冴えない笑顔
お題:「吉村英俊」「冴えない人」「伝説」
夕日の差し込む教室に一人、彼は座っていた。麗美な瞳でぼんやりと物憂げに黒板を見つめる彼の名前は吉村秀俊。吉村は誰もいない教室ではぁ……と大きな、それは大きなため息を吐いた。
目の前にいても気づかないような、まるで空気のように冴えない男。そんな男に吉村はなりたかった。もともと人付き合いが億劫で、一人でいるのが好きなのだ。高校生活は静かに穏やかに過ごしたかった――なのに。
入学して間もなく、吉村は大きな事件に巻き込まれた。下校途中、吉村の前を歩いていた女の子が、歩道橋の階段に足を滑らせて転びそうになった。考えるよりも先に、咄嗟に体が動いていた。
気づけば、吉村は両手で転びそうだった女子を抱きかかえるように支えていた。
「あの……助けていただいてありがとうございます」
「い、いぇ。俺はこれで」
会話が苦手な吉村はそのまま、そそくさと去っていく。
後から知ったことだが、この時吉村が助けたのは、近所の高校のマドンナ生徒会長だったらしい。吉村が彼女を助け、特に礼も求めずに去ったことは学生たちの口コミでどんどん広がっていって、あっという間に学校中の生徒から注目の的、生ける伝説になってしまった。噂が噂を呼び、今ではすれ違いざまに「白馬の王子」と呼ばれる始末である。
入学前に吉村が思い描いていた、ささやかな高校生活の面影はもはや、どこにも見当たらない。
吉村は疲れていた。必要以上にもてはやされることで精神がすり減っていく。
突然、横の窓ガラスが割れた。
驚く間もなく、吉村は椅子から転げ落ちていた。
窓から飛来した拳大のソフトボールが左頬に直撃したのだ。
ボールの威力はだいぶ落ちていただろうが、それでも痛いことは痛い。
「ごめんなさぁい!」
下の方から声が聞こえる。おそらく、ボールを飛ばした本人だろう。
吉村はふらふらと立ち上がり、窓の下を見下ろす。
ユニフォームの生徒が一人。男子ソフ部なんてあったっけ?
彼は吉村の姿を見ると、すぐに校舎の中へとやって来た。
教室のドアを少し乱暴に開けると、
「いやぁ、ごめんごめん。ノックの練習してたら、ボール飛んじゃってさ」
「ガラス、割れちゃったけど」
「いいのいいの。よくあることだから、先生も許してくれるって。きっと……たぶん。って、んなことより、キミ、白馬の王子じゃん。こんなとこで何してんのさ?」
「何って……べつに」
「ふぅん。案外、白馬の王子も冴えないもんだねぇ」
瞬間、吉村の脳裏に電撃が走った! ……気がした。
冴えない奴――そんな風に言われたのは、高校に入ってから初めてのことだった。
男子生徒はにこにこ笑う吉村を、気味悪く思って苦笑いする。
吉村は高校生活で初めて、友達になれそうな奴を見つけた。何が幸運なのかは、その人本人にしかわからない。いや、本人すらわかっていないだろう。とにかく、吉村は久しぶりに笑った。乾いた苦笑ではなく、素直な冴えない笑いだった。
ちなみに……吉村が彼と友達になれたかどうかは定かではない。
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