イルマの呪

 この場を埋め尽くしていた生ける屍ゾンビの群れが消え失せ、今この場にいるのは合流を果たした俺とクリーク達だけだ。

 ただそんな俺達の間にも、今は一切の言葉が交わされる事は無い。


『イルマを殺す事が出来るのか?』


 俺の発した問い掛けに、クリーク達が絶句していたからに他ならなかった。

 そして聞こえるのは、ただ吹きすさぶ風の音だけ……だったんだが。


「う……うぅ……」


 そんな静寂なんて、そう長く続く事は無かった。

 何故なら、未だに苦悶の表情を浮かべているイルマが、苦しそうな呻き声を発したからだった。

 俺の方はそうでも無かったが、クリーク達はその言葉でハッと我に返った様だった。


「ちょ……ちょっと、何言ってるのよ、先生!?」


 俺の台詞が、質の悪い冗談にでも聞こえたんだろうか?

 何とか笑みを浮かべようとしてそれに失敗しているソルシエが、声に焦りを含ませながらそう問い返して来たんだ。


「そ……そうだぜ、先生! 今はそんな冗談、言ってる場合じゃないだろ!?」


「……せ……先生……」


 彼女の言葉にクリークが同調し、そのやり取りを聞いていたダレンはオロオロと俺の方を見ていた。

 もっとも、俺の方は冗談を言ったつもりなんてこれっぽっちも無いんだがなぁ。


「……冗談? この状況が、お前達には冗談ごとに見えるのか?」


 だから俺は、至極真面目な声音で答えた……つもりだったんだが。

 流石の俺も、多少動揺している事は……認めよう。

 目の前で、可愛い教え子が今まさにその命を終えようとしているんだ……それは仕方ないよな。

 だから俺の声が、どうにも冷徹に聞こえたとしても……それは俺のせいじゃあない。

 ただし、そんな俺の心情なんてクリーク達に汲み取る事なんて出来る訳がないだろう。

 その結果、彼等は更に硬直して声を出す事すら出来なくなってしまっていたんだ。


 再び、乾いた風の音とイルマの呻吟しんぎんした声が俺達の耳朶じだに触れた。

 ただし、やっぱりそんな状態が長く続く訳もない……いや、続ける訳にはいかなかった。


「イルマは僧侶で、このパーティの生命線だ。そんな彼女が倒れたんだから、お前達は嫌が応にも選択を迫られている。つまり……彼女と共にこの地に踏み止まって全滅の道を歩むのか……それとも、彼女をこの場へと置いて……逃げるかをな」


 おそらく冷酷な表情をしている様に見えているであろう俺の、更に冷淡と思えるその宣告に、クリーク達は誰一人として即答なんて出来なかったんだ。

 ……いや、答え云々以前の問題か……。

 俺が見る限り彼等の頭の中では、俺が何を言っているのか理解出来ているかどうかも怪しかったからな。

 本当ならば、何度も反芻を繰り返して返答したい処だろう。

 ただし、今はそんな事さえ許される状況じゃあないんだ。


「……くはっ……はぁ……はぁ……」


 荒い息をつくイルマの呼吸が、クリーク達に十分な思考の時間を与えなかったし、風に乗って何処からか唸り声も聞こえて来ていたんだ。

 いくらこの近辺の怪物どもを一掃したとしても、安全なのは一時的でしかない。

 すぐに他の場所から、怪物どもがなだれ込んで来て此処もいつまで平静を保っていられる事か……。

 それが分からないクリーク達じゃあないから、確りとした考えのもとに出された結論じゃなくとも答えるより他は無かったんだろうな。


「お……俺達は、イルマを見捨てたりなんかしないっ! 彼女を死なせる事だって……しないっ!」


 クリークは俺を、まるで仇でも見るような燃える瞳を湛えてそう吠えていたんだ。

 そしてそれに呼応するように、同じような目をしたソルシエとダレンが頷いて応えたんだ。

 ……おいおい……何だかこれって、俺が悪者みたいになってるんだが……。


「……その考えはまぁ……良いだろう。だがお前等にはそうした所で、更に彼女を生かすかどうかの選択を迫られるんだがな」


 彼等の意思は、決して嘘じゃあない。そして、その場の思い付きでもないだろう。

 クリーク達は、もしも俺が此処に来るのが遅れたとしても、決してイルマを置いて逃げはしなかっただろうな。

 その結果、ここで全員が息絶えて全滅したとしても……。

 それはそれで、素晴らしい決意だと俺も思う。

 何よりも、これは彼等の冒険だ。

 何を正解とするかなんて、それを決定するのは誰でもない……彼等なんだからな。

 ただ客観的に見ても、あのまま襲われ続ければいずれは全員死んでいただろう事は容易に想像出来た。

 だから俺も、その事実をあえて口にする様な事はしなかったんだ。

 殆ど奇跡的な確率でしかないが、クリーク達の決意を尊重してここから無事に逃れられた態で話を続けることにしたんだ。


「ど……どう言う事なの……?」


 イルマを見捨てずに戦い続けたその先に、更に彼女の生殺与奪を測る瞬間が訪れると言う俺の言葉に、ソルシエが喉を鳴らしながらそう問いかけてきた。

 クリークは相変わらず燃える瞳で俺を見つめているんだが、ダレンの方は先程の勢いがなくなって困惑そのものだった。


「ソルシエ……いや、お前達は、イルマが何故こんな状態になっているのか、その理由を知っているのか?」


 だから俺は懇切丁寧に答えてやるため、ソルシエにそう問い返してやった。

 その間にもイルマの症状は悪くなっているのだろう、彼女の浅い呼吸間隔は短くなり、額には比喩では無く大粒の珠となった汗が幾つも浮かんでいる。

 そんな彼女の姿が、ソルシエに……いや、他の2人にも、正に時間がない事を伝えていたんだ。


「そ……それは……か……怪物に攻撃を受けたから……だから……」


 絞り出すように答えたのはソルシエ。ただ彼女の言葉には、何とも具体性が無かったんだ。

 他の2人には、その他に思い当たる事が無かったんだろうな……押し黙ったまま、俺とソルシエの問答の行く末を見守っている様だ。


「怪物に攻撃を受けたら、こうなるのか?」


 そんな焦りを湛えた彼女へと、俺は少し意地の悪い返答をした。

 それはどこか彼女を小馬鹿にした様であり、真面目に返答をする気に見えない風であり、イルマの命を歯牙にもかけていない姿にも見えただろう。


「そ……そんな事、知らないわよっ! 実際、クリークを庇って怪物に攻撃を受けてこうなったんだからっ! 全然知らない魔物にやられたんだから、未知の症状なんじゃないのっ!?」


 だから俺に噛みつくソルシエの声は、理論もへったくれも無く悲鳴に近いものになっていたんだ。


 これが本当に未知の怪物の仕業だったなら……俺だって、ここでのんびりと押し問答を繰り広げるような事なんてしない。

 どういった経緯であれ、もう介入しちまってるんだからな。

 イルマは勿論、クリーク達も助けるつもりで俺は此処にいるんだ。

 だが、実際はソルシエの言った様に「得体のしれない怪物の仕業」なんて事じゃあないし、イルマの症状にも心当たりがある。


「そうか……なら教えてやるよ。彼女は……イルマは恐らく、『吸血鬼』に噛まれたんだ。体内に注入された呪液によって、彼女は吸血鬼の眷属にされようとしているんだ」


「きゅ……!?」


「吸血鬼……だってっ!?」


「で……でも、先生っ! 襲ってきた魔物はその……到底人とは思えない姿でしたが……?」


 俺の返答にソルシエは絶句し、クリークは俺の言葉を繰り返し呟いて、ダレンはイルマが襲われた時の事を思い描いてそう返答したんだ。


「……人じゃあない……か……。ならそれは、『吸血怪物ブラッド・サッカー』だったんだろうな。人の血を好む吸血鬼の眷属だろう」


 そして俺は、ダレンの言葉からある程度の全貌を想像してそう口にしたんだ。

 俺の出した結論に、今度は誰一人として声を発する事は無かった。

 そんな彼等を尻目に、俺は言葉を続けた。


「イルマは……そう遠からず『吸血鬼ヴァンパイア』となるだろう。そうしたら、お前達がいくら彼女を助けようと思った処で、今度はその彼女に襲われるんだ。ここからだと今のお前等じゃあ、どうあってももう処置は間に合わない。そして吸血鬼化した彼女は、真っ先にお前達へ牙を剥くだろうな……。さて、ここでもう一度質問だ。お前達は、イルマを殺す事が出来るのか?」


「真実」を明かされて、今度こそクリーク、ソルシエ、ダレンは言葉を返す事が出来ずにいる様だった。

 イルマを見捨てない結果として、自分達が命を狙われる羽目になるんだ。

 それが分かっていて、さっきのように考えなしな意見なんてぶつけられる筈がない。


「う……ああっ!」


 本当は、もう少しここでブラッド・サッカーや吸血鬼ヴァンパイアについて説明しても良かったんだが、どうやら本当に時間切れの様だ。

 このままじゃあ、本当にイルマは吸血鬼化しちまう。

 そして、ここで俺が転移魔法シフトを使って神殿へと向かった処で、もう間に合わないだろう。


「ああ……イルマ……イルマッ!」


「イルマ……すまないっ!」


「イ……イルマさん……」


 いよいよ体を痙攣させて苦しがるイルマを目の当たりにして、ソルシエが涙を浮かべて絶叫し、クリークとダレンは血が出るのではないかと言う程に唇をかみしめている。

 ふぅ……少しはこいつらも、自分達の「迂闊さ」を反省したかな?

 そんなクリーク達の姿を確認して、俺はおもむろに自分のシャツのボタンを外して肩を露出させたんだ。

 絶望的な表情の彼等は、そんな俺の仕草を悲痛な表情に驚きを混ぜ込んで見つめていた。

 そして俺は、更にイルマの頭を抱き起こして、見様によっては頭を抱きしめている様な態勢にしたんだ。


「……イルマ……よく頑張ったな……。さぁ、俺の血を吸うんだ」


 そして俺は、イルマの耳元に労いの言葉とそして……彼女がすべき事を囁きかけたんだった。


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