エンジュの戦い

 洞窟内部は鍾乳洞のようになっていた。薄暗く、辺り一帯が霧のような靄に包まれていて、ひどく見通しが悪い。空気はひんやりとしていて、ぽつぽつと、水滴が上から落ちてくる。天井から剣山のように突き出した岩が行く手を阻み、三人は手探りで慎重に奥へ進んでいく。


 奥へと進みながら、エンジュは違和感を覚え、得心しない面持ちで歩いていた。彼の表情を見て、ナナシは不安な声でつぶやいた。


「ねぇ、エンジュ……ほんとに出口がどっちの方にあるかわかるの……?」


「…………」


 エンジュは黙ったまま、なにやら独り言をつぶやきながら歩いている。


「エンジュ?」


「……違う。こんなんじゃない……これは、ちとまずいぜ……」


 エンジュは立ち止まって、うんうんと考え込んでいる。どう見ても様子がおかしい。


「ねぇ……違うとか、まずいとか……一体どうしたのよ?」


 エンジュは納得しきってない顔で答えた。


「なんかこの洞窟……前に俺が入った時とは、ずいぶん変わってるみたいなんだ。そもそもこんな霧、前は無かったんだ。しかも、こんなに長い洞窟でもなくて、ほんとにただの小さな横穴だったんだ」


 その時、不意にどこからか「それはそうさ」という声が聞こえてきた。

 声は鍾乳洞の中で反響しており不気味に響き渡っている。


「だ、誰だ!?」


 まさか……もう追手がきたのか? 早すぎる。先の見えない暗闇で、どうしてこんなにも早く自分たちの居場所が分かったのだろう。しかし、悠長に考えている時間は無い。



「伏せて!」



 ナナシの言葉と同時に、地面に伏せたルーフとエンジュ。直後、先程まで二人の頭があったところを矢が飛んでいく。


 やがて、統率のとれた足音が近づいてきた。

「……ようやく会えたな紅の少女よ」


 三人の目の前には白装束の男たちが立っていた。

 集団の中から、一際目立つ帽子をかぶり、高そうな宝石を付けた老紳士が歩み出た。


「私はずっと君を探していたんだ。会えて光栄だよ」


 ナナシが長髭の男を見てつぶやく。


「……大神官」


 長髭男の隣にいた老紳士が薄気味笑い声をあげながら、ナナシの全身を舐めるように見た。その吐き気を催すような奇怪さにナナシは思わずぶるりと体が震えた。


「随分と見違えた。おかげで探すのに苦労したぞ……」


 ナナシは鋭い双眸で白装束の男達を睨む。


「ナナシ、このおっさん達と知り合いか?」


「…………」


「知り合い? そんな甘い関係ではない」


 ナナシの顔は青ざめていた。彼女の瞳は生気を失くしたように虚ろな色をしている。

 エンジュには両者がどういう関係なのかは分からない。ただ、ナナシが長髭男の事を恐れ、忌避しているのだけは分かる。そして、男達が危険な集団であることも感じ取れた。


「……ルーフ、ナナシを連れて逃げろ」


「でも……エンジュは……」




「……知ってるだろルーフ。俺は無敵だ」




「あんた何言って――」


「いいから早く行け!」


 ルーフはエンジュの事が気がかりだったが、彼の瞳を見ているうち思い直して、ナナシの手を取る。



「……必ず来てよね。ぼくはエンジュを信じてるから」



 ルーフはナナシの手を引いて駆けて行った。一人残ったエンジュは、対峙する男達に向けて問う。


「……あんた誰だ? 俺たちに何の用があるってんだ」


 勇んで言うエンジュだったが、彼自身、拭い去ることの出来ない恐怖と必死に戦っていた。


 長髭の男は一転して、冷徹な表情でエンジュを見てつぶやく。


「……父親同様、失礼な奴よ。スゲース……やれ」


 彼がエンジュの方へ手を向けるのを合図に、四方から矢が飛んできて、エンジュの体をずたずたに引き裂く。


「ぐぁぁ!」


 致命傷には至らなかったものの、エンジュはその場にがくりと膝をつく。

 倒れたエンジュにスゲースが近づいてきて言った。


「くっくっく……。馬鹿な奴だねェ。咎人と関わり合いになったのが運のツキだ」


 エンジュは痛む肩を押さえながら言う。


「なんなんだよお前ら……ナナシは咎人なんかじゃねえ……あいつはもう盗賊じゃないんだ!」


 スゲースは高笑いしながらエンジュに言った。


「無知というのは実に浅ましいものだねェ……。あの小娘が盗賊? ハッ! そんなの何ら関係ない。問題はな……もっと根深いところにあるんだよ。……我々は君達が良く知る組織。民衆の模範となり人々に神の御心を教え導く者たち――大帝国教会。そして、私の隣に立つこの御方こそが教会の最高権力者――大神官フォズ・レイルザード様だ!」


 その言葉を聞いた瞬間、エンジュの表情が凍り付いた。

 何かがエンジュの中で音を立てて瓦解していく。


「嘘……だろ……」


「嘘ではない。この胸のエムブレムがその証拠だ」


 そう言って、スゲースはフォズの胸元を指さす。金で装飾されたボタンの隣に、大帝国教会の神官であることを示す、エメラルドの十字が結ってある。胸のエムブレムは、目の前の長髭の男が帝国教会の最高権力者、大神官であることを証明していた。


 フォズはナナシが立ち去った方を見つめてつぶやく。


「我々はあの娘を追ってここまで来た。邪魔をするな」


「……ナナシをどうするつもりだ」


 エンジュの質問にスゲースが答える。


「殺すさ。もちろんね。血祭りに上げてやるよォ。奴を野放しにしておけば困ったことになりかねないのでね」


「んなことさせっかよ!」


 エンジュは渾身の力で立ち上がり、スゲースに体当たりを食らわした。

 思わぬ反撃に面食らった隙に、エンジュはスゲースが腰に吊っていた剣を奪う。


「ちっ……このガキ!」

 近くにいた神官が襲い掛かってくる。


 しかし、この状況下でもエンジュは不思議と冷静であった。彼の脳裏には道場で修業した剣の動きが鮮明なイメージとなって浮かびあがる。浮かんだイメージにそのまま自分の体を合わせる。

 エンジュは前方に小さく跳躍し、神官の腹に一撃を見舞った。それは一瞬の剣戟であったが、エンジュの剣は蒼い旋風のごとく神官を切り刻んだ。

 神官は腹を押さえながらその場に崩れ落ちた。


「ほう……やるじゃないか、小僧……」


 仲間が一人倒れたにも関わらず、フォズの口調は穏やかだった。


「スゲース。小僧の処理はお前に任せる。私は魔女を追う。しくじるなよ」


「御意」


 フォズはルーフたちが去った方へと歩き出す。


「ま、待てよ!」


 ルーフ達の元へ行こうとするフォズを止めるため、エンジュが剣を片手に飛び込む。しかし、スゲースが神官たちに支持してエンジュの行く手を阻んだ。


 フォズは不敵に笑いながら闇の中へと消えていく。


「くそったれ……邪魔しやがって!」


「ふん……貴様が行ったところでどうなるわけでもないが……フォズ様の命令だからな。貴様にはここで死んでもらう!」


 スゲースの指示で神官たちがエンジュをぐるりと取り囲む。多勢に無勢。エンジュの額を冷や汗がつーっと垂れていく。



 ……まずったぜ。どうやらルーフとナナシに追いつくのは無理そうだ。……けど!



 エンジュは剣を握る手に力を込める。


 ここでむざむざやられるわけにはいかねぇ。せめて俺がこいつらだけでも倒せたら、大神官のおっさん一人くらい、きっとルーフが何とかするはずだ。ルーフはとぼけているように見えて、実はけっこうやるヤツなんだ。俺はあいつを信じてる。だからナナシはきっと大丈夫。


 まずはこいつらを片付けること!


 そこからのエンジュの攻撃は見事なものだった。足に傷を負っているはずなのに、目にもとまらぬ早業であっという間に四人を切り伏せた。

 エンジュは敵の攻撃を最小限の動きでかわしていく。そして次々と敵を切り伏せた。



 かわす。




 斬る。




 かわす。




 斬る。




 またかわす。




 そして斬り伏せる。


 何人斬っただろうか……。敵の軍勢は衰えを見せない。

 やがて、足が動かなくなってきた。痛みで全身が焼けるようだ。

 それにも構わずエンジュは剣を振り続けた。


 かけがえのない大切な友を守るために剣を振り続けた。


 剣を振る間、エンジュの頭にはルーフとナナシが笑っている情景だけが思い浮かぶ。


 エンジュの実力を見くびっていたスゲースの顔に徐々に焦りの色が見え始める。

 子供とは思えない強さだ。一国の騎士団に所属していてもおかしくない実力。この子供は一体……?


 だが、エンジュの無双は長くは続かなかった。


「ぐっ……体が……動かねえ……」


 エンジュはがくりと崩れ落ちた。意識はまだある。自分はまだやれる。しかし、体が動いてくれない。

 スゲースは倒れたエンジュを見下すと、背中を足でぐりぐりと踏みつける。

 全身の痛覚が悲鳴をあげる。それでもエンジュは気絶しまいと、意識を強く保った。


「ようやく毒が効き始めたか。ったく、手こずらせてくれる!」


 エンジュが最初に受けた矢。あの矢には麻痺性の神経毒が塗られており、時間差で毒が回り、エンジュは立てなくなってしまったのだ。


「この小僧はどうします、スゲース殿?」


「……今は魔女とフォズ様を追いかけるのが先だ。それに……この小僧にはまだ利用価値がある。行くぞ」


 スゲースは倒れたエンジュを一瞥すると、その場を去った。

 狭まっていく視界にはスゲースの背中が映し出されている。

 エンジュは最後の力を振り絞って、口を動かす。



「くそっ……た、れ……」




 視界はどんどん狭くなって、やがて目の前が真っ暗になった。

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