帝国からの使者

 コツコツコツ……。

 チコリ村の集会所にある一室で白装束に身を包んだ男が、顔をしかめて手に持った杖でしきりに床を叩いている。


 彼の名はスゲース・アンドロウ。何を隠そうエルデンテ帝国の国教、帝国教会の神官である。その彼がどうしてこんなド田舎の集会所にいたのかといえば、教会の最高位につく大神官から視察の命を受けてのことであった。田舎の農村になど行きたくはなかったが、逆らえるはずもなく、こうしてしぶしぶやって来たわけなのだが……。村の村長は畑仕事の真っ最中らしく、村人が呼びに行ったばかりだ。村長が来るまでの間、こうして集会所で待たされていたというわけである。


 スゲースは腕時計に目をやりながら舌打ちをする。

 大神官様も困ったものだ。こんな田舎町に行ってこいなどと、とんだ拷問ではないか。集会所の窓から見渡すかぎり、周りは畑ばかり。退屈を紛らすものは何も無い。綺羅びやかな店や、酒場の類はどこを探しても見つからなかった。せめて侍女の一人や二人でもいれば、退屈を紛らせたものを……。


 そんな時、扉が開いて、額を汗で濡らした初老の男が飛び込んでくる。

「いやあ、お待たせしてすみません! 今日は収穫日でして……」


 スゲースは男に怜悧な視線を浴びせると、立ち上がりがてらつぶやいた。

「フン……わざわざやって来た客人を放っておくとはな……この村の程度もたかが知れるわ。まあ良い。その方、名はなんと言ったか?」


「申し遅れました、私、チコリ村村長のレイモンド・ダグにございます。以後、お見知り置きを。村の者も、使者様の講演を心待ちにしておりますので、今日はよろしくお願いします」


「まったく……今時、帝国教直属の教会が無い村など聞いたことがないわ。話を終え次第、私はすぐに王都に帰還させてもらう。こんな村、少しでも長居したくはないのでな」


 しかし、レイモンドは努めてにこやかな笑顔で返した。

「了解いたしました。こちらこそ、ご足労を賜り光栄にございます」


「ふん……狸めが」


 スゲースは舌打ちをしながら、集会所の扉を開けた。

 集会所の周りには、十五人ほどの聴衆が集まっていた。わざわざ王都から来てやったのに、集まったのがたった一五人なんて。笑わせてくれる。どこまで人を馬鹿にすれば気が済むのだこの村は。

 落胆した表情で溜息を付きながら、スゲースは村人たちの前に歩み出る。そして、小さく咳ばらいをしてから話しだす。


「……オホン。皆さん、ようこそお集まりいただきました。私、王都の帝国教会にて神官を務めるスゲースと申します。本日は皆様に、帝国教の理念、そして日々の祈りの大切さを説くべく、こうしてやって来た次第であります。さて、まず帝国教についてですが、御存知の通り、歴史も古く、大神官であるフォズ様は三四代目でして――」


 スゲースは話を中断する。広場の村民たちが彼から視線を外し、向こうの林を見て何やらひそひそ言い合っている。


 傍らに立っていたレイモンドが一喝する。


「ほらほら静粛に。せっかくスゲース殿がありがたーいお話をしてくださっているんだから、もっと真面目に聞かんか!」


 すると、村民のガジが林の方を指さしてつぶやいた。

「で、でも村長……あそこにいるのって、たぶんエンジュ坊っちゃんじゃないですか?」


「何を馬鹿なことを。エンジュなら、先程ルーフたちを迎えに行かせたばかりだ。そろそろ来るはずだが……」


 しかし、言いながらレイモンドはガジが見つめる方向に、息子の姿を見つけてしまった。


「やっべ……見つかっちまった……。おい逃げるぞお前ら!」


「だから言ったでしょ! もう!」


「ち、ちょっと待ってよ二人共~っ!」



 レイモンドが体をわなわなと震わせて叫ぶ。

「こんのバカタレ……何をしとるかーっ!」



 村長の怒声は、林の中にいたエンジュ達にもはっきり届いた。エンジュは冷や汗を垂らしながら、虎に睨まれた兎よろしく、一目散にその場から逃げ去った。

 広場はすっかり笑い声でざわめいており、とても講演を聞くような雰囲気ではなくなってしまった。


 レイモンドは顔を真赤にしながら、ぺこぺことスゲースに頭を下げる。

「た、大変失礼致しました! 後でキツく言って聞かせますので、子ども達の無礼な真似をどうかお許し下さい!」


 恐る恐る顔を上げると、スゲースは思わしげな顔をして、エンジュたちが去った林の方向をじっと見つめていた。


「あの紅髪の少女……いや、まさかこんな場所にいるはずが……」


「神官殿?」


「ん? ……なんでもない。子供のしたことにいちいち目くじらを立てていてはきりがない。だが、この村のしつけがなっていないことの証明でもある。全ては村長であるレイモンド、貴様の責任だ。そのことを深く自覚し、反省するんだな」


 スゲースは持っていた杖の先で地面をドンと強く叩く。その音で、村人たちが一斉にスゲースに注目する。


「さて、皆さん話を続けましょうか。今回は魔女の脅威についてお話したいと――」

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