イルマの懸念

「はい、先生。口を開けて下さい」


「う……うむ……」


 そして俺は、何とも面映ゆい食事を口にしていた。

 誰かに食事を食べさせてもらうと言うのは、それがどの様な状況であっても気恥ずかしくなるものだ。

 それが少女で……生徒ならば尚更ではないだろうか?

 そんな俺の気持ちなんて知ってか知らずに……いや、分かっていないだろうが、イルマは妙に明るく俺に食事を与えていた。

 ニコニコと笑顔を絶やさないイルマを見ていれば、彼女が良い僧侶になる事は間違いないと思わされた。


 それでも、おれは男だ。

 これほど恥ずかしい思いまでして、食事をとりたいとは……多分思わない。

 そんな俺の感情を無視する様に、俺の口はイルマの指示通り大きく開いて彼女が差し出すスプーンを受け入れている。

 それもこれも、俺よりも権限の高い「クウフク様」のせいに他ならない。

 本当は、今すぐにも食事を取りやめて布団の中に潜り込みたい!

 ……ただし、そうするにもイルマの助けが必要なんだがな……。

 でも、今の俺にはそんな選択肢すら取れないんだ!

 なんせクウフク様が、俺の体の機能を完全に掌握してしまっているんだからな。


「……先生?」


 規則正しく、小気味良く、俺のベストなタイミングで運ばれていたスプーンが止まり、何故か急に顔を曇らせたイルマが俺に問いかけてきた。


「な……なんだ? どうしたんだ、イルマ?」


 危うく惰性で口を開きかけていた俺は、何とかそんな間抜け面を晒す前に思い留まり、取り繕う事に成功してそう返事をした。


「あの……マリアさんって……誰ですか?」


「……えっ!? マ……マリアだってっ!?」


 イルマの問い掛けは、俺の度肝を抜くのに申し分ない破壊力を秘めていた。

 どことなく恥ずかしそうに俯き加減で問いかけるイルマを、俺は目を見開いて凝視していたんだ。


 ―――……なんでイルマは、マリアの名前を知っているんだ!?


 ―――いや……もしや、マリアがこの部屋に来ていたとか!?


 ―――いやいやいや、そんな事は無いな……。それなら、ライアンが一緒にいた筈だし。


 いきなりイルマからマリアの名前を出されて、俺は動転してすぐに言葉を出せなかった。


「な……何でそんな事を聞くんだ?」


 そして俺の返した言葉は、質問を質問で返すという陳腐なものだった。

 これじゃあ、動揺している事がバレバレじゃないか。

 まぁ、予想外の名前を不意打ち気味に投げ掛けられたんだ。びっくりするなって方が無理な話なんだけどな。


「いえ……先程先生が私を見て『マリアか』って……。それで……」


 ああ……そんな事言ってたような無かったような……。

 それ以前に、イルマを見てマリアの名を口にするなんて、俺はどんな夢を見てたんだ?

 兎に角、何故イルマがマリアの名を知っていたのかが分かった。


「マリアは……かつて俺と一緒に旅をした……仲間だった女性だ」


 だから俺は、正直にマリアの事を話したんだ。

 別に隠し立てするようなことじゃ無い。勿論、大っぴらに話すような事でも無いんだが、聞かれて困る内容でも無いしな。


「昔の……お仲間ですか……?」


 おや? それでもイルマは、何故だか聞いてはいけない事を聞いたという風な顔をしている。


「……ああ。……イルマ?」


 その対応が妙に気になって、俺はイルマに声を掛けた。


「……ごめんなさい、先生。私……余り聞いてはいけない事を……」


 んん? イルマの奴、何か誤解していないか?


「……イルマ? マリアはまだ生きてるからな? それに俺の仲間だった奴らは、みんな死んだりしていないからな? ……今は知らんけど」


「……えっ!? あ……ご……ごめんなさいっ! 私……てっきり……」


 やっぱりか……。

 イルマはどうやら、俺が一人ソロなのは仲間が全員死んだからだと思った様だった。

 もっとも今の俺の言い方も、少し紛らわしかったかもしれないな。「かつて……」とか「昔……」なんてフレーズが付いたら、そりゃあ死に別れたって勘違いされても仕方ないか。


「いや、俺も言い方が悪かったかな。かつて俺の仲間だったライアン、ロン、エマイラ、マリアとは、事情があってパーティを解散したんだ。マリアは、俺達パーティの回復役を務めてくれた僧侶だったんだ。そうだな……今のイルマの様な役割だな。『暁の聖女』なんて呼ばれてたんだけど……聞いた事無いか?」


 そして今度は、割と丁寧に答えてやった。

 そして何気にイルマの方を見やると……今度は彼女が絶句していた。


「……おい……? イルマ?」


「あか……『暁の聖女様』ですかっ!? 修道院でも聞いた事があります! 数百年に一度と言われるほど神に愛された敬虔な信者、そして近年稀に見る才の持ち主であるとか……っ! そんな方が先生と同行されていたなんて……!」


 おお! さすがマリアだな。すごい評価の高さだ。

 それに、冒険の旅から足を洗って15年以上にもなるのに、まだこんな若い世代にもその名を知られているなんてな。

 それに引き換え俺は……。

 大家さん夫人には疎まれ、周囲の人達からも愛想笑いされ、クリークには元勇者扱いされ……。こんなに頑張って来たのにな……。


「あの……先生?」


 おっと……。まださっきした大きな欠伸の余韻が目じりに残っていた様だ。


「お……おお、悪い悪い」


 俺はサッと寝巻の袖で涙をふくと、イルマに笑顔で相対した。

 勿論、さり気ない俺の仕草にイルマが気付いた様子はない。


「そ……それであの……。先生とマリア様はその……どういった御関係だったんですか?」


 さっきよりも俯いたイルマが、何やらモジモジと指を交差させながらそんな質問をして来た。

 なんだ、イルマ? さっきの俺の答えをちゃんと聞いていたのか?


「関係と言ってもな……彼女は回復役の僧侶で俺は勇者……それだけだが?」


 確かに、間違いなく、ハッキリと先ほどもそう言った筈だ。

 まぁ、照れくさくて付け加えなかったが、マリアだけじゃなくライアンもロンもエマイラも……俺の最高の友人たちだけどな。


「いえ……その……。先生は今もマリア様とお会いになっているのですか……?」


 なんだ? 俯いて分かり難いが、イルマの顔はどうも真っ赤になっている様だった。

 しかし、それも仕方の無い事だな。

 僧侶として尊敬するマリアの話が聞けるんだ、緊張したり照れたりするのは、強ち間違いじゃない。

 かくいう俺も、かつて「東方の大剣豪」と謳われた子孫の方々に会った時はもう……興奮して何を聞いたか忘れたほどだ。


「いや……マリアだけじゃなく、かつての仲間達にはあれから一度も会ってないな。さっきは『まだ生きている』とは言ったけど、実際はその生死も不明なんだ。もっとも、あいつ等が簡単に死ぬなんてこと無いと思うがな」


 そう……。無二の親友たちだというのに、俺はあいつ等との再会を果たした事は無い。

 ロンとエマイラの消息は分からないけど、ライアンとマリアの所在は知っている。会おうと思えば、いつでも会いに行ける筈……なんだ。

 それでも俺が行かないのは……まだ目的を達していないからだ。


 ―――魔王を倒して、真の平和を手に入れる……って目的をな。


 もっとも、その目的自体が大幅に変更を余儀なくされているんだが……。

 そんな事を考えていると、気付けばイルマがニコニコ顔でこちらの方を見ていた。


「ん……? イルマ……どうかしたか?」


 そんなにさっきまで考え込んでいた俺の顔は可笑しかったんだろうか?

 まぁ……身体が動かせない今の状況では、正しく顔面だけでその時の心情を表現しなくちゃならない。

 そう考えれば酷く滑稽で、彼女が笑いたくなるのも無理はないけどな。


「いいえ、何でもありません。それよりほら先生、食事の続きを。口を開けて下さい」


 そんな俺の問い掛けに彼女は嬉しそうに頭を振って、弾むような声で食事の再開を宣言した。

 現金なもので、今までだんまりを決め込んでいたクウフク様が再び活動を再開し、俺の身体の主導権を握り口を大きく開かせていたんだ。


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