのか?」
シルフィーがルーフの傍でひらひらと旋回しながらつぶやく。
『そのはずよ。ルーフ。闇に負けちゃダメ。気をしっかり持って前に進むの!』
しかし、ルーフの足はどんどん重くなっていく。先が見えない暗闇のせいだけではない。レジェンディアに着いた時に感じた頭痛。あの頭痛が、世界樹に入ってからだんだんひどくなっている気がする。下へ、下へと行く程に痛みは強さを増し、脳を憔悴させる。
頭の芯をすり鉢ですりつぶされるような痛みは、背骨を伝い全身へ拡散させる。止むことのない鈍痛が、ルーフの頭の中で暴れまわっていた。
「ぐ……ぅッ!」
あまりの痛みに耐えきれず、とうとうルーフは頭を抱えてその場に膝をついた。
『ルーフ!? どうしたのよ!?』
ルーフの変容を心配したシルフィーが近寄る。
「頭が……割れるように痛い……ッ!」
激しい痛みに身をよじるルーフ。
目の前がだんだんと霞んでいく。シルフィーが叫んでいる。でも、彼女の声はちっとも聞こえやしない。激痛で、聴覚がどうかしてしまったのだろう。
意識がぼんやりと遠ざかり、視界がゆっくりと白んでいく。
これは……走馬灯というのだろうか……。前にも見たことがあったっけ。どうやら、僕は走馬灯に縁があるらしい。ほら、見て。エンジュが引き攣った顔で走ってる。ナナシが後ろで怒った顔してる。僕はそれを少し遠くで眺めて、笑ってる。これはいつのことだっけ……。
湖面に一筋の水滴が落ち、水面を揺らす。
〈――目を開けて〉
唐突だった。声が聞こえてきた。いや……聞こえてきたというよりはむしろ、浸透してきたという方が適切だ。
済んだ泉を思わせる、凛として美しい響きの声。心地よい響きが、いつしか鈍痛を頭の中から消し去っていた。
〈――思い出して。あなたのこと〉
声は流麗で繊細な響きを持った旋律となってルーフの頭に響き渡る。
――とくん、と心臓が脈を打つ。それと同時に、何かがルーフの頭のなかにずしりと現れる。やがてそれは、シャボン玉がはじけるみたいにして、ぱちんと破けて脳裏にゆっくり溶けていく。
ルーフはぱちりと目を開ける。視界は驚くほど澄みわたり、一点の曇りさえない。
失われていた記憶が蘇る。ルーフは今、全てを思い出した。
虚空を仰ぎ、ルーフはつぶやく。
「――そうか。だから、僕はここにいるのか」
『ルーフ?』
「いや、いいんだシルフィー。僕はもう大丈夫。先へ行こう。そこで僕を待っている人がいる」
ルーフは晴れやかな顔をして階段を下っていく。とりあえず頭痛は収まったようで、シルフィーはほっと胸を撫で下ろす。だが、同時に、言いしれない違和感も覚えていた。ルーフの纏っている雰囲気が、それまでの彼とはどこか違う別人めいたもののように感じた。
きっと、気のせいだろう。シルフィーは黙ってルーフの後ろに付いていく。
最後の階段を下りると大きな広間に出た。
『きれい……』
辺りを見回してシルフィーが感嘆の声を上げる。
原理は不明だが、ほのかな淡い光の球がそこらじゅうに浮遊しており、広間全体に幻想的な雰囲気を醸し出していた。
ルーフが光球の一つに手を触れる。光球はふわりと一瞬強い光を放ち、すぐに手の中から消えてしまった。
『消えちゃった……』
「これはマナ。世界樹から産生される、この世界を構成する源となる物質。あらゆる生命の根源だよ」
『これが……マナ……。でも、どうしてルーフが知ってるの?』
「樹が教えてくれるんだ。僕には声が聞こえる。『ここはマナの森。世界樹の心臓部だ』って」
長い長い、無限にも思われる階段を進み、とうとう二人は世界樹の心臓部にまで到達したのだ。目指す星核はもうすぐだ。
もう少しで……僕は……。
仄明るい光球に包まれながら、ルーフはマナの森を進んでいく。色取り取りに輝く光球は、まるで彼の来訪を祝福しているようだ。
やがて、二人の行く手に一本の木が見えてきた。ルーフの背より少し大きいくらいの若木で、木の葉はみずみずしい新緑色だ。若木の周りにはおびただしい数の光球が浮遊している。マナの森の中で、その若木は一際異彩を放っていた。見れば、幹にはぽっかりと大きな穴が空いている。穴の中は漆黒で満たされており、内部がどうなっているのか全く分からない。
『これは……?』
シルフィーが問いかけても、ルーフは返事をしない。真剣な瞳で若木をじっと見つめている。
ふぅ、と息をついて、ルーフが若木に手を伸ばそうとしたその時。背後から聞き慣れた友人の声がした。
「ルーフ!」
ルーフが振り返ると、そこにいたのはエンジュだった。
「エンジュ……!」
「はぁはぁ……さすがに……くたびれた~!」
「どうしてここへ……まさか星の脱皮を止めるために来たの? それならもう無駄だよ。星の脱皮は――」
エンジュは肩で息をしながらも、一言ルーフに言った。
「俺はお前に会いに来ただけだ!」
ルーフはエンジュの紅蓮の瞳をじっと見てつぶやいた。
「……エンジュ。僕は止まらないよ」
「教えろよ。なんで世界をぶっ壊そうなんて馬鹿な真似をしてるんだ? そこの妖精に唆されてるだけだろ。お前は相変わらず人を疑わねぇからなあ」
『わ、私は……!』
「シルフィーは関係ない。全て僕が自分で考え、実行したこと。シルフィーは僕の手伝いをしてくれていただけだよ」
「いいか、ルーフ。お前は間違ってる。たとえこの世界を壊そうが……ナナシはもう、帰ってこないんだ。それに……仇はもうとっただろ」
「……違う」
「何が違うってんだ。お前、自分が今世間で何て呼ばれてるか知ってるのか? 〝世界の敵〟だぜ。お前が……〝世界の敵〟! おかしいだろ、絶対!」
「少し黙ってよエンジュ」
「俺は騎士だ。人々を守る義務がある。だがな……それ以前に俺はお前が友達だと信じてる。ルーフ、お前は忘れたってのか……ナナシと三人でシルベ山でかわした友情の契りを」
「そんなわけないだろッ!」
感情を露わにしてルーフが叫んだ。
「……忘れるわけないだろ。エンジュは僕の大切な友達。それは今も昔も変わらないよ」
「だったら……」
「それでも! 僕はやらなきゃいけない。思い出したんだ。僕、記憶を取り戻したんだよ」
ルーフがエンジュと出会ったときにはすでに彼の記憶はなかった。幼少時にチコリ村でヨーコおばあちゃんに拾われてから、おばあちゃんの子として育ってきた。ルーフ自身、記憶を失くしていたことを忘れてしまっていた。記憶を失くしていることで、特に困ることはなかったし、ナナシを除いて、誰もルーフの過去に触れようとしなかったからだ。
長い時を経て、彼は自分が何者であるかを思い出す。そして、幼少の頃の……自分の身に隠されている大いなる秘密を知った。
ルーフは足元を見つめ、小さくつぶやく。
「僕は……ここに居ちゃいけないんだ」
「それ……どういう……」
ルーフは語り始めた。思い出した記憶。自分の出生に隠されていた秘密について。
――自分は人間ではなかった。より正確に言えばこの世界の住人ではない。そのことをここに来て思い出した。いや、頭に入り込んできたという表現法が正しいかもしれない。
ルーフは言うなれば世界樹の化身。星の脱皮を前に、世界の情勢を知るため、世界樹は自らの化身を生み出し、人間界へと召喚する。それがルーフだった。
あらゆる観念にもとらわれずに、己の感覚で純粋に世界を見聞するために、ルーフはあえて記憶をなくした状態で召喚された。そうして実に十八年もの間、ルーフはこの世界を見つめてきたのだ。全ては世界樹の意志によるもの。
世界を回って見聞を広め、答えを出す時間が迫っていた。
話を聞き終え、エンジュは呆気にとられた顔でルーフを見た。
「そんなの……信じられるかよ」
「……エンジュ、君がそう言うのも無理はない。だけど、これは事実なんだ」
「だったら、俺達との思い出も、ナナシと三人で一緒に過ごしたあの時間が無意味なものだったって言うのかよ!」
ルーフの表情が曇った。
「……そんなわけないよ。君達と過ごした日々は僕にとってかけがえのない思い出だ。嘘や虚実なんかじゃない。だって、僕は……僕だよ。たとえ世界樹の化身だったとしても、僕がルーフ・ノートであることに変わりはないから」
「……だったらその思い出を大切にするのも、お前の使命じゃないのか? そんなことをして、ナナシが喜ぶと本当に思ってるのかよ、ルーフ!」
「……僕はこの世界をより良い方へ導く使命があるんだ。分かってくれよ、エンジュ」
「わからねえよ。お前の考えてることは俺にはさっぱり分からない。世界を良い方へ導くだと? ぶっ壊そうとしてる奴が言う台詞じゃねえよ」
「……エンジュは本当にこの世界は素晴らしいと思ってるの?」
「何が言いたいんだよ?」
「僕はそうは思わない。世界は醜さで溢れている。この世界は何の罪もない少女を見殺しにしたんだ。エンジュ。君はナナシの最期を見なかった。だからそんな風でいられるんだ」
エンジュは口をつぐみ、沈黙する。ルーフの表情に影が差した。
やがてルーフは俯いているエンジュに視線を向け、一瞬目を閉じた。
そして踵を返し、若木の方へと歩いていく。
すると、エンジュはぐっと顔をあげ、広間を振動させるかのような大声で叫んだ。
「俺は!」
エンジュの声に、ルーフは足を止めた。
「俺はお前を止める。この身に懸けて」
「……僕は止まらない。たとえ君を倒してでもこの先へ行く。行かなきゃならないんだ」
「……友達をこのまま放っておけるかよ!」
エンジュが背中の鞘に手をかけて走り出す。
ルーフは鋭い目でエンジュを見つめる。彼の意志に反応するように、手が仄かに輝き始めた。
エンジュは剣を抜こうとしている。対してルーフは呪文を詠唱し、手の平をエンジュの方に向けている。
お互いの技が出る刹那、真っ白な光が広間を埋め尽くした。
〈――やめてよ、二人とも!〉
ルーフとエンジュの頭の中に声が響いてきた。
懐かしい少女の声が。
「ナナシ……?」
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