止心。下




少し、私の話をしよう。

武人に憧れ、そして幼馴染である佐々木甲ささきこうに憧れた一人の女の話を。

いや。

すまない。

やっぱり訂正だ。

甲に対する私の感情を単なる憧れで片付けるのは偽りだ。

正しくは、好いている。

……。

ああ。

そうだ。

まだ生温い。

白状しよう。

私は、佐々木甲の事を幼少期からどうしようもなく愛している。

勿論、一目惚れをしたわけではない。

段々と、だ。

私は甲のことを、段々と好きになっていったのだ。


初めて甲に会った時、とても優しくて心が綺麗な男だと思った。直前に馬鹿な男子を叩きのめしていたので、殊更そう感じたのをよく憶えている。

甲が両親との別れを悲しんでいるのを見て、つい剣の道へと誘ってしまった。甲にセンスを感じたからではない。悲しんでいる甲を、子供ながらに癒してやりたいと思ったのだ。


それから、私は甲と行動を共にし、甲のことをいつも気に掛けた。実際、今こうして思い返してみると、気に掛けられ、そして癒されていたのは実のところ私の方だったのだと気付く。それくらい、甲は穏やかで優しく、他人への愛で溢れていたのだ。

私の我儘を笑って受け入れるくらい。

私を惚れさせるくらい。


幼少期から、私が竹刀を振ることをこころよく思わない大人達がいた。

やれ女の子なんだからと何かにつけてせいに見合った行動をさせようとさせる大人達がいた。

勿論、道場のみんなはとても優しかった。それでも、道場以外の場所ではその言葉が耳に入る機会が多かったのだ。

甲は、そんな私の盾になってくれた。私の耳を塞ぎ、あんな言葉は聞かないで良い。自分の好きなようにすれば良いと微笑んでくれた。

甲は私のやる事を何一つ否定しなかった。

勿論、何も考えずに頷いているわけではない。私が道を踏み外しそうになった時は、甲がさりげなく、私にも解るように諭してくれた。

肯定とも否定ともまた違う優しさが、甲にはあった。


甲と居ると、私は駄目になっていってしまうように思えた。それは決して甲の所為ではなく、甲の優しさに甘えてしまう自分の所為に他ならない。

だから、甲と出会ってからはより一層自身を鍛えた。……まぁ、甲は私の喧嘩を見て元気をもらえたらしいからな。いいところを見せて、甲が元気でいてくれるならこれほど喜ばしいことは無い。

剣道のことを喧嘩と言っているわけではないぞ。揚げ足を取るな。


そんな私の妙な方向へ働いた努力の甲斐あってか、私は中学生の中ではトップレベルの実力を持つ剣士になった。甲がとても喜んでいて、それが無性に嬉しかったのをよく憶えている。


甲には、剣の才能は無かった。

ああ。

御世辞を言うのも取り繕うのも、優しさではないからな。私は事実を言う。

甲には、剣の才能が無かった。

中学校を卒業するまでは毎日欠かさず私の隣で竹刀を振っていた甲も、高校入学を機に竹刀を握ることはなくなってしまった。けれども甲は道場へは欠かさず顔を出し、私のそばに居てくれた。

甲が剣道を辞めてしまった事に思うことが無いこともないが、それは甲の決断だ。幼少期から続けていた一つの事を手放すのは、とても勇気がいるものだっただろう。私は甲の選択を応援することはあっても、決して恨んだり引き留めたりはしなかった。私はそんな仕様も無い女ではないからだ。


甲には、女っ気が無かった。まぁ隣には私がいるから当然と言えば当然なのだが、それにしてもだ。

甲の好みのタイプなんぞ聞いた事もないし、以前甲の部屋を片付けた際にそれとなくチェックしたがも無かった。

甲には好きな人はいるのだろうか。

これは完全なる妄想になってしまうのだが、甲の好きな相手がもしも私だったならば。

こんなに素敵なことはないだろう。

いや、でもしかし。

私のような重い女──私の心の内を甲が知ったならば、間違い無く幻滅するだろう。今まで僕が見てきた剣士とは何だったのかと、私との関係一切合切を酷く恥じるだろう。

だから、言えない。

好きだと言えない。


私は、甲をぐちゃぐちゃになるまで愛したいと心密かに思っている。

私は、甲を全ての苦しみから解放し、いつも笑っていて欲しいと心の底から祈っている。

私は、甲を部屋から一歩も出さず、全ての世話を焼いてやりたいと強く願っている。

私は、甲を拘束し、私が緊張しなくなるまでハグをしてみたいと妄想している。

私は、甲の柔らかな笑顔をと今までの思い出をオカズに毎晩自慰行為に耽っている。

いくら剣の道だ、武士道だと口では言っていても、所詮は私も一人の人間。心の中なんてこんなモノだ。

私は甲のことが大好きだ。

大好きだから、甲を自分だけのものにしたいという激情が常に腹の中に居座っている。

甲に近付く異性は自然に牽制するし、周囲には甲と私は四六時中一緒に居ても違和感を抱かせないくらい甲と行動を共にしている。

私は甲の事が大好きだ。

仮にこの恋が実らなかったとしても、一生甲を諦めない程度には──いずれ甲の隣に私以外の女が立つとしても、決して何があっても諦めない程度には──私は、甲の事が大好きなのだ。


甲にこの気持ちを伝えたい。けれども、伝えてしまったが最後、甲との関係は破滅してしまうだろう。

ジレンマ。

どうすれば良いのだ。これでは関係が進まん。

甲とはもっともっと深い関係になりたいのに、自力でも他力でもテコでも、この関係がビクともしない。







「麻希って僕の事好きなの?」

「──ンゴフゥッ!ゲフッ!ゲフッ!!」

「麻希!?」


ある日の昼休み。

それは、唐突な質問であった。唐突過ぎて、私は飲んでいたお茶を盛大に噴き出してしまった。甲からの角度では見えなかっただろうが、鼻からも噴き出してしまっていたのは、私の中だけに秘めておくべき小さな事実だ。

それから甲に説教をしたり、彼奴あやつを恨んでみたりして、甲の去り際。私は思い切って──中学校剣道全国大会の最後の試合の時よりも遥かに勇気と根性を絞り出して──質問を投げかけた。


「──時に」

「?」

「こ、甲。……お、おおおお前は最近どうだ?好きな人の一人でもいるのか?──いや駄目だやはり聞きたくない──す、好きな女のタイプはなんだ?」


それだけの勇気を出した割には、声は上擦ったし口調も可笑しいしおそらく顔どころか耳まで赤くなってしまっているだろう私の体たらく。このまま屋上から飛び降りてしまおうかと考えるくらいには存分に恥を晒してから数秒後。甲は少し考える素振りそぶりを見せてから口を開いた。


「──僕を。深く僕を、愛してくれる人」


少し痛々しい微笑みを添えて。







甲が私を認めてくれた。甲が私を認めてくれた。甲が私を認めてくれた。甲が私を認めてくれた。甲が私を認めてくれた。甲が私を認めてくれた。甲が私を認めてくれた。甲が私を認めてくれた。

甲が私を認めてくれた──いや、落ち着くんだ私。甲が直接そう言ったわけではないのだぞ。

落ち着け。

──馬鹿言え、これが落ち着いていられるか。












最近、何だか麻希の様子がおかしいような気がする。話掛けてもどこか上の空だし、試合っている時も普段は絶対に取られないような一本を簡単に差し出している。小手も胴も面も喉も、全てに隙がある。

そんな異常。僕は麻希の朝練中の動きを見ながら、首を傾げていた。

本当に大丈夫だろうか。

今なんて、面を取るのも忘れて突っ立っている。


「……麻希、体調でも悪いの?」


見かねて声を掛けてみると、麻希は何やらぶつぶつと独り言を呟いている。どうやら気付いていないようなので肩を揺する。


「──甲か。なんだ、どうした」

「いや、大丈夫かなって思って」

「私を心配してくれているのか?甲の優しさはあ有難いが、私は至って平常。心配されるようなことは何も無いぞ。ではな、私は着替えてくる」


僕に手を振り、毅然とした態度で女子更衣室へと歩いていく麻希。防具はまだ付けっぱなしだ。





結局、あのあと制服に着替えた麻希はそれでも面を付けっぱなしというキュートな失態を侵し、僕はたまらず保健室へと連れて行った。


「私は大丈夫だと言っているのに。むむ……」


保健室のベッドに腰掛け、少し頬を膨らませる麻希。保健の先生曰く疲労の蓄積らしいので、大事を取って1限の時間は保健室で休ませることになった。とは言っても付き添いの僕は普通に1限は出席しなければならないので、麻希に「お大事にね」と挨拶をしてから教室へと向かう。


「……甲」

「どうしたの?」

「手を、握ってくれ」

「手?別に良いけど」


努力の積み重ねが至る所に見られる麻希の硬い手をしっかりと握る。

麻希は僕の手を不思議そうにニギニギと何度か握って、それなら深呼吸。


「……ありがとう。元気が出た」

「うん、なら良かった。じゃあ、1限終わったら迎えに来るよ。お大事にね」

「おう」













手を握らせてくれた。手を握らせてくれた。手を握らせてくれた。手を握らせてくれた。手を握らせてくれた。手を握らせてくれた。















「……で、それからどうしてこんな場面に繋がるんだろう?」 


現在。

麻希の部屋。

いや何で?

深呼吸。

冷静に、辺りを見渡してみる。

ちゃぶ台のようなローテーブルに、座布団。本棚には剣道関連の書籍が綺麗に並べられている。その隣には木刀やスペアの竹刀、それから竹刀にはめる鍔のコレクション。室内に点在しているちょっとしたスペースには、僕が以前あげた物が大事そうに置かれている。

猫の顔の形のクッション。

音楽を流すと踊るサングラスを掛けた植物(顔は犬)。

お気に入りらしい鍔が一つ(ピンクの桜が舞い散っているデザイン)。

子猫の日めくりカレンダー。

等々。

見れば懐かしい気持ちになる品々が、麻希の室内には沢山あった。その中でも扱いが丁重であり厳重で、ガラスケースに入れられた物が一つ。

麻希と出会った時にあげたキ◯ィちゃんの顔がぶら下がっているキーホルダーだ。流石に少し汚れてしまってはいるが、6年近い年月が経過して今なおこれだけ大事にしてくれていて、僕はとても嬉しい気持ちになった。

嬉しい気持ちになったと同時、麻希がドアを開けて室内に入ってきた。麻希の方を向く。麻希は保健室で別れた時と同じで、制服を着ていた。


「ま、麻希。これはどういう事情なのかな。ちょっと説明してもらいたいんだけど」


ベッドに仰向けで寝転がった体勢で四肢と腰を縛られた僕は麻希にそう言うが、麻希はあまり気にして無い様子でベッドに膝を乗せ、僕の腰の後ろに手を回した。良かった、解いてくれるみたい。


「……麻希、さん?」


ギュウゥ。

そんな擬音が付きそうな力で、僕を抱き締めた麻希。僕のお腹に顔を埋めて数十秒。それから、突然僕と目を合わせた。


「甲」

「どうしたの」

「私を、認めてくれてありがとう」


歓喜。

突然だけど、麻希はどちらかというとあまり感情を顔に出すタイプではないと僕は思っている。今の麻希の感情も僕だから読み取れたのであって──話を戻そう。つまり、麻希は喜んでいる。何故だかは分からない(拘束される前の僕が麻希の何を認めたのだろうという意味だ)が、麻希は歓喜に打ち震えているように見える。


「お陰で、私も安心して自分の気持ちを伝えられる」


自分の気持ち。

それは、僕を自室に拘束している今の状況と何か関係があるのだろうか。

麻希の気持ち。

駄目だ。あまり考えられない。

……今何時だ?

窓際のカーテンは閉じられていて、カーテンの隙間から入ってくる日光によって今は日中なのだということは分かるけれども、今何時?というか、今何月何日?麻希と保健室で別れた後の記憶が無い。あれから何時間──もしくは何日間──経過しているんだ?

今の状況を改めて考えていると、段々と背中の内側が冷たくなってくる。


「甲」

「な、なに?」

「他のことを考えるな。私だけを見ていろ」

「分かった」


不機嫌。

どうやら、麻希は僕の態度に機嫌を損ねてしまったらしい。これに関しては完全に僕の責任なのでら言われた通り麻希を真っ直ぐ見詰める。こんな状況で言うのもアレだけれど、やっぱり麻希って美人さんだね。


「それでいい」

「ねぇ麻希。そろそろ教えてほしいんだけど」

「何をだ」


僕が麻希を見詰めながら質問すると、麻希はようやく返答すること意思を見せてくれた。やっぱり目を見て話すのって大事だね。


「この状況」

「と言うと?」

「僕はなんで麻希の部屋で縛られているのか」


それは、もしかしたらまた、麻希の機嫌を損ねてしまいかねない言葉。けれども聞かなければならなかった。聞かないわけにはいかなかった。

なんだ、そんなことか。

麻希はそう呟いて、聖母のように微笑んだ。

どうやら、怒らせずに済んだらしい。



しかし、麻希の続く言葉に、僕は冗談抜きで言葉を失ってしまった。普段の麻希の口からはまず出ないであろう言葉が聞き間違いにしてははっきりと聞こえてきたので、僕は面食らってしまったのだ。


「……それは、えーっと。なんで?こんなことをしなくても、僕は麻希とは長い付き合いになるものだと思っていたんだけど」

「お前という奴は、私をどこまで悦ばせればっ」


突然、再びのハグ。先程よりも強い力で、抱き締められるというよりは締め上げられる。こういう時、やっぱり麻希も体育会系なんだなと再認識する。とんでもない力の強さだ。あと関係無いけど、良い匂いがする。

麻希は僕と重ねていた上体を離し、僕の目をしっかりと見ながら口を開いた。麻希の目はとても綺麗で、まるで夜空で星が瞬いているようだった。


「私は、甲の望み通りに──いや、望み以上にお前を深く愛そう。甲の心に空いた穴を、少しの隙間も無く完璧に埋めてみせよう。甲が過去に縛られないように、私が良い明日を見せてやろう。甲の今までの悲しみを、私が全て消し去ってやる」

「……」


参ったな。

どうやら麻希は、僕のことなんて全て理解わかってしまっているらしい。

僕がからまだ立ち直れていないのも。

から変わらず情愛に飢えていることも。

全て理解してしまっているらしい。

僕が以前屋上で放った言葉を気にして、今回のような行動に出た?違うね。今の麻希はそんな付け焼き刃では考えられない迫力だ。

……ああ、そうだよ。分かっていたさ。

誤魔化すのはやめよう。

普通だったら疎遠になる年頃の女の子が、今まで一度も離れず側にいたんだ。他の友人よりも僕を優先して側にいてくれたんだ。その意味くらい僕にも分かる。

僕は、麻希から沢山の愛情を貰っていたんだ。

でも、親が離婚した僕の心には穴が空いていて、貰った愛情はそのまま穴から抜けて行って。

麻希からの愛を僕は気付かずに、愛を知らない孤独な少年ぶっていたわけだ。

僕はなんてクソ野郎なんだ。


「……麻希」

「なんだ」

「ありがとう」


口から溢れた感謝の言葉。ついでに瞳から涙も溢れた。その姿に麻希は一瞬狼狽えフリーズするが、すぐに理解して微笑んだ。親指で僕の涙を拭う。


「私は礼を言われるようなことはしていないぞ」

「……そう。じゃあそういうことにしておこうかな」


麻希の謙遜。掘り下げると麻希の思い遣りを傷付けることになってしまうので、僕も麻希の謙遜に甘えることにした。

僕からはできないから、もう一度ハグしてよ。

そう言うと、麻希は嬉しそうに再び僕の背中へと腕を回した。麻希の心臓の音が胸越しに分かる。少し早い気がする。僕と同じだ。


「……このまま一生ここで二人きりって言うのも悪くないかもね」

「ふふ、だろう?」

「うん。麻希と一緒なら別に良い気がしてきた」


となると、金銭面の問題がどうしてもついて回る。麻希が僕の拘束を解く気があるのかないのか 

は分からないけれど、このままの状態での一生となれば麻希にのしかかる負担は途轍も無いことになってしまうだろう。

みたいなことを、麻希に抱かれながら脳内で考え始める。するとどうだろう。いつの間にか僕の脳内には、ここから逃げ出す気だとか外の状況への興味なんてものは微塵も無くなっていた。

僕はどうやら、麻希のことが好きだということを自覚してしまったらしい。

惚れた弱み?──いやなんか違う。互いが互いにもたれかかっている、言わば共依存的なナニカ。僕は麻希のやることはなんとなく何でも許してしまう気がするし、麻希だってそれは恐らく僕と同じ気持ちだろう。

頭の中で麻希への気持ちを反芻してみると途端に気恥ずかしさが押し寄せてくるが、それはただの照れなので問題無い。

僕は麻希のことが好きだ。

うん、間違い無い。


「なんだか満足そうだな」

「分かる?」

「ああ。甲のことならなんでも」

「それは頼りになるね」


笑い合う。

二人きり。

幸せな空間。

麻希の部屋。


そこに響く着信音。

それと、バイブレーション。


その震源である僕のポケット内から、麻希が素早い動作でスマホを取り出す。その際点灯している画面が少し目に入る。どうやら母からのメッセージが入っているようだった。

続いて内容を確認しようとした瞬間、麻希はスマホを自分の方へと向けた。続きは見せてくれないらしい。


「麻希?」


麻希は僕に微笑んだあと、スマホへ視線を向ける。もう一度僕の方を見る。

もう麻希の顔は笑っていなかった。


「麻希……?」


ガンッ。

肩をベッドに押さえ付けられる。勿論、僕は縛られているので体勢が変わるということはないのだけれど、それでも麻希からの衝撃は──明確なる怒りの感情は暴力という形で僕にしっかりと伝わった。


「私を見ろ」

「み、見てるよ」

「見ろ。しっかりと見ろ」


凄む麻希。彼女の瞳に、もう星は見えなかった。

瞳が、曇っていた。


「お前の母親からだ。幼いお前の哀しみよりも、離婚を選んだお前の母親からだ」


眼前にスマホが押しつけられる。まず瞳に映るのは、僕のスマホの電池残量──ああもう残り2%しか充電が無いよ──それから現在時刻──どうやら今は夕方らしい──出来れば日にちも知りたいな──駄目だ考えが纏まらない。それもその筈、液晶の真ん中には僕が目にしたくない文字が堂々と映っているからだ。

見たくない。

見ろ。

見たくないよ。

見るんだ。

譲らない麻希。そうなると僕が折れるしかなく、僕は薄目でスマホの中央へとピントを合わせた。

そこには、父親と寄りを戻そうかどうか──つまりは、再婚を考えている旨のメッセージ。その文面は僕への相談ではなく、自分の意思を伝えているものだった。

つまりは、母の中ではもう半ば決定しているということ。

と同じだ。

胸が締まる感覚。


「お前の母親はッ、またお前の気持ちをッ何も考えずに行動している──見ろ!目を逸らすな。これが愛か?これが母親の在るべき姿か?」


何故今なんだ。

麻希が激昂するのが目に見えている状況で、という意味では勿論ない。

何故今なんだ。

愛に飢えている僕が、ようやく麻希という存在によって愛を識ることができた、言うならば両想いになったタイミングで、何故こんなメッセージが来てしまうのだ。


「お前の母親はな、お前のことなんかちっとも気にしてはいないぞ。あくまで自分優先。甲が優しいから、甲を軽く見てるんだ。自分の決定には決して反対しないって舐められてるんだ!私ならもっとちゃんと母親が出来る。私なら、もっと誠実に甲と向き合えるのに……!」


苛つく麻希。どちらの感情がリンクしているのかは分からないが、不思議なことに僕も同じ気持ちだった。


「甲ッ!答えろ!お前が受けるべき愛は──誰からだッ!この母親か!?それとも私か!?」

「そ、それは」


麻希。

真田麻希。

僕はすぐさま、そう答えようとした。でも、できなかった。

僕の言葉に被さるようにして、またスマホから着信が鳴ったからだ。


「……そうか」


言葉がつっかえている喉が、麻希の表情を見て干上がった。


「甲は優しいからな。でも、肉親であれば私と同レベルになってしまうというわけか」


違うよ、違うんだ。

麻希。

話を聞いてくれ。

けれども、一度つっかえた言葉は上手く口から抜けていかない。代わりに僕は首を横に振って麻希の言葉を否定する。

だって僕は、こうなってしまえば、母よりも麻希の方が遥かに愛しているのだから。

着信音。

着信音。

僕がいつものように返事を寄越さないのが不安なのか、続けてメッセージを送ってくる母。

それによって、ついに麻希が痺れを切らした。


「ッ──!」


僕のスマホを壁に投げ付ける。あれだけ連続して着信音を鳴らしていた僕のスマホはいとも容易く破壊され、ただの硬い板になってしまった。


「私は、甲のことが大好きだ」

「あ、ありがとう」


つい先程までは胸が躍るほど嬉しかった麻希からの愛情表現。しかし、今は額に脂汗が滲むほどのプレッシャーとなって僕にのしかかっている。


「だが、どうやら甲には私の愛がまだまだ伝わっていなかったらしい。私と母親どちらかを選べないくらい、血迷ってしまっているらしい」


違う。そう言おうとして、僕の左腕に竹刀が振り下ろされた。麻希の言葉通り、しっかり麻希を見詰めていた僕は、麻希がどこから竹刀を取り出したのか分かった。麻希はベッドの下に竹刀をしまうタイプらしい。

そんなことを瞬時に考えながら、脳に激痛を表すシグナルが送られてくる。痛みに顔を顰めていると、麻希は竹刀を傍らに置いてから、僕の口を塞ぐように片手で頬を掴んだ。


「喋らなくていい。哀しいが今のお前の言葉はあまり信用出来ん」


そんな。

それでは誤解が解けない。

僕は必死に口を動かすが、頬を掴まれてしまっているのでモゴモゴと間抜けな声しか発せられない。


「これから──そうだな、3日間。3日間、私は甲を性欲の限り犯し、嫉妬の限り甚振り、時間が許す限り愛でる。それで甲の頭をぐちゃぐちゃにしてあんな母親のこと何一つ思い出せなくなるくらいにして、もう一度さっきと同じ質問をしよう。間違えたらもう3日同じことをする。……でも、甲は頭が良いから思ってもないことを言ってしまうかも知れないな。よし、間違える毎に日数を倍にしよう」


シュル。

制服のリボンを片手で解き、僕の太ももの辺りに座っていた麻希は、僕の腹部まで移動して腰を下ろした、その姿は酷く妖艶ではあったけど、麻希の言葉の意味を噛み締めていた僕は涙が止まらなかった。

違うのに。僕は、麻希のことが好きなのに。

いつの間にか、自分が震えていることに気が付く。横に振った首が、上手く振れなかったからだ。


「そう哀しそうな顔をするな。これは甲の為でもあるんだぞ?」

「僕の為……?」

「ああ。あんなクソみたいな母親との記憶を、私で上書きしてやるんだ。私の好きで、甲の母親を

甲の中から消す。こんなに素晴らしいことはないだろう?」


うん、素晴らしい。とても素晴らしいよ。だから──


「──だから?まだ口答えするのか」

「ッ」

「あまり私を怒らせるなよ。私だって、甲のことは極力傷付けたくはないんだ。甲の悲しむ顔だって、見たくはないんだ」

「じゃ、じゃあ、こんなことはやめよう!僕は麻希のことが好きだ!母よりも、麻希のことが大好きなんだ!」

「それは、本当に思っていることか?」

「勿論!」

「……」

「……」


僕の真意を探る為か、僕の瞳をジッと見詰める麻希。僕の心には何の嘘偽りも無いので、僕も真っ直ぐ見詰め返した。


「……」

「……」

「……ふっ」

「……麻希?」


見詰め合っていると、麻希が笑った。瞬間緊張の糸が解けたように、まるでカップルのような雰囲気になり、僕も少し安心してしまう。麻希を呼ぶ声も、どこか柔らかくなった。


「駄目だ。さっぱり分からん。甲の言うことを信じてやりたい気持ちでいっぱいで、正しい判断が出来ん──だから」

「へ?」


しかし、麻希の続く言葉で身体が強張った。


「兎に角、私はヤる。自分の欲望の為に、そして甲の為に、甲に乱暴を働こう。何、気絶したら何度だって起こしてやる、だからお前は安心して気持ち良くなって、反省して、改心してくれ」

「ま、麻希──ちょっと待って!本心なんだよ!僕は麻希のことがッ──」


舌舐めずりをしながらワイシャツを脱ぐ麻希。露わになったブラジャーを見ないように目を瞑ると、頬を叩かれた。思わず目を開けて麻希の方を見ると、麻希の興奮に満ちた顔がもう唇同士が触れ合う距離まで迫っていた。




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