三人の出会い――ACT.2 血染めの夜鷹
やがて、ルーフとナナシはさびれた酒場の前までやって来た。鴉の鳴き声が響き渡り、通りは不気味な雰囲気で包まれている。周囲には、とかく形容しがたい独特の香りが漂ってくる。よく、お祭りの時に大人が喜んで飲む、お酒とかいうやつの匂いだ。
酒場の前で立ち止まると、ナナシはルーフに詰め寄って言った。彼女の長髪が、ルーフのおでこにさらりと触れて、少しくすぐったい。
「ルーフ、この中ではあんまりしゃべっちゃだめだからね。いい?」
「う、うん……わかったよ。……ッ!」
突然ルーフが頭を抑えて苦しそうに呻く。
「ルーフ? 急にどうしたの!?」
ルーフの頭痛はすぐに治まり、彼は何事もない顔でナナシに言う。
「たまに頭が痛くなることがあるんだ。けどすぐに治るから大丈夫。ほら、今はもう平気だよ」
「それならいいけど……一応、この中では静かにしてるのよ」
ナナシはもう一度ルーフにしっかりと念を押してから、店のドアノブを回して中に入った。
ドアが開くと、酒の匂いがより一層強くなった。強い酒の匂いが鼻をツンと刺激して、ルーフは少しくらくらした。
店の中はカウンター席があるだけの至ってシンプルな作りだった。店の主人らしき男がグラスを丹念に拭いている。二人の他に客の姿は無く、店内は異常な程に静かだった。
ルーフはドアの傍で、ナナシが男と話しているのをじっと見ていた。二人ともボソボソと小さな声で話していたから、話の内容は聞き取れなかった。
話が終わると、ナナシはルーフの手を引いて店の奥へと連れて行く。店の主人風の男とすれ違う際、男がわずかに口角を上げて笑うのが見えた。
店の奥には、一見したところ何もない。だが、ナナシが踵で三回地面をとんとんと叩くと、それまで床だった所がぱかっと開いて、階段が現れた。
「すごい……! ねぇ、ナナシ。これ、どういう仕組みなの?」
ルーフは興味津々に質問したが、ナナシがおっそろしい顔で睨むので、それ以上追及するのは止めた。
ナナシはポケットから小さなカンテラを取り出して火を灯す。そして、カンテラの灯りを頼りにして、慎重に階段をおりていく。
長い、長い階段で、カンテラの灯りが無ければルーフはきっと足を踏み外して転んでしまっていただろう。
階段をずっとおりていくと、やがて、二人は人一人がやっと通れそうなほどの扉の前にやって来た。
ナナシは慎重に扉を開けて入っていく。ルーフも恐る恐るそれに続いた。
扉の奥は、今までと打って変わって、まるで別世界のようだった。
そこは大きな広間のようになっていて、まるで昼間のように明々と眩しいまでに照明がついていた。大きなカウンターテーブルの他に、円卓がいくつも置いてあって、怪しい格好をした男たちが飲め食えやの大騒ぎ。夜だというのに騒々しい事この上ない。床のあちこちには、彼らが落としたものと思われる酒瓶やら食べかすやらが散らばっている。
大きなカウンターテーブルの奥に立っていたおっさんがナナシを見つけると、目玉を丸くして言った。
「誰かと思えば……てめえか」
おっさんの声で、他の男たちもナナシに気づく。
「おお、怖ぇ。暗殺師のお出ましときたもんだ。ケッヒヒ」
「今日はお供を連れて参上かい……」
などと、口々につぶやき、下卑たように笑う。
だが、ナナシは男たちのそんな態度にはすっかり慣れた様子で、無表情のまま、まっすぐカウンターへと向かっていく。カウンターの向こうでグラスをふきふきしているおっさんを睨むようにして席に着いた。ルーフはナナシの後ろで肩身狭そうに立っていた。
酒場の主人らしいおっさんは無精ひげを生やしたゴツイ顔をしていた。体は筋骨隆々と溢れているマッチョで、肩口から腕を出したような薄着の恰好だ。一言でいえば、ワイルドな風貌である。慣れた手つきでグラスにドリンクを注いで二人の前に置いた。
ナナシはグラスをぐっと煽る。コーヒーの苦みに混じって、牛乳の優しい甘みが口の中いっぱいに広がる。ルーフもナナシにならってぐびぐびと飲んだ。
二人が飲み終えた頃合いを見計らって、おっさんは低い声で尋ねた。
「お前が人を連れてくるなんて珍しいじゃねえか。それで……奴は?」
ナナシがグラスを置いて答えた。
「始末したわ。後はいつものように自警団の連中がどうにかするでしょ」
「なるほど仕事が速いな。それで……隣の坊主は一体誰だ?」
おっさんにじろりと睨まれて、ルーフはおずおずと自分の名を告げた。
「ぼく? ぼくはルーフ。ルーフ・ノート」
面食らった顔をしておっさんはナナシに話を振る。
「おい、こいつは何だ? どこで拾ってきた?」
ナナシはグラスに目を落としたまま、そっけない態度でつぶやく。
「盗賊がどういうものか知りたいんだってさ」
「それで連れてきたってのか?」
「仕方ないでしょ。ついてくるなって言っても聞かないんだもん」
すると、おっさんは困った顔をしながら、品定めをするようにルーフを睨む。ルーフは何も知らぬ呑気な顔で微笑み返した。
フンと、鼻息を鳴らしておっさんは話を続けた。
「教えてやろう。ここは、泣く子も黙る盗賊ギルド――《ヴァラスト》のアジト。そして、俺はここのリーダー、ギルドマスターのジャン・ローレンツだ」
「盗賊ギルド?」
ルーフはきょとんとした顔で、ジャンの話を聞いていた。
「お、坊主。どうだい、おっかなくてチビっちまったか? まあ、当然だ。こんなにたくさんの盗賊に囲まれてちゃなあ! はっはっは」
高笑いするジャンに合わせて周りの男たちも豪快に笑う。
すっかり有頂天のジャンを冷ややかな目で見つめ、ナナシは言った。
「あのね、たぶんこの子は全然怖がってなんかいないと思うわよ」
「うん。別におじさん達怖くないよ」
「はァ!? 坊主、盗賊だぜ、俺たちは! と・う・ぞ・く!」
「盗賊って何をするの?」
一瞬、沈黙が辺りを支配する。
ルーフは田舎のチコリ村育ち。都会から隔絶された辺境の村で育った彼は、ひどく世間知らずだった。平和でのほほんとしているチコリ村には盗賊なんているはずもなく、盗賊という存在がなんたるかをルーフは知らなかったのである。
「なぁ、坊主。お前、盗賊知らないのか?」
「うん」
平然とした顔で頷くルーフに、ジャンは溜息しながら話す。
「……いいか、ルーフ。盗賊っていうのはな、怖い人達なんだぞ。普通の人はめったなことではお近づきにはなりたくないし、国の騎士団からも追われる悪い人達なんだ。人の物をとったら泥棒。知ってるよな?」
「うん。そんなことしたら、村長に怒られちゃうよ」
「そう。そんで、盗賊は人の物を取って暮らしてる人達だ。すべての盗賊がそうとは限らないが、少なくとも俺たちはそうやってこれまで生きてきた」
「だめだよ、そんなこと」
ルーフの言葉を聞いて、ジャンは軽く笑って見せた。
「確かにそうだ。だがなぁ、お前も大人になればわかると思うが、綺麗事だけじゃあ、この厳しい世の中、生きていけねぇんだ」
「そういうものなのかあ……」
「そういうものなんだよ。それで、何でお前、血染めにくっついてるんだ? このアバズレに何かされたのか?」
「血染めってナナシの事?」
「なんだ、ナナシって?」
ジャンは怪訝な顔でナナシを見る。バーにいた他の男たちも、皆同じような顔でナナシを見ていた。ナナシは困ったような表情で答えた。
「私も知らないわよ。この子が私の事を勝手にそう呼んでるの」
「ナナシのホントの名前はちぞめなの?」
「いや違う。それはこいつの通り名だ。血みたいに赤い髪をして、夜の闇をかける暗殺師。そうしてついた通り名が血染めの夜鷹。だが、ナナシねぇ……。いい名じゃねぇか。俺もこれからはナナシと呼ばせてもらうかな」
「バカ言わないでよ!」
傍にいた他の盗賊たちがどっと笑った。馬鹿にされたナナシはむっとして頬を膨らませた。
「見たかルーフ。こいつはホント短気でさ。困ったもんだ」
「ナナシ、あんまり怒らない方がいいよ。おこりんぼは長生きできないんだって。おばあちゃんが言ってたよ」
ルーフの言葉でまた、酒場が笑いに包まれた。
そんな時、座って酒を煽っていた男が立ち上がり、ジャンに言った。
「団長。楽しいのも結構ですが……そろそろ例の話を」
彼の言葉でジャンは酔がさめたようにはっとする。
「お、おおそうだったな。話というのは他でもないお前のことだ」
「私?」
ジャンは先程までの砕けた態度とはうってかわって、硬い表情になってつぶやく。
「……お前が団に入ってからもう十年になる。銃の扱い方も知らなかったお前が、よくもここまでになったもんだ」
ナナシは僅か三歳の時に盗賊の世界へと足を踏み入れた。まだ赤ん坊だったナナシを拾ってくれたのが若かりしジャンのである。はじめは団のマスコット的存在であったナナシだが、徐々に才能が開花し、十歳の若さで団の秘密諜報員、暗殺師を任されることになったほどである。そんなナナシも今年で十三歳。盗賊になって十年の月日が経過したことになる。
ナナシは訝しむようにジャンを見つめてつぶやく。
「それで何? まさか誕生日パーティでも開いてくれるつもり?」
「ああ。ある意味パーティだな……」
ナナシを見つめるジャンの双眸が鋭くなる。ルーフはわけも分からず緊張していた。なぜだろう、ジャンの瞳を見ていると、体が強張る。肌に触れる空気がぴりぴりしている感じがする。
「団に入って十年になるお前に、俺達はある試練を課すことにした」
「試練?」
試練と聞いてナナシは首を傾げる。今更入団テストなんてあるわけ無いし、いつもの気まぐれかもしれない。この時、ナナシはジャンの申し出を安易にそう考えていた。
ルーフは二人の会話を固唾を呑んで見守っていた。
ジャンはふぅ、と一息ついてから、低い声で重苦しそうにつぶやいた。
「血染め……お前にはある人物を殺してもらいたい」
試練って聞いて驚いたが、なんだいつもの依頼じゃないかとナナシはほっとする。ナナシにとっては暗殺依頼なんていつものこと。常人とはもはや感覚が違うのだ。
「もったいぶって言うからびっくりしたじゃない! 依頼なら依頼って普通に言えばいいでしょ?」
「何か勘違いしてるようだな……。お前、『殺す』って言葉の意味をわかってるのか?」
いつになく真剣な顔をして詰め寄るジャンに、ナナシは思わずたじろぎながら答える。
「な、何よ。いつものように私が背後から麻酔弾で一発。眠らせたところで、自警団の連中が気づくように細工すればいいんでしょ?」
「違う」
ジャンの声のトーンが一層低くなる。
「人を殺すってのはな、そんな簡単な事じゃねえんだ。血染め。お前が今までやってきたことは、俺らにとっちゃ、お遊びの領域なんだよ」
ナナシは周りに座っていた同僚たちに視線を向ける。皆、ジャンと同じように、真剣な瞳でナナシを見つめていた。酒場の中で、ルーフだけがきょとんとした瞳でナナシを見ていた。
「あ、遊びって……ふざけないでよ! 私はこれでも――」
ナナシの言葉を遮ってジャンが話す。
「それはわかってる。年の割にお前はずいぶんと頑張った。だがな、それはあくまで年の割によくやった程度にすぎないんだ。はっきり言って、俺達から見れば……お前は盗賊であって、盗賊ではない」
――盗賊であって、盗賊ではない。だとすれば一体自分は何なのか。空虚な気持ちが雪崩のごとくナナシの心に流れ込む。
「盗賊ってのはそんなに生易しい稼業じゃねえ。時には人を殺さなきゃならないこともある。仲間を守るためには仕方ないことなんだ」
「…………」
沈黙するナナシにジャンは話を続けた。
「血染め、答えろ。お前がこれから先も俺達とともに、盗賊として生きていきたいなら、試練を受けろ。もちろん受けない選択肢だってある。だが、その際はヴァラストを破門する。今後一切、俺達に関わることを禁ずる」
そんな……。試練を受けて殺人が出来なければ団を破門されるなんて……。そんなのいきなり言われたって分からない。団にいられなくなったら、帰る場所は無い。盗賊団は孤児であるナナシにとって、唯一の自分の居場所だったのだ。
その場所を去らなければならないかもしれない。
そんなの嫌だ。暗いところで泣いていても、誰かが笑わしてくれた。でも、団を抜けたら、愉快な仲間たちは手の届かう所へ行ってしまう。
暗い世界に一人ぼっちで、泣いている自分の姿を想像して、ナナシは思わず体を震わせた。そんなの嫌だ。私は皆と一緒にいたい。名前を知らない自分を愛してくれる、ヴァラストの皆とずっと一緒にいたい。
ナナシは奥歯を噛み締めながら立ち上がり、ジャンに向けて一言つぶやいた。
「……試練を受ける」
「本当にいいのか? 引き返すのは今のうちだ。言っておくが、こちら側に来たら、もう二度と向こうには、日の当たる場所では暮らせなくなる。お前は本当にそれでもいいのか?」
ナナシは少しの沈黙の後、声を絞り出すように言った。
「……それでも、私は皆と一緒にいたい。だから……試練を受けるよ」
ジャンはナナシの瞳をじっと見つめた。彼女の大きな鳶色の瞳は、曇りの無い輝きを放っている。それは彼女の言葉が確固たる意志によるものであると感じさせた。
僅かに口角を上げてジャンがつぶやく。
「……覚悟はできたようだな。なら、これを受け取れ」
ジャンは一発の銃弾と漆黒の封書をナナシに手渡す。ナナシはコートから銀色の銃を取り出し、受け取った銃弾を装填する。銃を再びコートの中に忍ばせてから、封書の封を開けた。ぺりぺりと糊の剥がれる音がして、中から二枚の紙が出てくる。一枚はレイリークの地図。そしてもう一枚は手配書だった。裏には名前や交友関係などの特徴が羅列されている。
「この人を殺ればいいのね……」
「そういうことだ。期待してるぞ」
ナナシは手配書をぐしゃりと握りつぶすと、コートを翻し、酒場の階段を颯爽と上がっていった。
ジャンはナナシが出て行った方向をじっと見つめた後、息を一つついてからある異変に気づく。
「あれ、あいつ、どこいった……?」
先刻までカウンターに座っていたはずのルーフの姿が無かった。
慌ててジャンが外に出ると、ナナシを探して走るルーフの姿を見つける。
ジャンはルーフをとっ捕まえ、語気を荒らげて言った。
「馬鹿野郎! お前が出て行ってどうする気だ?」
「離してよジャン! ナナシに人を殺させるわけにはいかないんだ!」
「何故だ? これは奴の、ナナシの問題だ。ルーフ、お前が関わるべきじゃねえ。お前は結局、他人なんだよ。奴の問題は奴自身がケリをつける必要があるのさ」
すると、ルーフは震える声で叫んだ。
「他人じゃない。ぼくは……ぼくはナナシの友達だっ!」
「友達だぁ? だからってお前なぁ――」
「――ようやく見つけたぜ、ノロマ野郎」
不意に声がして、ルーフとジャンは振り返る。
そこには大剣を携えた空色髪の少年、エンジュが壁面の上に威風堂々と立っていた。
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