TS。

「……分かった、話を聞こう」

「……そう言ってくれるのを待ってたぜ」


ゼェゼェ。

ハァハァ。

お互いに肩で息をしながら、なんとか呼吸を整えようとしながらの会話である。

話を戻そう。

ほんの10分ほど戻そう。

























「──あのさっ」

「は、はい」


下校途中、見知らぬ女生徒に声をかけられた。

その日の俺といえば、体育がある今日の日に限って学校を休みやがった親友に恨み節を呟きまくり、親友という話し相手がいない所為でいつもより居心地の悪い学校生活を送ることを余儀なくされていた。どうせただの風邪だろうとおちゃらけたメッセージを送るも、未だに未読のまま。まあ親友コイツがメッセージを読まないのはいつものことかと割り切るが、しかし心のどこかで生じた不安は放課後まで残り続けるのだった。

そんな苦痛極まりない一日もようやく終わり、現在時刻16時。居心地の悪い学校から早く立ち去りたい一心で、駅までの道のりを独り孤独に歩いていた。

下校途中、突然見知らぬ女生徒に声をかけられた。

状況説明終わり。

次は現実に目を向けてみよう。背けずに、目を向け続けてみよう。


「……えーっと、知り合いでしたっけ」

「ッ」


母音を伸ばして考える時間を稼ぎながら、女生徒をしげしげと見つめてみる。女生徒は俺の言葉になにか言い返したそうな顔をしながらも口を噤んだ。

女生徒はうちの学校の制服を着用していて、スカートではなくスラックスを履いている。まあそれに関してはというものがある。俺は女生徒の格好を何ら疑問には思わないし、服装なんて本人の好きにすべきだ。スカートではなくスラックス云々も、俺はただ目に見える情報を言ってみただけであり決して珍しさについ話題にしてしまったわけではなく……俺は一体誰に言い訳をしているんだ?

上はワイシャツ。有り得ないほどの膨らみを見せるバストは否応無く俺の視線を誘導し──なんとか視線を外した襟元。その部分に刺繍された我が校の校章から、少なくとも全くの他人というわけではなさそうだと──襟元の少し下、視界にチラチラ入り込む胸元から必死に意識を剥がしながら素人推理を披露。

あとこんなことを言っていいのかは果たして分からないけれど女生徒の胸は「デッッッッッッッ」って感じの胸だ。

言っていいわけがなかった。

最低のお茶子ちゃんみたいになってしまった。

閑話休題。

髪は根本が黒い金髪のショートで、所謂いわゆるプリン頭。今日学校を休みやがった親友と同じような髪の色をしているので、目の前の女生徒の俺の中での評価はナチュラルに少し下げられた。はやくメッセージかえせ。

背丈は俺よりも少しだけ低く、顔立ちも整っている。かなり整っているし──っていうかちょっと待て。もしかしてコイツノーメイクか?ノーメイクでこの仕上がりなのか?やっぱ美人ってすっぴんとか関係ないんだな。すっげぇや。

髪型が所々乱れていたり、靴下がダサかったりと色々突っ込みたいところはあるものの、総評。

最近漫画とかでよく見るいかにもオタクに優しいギャルって感じ。◯witterで百万回目にした見た目。俺のアカウントのいいね欄にも絶対いる。


「ケン、助けてくれよっ!」

「な、なんで俺の名前を?」


ケン。

目の前の女生徒が急にキジの鳴き真似をしたのでないのなら、女生徒は今俺の名前を口にした筈。

心の中で目の前の女生徒に対する警戒度を二段階ほど上げさせてもらい、少しまぶたを細めた。


「……悪いけど、俺は君のことを知らない。初めましてだよな」

「は、初めましてじゃない……!ケンとオレはっ」

「オレ?」


オタクに優しいタイプのギャルにしては珍しい一人称に、少し引っかかってしまう。しかし一人称というのも昨今のジェンダー観からすれば──あぁ、もう面倒臭い。

いいと思いますよ、一人称オレ。中学の時、一人称がオレの女子なんてごまんといましたし。なんでその女の子達は揃いも揃って銀魂を好き好んでいたのかは今でも解明出来ていない謎だけど、全然いいと思いますよ。

面白いですよね、紅桜篇。


「……なんか心の中で失礼なこと考えてるだろ」

「失礼なことを口にするよりかはマシでしょ」

「やっぱり考えてたんだ!」

「いや今のは『失礼なこと考えてるだろ』って面を向かって言ってくる君に対してのディスでもある、言うならばダブルミーニング的な……もういいや」

「とにかく、助けて!オレ、今めっちゃ困ってんの!」

「……悪いけど、うちは月5000円のお小遣い制でな。来月欲しいゲームもあるし、お金は貸せない」

「そ、そういう意味じゃない!真面目な話!」


真面目な話をするなら、怒るたびに120fpsで揺れまくるその胸を鎮めてほしい。

そんな俺の視線ツッコミが伝わったのか、女生徒は自らを抱き締めるようにして胸を隠した。デカすぎて隠せてないよ。


「……エッチ」


エッチなのはお前だ。















そして、10分後。

現在。

あのあとすぐに「信じてくれ」と涙ながらにしがみついてきた女生徒を振り解いて逃げ惑い、お互い息も絶え絶えになったところでようやく会話を出来る雰囲気になったのだ。お互いゼェハァと呼吸を整えながら、かれこれこういうわけなんですと女生徒からの説明を受ける。

受けた。


「えーっと?朝起きたら女になっていて、夢かと思って気が済むまで布団を被ってみたけど一向に夢から醒めない。どうしようもないから取り敢えず制服着てここまで駆けてきたby俺のかけがえのない親友……君の話を纏めるとこういうことか」

「そうなんだよ!助けてくれ!」

「……えー、つまりなんだ?昨今漫画やラノベは誰も取り扱わない、TS、まさか君の身に起こったって言うのか?」

「そう!そうなんだよ!」


性転換Trance Sexual

肉体的異性化。

薬とか魔法とか、はたまた超自然的な力が働いて本来の性とは異なった身体に変わってしまうこと。技術規格Technical Standardのことじゃないよ。

それっぽく頭の中で解説を入れてみたものの、俺の心は冷め始めていた。

それもその筈、この世界でそんなことが起こるはずがないのだから。

そりゃあ確かに、今俺が発現したようにTSというものはある。

朝か夜かに情報番組を観る習慣があれば──それでなくても、スマホをいじっている時にネットニュースの見出しが目に飛び込んでくる環境でさえあれば、TS現象のことなんて誰しも知っている。

確か、数年程前にシンガポールで世界初のが確認され、それ以降世界各地で突発的に発現するという謎の現象。

ある日突然、男が女に、女が男に性転換してしまう現象。老若男女問わず、発現した人間に規則性も無い。完全ランダム。

初めは、なにかのウイルスやバイオテロの類いではないかと世界中を恐怖に陥れたTS現象だが、各国の専門機関がこぞって調べてみても、発現した人間の体内には未知のウイルスもなにもなく。

発現確率|1/1000000。

予兆も、痛みも、解決法も予防法も存在しないソレは、俺達の頭の中でこう結論付けさせた。


どうにもならないなら諦めるしかない、と。


やがて人々はTS現象のことを受け入れた。

万が一自分の身に降りかかってしまったならば、諦めて180°転換するであろうその後の生活を懸命に生きるしかない。

近頃はTS保険なるものも存在し、発症してしまった際に起こるトラブルに対して掛け金に応じて一時金が降りるだとかなんとか──


「…………」


いやいや、なんだよTSって。んなわけの分からん超低確率のクレイジー現象が、ましてや俺の友人という極身近な範囲で起こるわけがないだろ。

俺だって高校生だ。TS現象についてはキチンと理解している。

世界人口約80億人の内、TS現象が発現しているのは81万人程度だぞ?俺の身の回り、言ってしまえばこの地域で発現してしまった人なんて聞いたこともない。

だからこうして、目の前の女生徒に冷めた目線を送っているのだ。

端的に言えば「噓乙」である。

俺の眼差しに気付いた女生徒が、少しムキになったように声を上げる。


「兎に角、オレはオレなの!ケンの親友、今日学校を休んでた宏輝コーキ!」

「俺の親友の名前を知ってるとは、それなりに下調べはしてきたみたいだな」

「あ、信じてないだろ!」

「当たり前だ!」


閑話休題。

このまま言い争っていても事態は平行線なので、取り敢えず駅の方まで歩く。というかコイツに俺の帰り道を教えていいものなのかと考えながら足を進める。進めるしかない。

隣に並ぶ女生徒を横目で睨みながら、渋々口を開いた。


「……それで、もし君の言う通り本当にTS現象なんてものが起こっているのなら、なんだってんだよ」

「助けてくれって言ってんじゃん。オレ、いきなり女の身体になっちまって混乱してんだよ。え、これから先、一生このまま?みたいなさぁ」

「…………」

「聞いてる?」

胸弾み過ぎん?あぁ、聞いてる

「聞いてないだろ……」


仕方ないだろ、なんだその弾み具合は。バスケットボールかと思ったわ。

思わず敵チームのエースと1on1しているのかと錯覚してしまうほどの万乳引力。バスケットマンもびっくりのドリブルに正気を失いかけるが、まだあわてるような時間じゃない。

己を厳しく律して視線を外し、いつの間にか到着してしまっていた駅に入り、IC定期をかざして改札を抜ける。女生徒も手慣れた様子で隣の改札を抜けた。


「そもそも、TSしてるしてない以前の話だ」

「はぁ?」

「君、オレの親友名乗ってるけどさ。全然証拠とかないわけじゃん」

「あるわ!」

「どんな」

「え、急に言われてもな」

「お前があるって言ったんだろうが」

「……親友であるオレにしか分からない、ケンの秘密とか?」


プシュゥー。

会話が終わらなかったので、流れのままに同じ電車の同じ車輌に乗ってしまった。

車両内には俺と同じように帰路を辿る学生達がそれなりにおり、空席は無い。女生徒と横並び、吊り革を掴みながら会話を続ける。

それから間も無く、電車はゆるやかに進行を始めた。


「俺の秘密?」

「なんか問題出してみろよ、全部答えてやるから」

「へぇ、じゃあ俺とコーキが初めて会ったのは?」

「高校入学最初のホームルーム。ケンがオレの席に間違えて座っていて、その時に話した。あの時のケン照れ隠しなのかわかんねーけどひたすらヘラヘラしてたよな」

「俺とコーキの共通の趣味は?」

「無い。趣味が合わないから、互いの話が新鮮で楽しいんだよな」

「俺とコーキ、今のところ1番だと思う思い出は?」

「文化祭、クラスの焼きそば屋で焼きそばを200個売り捌いたこと。オレが呼び込みして、ケンがひたすら鉄板で焼く。黄金コンビって二人して笑ったよな」

「なんでいつもメッセージ返さないんだ?」

「テレビ観ててスマホ触らないから。いつもごめん」

「俺の性癖は?」

「京都弁のスレンダー糸目美人に扇子片手になじられること。これに関してはなんかだからノーコメントで」


電車内とは思えないほどプライベートな内容の舌戦を繰り広げる俺達。ふと我に帰れば俺の性癖がこの車両に乗っている全員に把握されている事実に気づいてしまったので、もう恥ずかしくて次からこの電車は使えない。最悪だ。


「……やるじゃないか」

「当然だろ。だってオレ、ケンの親友だし」


へへん、と胸を張る女生徒。やめろ、その凶器を見せびらかす強調するんじゃない。俺が腰を曲げたっきりまっすぐ背筋を伸ばせなくなっても良いのか。

閑話休題心を無に

偽物だという証拠を炙り出すつもりで出した、コーキ以外には分かりっこないレベルの質問の数々。そしてそれら一つ一つに完璧な答えを返してくる女生徒。果てにはコーキ以外には話していない俺のの話題すら知っているという驚き。認めたくはないが──っていやいやいやいや。いくらコイツが俺のこと知っていたからといって「じゃあコーキかぁ」とはならない。

だって性別が変わっているのだから。

TSだかPS5だか知らないが、そんなもの確率的に有り得るわけがないのだ。後者は昨今普通に買えるが、これは俺がふざけたのが悪い。


「……」

「なんだよ、急にジロジロ見て」

「いや、どうしたってこんな嘘吐くのか不思議でな」

「だから、オレ嘘吐いてねぇって!」


声を荒げる女生徒。するとどこからかその声量を咎める咳払いが聞こえてきたので、女生徒は小さく「すみません……」と呟いて縮こまった。成る程、常識はある奴らしい。


「あ、当たり前だろっ」

「本当に常識がある奴は、TSしましたなんて訳わからん嘘吐かない」

「クソぉ、なんで信じてくれないんだよ」

「だってコーキにガチャ引いてもらって、SSR当たった試し無いし」

「……ケンの中で、TS現象ってなのか?」

「……確かに、運が悪いから発現したって可能性もあるのか」


数秒思案。知らぬ間に押し切られそうになっている現状に気付き、慌てて言い返した。


「っ、そもそもなんで俺の所に来たんだ?まず親に説明しろよ」

「言えるかよ、。恥ずかしくて死んじまう」

「うーん……」


一理ある。

というのも、もしも俺がTSしてしまったら(字面が間抜け過ぎる)と考えてみたからだ。

…………。

言えんわな。ケン、信じます。


「いや信じられねぇよ……」


確かに、思春期の男子生徒が親に相談をしづらいのも──ましてや自分の身にTS現象が発現して性別が変わっちまいましただなんてトンチキな相談出来ないのも想像は出来る。それで、互いに1番の親友だと思っている同性(今となっては異性だが)の俺を頼るのも百歩譲って分かる。

でもなぁ……。

そもそもTSってなに!?!?!?!?!?!?

なんでみんなTS現象なんて意味分からんもん受け入れてんの!?!?!?!?!?!?


「信じてくれたか?」

「馬鹿言うな。大疑いだわ」

が付くほど疑ってんのか……」

「そもそもTS現象ってなんだよ。朝起きて身体が女になってたからって『ヤベ!TSしてる!』ってなるか?絶対夢だろ寝直せよ」

「他にどう納得するって言うんだよ。寝てる間に性転換の闇手術を受けさせられていました、とか?」

「それもどうかと思うが、でもなんでTS現象ファンタジーに落ち着く?」

「実際、科学では説明のつかないことが起きちまってるんだからしょうがねぇだろ」


──十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない。これはかの有名なSF作家、アーサー・C・クラークが定義した三つの法則のうち第三の法則の言葉だ。

これはつまり科学技術が未来に向けて飛躍的に進化すると、今ここにいる俺達はそれを魔法とみなすかもしれないという意味である。江戸の侍が現代にタイムスリップしてきて、テレビを見て「箱の中に人が!なんて面妖な術だ!」と言うようなものだ。

何が言いたいかというと、朝起きたら女の子の身体になっていたというTS現象ファンタジーも、ほんの少し先の未来からすれば有りふれた現象──つまりは現在では全く解明出来ていないその詳細や治し方もとっくに解明されている、本当にただの現象となっているのではないかというわけだ。


「いや長々と自分を納得させようと理屈捏ねくり回したけどやっぱ無理だ!お前嘘吐いてんじゃねぇバーカ!」

「えぇー!?」

「……ゴホンッ」

「「あ、すみません……」」


またしてもどこからか聞こえてきた咳払いに、二人して頭を下げる。二回も人様に迷惑をかけてしまってはもう居心地の悪さもMAXというもの。次停車する駅が俺の最寄駅だったので、女生徒の手を掴み、逃げるように電車から降りたのだった。













「成り行きでこんなヤバい女と最寄り駅まで降りてしまった……」

「や、ヤバくねぇって!」


ぷりぷり怒る女生徒を無視しながら、トボトボと歩を進める。

そもそも、先程咄嗟に頭の中で流れたアーサー・C・クラークの第三法則も、他の第一と第二法則と合わせて読むと「なんだかんだ科学で説明いけるやで」となるのだ。それはつまり、アーサー・C・クラーク の言葉を信じるならばTSなんてものはファンタジーでもなんでもなく……なんでも……。

じゃあTS現象ってなに!?!?!?!?!?!?(二回目)


「まあ兎に角、俺はここらで失礼させてもらう。TS現象、大変だろうけど頑張れよ」

「待て待て待て待て!オレを置いていくな!」

「チッ……、逃げられなかったか」


まあ兎に角。

これさえ言っておけば続きはまた後日みたいなニュアンスを醸し出して立ち去れるのではないか、という説を今回持ち寄ってきたのだが、残念ながら説立証ならず。スタジオのお二人も天井に吊られているクロちゃんもニコリともしていない。

俺を逃さない為にと腕にしがみついてきた、女生徒の胸部の柔らかさに冷や汗を流しながらの、意味不明な思考。

女生徒が目尻に涙を浮かべながら訴えかける。


「オレを一人にしないでくれよケン!お前以外の誰を頼れって言うんだよぉ!」

「やかましいッ!うっとおしいぞこのアマ!」

「なんで承太郎!?」


コイツ、見た目ギャルのクセにジョジョネタ通じるのかよ。いや通じなかったら通じなかったでいきなりキレるヤバい奴になっちゃうけど。

通じてよかった。


「……君、少年漫画とか読むんだな」

「はぁ?いつも二人で語り合ってたじゃねぇか」

「…………」


片やクラス内でも日陰者の陰キャオタク。

片やクラスの中心的立ち位置の陽キャ男。

そんな二人がなんの因果か仲良くなり、いつしか行動を共にすることになった。住む世界が違う二人は互いの話を「よく分かんないけどおもろいな」くらいにしか思っていなかったが、そんな二人にも唯一といっていい共通の話題があった。

俺は被っていないはずの学生帽のツバをつまみ、深く被り直してこう呟いた。


「……やれやれだぜ」


つまりは、友情努力勝利ということだ。


「なんか、コーキじゃなくて君と話してみたくなってきた」

「いやコーキだっての」


冷静にツッコミを入れる女生徒。俺は一度空を見上げ、それから視線を女生徒と合わせた。


「……口調も、俺との記憶の整合性も、趣味も。君は何から何までコーキだ」

「だから、オレTS現象に」

「分かってる。頭では分かっちゃいるけど、俺は心のどこかでまだ君がコーキだと認められていない。頭の中ではもう結論は出ている筈なのに、騙されているんじゃないかと、心が、本能が疑ってしまっている」


小テストの自己採点中、◯とか×を上から順番に付けていくと、最後までいってしまえば自分の点数が確定してしまう。

今の状況は、言わば丸つけの終盤。

Q:俺の親友はTSしましたか?

◯か。

×か。

赤ペンを紙面に付けたまま、その先を躊躇っている。

教師からもう正答用紙はもう渡されているのに。


「じゃあどーしろってんだよ」


俺のどっちつかずな答えに眉を顰めたコーキは、少し呆れを含んだ表情で問うてきた。現在の気持ちを包み隠さずそのまま返す。


「こっちが聞きたい」


しかしこれだけだと必要以上にドライな人間だという印象だけが残るので、内心慌てて言葉を付け加えた。


「なにか、思い出以外で証明できるものとかないのか」


俺は目の前の女生徒をコーキのフリをしている偽物だと疑っていた筈なのに、次いで出たのはむしろ女生徒を手助けするような言葉。席を立って回答した生徒の誤答を、教師のフォローによってさりげなく正答へ導いているかの如く。

物の例えが何故かテストやら授業やらと、学校内でのアレソレに寄っていっている事実に内心ツッコミつつ、思い至る。

目の前の女生徒の真贋しんがんを見分ける為の、簡単な答えを。


「……あれ、てか連絡先からコーキに向かってメッセージや電話でもすれば早いか?」


思い立ったがなんとやら。俺はスラックスのポケット内をまさぐり、スマホを手に取ったところで、女生徒が何を言っているんだと俺の行動を言葉で遮った。


「──そんなのより、もっと手っ取り早い証明方法あるって」

「なんだよ」


自分の行動を否定されたような気がして、少し目を細めて女生徒を睨む。女生徒は俺の眼力など意にも介さず。


「学生証。ほら、オレの」


TS現象への不信感と、目の前のオタクに優しそうなギャル女生徒からひしひしと感じるあり得ないほどのコーキっぽさ。相容れない二つの感情が頭の中でごった煮になり、もうどうしようもないのではないかと諦めかけたその時、女生徒が制服のスラックスのポケットから学生証を取り出した。なんでコイツ剥き出しで持ち歩いてんだ。

流石陽キャ。

……陽キャか?

眼前に突き出される。近過ぎて文字がぼやけてしまっているので、自力で少し離れてピントを合わせる。

果たして、目の前の女生徒はコーキか、それともコーキではない誰かか。

その答えは、続く俺の一言によって明らかとなった。


「……コーキじゃん」













「なんだよ、コーキならコーキって最初から言えよな」

「いや、オレ最初からそう言ってただろ!なのにケンが聞く耳持たないからっ!」

「悪かったって。TS現象なんて有り得ない確率のモンが、まさか手の届く範囲の交友関係で起こりうるだなんて、思ってもみなかったんだよ」

「手の届く交友関係って、お前オレ以外に友達いねぇじゃん」

「うわ。その、ガラス片を首筋に突きつけられていると錯覚してしまうほどの鋭いツッコミ、やっぱコーキなんだな」

「なんだその変な例え」


解けた誤解。

雨後の青空。

点数の確定した答案用紙。

まあこの際なんでも構わない。

うーんうーんと疑り続けていた俺の本能も、学生証という紋所を見せられては諸手を挙げて信じるしかなく。ようやく目の前の女生徒が、TS現象によって性転換してしまったコーキであると認めることが出来たのだった。

、並んで歩きながら笑い合う。


「それで、どうするんだ?」

「?」

「いや、TS現象のこと」

「あ、あぁ!ケンに信じてもらえた嬉しさで頭から抜けてた」

「はぁ……。親友である俺を頼ってくれたのも、疑い続けた俺に挫けず話しかけてくれたのも嬉しいんだけどさ。実際問題、俺に出来ることなんてなんもないぞ。俺はTS現象の分野に関して明るい専門家でもなければ、お前の親御さんを説得出来るだけの人間でもないんだから」

「うぐっ……、確かに」


俺からの指摘を受け、矢が刺さったように胸元を押さえるコーキ。出会った当初は、なんでこのギャルこんなに無防備なんだとその貞操観念を疑ったものだが、よく考えてみれば中身はコーキなのだ。つい仕草が男性のように、自らの容姿に対して無関心になってしまうのも頷ける。

さて。

中身は親友だと理解した筈なのに、ついその胸元を見てしまう己の正直さを呪いながら、誤魔化すように咳払いをした。


「親御さんへの説明は、どうしたって免れない。これからのコーキのことを考えたら説明すんの恥ずいとかで済む問題じゃないしな」

「オレ、これから女として生きていくのかぁ……」


を考えたのか、道の真ん中でうずくまってしまうコーキ。道幅の狭い住宅街故、後ろから来た車にクラクションを鳴らされたりすることはないものの、それでもいつまでもこうしてて良いものでもない。

なんとか立ち直らせようと言葉を探す。


「……悪い、事例が特殊過ぎてどう励ましていいかも分からん」


しかし突然TSしてしまった親友にかける言葉など俺の語彙に登録されているはずもなく、情けない言葉しかかけられなかった。

コーキが俺を見上げる。その庇護欲をそそるような表情に、俺はコーキ親友相手にも関わらずドキッとしてしまった事実に、腕の毛穴が軒並み粟立つのを感じた。


「……オレ達、ずっと親友だよな?」

























「なあケン。次の巻取ってー」

「お前の方が本棚に近いだろうが。自分で取れ」

「TS現象で背が縮んだから届かないー」

「はぁ……。分かったよ、ほら」

「ありがとー」


二日後。

コーキと俺は、自室にて漫画を読みながらゴロゴロと寛いでいた。

なんで?


「おいコーキ、乗っかってくんな。重たい」

よりは軽い」

「んなこたない」

「うわ、に向かって失礼」

「おっ、三日目にして早くも自覚が芽生えたか。その調子で頑張れよコーキちゃん」

「……なんか、ケンもTSに慣れたよな」


うつ伏せで寝転がるオレに、これまたうつ伏せで乗っかるように──俯瞰で見ればバッテンマークのようなシルエットで器用に寛ぐ俺とコーキ。コーキの呆れたような呟きに、俺は開いていた漫画の単行本をキリのいい所まで読み進めてから返した。


「そりゃ、オタクに優しそうなギャルみたいな見た目してるとはいえ」

「なにそれ、そんな奴いんの」

「……あとで教えるから。──兎に角、どれだけ見た目が女子でも中身は俺の親友だからな。見た目が変わったからってたった一人の親友に劣情をもよおすほど俺は節操なしじゃあない」

「そういうもん?」

「あぁ。そもそも俺の性癖は『京都弁のスレンダー糸目美人に扇子片手になじられること』だしな。それ以外は特にって感じだ」

「……ふーん」

「なんだよ、その意味ありげなふーんは」

「ケンって、目の前に可愛いギャルがいてもなんとも思わないんだ」

「そんなこと言ってないだろ、ことコーキに限ってはの話だ」

「オレのには見て見ぬフリ、か」

「お前……、TS後の自分大好きだな」

「うるせー」


髪をファサ、とかきあげてキメ顔をするコーキに冷静にツッコミを入れると、コーキは唇を尖らせた。

確かに、いきなり自分の身体が異性化したら興味も出るよな。ましてや世間一般的に見て美人に当たるほどの顔面と他者の視線を惹きつける容姿なら、鏡に映る自分を好意的に思ってしまうのも頷ける。もしかしたら、TS現象を受け入れつつも、TSした自分の見た目はまだ受け入れ切れていないのかもしれない。

これは本人以外には理解も共感も出来ない範疇の話だ。

口を閉じておこう。

…………。


「トイレ」

「おー」


なんとなく、一人で勝手に気不味くなってしまった俺は、逃げるのコマンドを選択。途中まで読んでいた漫画にそこら辺にあったどうでもいいレシートを挟んで栞代わりにし、漫画から目を離さずも、気を利かせて退いてくれたコーキを尻目に立ち上がる。


「…………」


ふと見下ろしたコーキの体型は当たり前だが女性的で、一瞬でもで見てしまった自分を頭の中で袋叩きにしながら退室した。

廊下を歩き、トイレ内へ。部屋着のポケットから出したスマホから◯witterを開き、便座に座る。そりゃあ自分の家なのだから、トイレ中にスマホぐらい触る。

……俺は誰に向かって言い訳しているんだ。

俺好みにカスタマイズされたTLは、昨晩観たアニメの感想を語るオタクや先日発売が発表されたゲームに対する懸念を抱くオタク、アニメの実写化をこき下ろすオタクに今週の◯術廻戦の早バレをするオタクと、実に混沌としていた。

だがこの混沌が愛おしい。

と、別に愛おしくもなんともないけど格好良いからそう言っておく。

スマホ画面の左上を見れば、もうトイレに入ってから2分も経過していた。


「…………」


コーキに対する気不味さから部屋を出た俺は、別に尿意をもよおしているわけでも──念の為言っておくと劣情をもよおしているわけでもなんでもなく。だから便座に腰を下ろしたものの、ズボンは履いたままだ。

何分経ってから戻ろうか。

頭の中で、離席してから部屋に戻るまでの不自然じゃない程度の時間を計算する。つまりトイレの中であとどれくらい◯witterを見ていれば良いのかを脳内そろばんを弾いて叩き出し──突然の着信。

その音量の大きさに思わず飛び上がった。

授業中やら外出中に、着信音が鳴って注目を浴びてしまうことを恐れてしまう俺は、メッセージやアプリの通知程度なら着信はオフにしている。しかし緊急の電話なんかは気付けないと取り返しのつかないことになりかねないので、それだけはオンにしているのだ。

だから、こんなにデカい音を鳴らしているということは、電話がかかってきているということになる。……でも、誰から?

自慢じゃないが、俺にはコーキ以外の友達がいない。

本当に自慢じゃない。

話を戻そう。

だから、はっきり言ってこの着信に心当たりがない。ただの間違い電話か、それとも普段電話なんか掛けてくるはずがない親からの珍しい電話か。

俺はその二択のどっちかななんて想像しながら──突然鳴り響いた大きな着信音によって未だバクバクしている心臓を気遣いながら、ふぅと息を吐いてからスマホ画面を見やる。


「は?」


コーキからの着信。

スマホ画面には、そう書かれていた。


「……んだよコーキのヤツ、つまんないイタズラしやがって」


俺のトイレ退出が気に食わなかったのか、それとも想像以上に帰りの遅い俺のトイレ内でよ行動を邪推しているのか。兎に角、コーキから着信。

それも現在進行形で。


「……はぁ、身構えて損した」


俺は、親相手でも通話は緊張する男なんだぞ。

なんて恥ずかしい言葉を恥ずかしげもなく言い放ってから、通話マークを押して電話に出ることにした。


「トイレ中に電話かけてくんなよ、マナーだろうが」

『──ケン、聞こえてるか!?』

「……コーキ?」


スマホから聞こえてくる馴染み深いその声に、俺は思わず掴んでいたスマホを落としそうになった。


『今大丈夫か!?周りに誰もいないか!?』

「そ、そりゃあトイレの中だから誰もいないけど」

『メッセージ返せなくて悪かった!でも今回ばっかりは許してくれ!さっき気付いたんだ!』

「ま、待て待て。コーキお前、……」

『声?──まぁ良い。今は時間が無いんだ。出来るだけ簡潔に伝えるから、ケンは今すぐ自分の身の安全を確保してくれ!』


尋常ではなく切迫した様子のコーキに、俺の部屋に居る筈のコーキとの声の違いや、そもそもなんで俺の部屋とトイレという距離感で電話をかけているんだという疑問なんかが吹っ飛んでいく。喉が急激に渇いていくのを感じながら、ただ相槌だけは返していく。

コーキも段々落ち着いてきたのか、それとも電話を受けている俺の身を案じているのか、いくらか声量を落として話し始めた。


『二日前……いや三日前か。登校中に後ろから突然女に襲われてな。ソイツの部屋でさっきまで監禁されてたんだよ』

「は?監禁?どうして」

『んなの知るかよ。見たこともない初めましての女だぞ。まぁ兎に角そこに監禁されてて、つい30分くらい前にやっと抜け出せたんだ。着るもん無いから女のジャージを拝借して逃げてやったぜ』

「じょ、状況が読めない。お前いきなり何言ってんだよ」

『嘘じゃねぇ!信じてくれ!』


スマホの向こうから、コーキの訴えが響く。

俺の部屋にいる筈のコーキと違う環境にいるらしい、通話中のコーキ。

TSしたコーキとは違い、今まで通り男の声で喋るコーキ。

浮かび上がった仮説を遮るように、通話越しのコーキが口を開いた。


『女はオレの制服や学生証なんかを全部奪っていきやがったが、まさかオレが家にスマホを忘れるほどスマホに無頓着な男だとは思ってなかったみたいだな。命からがら家まで帰って、こうしてスマホでケンに電話をかけているってわけだ』

「わ、訳わかんねぇよ。コーキお前、ずっと何言ってんだよ」

『女が部屋にオレを縛り付ける時も、部屋から出て行く時も、しきりにを呟いていた。多分、というかほぼ確実に、女の狙いはお前だ』

「お、俺……?」

『ケン、お前今本当に安全か?近くに誰もいないか?』


通話越しに今一度問われる。その緊迫感は俺に、同時にコーキが二人存在している現在の状況を確認させるなんて選択を奪っていってしまった。

問われて、トイレの中を見渡してみる。当たり前だが、この狭い個室内に俺以外の人間はいない。鍵もきちんと締めてある。


「……だ、大丈夫だ」

『女はオレと同じプリンみたいな色の髪をしてる。良いか、その特徴の女を見かけたら今すぐ逃げろ。アイツ普通じゃねぇ、オレのことをバットで──』


コンコン。


「ッ、」


頭蓋の内を何度も反響するような、はっきりと聞こえたノック音。俺は反射的にスマホを抱き締め、スマホから聞こえてくるコーキの声を部屋着で塞いだ。

コンコン。

またノック音。黙っていては不自然だと、一呼吸置いてから返答することにした。


「……なんだよ、トイレ中だ」

『ケン、えらく長いけど大丈夫か?腹下した?』


ドア越し故、少しくぐもったような声がドアの向こう──廊下から聞こえてくる。コーキの声だ。三日前にTSして、以来女の子になってしまったコーキの声だ。


「だ、大丈夫だ。あと少ししたら出る」

『おいケン!今の声もしかして──』


部屋着で押さえつけたスマホから、コーキの声が聞こえてくる。高校入学時に仲良くなってから、四日前まで毎日のように聞いてきたコーキの声だ。


『今の声……』


ドアの向こうからのコーキの声が、少し低く聞こえる。

途端に脂汗が噴き出る。

心臓が早鐘を打つ。

トイレ内という逃げられない空間。背後に備え付けられた小窓も、人間一人潜り抜けられるほどの大きさではない。

逃げ場無し。

コンコン。

ドアの向こうにいるコーキ──コーキではない誰かが、優しくノックをしてきた。


『ケン、取り敢えずドア開けてくれる?』

『ケン!早く逃げろ!その声間違い無い!ソイツだ!オレを襲った女の声だ!』


コーキではない誰かの声とコーキの声が、同時に喋りかけてくる。オレはどちらに返答することもできない。

呼吸が知らぬ間に不規則になっている。下ろしていた両足を便座に上げ、体育座りのような姿勢になる。少しでも息を殺そうと、自分の身体を抱く。

コンコン。

ガチャガチャ。

ノックだけでは飽き足らず、ドアの向こうの誰かは鍵がかかっているドアノブを回し始めた。ノック音の大きさも、ドアノブを回す勢いも、段々と激しさを増していく。


『ケン、何もしないから開けてくれよ。オレだよ、だよ』

『ケン!早く逃げろって、お前なにやってんだ!』

『開けてくれ。早く。開けろ。ケン。ふざけんなよ。おい。鍵開けろ。手間取らせないで。ケン。何もしないって。ずっと好きだったの。やっとここまで来たんだから。どこにも逃げられないでしょ。今出てきてくれたら痛くしないから。鍵開けて。ケンくん。早く。ねぇ。鍵。早く。何してんの。開けて。諦めなよ。ねぇ。痛くするよ。早く。ねぇ。ケンくん。もう我慢出来ないの。お父さんお母さん今日は遅いんでしょ。ケンくん。早く開けて。後悔させないから。ケンくん。開けて。開けて開けて開けて開けて──あっ』


ガチャガチャガチャガチャ。

鍵が締まっているという事実を受け入れずに何度も何度もドアノブを回し続ける、ドアの向こうの誰か。そうだコーキに助けを求めようと、ようやく働き始めた頭でスマホを耳に当てる。

瞬間、ドアノブが音を立てて床に落ちていった。

コロコロと床を転がるドアノブを呆然と眺めてから、ドアノブがあった場所へとゆっくりと目を向ける。


「ひっ」


ぽっかりと空いた穴の向こうから、爛々と光る目がこちらを覗いていた。






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ヤンデレの女の子って最高だよね! 大塚ガキ男 @kinnikuokawari

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