第2話

 幾度か微睡(まどろ)みから目を覚ました。暗い仏像堂の中だったり、猿楽の役者に舞台で振られた時だったが、いずれも戦いはなく俺の本領は発揮できないで時間が過ぎた。


 最初の俺の生業(なりわい)に叶った場面で目を覚ましたのは、立派な鎧に吊り下げられた贅沢な飾り鞘の中だった。

 なんと合戦の最中らしくでかい声がわあわあして、うるさくてしょうがない。この騒ぎの中で目を覚ましたのだ。俺を佩(は)いているのは俺の主人なんだろうな。


 主人は「戻せ!戻せ!」としきりに大声で谷の方へ怒鳴っている。

 見ると、俺は小高い丘の陣地にいて、目の前は広い谷になっている。向かいには尖った山がある。その山頂は拓かれていて櫓が見える。山城だ。

 そこから徒武者や騎馬武者が雪崩を打ってこちらに来る。それに追われるように同じ旗を背負った兵達はちりじりとなりこちらや横方向に逃げ出している。

 なんらかの理由で主人の味方の先鋒は戦意を失ったらしい。

 俺の主人は歯ぎしりした。派手な革の陣羽織に赤糸縅の鎧を来て閻魔の様な髭を生やしている。いや、顔、体全体がずんぐりして閻魔大王そのものだ。馬は当時の日本馬には珍しい背の高いかわらげというやつだ。


「・・・関ヶ原の報を聞いて、兼続殿の撤退の噂を敵から聞き、あのように総崩れになるとは!儂の指図も届かぬ!」

 敵もさる者、こちら側の戦線の不利を大声で叫ぶ役の者がいる。ずっと後(のち)の太平洋戦争のアメリカ軍の日本語放送の様なものだ。


 脇に従う騎馬武者が言った。

「主水様!・・・ここは一旦、ご退却を!敵はあの様に勝機に酔って押し寄せてきます!士気の差に勝ち目はありませぬ!」

「馬鹿者!ここで退いたら直江様はどうなる!ここで殿(しんがり)を仕る!」

「主水様!せめてご朋友の前田慶次郎殿が来られるのを待たれよ!」

 従者も必死だ。主を死なせたくない一心だろう。こいつは恐れて言っているのではないことはその声の張りで分かった。一点のうわずりもない。


「時間がない!少しでも食い止める!お主(ぬし)は帰って伝えよ!無事なご退却を祈ると!」

 これを聞いて従者は怒りの余り声が震えたぞ。

「主水様!大将を見捨てて伝えに走るなど我ら(我と同じ)には出来ませぬ!どうしてもと仰られるならここで槍で喉を突き、それを支えに主水様のご最期を見届けましょう!」


 一瞬、我が主はきょとんとした様だ。

「・・・ほう!」


 そして腹が揺れた。

「わっはっはっは!小国(をぐに)殿!許されよ!では参ろうか!」

 主水と呼ばれた俺の主人はでかい腹から出る太い声の持ち主だ。腹も座っている様だ。


 俺の主人とその小国と呼ばれた同僚(若いので従者と思ったが)は草原に向かって馬を繰り出した。途中で逃げ出した足軽がぽかんと見ている。近くを通った一人は、ひえっ!と言って尻もちを突いた。

 俺の主人の顔を見たらしい。


 前からきた敵の騎馬武者が槍をこちらに向けた。小国と呼ばれた主人の同僚は、

「主水様!ご武運を!」

 と言って、後ろから来ている他の騎馬武者に向かった。

 主人は一旦馬を止めた。相対している騎馬武者との間に田の水が流れる水路があった。昨夜の雨のためか、草原は泥濘んでいる。


「これはこれは。死なすには惜しい若武者よ!どうじゃ!儂に仕えぬか!最上(もがみ)の殿より優しくしてやるぞ!」

 この言葉に敵の武者はきっと睨んだ。そして言った。


「・・・その前立てと胸の片喰(かたばみ)の紋。上泉主水正(かみいずみ・もんどのしょう)殿とお見受けします」

「おお!儂を知っているのか!ますます気に入ったぞ!」

「相手にとって不足なし!私は最上義明(もがみ・よしあきら)が近習、金原七蔵!」

「いざ!会津一刀流!」

「いざ!念流!」


 主人は馬の腹を蹴った。馬は堪らず前足を上げ、水路を飛び越そうとした。金原も馬を突進させた。主が剣術の流儀を名乗り相手も腕に覚えがあるのか流儀を名乗った。敵も主人も敵も槍を捨て、佩刀を抜いて振りかざした。一騎打ちだ!


 ぎゃりん


 溝の上で二つの馬の巨体がぶつかり、二人の剣が打ち合う。俺は刃渡り三尺三寸。相手は若く小兵なので二尺八寸ほどの太刀だろうか。質量は勿論俺の方が上だ!

 若党の得物は弾き飛ばされた。だが、馬の体もぶつかり合い溝の泥水の上に落ちた。


 ぐしゃ

 馬が倒れていななく。


「ぐ・・・む・・・」

 俺の主人は運悪く馬の下に挟まれてしまった。落ちるとき脚の骨が不気味な音を立てた。それを見た若党は主人の上から掴みかかった!

 若党は主人が握った俺の柄を掴み、主人が振り回せないように両腕で抱えた。

それでも主人の体は強靭な筋肉で覆われている。若党の首を左腕で兜ごと抱き込んだ。そしてすごい力で締め付ける!

 兜の縁が彼の首を守っていたが、それでも首を捻られたらお終いだ。若党は必死に左手で懸命に主人の腕を掴んで右手を主人の腹の下に潜り込ませた。そして・・・


「ぐおう!」


 主人の口から血が吹き出した。若党は主人の差していた鎧通しと呼ばれる小刀を抜いて、主人の首に差したのだ!何度も。


 主人の体から力が抜けていった。鎧通しが動脈を切ったらしい。

「・・・あっぱれじゃ・・・」

 主人が呟くように言った。ごぼっと血を吐く。


「お前のような勇敢な若衆としっぽり濡れたかったぞ・・・いや、竜胆丸に怒られるか・・ふふ・・・この首手柄にせよ。だがこの無念首、取れるか?」


 そして心臓の音がしなくなった。水路の泥濘に血潮の河が出来ていた。


 若者は体を起こし、

「主水様、確かに貴殿のような剛の者に寵愛されるのは武家の華、若道(にゃくどう)の誇りでありましょう。竜胆丸とは貴殿の念者であるか?」

 もう主人は答えない。

「その無念首、たしかに主に持ち帰ります」


 若者はしばらく主人の骸に手を合わせて般若心経を唱えていた。そして俺を持って我が主人の首を切った。

「流石、上泉主水様の佩刀!なんという切れ味!」

 そして首桶に入れ腰に縛り、俺を鞘に戻して一緒に持ち帰った。長谷堂城の登り口に首を預ける幔幕が設営されていた。そこに全力疾走の馬が駆けた。馬上の武士はこう叫んでいた。

「金原七蔵!敵将、上泉主水正殿の首を取ったああ!・・・」

 また眠くなった・・・



 目が冷めたら首実検の最中だった。首桶が白砂にずらっと並び、あちこちに香の煙が昇っている。戸を開け放った書院の縁側に俺の主人の首をじっと見ている男がいる。あの若党の主だろうから、出羽の国の領主、最上義光公だな。俺は抜き身で主人の首の前に置かれていた。


「・・・まっこと恐ろしい無念首になったな!上泉主水殿」

 俺は後ろの主人の首に目を向けた。抜き身の時は俺の目は露出しているどこにでも向けることが出来るんだ。・・・へっ!


 ・・・凄い顔をして死んでいるぜ!目は大きく見開かれ、口を噛み締め、義光をじっと睨んでいるようだ。

「あの直江兼続、そして忌々しい前田慶次の首とともにここに並べてやりたかったが・・・」

 側の用人が言った。

「は・・・あのような不利な状況で全軍無事で撤退とは・・・この主水もさりながらあの前田慶次という男、・・・」

 後は言いにくそうに言葉を濁した。

「続けよ!」

 義光公がいまいましげにその側近に命じた。忌々しさを噛み締め己の憎しみを強めるためか?

「・・・は!一度丘に兼続殿を追い詰め、一時切腹を覚悟されたと聞きますが、あの慶次めが・・・」

 義光は頬の鉄砲傷を撫でた。その顔は怒りに燃えていた。

「十騎の朱槍を持った牢人を集め、一千人の我が軍に攻め込み散々に・・・

「もう良い!」

 義光公は書院の塀の向こうをわなわなと震えながら見ていたが、だんだんと落ち着いてきた。彼のこういう性格をその側近はよく知っていたのだろう。

 そして言った。


「この東と西の戦い、東の徳川殿が勝ったよしに、西の味方をした上杉景勝はただでは済むまい。そうすると慶次は主なしとなるな・・・」

 用人は次の言葉を待った。


「その時はあの男、召し抱えるべし!」


 この頃の武将は敵を殺しまくったわけじゃない。勇猛で有能な侍は時には敵だった殿様に召し抱えられることも多かったんだ。


 首桶に戻される前に何人かの侍が俺の主人の首の目を閉じさせようとした。だが、どうしても閉じられなかった様だ。上泉主水の首は、恐ろしげに首を竦めた下人によって首桶に収められた。そして山形城近くの熊野神社というところに葬られた。


 法要の時、あの若衆が俺を腰に指して焼香した。俺は褒美として彼に与えられたのだ。

 その後、俺はどうなったかって?・・・七蔵はあれから数年して、最上家を致仕して高野山で出家した。よほど主水の最期が心に残ったのだろう。俺は麓の九度山にあった豪農の家に預けられた。


 この土地の有力な庄屋だった。その薄暗い蔵で刀置きに置かれ、そろそろ眠くなってきた・・・


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