強き心
帝国暦 516年 ヘスの月 4日
ここはとある古城の一室。辺りには人間の手だとか足だとかが無造作に転がっており、城内は腐り始めた遺体が発する酸っぱい臭いが漂っている。
鎧を身につけた数人の男達が城内を闊歩する。おびただしい数の犠牲者は皆、たった一日で彼らの手によって粛清された者達である。
空色髪の騎士エンジュ・ダグは地面に転がった遺体を見つめ、一人溜息を漏らす。やがて剣に着いた浅黒い血を丁寧に拭きとってから鞘に収めた。
彼は今日、王の勅命を受け、旧フレイリィ領の古城に潜伏しているとされている過激派革命団の討伐にやって来たのだ。
兵士の一人が走って来て戦況を告げる。
「敵殲滅完了。こちらの死傷者ゼロ。相変わらず輝かしい戦果でありますな騎士殿」
「……輝かしいだと? ふざけるな!」
「は……?」
「俺は言ったはずだ。なるべく殺すなって。こいつらだって、俺らと同じ人間なんだぞ。どうしてこんな惨い真似が出来る?」
「で、ですが、全員抹殺というのが王様の命令では……」
「んなの知るかよ!」
すると、銃鎧を身に着け剛健な顔つきの騎士が歩いてくる。
副団長のバルバ・ギデオンだ。髭面に白髪頭という、いかにも老兵といった顔立ちだが、戦闘能力は一向に衰えを見せず、今尚、騎士団内でナンバー2の実力を有する騎士である。
バルバは尊厳たっぷりの顔でつぶやく。
「口を慎めエンジュ。今の貴様の言動は王に対する侮辱とも見なせるのだぞ!」
エンジュはバルバを睨み付けて言う。
「絡むなよ。悪かった。撤回するよ」
「……私も出来るなら同僚を斬りたくはない。空いた人員を補充しなければならんからな」
「へっ……ご苦労なこって」
瞬間、エンジュはバルバから放たれる殺気を感じて剣に手をかける。しかしバルバはエンジュを睨み付けるだけで、そのまま兵士を引き連れて歩いていく。彼は去り際にエンジュの耳もとでつぶやいた。
「帝国騎士の名を汚すな。ガキが思い上がるなよ」
そして、古城にはエンジュ一人が取り残された。彼は誰もいない砦で、窓の向こうをぼんやり眺めひとりごちた。
「あれから……八年か……」
あの日、ナナシが殺されてから、およそ八年の歳月が過ぎ去ろうとしていた。村の皆がエンジュ達を助けるために霧の洞窟へ入って来たとき、洞窟内はすでにもぬけのから。ルーフとナナシの姿は見つからなかったという。
それからすぐだ。大帝国教会から、世界の敵――魔女は遂に滅んだ、という告知が世界中に発布された。それはつまり彼らが言う所の魔女――ナナシが殺されたことを意味していた。ルーフの行方も全く分からない。ナナシと一緒に処刑されてしまったのだろうか。
二人が自分の手の届かないところに行ってしまったことで、エンジュは深く絶望した。
だが、悲しみに浸っている時間は無かった。大神官フォズ・レイルザードの伝えた情報によって、チコリ村はエルデンテ帝国に仇なす集団とみなされ、エルデンテ王の勅命が降りたのだ。
やって来たのは帝国騎士団。エンジュは帝国騎士に憧れていたが、村にやって来た彼らの姿を見て絶望した。皆を守るための騎士である彼らが、村にやって来るなり制圧活動を始めたのだ。村人の言葉には一切耳を貸さず、冷たい鉄の鎧に身を包み、馬を駆る彼らの姿はエンジュが憧れていた騎士の姿ではなかった。
私はあいつらが嫌い。ナナシの言った言葉の意味がこの時初めて理解できた。彼らは王の命令以外、一切聞く耳を持たない。まるで機械のような心を持った集団。それがチコリ村に攻め入って来た帝国騎士団の姿であった。
だが、村人たちもただ黙っていたわけではない。勇気ある村の兵士は武器を手に果敢に騎士達に立ち向かった。エンジュは泣きたい気持ちを堪え、村の兵士と共に、決死の覚悟で騎士団への抵抗を試みた。
結果は火を見るよりも明らかだった。ただの村兵が世界最強の騎士団に勝てる道理もなく、ものの数分でチコリ村は帝国騎士団に制圧されてしまった。
村人全員を広場に集めた後、当時の騎士団長、バルバ・ギデオンが歩み出る。
「……エンジュ・ダグはいるか?」
自分の名が呼ばれたことに疑問を抱きつつも、エンジュは騎士団長の前に歩み出る。
「俺だ。なんだよおっさん。殺したきゃ、好きにしな。俺はもう――」
しかし、彼の答えはエンジュの予想とは違っていた。
「口を慎め小僧。王はチコリ村の処遇について、フォズ大神官に全権を委ねられた。フォズ大神官は次のように我々に命令なさった。村を完膚なきまでに制圧すること。そして、エンジュ・ダグ。お前を帝国騎士とすべく騎士養成学院に通わせろ、とのことだ」
「なんだと……?」
エンジュは耳を疑った。あのくそったれの腐れ神官が自分を騎士に……? フォズの真意が理解できない。奴は一刻も早く自分を抹殺するものだと思っていた。
バルバは話を続ける。
「聞けば小僧、お前は、かの紅の魔女に加担し帝国教会の教えを裏切り、大神官殿に歯向かったとか。私ならば即刻切って捨てるところだが……そこはさすが慈悲にあふれた大神官殿だ。殺されなかったことを感謝するんだな」
エンジュはバルバを睨み付け言った。
「ふざけんな!」
「何……?」
「あの屑野郎に慈悲なんてねぇ。奴の命令なんてまっぴらごめんだね。死んだ方がマシだ」
騎士団長は沈黙した。しかし、鎧兜をかぶっていても、彼がただならぬ怒りを抱いているのは分かった。
やがて、バルバはエンジュに告げる。
「……一つ言い忘れていた。小僧。貴様が命に背いた場合、チコリ村を焼土にせよ、と」
途端、エンジュの表情が一変する。
「な……」
「命に従うかどうかは自由だ。期限は一週間。一週間のうちに、貴様が学院の門を叩かなければ、我々は貴様が約束を破棄したと判断し、大神官殿の命に従い、再びこの地に舞い戻る。それでは……よい答えを期待しているよ」
それだけ言うと、帝国騎士団は風のように去って行った。
村の皆はエンジュが王都へ行くことに反対した。エンジュ一人がつらい思いをしなくてもいいじゃないかと言って。
チコリ村は小さな村である。それゆえ、村人の顔は知った顔ばかりだ。皆、エンジュのことを心配し自分の事のように考えている。本当に優しい奴らだ。しかし、だからこそエンジュは自分のためにチコリ村を犠牲にすることは出来なかった。
結局、翌朝にはエンジュは荷物をまとめ、チコリ村を出て行くことになった。
旅立ちの朝、父がエンジュを呼び止めて言った。
「エンジュよ。村のために、本当にすまない。だが、これだけは言っておこうと思ってな」
「なんだよ親父」
「お前はきっと、帝国教会を、大神官様を憎んでおるだろう」
その言葉をきっかけに、エンジュは咳を切ったように思いの丈をぶちまけた。
「……ああ、憎んでるさ。憎んでるとも! あいつらさえいなかったら、何も起きなかったんだ! 村に帝国騎士が来ることも無かったし、ルーフとナナシが死ぬことも無かった! 今日だって、いつものように三人で遊びに行けたんだ……あいつらさえいなければなあ! 俺は許さない。絶対目に物見せてやるんだ。あのくそったれ野郎どもにはなァッ!」
憎悪に狂うエンジュの姿を見て、レイモンドは静かにつぶやいた。
「……だがな、復讐に取りつかれてはいかんのだ」
エンジュには納得が出来ない。自分が間違ったことを言っている……? 違う! あんな屑どもをこのままのさばらせておいていいわけがない。エンジュは鋭い双眸で父親を睨みつける。
「どうしてだよ! あいつらは……ルーフとナナシは奴らに殺されたんだぞ! 村だって……。だから、俺は強くなって、必ずあいつらに仕返ししてやるんだ」
レイモンドがエンジュの頬を思い切り引っぱたいた。
「っ、何すんだよ!」
レイモンドは泣いていた。惜しげもなく大粒の涙で顔を濡らしていた。呆気にとられてエンジュは何も言えなかった。涙を流す父親の顔を見たのは初めてだった。
「お前は友を、本当に大切な友を奪われた。もう永遠に手の届かないところへ連れて行かれてしまった。だが、お前の心からルーフとナナシは消えたのか? ……違うだろう? ルーフもナナシも、いつもお前の心にいるじゃないか。お前の心の中で、二人はそんなことを望んでいるのか? お前が復讐の道を選ぶことを望んでいるのか?」
「それは……」
エンジュは胸に手を当てて沈黙する。レイモンドはそんなエンジュを見て、優しく微笑する。頬を伝う涙が冷たかった。
「いいか。心を強く持て、エンジュ。……わしが言いたいのはそれだけだ」
それだけ言うと、レイモンドはエンジュに背を向けて歩き出す。
エンジュは父親の背中を見た。とても大きな、誇りある男の背中だった。
父の背にエンジュはつぶやいた。
「俺、がんばってみる。できるかどうかわからないけど……見ててくれよ」
そしてその後、エルデンテ王の命で、チコリ村は帝国の監視下に置かれることになった。こう言えば聞こえはいいが、実際は植民地のそれと同じだった。
村人たちはみな馬車馬のごとく強制労働を強いられた。あまりの過酷な労働に、何人も死者が出たという。反乱が起きるのは時間の問題だった。その結果、王命によりやって来た騎士団によってチコリ村は焼土と化した。
まさしく悪魔の所業――人の皮を被ったバケモノと言われる所以であった。
それらの事実を知ったのは、エンジュが騎士になった後だった。
今や、帝国騎士団はエンジュにとって憧れの対象ではなく、村を散々な目に遭わせた憎むべき敵だった。仇敵のお膝下で生活をすることはエンジュにとって、耐えがたいほどの苦痛であったことは言うまでもない。しかし、彼は実に二年もの間それに耐えた。そして晴れて、史上最年少の帝国騎士となったのである。学院を飛び級の首席で卒業し、帝国騎士団に入団したエンジュの噂はたちまち広まり、王都全土で話題の人物となった。
そのころすでに、チコリ村は地図から消えてしまっていた。
エンジュは地獄の業火のような黒い怨嗟が日に日に胸の内で大きくなるのを感じていた。いつの日か彼らをこの世界から抹殺してやろうとも思った。
だが、そう考える度、ナナシの笑った顔、ルーフの寝ぼけ顔、そして父の涙が目に浮かんだ。
その度にエンジュは拳を握りしめ、泣きながら必死に剣の鍛錬に励んだ。胸に湧いてくる大神官の下卑た笑みを振り払うように、剣にすがりつき、一心不乱に振り続けた。
――もう二度とあんなに悲しい出来事は起こさない――
その一つの思いだけを胸に抱き、剣を振り続けた。
八年もの歳月はエンジュにとっては一瞬のように感じられた。それほどエンジュの心は空虚な思いで満たされていたのである。
エンジュはふぅ、と息をついて、古城を後にする。
城の外は晴れていた。塵風が吹きすさび、空気がひどく乾燥していた。
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