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過去編 ~ 12 years ago ~

明人 12 years ago

『色波虹希博士、最新医療技術を実用化へ』


 このニュースが流れたのは西暦ニ〇ニ〇年の事だった。内容は、この技術を使えば対応の仕方に差はあれど、目に関するほとんどの病気の完治が可能とするものだった。


 東京オリンピックの最中に発表されたニュースは特に大きな話題とならなかったが、目に不安を持つ人達は大いに注目していた。今まで治療不可能とされてきた病気が治るかもしれないのだ。注目するのは当然だろう。


 色波博士は日本全国から即治療が必要な人達を、自身の研究所に招待した。また、治療費を払うから治療してくれ、という人達も研究所へ押しかけた。


 明人も、研究所に押しかけた一人だ。ただ明人自身に治療の意志があったかと聞かれれば、分からないというのが正解だろう。


 なぜなら、その時の明人は六歳であり、小学校にすら行ったことのない幼子で、そもそも自分の症状を自覚していなかったことや、研究所に来たのも親に連れられて来たということがあげられるからだ。


 それに自覚していないからこそ、なんでこんなところに、という疑問の方が強かった。


「ねえ、お母さん。ここは何をするところなの?」


 明人は隣に座る母親の手を握りしめ、不安げに問いかける。


「目の病気を治すところよ。ここなら、明人の病気も必ず治るからね」


 対して母親は、明人に優しい微笑みを零しながら、明るい口調で話しかけた。


「でも……僕、悪いところなんてどこにもないよ。痛くもないし、しんどくもないもん」

「けど、目の見え方が、他のお友達と違うでしょう?」


 母親が諭すように言うと、明人は小さく頷いた。


 明人は生まれた時から、世界のすべてがモノクロに見える一色覚(別名、全色盲)と呼ばれる病気だった。一色覚は目が見えないわけではないし、明暗の差で多少の色の違いは分かる。さらに、生まれた時からモノクロに見えるため、自分が病気だと自覚できないのだ。


 しかし、保育園に通いだして、皆の反応を見ているうちに、自分の見え方が他の人と違うのではないかと思い始めた。明人は保育園であったことを話す子供であったため、すぐに親に伝わることになった。


 明人の親は他人と見え方が違うことに病気を疑ったが、明人は単なる「個性」なのではないかと思っていた。


 病院で見てもらった結果、一色覚と診断されたわけだが、明人には難しい話は良くわからなかった。その為、明人は自分が病気だなんて、信じることが出来なかったのだ。


「皆と違うことが、そんなにいけないことなの……?」

「別に皆と違うことが悪いこととは言わないわ。ただ、他の皆には出来ることが明人に出来ないと、将来、苦労してしまうわ。もしかしたらいじめられるかもしれない。それは嫌でしょ? だから、きちんと治してもらうのよ」


 母親はそう言うと、今にも泣きだしそうになっていた明人を抱きしめた。

 急に抱きしめられたことに戸惑い、明人は離れようともがくが、子供の力では離れることは出来なかった。


「黒沢さーん!」


 名前が呼ばれ、母親は明人を抱きかかえたまま、受付へと向かう。受付には受付嬢が数人いて、それぞれが患者の対応をしていた。


 ここは研究所なので受付があること自体がおかしいのだが、全国から患者を集めるにあたり、臨時で設置したのだ。その為、長机を並べただけの簡素なものだが、患者は気にしていなかった。

 母親は自分の名字を呼んだ受付嬢の元へ歩み寄る。


「黒沢さんですね。えっと、預かるのは黒沢明人君、でよろしいですか?」

「ええ」


 この研究所では患者はニ週間から一か月ほどの入院が必要で、これは最新技術の導入に伴い、スムーズに治療を進めることが出来ず、いつ順番が回って来るかわからないからこその措置であった。また、患者の子供が入院期間中、家に一人でいることのないように託児室が用意されており、研究所では小学生以下の子供を託児室で預かるというサービスを行っているのだ。


 他にも、症状が生活に支障がない病気や進行具合であれば、小学生以下の子供に限り患者も預かってもらえることになっていた。もちろん入院か託児室に預けるか、選ぶのは自由であるが、遊び盛りな子供は患者であっても託児室に預けられる方が多く、明人もその例に漏れない一人であった。


「それでは彼女が明人君を案内しますので」

「うちの息子を、明人を、よろしくお願いします」


 母親は受付嬢の隣にやって来ていた、ナース服の女性に明人を預ける。

 明人は女性と母親の顔を交互に見て、母親の方に手を伸ばす。その表情は、何故知らないお姉さんに抱かれているのか、という疑問に満ち溢れていた。


「お母さん?」

「明人。お姉さんの言う事、ちゃんと聞くのよ。1か月後に、迎えに来るからね」


 母親はそう言うと、踵を返して研究所の外へ歩いていく。


「お母さん! 置いてかないで! お母さん!」


 明人は必死に呼びかけるが、母親は歩みを止めない。というより、歩みを止められなかった。

 明人の呼びかけに答えてしまえば、預けるのを躊躇ってしまう。母親は確信にも近い気持ちを抱いていたからだ。


「明人君はこっちだよ」


 ナース服の女性は明人を抱きかかえたまま、母親と逆の方向に歩き始める。

明人は背中越しに必死に手を伸ばす。しかし、その手が母親に届くことはなかった。




 ナース服の女性は明人を、手書きで託児室と書かれた部屋の中に連れてきた。

 託児室の床や壁にはたくさんの色違いのマットが敷き詰められ、子供達がけがをしない様に工夫されている。さらにはたくさんのおもちゃや本が用意され、明人と同じく託児室に集められた十数人の子供達が、そのおもちゃを使って遊んでいたり、本を読んでいたり、隅っこに置かれている布団で眠っていたり、色々なことをして過ごしていた。


「明人君はここで、皆と遊んでいてね」


 ナース服の女性は明人を降ろすと、そのまま手を振って部屋を出ていった。一人取り残された明人は何をしていいかわからず、ただボーっと立ち尽くしている。


「お前、新入りか?」


 そんな明人に話しかけたのは、短髪で半袖のいかにも元気そうな男の子だった。

 この男の子こそが昔の陽介であり、これがこれから共に歩む親友との出会いだった。

 明人は陽介の質問に、頷くことで答えた。


「そうか。俺は赤木陽介だ。お前は?」

「ぼ、僕は黒沢明人……」


 明人は陽介の馴れ馴れしい態度に戸惑うが、初対面の人にはちゃんと挨拶をしないさいと言われていたのを思い出し、きちんと自己紹介を返す。


「なら明人。これからよろしく」


 陽介はそう言って、笑顔を浮かべながら手を差し出す。

 明人はその手を握って良いのか悩み、手を中途半端に空中で彷徨わせてしまう。陽介はその手を強引に掴んで、握手を交わした。


「あっちにいっぱいおもちゃがあるんだ。一緒に遊ぼうぜ」


 陽介はそのまま明人の手を引っ張っていく。その強引な行動が、明人から母親に置いていかれた悲しみを吹き飛ばしていた。より正確に言うなら、母親に置いていかれたことを考えないようにすることが出来ていた。


 明人は陽介の行動にしばらく呆然と引っ張られるままになっていたが、次第に元気を取り戻していった。


「うん!」


 明人から数拍遅れて返事が返ってきたことや、その返事が予想外に元気だったことが陽介を一瞬呆けさせたが、すぐにニカッと笑った。


「よっしゃ。なら、今日は遊びまくろうぜ!」


 明人の託児室生活一日目は、陽介と遊んでいるうちに終わっていた。




 託児室生活は早くも三日目を迎え、明人は早くも家に帰りたくなっていた。初日こそ陽介の勢いに押され、遊んでいる間に一日が過ぎ去っていたが、一日目の夕方、ニ日目の朝と夕方、そして今朝、親が子供を迎えに来ており、数人が託児室から出ていったところを目撃するうちに、母親に会えないことを思い出してしまったのだ。


 それに自分が病気だという自覚は今でもなかったし、母親からの連絡もなく、本当は捨てられたのではないかと不安になってきたことも、帰りたくなっている理由の一つだ。


「お母さん……」


 明人は託児室にある窓から外を覗くが、広場で子供達が遊びまわっている姿しか目に入らなかった。その中には明人の友達はおらず、ますます自分が孤独だと思い込んでしまう。


 知らない場所でたった一人。

 明人の心は、押しつぶされそうになっていた。


 そんな明人を見かねて、陽介は明人に悪戯を仕掛けることにした。それは単純に、肩を叩いて振り向いたところを、人差し指で頬を突っつくというものだった。


 陽介は明人に気が付かれないように気配を殺し、ゆっくりと近づいていく。明人の真後ろにポジションを取ると、左肩を軽くたたいた。


「ぎゃあ!」

「何だぁ!」


 明人が飛び上がったのに合わせて、陽介も飛び上がる。明人の驚き具合は、陽介の予想をはるかに超えていたのだ。


 陽介に気が付いた明人は、思いっきり吹き出した。驚かした側の陽介が驚いていることが可笑しかったし、陽介のおかげで孤独感が少し薄れたからだ。


 笑っている明人につられ、陽介も笑いだす。

 ひとしきり笑った後、陽介は本題に切り込む。


「それで、何を落ち込んでいたんだ? もしかして、もう帰りたくなったとか?」


 この言葉は、陽介にとって冗談のつもりだった。冗談で場を和ませて、本当の悩みを聞き出そうとしていたのだ。


「凄いね。何で分かったの?」


 だが、明人は陽介の言葉に、心底驚いていた。逆に陽介は、自分が言っていたことが当たっていたことに驚いていた。確かに明人はまだ5歳で幼いが、たった三日で家に帰りたいと言い出すとは思っていなかったのだ。


「お前……俺なんてもうニ週間はここにいるのに……」


 陽介は呆れたように言うが、明人は素直に凄いなと思っていた。


「僕は、もしかしたらもう迎えに来てくれないんじゃないかって、すごく不安だよ」

「なんでそう考えるんだよ?」

「だって、僕はどこも悪くないんだ。なのに、お母さんはここで目を治してもらいなさいって言うんだよ……」


 明人の話を聞き終えた陽介は、考え込むように黙り込んだ。陽介が黙り込んだのが明人には怖くて、必死に次の言葉を探し出す。


「やっぱり、皆と違うのが駄目なのかな?」

「皆と違う……?」


 陽介が反応したのを見て、明人は別の意味で不安そうに眉を下げた。母親の言う通り、皆と違うことは駄目なことなんだと思ったからだ。


「それはどういう風に違うんだ?」


 だが、続く陽介の言葉に、明人は首を不思議そうに傾げる。何故そんなことを聞くのだろう、そう思った。


 明人は陽介の意図が読めなかった。けど、きっと何か重要なことなのだろうと、明人は陽介を信じて質問に答える。


「僕は色が見えないんだ。全部が黒と灰と白だけ。赤も青も黄も緑も紫も何なのかわからない。皆はどうしてたくさんの色が見えるのかがわからない。そもそも、皆が本当にたくさんの色が見えているのか、それすらもわからないんだ」

「見えているよ。少なくとも、俺はそうだ。それに話を聞く限り、それは病気だと思う。俺がここに来てから、黒と灰と白しか見えないって子はさすがにいなかったけど、所々色が見分けにくいって子はいたんだ。だから、色が見えなくなる病気があっても不思議じゃない」


 明人は陽介が自信満々に話すのを見て、初めて自分が病気だと感じるようになった。不思議と陽介の言葉に説得力があり、黒と灰と白しか見えないことは、皆と違うことなんだと感じることが出来たのだ。


 母親から言われても信じることが出来なかった明人が、友達の言葉を信じた。これは実際の例を出したことや、陽介の人柄もあるだろうが、何より明人にとって、とても大きな成長だった。


「安心しな。明人のお母さんはきっと迎えに来る。だから、それまではずっと遊んでいられるんだぜ。楽しまないと損だよ」

「そうだね……だったら、たくさん遊ぼう!」


 明人の明るい雰囲気に、陽介は思わず笑みが零れる。明人と陽介が親友としての第一歩を踏み出したのは、間違いなくこの日だった。

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