In My Room

 微睡まどろみの中に俺はいた……。

 疲れた……。

 体は動かないし、思考はハッキリとしない……。


「……きて……」


 そんな中で、ずいぶん遠くの方から俺を呼ぶ声が聞こえた様な気がする……。

 体中が熱を持っていたが、額がひんやりと冷たく心地いい。


「……起きて……。起きて下さい」


 この声は……マリアか……?


「おはよう。気分はどう?」


 ―――ああ……余り良くないな……。


「そう……。まだ横になっていた方が良いわね」


 それで俺は漸く、どう言った状態で横になっていたのかを知った。

 俺はマリアに膝枕されて、額に手を当てられていたんだ。


 ―――何をしているんだ?


「あなたに回復魔法をかけているの」


 ―――回復魔法? でも怪我なんてしてないけどな……疲れが酷くて体中が悲鳴を上げているけど。


「回復魔法は、何も外傷を治癒するだけじゃないの。出力を弱く絞って注力すると、精神疲労にも効力があるのよ」


 ―――へぇ―――……流石はマリアだな。


「あっ、漸く目が覚めたわね? 全然起きないから、どうしたのか心配したんだから」


「……うむ。あれ程の力を見せたのだ、疲れもするだろうが目覚めないというのは尋常ではないからな」


「全くだ。もっともそのお蔭で俺達は無事だし、マリアに膝枕してもらえるっておまけつきなんだから羨ましい限りだけどな」


 ―――ああ……エマイラ……ロン……それにライアンか……。


「あたし達の名前が分かるって事は、どうやら頭はいかれてない様ね」


「……目覚めたばかりだというのに、容赦ないな」


「ロンよ、エマイラはこれでも心配しているのさ」


 俺の周りでは、仲間達が動けない俺を余所に勝手に盛り上がっている。


「皆さん、少し静かにしませんか? これでは彼が休めません」


 そんな3人の騒ぎを一発で鎮めたのは、笑顔ながらに迫力の籠った言葉を発したマリアだった。


「あっ……と……ゴメンねぇ、マリア」


「う……うむ、済まぬ」


「あ……うあ……」


 歴戦の猛者たちでさえ抑え込むマリア……相変わらずだな。

 ああ……でも、疲れた。もう少し、寝てても良いよな……?


「また……眠るのですか?」


 ―――ああ。もう少しだけ……眠らせてくれ……。


「ダメですよ。もう……起きなければ」


 ―――マリア……良いじゃないか……。


「ダメですよ、起きなさい。起きなさい。起きなさ……」


 ―――……マリア?


「……て下さい。起きて下さい。起きて下さいっ! 先生っ!」





 気怠い……。

 全身が鉛の様に重く、針で刺された様に痛い……。それに加えて、頭がすっきりとせず思考がハッキリとしない……。


「先生、先生!? 目が覚めましたか?」


 そんな俺の隣で、誰かが必死で俺の事を呼び掛けている。

 額がひんやりと冷たくて気持ちいい。

 俺は何だか、を見ている気分になっていた。


「何だ……マリアか……」


 明確にならない思考の中で、俺は何故だかがマリアだと思った。

 ……んだが。


「先生? マリアって誰ですか? 私です、イルマです」


 違った……イルマだったか……。


 ……。


 ……イルマ!? イルマだと!?


 俺はゆっくりと瞼を開けた。眩しい程の光が俺の目に飛び込んできて、俺は思わず再び目を瞑りそうになったんだが。


「先生っ! また寝ないでくださいっ!」


 イルマの声で、その思惑は見事に阻止されてしまった。

 改めて目を開けるとそこには心配そうな、それでいて少し眉根を寄せて顔を曇らせているイルマが、俺の額に手を当てて顔を覗き込んでいたんだ。


「……あれ? イルマか? 何でここにいるんだ?」


 というか、此処は何処だっけ? 俺の自室で……良いんだよな?

 客観的に見なくても独身男一人暮らしの部屋に、何でイルマが入り込んで俺を上から覗き込んでいるんだ?


「良かった……目が覚めたんですね?」


 俺の質問にすぐには答えず、イルマはまずそれだけを口にしてそっと俺から離れた。

 そんなイルマを追いかけようと体を起こそうとして……イテテテテッ!

 体中が痛くて、体を起こすどころじゃない。

 兎に角俺は、何とか首だけを巡らせてイルマの姿を追ったんだ。


「もう……何故じゃありません。今朝ここに来たら鍵は開いているし、中では先生が眠っていて起きないし……何かあったのかと心配するじゃないですか」


 そう答えたイルマの顔は、心底安堵している様だった。


 そうか……。俺は魔界から戻って来てそのまま……。

 って事はこの状況は、だな。


「ああ……済まない、イルマ。随分と疲れてしまってな。それで……俺がお前と通信石で話して何日経った?」


 問題なのは、俺は何日寝ていたかって事だ。

 昔この力を一度だけ使った時は、一昼夜休めば随分と回復していた。勿論、その時はマリアが付きっ切りで看病してくれたお蔭なんだけどな。


 ―――あれから、約20年……。


 もうマリアは居らず、俺の身体も随分と成長し、そのピークを過ぎ、下手をすれば折り返し地点に到達している。

 回復能力が減退するのも仕方の無い事で、一体どれ程寝ていたのか分からないほどだった。


「え……? あれから……4日ですね。それがどうかしましたか……?」


 答えるイルマは、先程の安堵した表情から再び不安を孕んだ顔に逆戻りした。

 確かにこの質問は、ちょっと軽率だったかもしれない。

 自分がどれ程寝ていた……意識を取り戻さなかったかなんて、普通なら聞く事じゃあないからな。


「そうか……あれから4日か……」


 これ以上イルマの不安を煽らない様に、俺はそう独り言ちで一先ず目を閉じた。

 確か魔王城では、丸一日過ごした筈だ。

 そして戻って来たのはその翌日。ならば俺は、3日間眠り続けた事になる。

 うん、道理で腹の「クウフク様」がうるさく騒いでいる筈だ。


「イルマ、来てくれてありがとう。それで……何をしていたんだ?」


 考える事は山ほどある。

 本当なら、今すぐ情報を整理して動き出さなきゃならないだろう。

 でもそれにはまず、イルマを安心させなきゃだよな。


「え……その……。先生に外傷はなかったし、眠っているだけに見えたので掃除と洗濯……それに食事を……」


 やや頬を赤らめて、イルマはそう答えた。

 まぁ、彼女が照れるのも分からないではない。

 年頃の女性が無断で男の部屋に入り込んで、勝手に家事をしたんだ。他人が聞いたら、一体何事かと奇異の目を向けられるだろう。


「そうか……サンキューな……。って、食事まで!?」


 イルマの言葉に含まれていたフレーズを聞いて、俺の腹に住まうクウフク様はそれはもう大騒ぎさ。


「はい……。お疲れの様でしたので軽めの物を……」


 俺が「食事」という言葉に反応した事で、イルマはやや引きながらそう返答した。

 もっとも今の俺には……いや、クウフク様は、そんな彼女の仕草など歯牙にもかけなかったんだがな。


「じゃあ早速、食事を頂いて良いかな? 腹が減っちまって……!?」


 そこまで言って俺は、重大な事実に気付いて愕然となった。


 ―――体を……起こせない……だと!?


 食事を取ろうにも、体を起こして自分で食べる事が出来そうにない!

 なんてこったっ!

 こんな考えを持っても、両手で頭を抱える事すら出来ないんだ、今の俺はっ!


「先生……ひょっとして、身体を動かせないんですか?」


 身動みじろぎする事無く苦悶の表情を浮かべると言う、ある意味不気味な仕草を見て取ったイルマが恐る恐る問いかけてきた。


「ああ……すまん。ちょっと理由があってな……今は動けないんだ」


 俺は少し情けない声でそう返事をした。

 俺は勇者で、彼女達の先生だ。

 そんな俺が、生徒に無様な姿を見せるなんて……屈辱だ。


 ―――もっとも……この後に、更なる恥辱が待っている訳だが……。


「もう、仕方ありませんね。それじゃあ私が食べさせてあげますから、少し待っていてください。準備しますので」


 そう言ってイルマは、どこか弾んだ足取りでキッチンの方へと向かって行った。


 ―――そうか……イルマが食事の手伝いをしてくれるのか……。


 ―――イルマが俺を……介護してくれるのか……。


 なんだと―――っ! 介護だって―――っ!


 俺の中で、勝手に感心して感謝して、ショックを受けたやり取りが行われた。

 しかも介護って……。

 リアルだ……リアルすぎて笑えない。

 このままいけば間違いなく俺はイルマ達の年代の者に、いずれは介護されるに違いないんだ。

 これはまるで、その予行練習みたいじゃないか。


 俺はイルマの申し出をやんわりとでも……いや、何としても拒もうとした。


 だが、その考えを先んじて拒絶したのは……誰あろう「クウフク様」だった……。

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