ヤンデレの女の子って最高だよね!
大塚ガキ男
褒めて伸ばす。
「兄さん。まだ終わらないのですか?」
「もう少しだけ待ってくれ。もう少しなんだ。もう少し……」
急かす妹と、急かされる兄。放課後の教室でのワンシーン。
「まさか、課題の提出が今日の十七時迄だったなんてな。木部の野郎の策略に完全に嵌められたぜ」
「さり気なく教師の所為にしないで下さい。兄さんが今の今まで課題を終わらせなかったのが悪いんですから。課題を出されたのは一週間も前ですよ?」
「学生の一週間は早いんだよ」
反論と呼ぶには弱過ぎる言葉を吐きながら、腱鞘炎になりつつある右手で紙面にシャープペンシルを走らせる。課題に手を付けてから、かれこれ一時間程。一週間も猶予があったにも関わらず、課題に手を付けなかった俺への罰はとても重かった。
現在時刻は十六時半。提出しに行く時間等を考えたら到底間に合いそうにないモノだが、俺に突き刺さる妹からの無言の圧力で、俺の作業スピードは大幅に上がっていた。要所要所で妹からの有難いお言葉(問題の答え)もあって、頑張れば間に合いそうだ。
「……あれ。妹ってさ」
「何でしょうか」
「俺より年下だよな?」
「はい。兄さんは高校二年生で、私は高校一年生です」
「何で二年生の課題の答え分かんの」
「兄さんが褒めてくれるからです」
「……」
一見すると訳の分からない妹の言葉。しかし俺は、一人納得していた。あぁそうか、妹なら普通か。と一人腑に落ちていた。
褒めて伸ばす。という言葉がある。
対象の相手の良い所を挙げて褒めて、相手の力を伸ばそう。と、いうような意味の言葉だ。その言葉の意味を知ったのが中学一年生の頃。その頃の俺は、ベタベタと俺の後ろを引っ付いてくる小学六年生の妹を可愛らしく思っていた。しかし、それと同時に、危機感も覚えていた。
いずれ妹に来るであろう、反抗期に。
いや、こういう類のモノは普通親が悩むのだが、その頃の俺は変に妹に対する責任を感じ、妹をしっかりとしたレールの上を歩かせなければ。と思っていたのだ。負わなくても良い責任を自分から負っていたのだ。
反抗期の原因とは?
自分を理解してほしいから。
鬱陶しいから。
思春期だから。
・・・まあ、親に反抗する理由なんて星の数程あっても可笑しくないので、これ以上は割愛。
兎に角、当時の俺は妹が反抗期に突入するのを恐れていた。
白状すると、俺は妹に冷たくされるのを考えただけで死にそうになる、ただのシスコンだったのだ。
妹が反抗期に突入するのを防ぐ為に、俺は柄にもなく本を(書店で立ち読みをして)読み漁り、一つの結論に辿り着いた。そうだ、褒めよう。と。
補足をすると、妹を褒めれば妹の物事に対するモチベーションが上がり、尚且つ妹を肯定する事で味方になれる気がしたのだ。子供は親との疎外感で孤独を感じ、それで反抗するとも聞くし。兄妹であっても同じ様なモノだろうと、当時の俺はすぐさま実行に移した。
「その服可愛いね」「宿題はもうやったのか?偉い!」「おっ、髪型変えた?似合ってるよ」「妹の作ったクッキーは美味しいな」
兎に角俺は褒めた。些細な事でも大袈裟に褒め殺した。
結果。褒め始めてから半年が経ったか経っていないかの頃。妹に、変化が訪れた。
「え、俺の服を作った?あ、ありがとう」「夏休みの宿題を初日で終わらせたって、え、マジ?」「髪を切ってあげる?いやいや、床屋に行くから大丈b──お願いします」「凄いな、バームクーヘンって自宅で作れるんだな」
俺が褒めれば褒める程妹のスペックは跳ね上がり、気付けば妹は兄である俺を遥かに超える完璧超人となっていた。因みに、妹がまだ中学二年生の時。俺が受験を控えた時期に、俺が受ける高校の入試対策プリントが、妹(褒めて褒めてと言わんばかりの笑顔を浮かべているオプション付き)から渡された日には、流石に震えた。自作だと言われて更に震えた。
何故、妹が俺の受ける高校の入試対策プリントを自作出来たのかは、未だ解けていない謎の一つである。
しかし、そんな謎なんて吹っ飛ぶ程、俺は妹が反抗期を迎えなかった事に安心していた。俺との関係は言わずもがな、親とも普通に話すし、ご近所さんに自分から挨拶だって出来る。
「本当、良い子に育ってくれたよ。偉い偉い」
「兄さんに撫でられるのは好きですけど、お時間は大丈夫なのですか?回想シーンで残り時間の十分程削られましたが」
「うわああああああああああああああ」
期限の数十秒前ギリギリに何とか提出する事に成功した俺と、そんな俺の隣で健気に待っていた妹。運動部達が部活動に励んでいるグラウンドの横を通り過ぎながら、二人で帰路を辿っていた。ずっと文字と紙面だけのモノクロな色彩を見詰めていたせいか、カラフルな風景がいつもよりも少し綺麗に見える。
「……ありがとうな、待っててくれて」
隣を歩く妹の頭を撫でる。年頃の女の子は怖く、少しでも身体に触れようモノなら身体的社会的に殺されると誰かから聞いた事があるが、我が家の妹はそんな事ない。「兄さんなんて嫌いです!」と一度も言われた事が無いのが俺のささやかな誇りだったりする。
「兄さん成分の補給を一日でも怠ると、気が狂いそうになるので」
笑顔でそう語る妹の言葉の意味はよく理解出来ないので、俺は「何だそりゃ」と笑ってもう一度妹の頭を撫でた。
「今日の夕飯、何だと思う?」
「あれ、聞いてませんでしたか?今日はお父さんもお母さんも居ないので、私が作るんですよ」
「あ、今月もそろそろあの日か」
「はい」
俺達の両親は仲が良い。四十過ぎてるのに、行ってきますのキスは毎日欠かさずやってるし、夕飯も極力揃って食べるようにしている。
何故そんなに仲が良いのかと聞かれれば、恐らく両親はこう答えるだろう。
運命だから、と。
両親曰く、結婚の切っ掛けは一目惚れらしい。しかも、互いが互いに。互いの何に惹かれたのかは知らないが、兎に角仲が良い。結婚生活が十五年程経った今でも、それは衰えず。
そんな両親は、月に一度行っているイベントのようなモノがある。
「『ラブラブデー』ねぇ……」
恐ろしい程ネーミングセンスが無い。こんな単語を素面で言える両親は、脳の恥を感じる神経が根こそぎ失われた、文字通り無神経に違いない。
「仲が良いのは良い事です。私と兄さんのように」
「……それもそうか」
可愛い台詞と共に腕に抱き付かれた日には、俺は思考を放棄して多幸感に身を委ねる他無い。
嗚呼、妹最高。
「夕飯の支度に少しばかり時間が掛かるので、テレビでも観ながら待っていて下さい」
という事で、俺はソファーに座りながらボーッとテレビを観ていた。いや、妹を手伝った方が良いのは分かってるよ?でもね?下手に妹(ハイスペック)の手伝いをしようものなら、足手まといになるのは必至なんだぜ?
誰かに対する言い訳を述べる事で、心のどこかにある罪悪感を僅かながら薄める事に成功。遠慮無くテレビを観る。お気に入りの番組は無いので、ニュース番組にチャンネルを切り替える。女性アナウンサーが、この町の近くで殺人事件が起こったみたいな内容の事を真剣な表情で語っている。怠惰でテレビを観ていた俺の耳には、確かなはっきりとした情報は入ってこない。耳に入ってくるのは形だけのぼんやりとした情報のみ。恐らく、一時間も経てば内容は殆ど忘れているのだろう。
暇だ。
振り返って、台所に立っている妹の姿を眺めてみる。野菜を刻むリズムで頭を揺らしているからか、長い髪が左右にサラサラと流れている。それを見た俺は『天の川』という言葉が頭に浮かんだ。部屋の照明を所々反射して輝いているその髪は、とても綺麗だった。
「・・・アイツ、大丈夫かな」
不意に、幼馴染の存在を思いだす。どうしてかと言われれば、恐らく、幼馴染が今日学校を休んでいたからだろう。HRが始まっても隣の席が埋まっていなかったのが強く印象に残っている。彼女は無遅刻無欠席が当たり前。尚且なおかつ優等生だから、印象に残るのは尚更の事だ。
「電話でも、掛けてみるか」
呟いて、スマホを操作する。幼馴染と幼馴染である俺(ややこしいな)が幼馴染の欠席理由を知らないのだ。電話して、何故休んだのかを安否確認のついでに聞いておこう。
ワンコール、ツーコール、スリーコールー──出ない。
おかしい。いつもは必ずツーコール迄に電話に出ていたのに。俄然、不安になってくる。何か悪い病気に罹ったのではないかと、心配で身体の内側がモヤモヤと不快に疼く。
未だに相手を健気に呼び出しているスマホのコール画面を閉じた。こうなったら、直接幼馴染の家に行ってみようか。幸い、幼馴染の家はここから近い場所にあ
「誰と電話していたんですか?」
先程までスマホを当てていた右耳に、囁き声。一瞬驚いてスマホを手から落としそうになるが、何てことは無い。妹の声だ。俺の背後から話し掛けてきているのだろう。妹の長くて美しい髪が俺の視界の端に映っている。
「おう、妹。もう夕飯の支度は終わったのか?お前の手際の良さにはいつも惚れ惚れす──」
「答えて下さい。兄さんは今、誰と、どんな会話を、何時間何分何秒間話していたのかを」
その、今まで感じた事の無い妹の剣幕にたじろぐ。それもそうだ。俺は妹を喜ばせた事はあれど、怒らせた事は一度として無いからだ。見た事の無い妹。怖くなった俺は、座る場所を横にずらすフリをして振り向いた。
「えーっと、妹さん?」
「はい?」
「そ、その右手に持っているモノは?」
鈍く光を反射するその代物。俺は声と手を震わしながらそれを指差した。
「あぁ、気にしないで下さい」
気にするわ。
「それよりも、兄さん?話をずらしてませんか?」
妹が笑顔で俺に問い直す。美人に育ってくれて俺は嬉しいよ。嬉しいから、その不気味に濁った双眸そうぼうについては触れないでおこう。
「ずらしたつもりはないよ。えーっと、俺が誰と電話してたか、だっけか?幼馴染だよ。珍しく学校を休んでたもんだから、電話して聞いてみようと思ってたんだが……生憎出なかったよ」
「……出る訳ありませんのに」
「何か言ったか?」
「いいえ、何も」
妹の言葉の節々から滲み出ている怒りのトーンには気付かずに、俺は話を続ける。
「心配だよな。いつもは絶対に休まない優等生が前触れも無く突然休むんだから。ちょっくら顔でも見に行って来ようかな──ってて……あの〜」
「はい?」
「な、何故俺の眼前には、調理でしか使ってはいけない筈の包丁が突き付けられているのでしょうか?」
座っていた俺を強引に押し倒してソファーの上に寝転がし、妹がその上に馬乗りになって、俺の眼前に包丁を突き付ける。
そんな、現実味の無い光景が、我が家で繰り広げられていた。
調理の最中に俺が誰と話していたのか気になり、包丁を持ったまま近付いて、会話の途中でうっかり足を滑らせて——現在に至る。
なんて理由だったら良かったのになぁ。そんな偶然あり得ないし、妹の目を見たら、今の状況がどれだけ危ういのかが分かる。
冷や汗がじんわりと額に滲む。妹が僅か数センチでも包丁を前に出せば、運良く失明を免れたとしても、俺の視界には一生消えない線が刻まれるだろう。
何だ。
何でだ。
妹はどうしてしまったんだ。俺が妹をどうさせてしまったと言うんだ。
「兄さん。兄さんがこの世で一番好きな人は誰ですか?」
好きな人?
妹からの突然の問い掛けに俺は戸惑う。しかし、包丁が怖いので真剣に考える。ふざけて『修学旅行中の夜の話題かよ』とかツッコんだり、すっとぼけて『お母さん』とか答えたら本気で刺されかねないからだ。
「……妹だよ。俺は妹が大好きだ」
恐らく妹が望んでいるであろう模範回答を口にする。果たして妹は、般若の如く恐ろしい形相から一転、ニコリと笑顔になったのだった。
「私も兄さんが大好きです」
「あ、ありがとう」
「兄さんは私が一番好きなんですよね?でしたら、あんな幼馴染と仲良くする必要なんてありませんよね?」
「いや、その理屈は良くわから」
「ありませんよね?」
全てにおいて俺のスペックを上回る超人的な妹。それは、腕力や脚力も例外ではない。
情けない話早い話、抵抗しようが逃げようが無駄なのだ。そもそも逃げるには、俺の上に跨る妹を退かさなければならない。よって不可能。妹の体重的な意味と俺の膂力的な意味ではなく、単純に妹がバランスを崩して包丁を落としたら危ないという意味だ。妹も危ないし、この体勢で包丁を落とすと、包丁の落下地点にあるのは俺の顔。歴戦を潜り抜けた訳でもないのに顔に傷が付くのは実に馬鹿らしい。
まぁ、色々言ってみたが、事のつまりは。
従う他に道は無い。という事だ。
……自己保身の為に長ったらしく言い訳を並べてしまう程、俺は落ちぶれていたらしい。完璧な妹と、クズな兄。ラノベでありがちな設定だな。ははっ、笑える。
「はい……」
「そう言ってくれて嬉しいです♪」
わぁ、可愛い……じゃなくて。目を細めて笑う妹は大変可愛らしいが、それどころではない。
「アイツ、酷いんですよ?私が兄さんと学年が違うのを良い事に、いつも教室で兄さんを誘惑して……!私の知らない間に家にまで入り込んで!兄さんが困っているのに気付かずに!私の目を盗んで……!!嫌らしい汚らしい穢らわしいッ!!」
アイツ。とは、文脈からして十中八九幼馴染の事だろう。全く身に覚えが無いが、妹は幼馴染が俺に何かしていると勘違いしているらしい。
幼馴染が家に遊びに来るのがそんなに悪いのか。
もしかしたら妹なりの深い理由があるのかも知れないが、俺には知る由も無かった。
この場には居ない幼馴染の代わりに弁解をしなければ、と口を開くが、包丁の先が目から口に移ったので慌てて閉じる。
「毎日毎日毎日毎日、懲りずに私の目を潜り抜けて兄さんに近寄って!」
包丁を持っていない方の手で、妹が自分の髪を掻き毟る。瞳からは光が消え、声色も幾分低く、行動も可笑しい。それでも──歪ながらも──俺に向けての笑みを浮かべ続ける妹から受ける感情は唯一つ。恐怖。
「……でも、そんな日々も、もう終ったんです」
過去形で語る妹。
「もう兄さんも、アイツに困らされなくてすみますね」
このタイミングで幼馴染の名前を出す妹。
「何をキョトンとしてるんですか?」
歪さと無邪気さが入り混じったような笑顔で問い掛けてくる妹。
「兄さん、震えていますよ?」
心配そうに俺の頬に触れる妹。
「ほら、笑いましょう。兄さん。私と兄さんの邪魔をするモノは一人も居なくなったんですよ?」
妹が虚空に視線を移す。
「ど、どういう意味だ?」
問う。
ここで聞いておかなければ後悔する気がしたから。
「その言葉の通りです。アイツも、お父さんも、お母さんも。この家に来るモノは誰もいなくなりました」
「それって──
頭に浮かぶ最悪の可能性。俺が口にするよりも先に、俺に視線を戻した妹が躊躇わずに言った。
「殺しました」
「 」
「『ラブラブデー』も嘘です。お父さんは昨日の夜中に寝込みを襲って。お母さんは今日の三時間目に保健室に行くフリをして、家に帰って殺しました」
「ずっと前から計画してたのか……!?ずっと前から殺そうと思ってたのか!?昨日の夕飯の時は楽しそうに皆で笑ってたじゃないかよ!あれは嘘だったのかよ!!」
「嘘じゃありません。家族団欒のあの時間は、私大好きでした」
「なら──」
「でも、その何百倍何千倍……いえ、比べるのが馬鹿らしくなる程、私は兄さんとの時間が大好きだったんです。兄さんの為なら全てを捨てる覚悟があったんです」
言葉を失う。
まさか誰が想像しただろうか。妹を褒め続けた結果、妹が人を殺すとは。
「アイツは昨日の夕方に殺しました。昨日は兄さんとは別々に帰りましたよね?」
「あ、あぁ。可笑しいとは思ったんだよ。いつも一緒に帰る筈の妹が昨日に限って先に帰っちまったんだからな!」
「はい。兄さんと帰れない帰り道は灰色でした。一歩一歩が重く、すぐにでも兄さんがいる学校に引き返したい位に。でも、明日から兄さんとずっと一緒にいれると思うと、私耐えられたんです!」
「お、お前!」
怒りで今の状況を忘れ、妹を引き剥がそうと身体を捻る。しかし、腕に鋭い痛みを感じた瞬間に身体から力が抜けた。
「あ、ぐ」
「喜びのハグはもう少し待って下さいね」
息がかかる程の距離で、妹が囁く。視線を動かして妹の手を見る。その包丁を握っていた筈のその手には、もう何も握られていなかった。
ふと、先程見ていたニュースの内容が頭をよぎる。
この町の近くで起こった殺人事件。
あの犯人は何人殺したんだろうか。
あの犯人は捕まったのだろうか。
真面目にニュースを見ていなかった俺の記憶に、その情報の結末は入っていなかった。
「兄さん、私やりましたよ。兄さんの為に頑張りましたよ」
妹が弾けんばかりの笑顔で語る。
もう妹は正気じゃない。
狂気だ。
腕から全身に走る痛みに朦朧としながら、中学生の頃に書店で読んだ思春期と反抗期に関する内容を思い出した。
反抗期を迎えなかった子が、将来どんな人に育つか。
爆発する事を知らない不発弾が、どのタイミングで爆発するのか。
逮捕された犯罪者の家の近隣住民が、インタビューの時に何て答えるのか。
何を悔やんでも、もう遅い。妹が今までのように戻る事は無いだろう。
「兄さん、いつものように、私を褒めて下さい」
さて。こんな状態の妹に、俺はどうすれば──
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