15_交点に熱量は生ずる


 一旦ジュースケと別れた私たちは城の方へと戻る道を歩いていた。私もナツも口を閉ざしている。このままトボトボと歩くのか、一秒を惜しんで走るのか、それもまだ決められていない。


「ハルカ」


 前を歩いていたナツが振り返らないまま、先に言ってくれた。


「もしかしたら喧嘩になるかもしれないけどさ」


「うん」


 ナツは翻る。空に浮かんだあの駅舎で、二丁拳銃代わりのケータイを握ってそうした時のように。けれどもう私に“試”は向けずに。


「決めよう。誰の味方をするか。それとも、“誰の味方もしない”のか」


「――そっか、それもありなんだね」


 誰の立場にもつかない、か。どういうわけかその選択肢は私の中で薄くなっていた。


「ナツはもう決めたの……? その、少し話しながら決めてもいいかな? 私はまだちょっとはっきりしなくて」


「もちろん。私もまだ固まってないよ」


 ナツは“私たちが”と主語を付けずに言った。必ずしも二人が同じ結論に至らなくともいいと、最初からその選択肢を残してくれているかのように。……喧嘩するかどうかはともかく。


「並んで歩こうか」


 私が頷くと、ナツが横に来る。まだ意思も使命感も乗らない速さで私たちは再び歩き出す。ひとまずの目的地である城を目指して。


「キサキさんとジュースケがすれ違う時にね、……あ、ナツとまだ会えていない時ね」


「うんうん」


「キサキさん、『もう諦めてください』って、ジュースケの背中に言ったんだ」


 ジュースケが少し離れてから、零れるように。


「……多分ジュースケは、何回挑んでも王様には勝てないよね。きっと王様も、キサキさんも、ジュースケを倒そうと思えばいつでも倒せる」


「うん、そうだと思う」


「じゃあどうして王様はそうしないのか、ハルカなら分かる? 先に言っておくと私にはぼんやりとしか分からない。ただ、ジュースケが“かわいそうだから”とかじゃない気がする」


 ナツはジュースケの“意志”のことを改めて私に教えてくれた。至上命令とも呼ぶべきそれを、彼自身がどんな言葉で口にしたのか――


「“そういう使命を持って生まれたから”って言ってた。……私、仲良くなれたのに王様の前でジュースケを止められなかったって考えてたけど、そうじゃないな。ジュースケに辛い思いをさせちゃったかもしれない」


「ナツは悪くない。最善手だったよ」


 それでもジュースケを縛るものがあると分かった。ジュースケの片脚は折れてしまったけれど、結果的に被害は最小限で済んだ。そうナツを励ます。「ありがと」と、短く返ってきた。

 ふと自分の右手首に意識が向く。細い金属製の輪が僅かな重みを返した。腕時計の時刻を確かめるように手首の内側と、捻って甲側を眺める。ブレスレットにも見えるこれは、“この世界の一部”――


「ジュースケは“自分が王様から生み出された”って、言ってた?」


「……え? そうなの?」


 目を丸くしたナツがこちらを見る。


「まだ推測だけど、恐らく……」


「そう言われてみれば確かに、私も王様を一回見たから……そうだね、似てる。んーでもジュースケがそう言ったかどうかなら言ってないかなぁ。もちろん私が聞いてないからかもよ」


「そっか……うーん」


「ハルカの考えで合ってると思うから、その前提で話を進めよう」


「……分かった。じゃあ、何故王様がジュースケを倒してしまわないのか。ここからは私の勝手な想像だよ」


 そう前置きして私は自分の考えを説明する。


――ジュースケは、王が生み出した『安全装置』なのではないか。


 ナツの言う通り、確かにジュースケは“王を停止させよ”という命令を刻まれて、王によって生み出された。ただしそれはあくまで“王が好ましくない状態に向かおうとしているならば”という条件付きで。ジュースケは自ら事態を把握し、彼自身の眼で、意思で、その状態に陥っているかどうかを判断してから動き始める。だから彼には“個性”がある。王とは別の“個”である必要があったから。

 王と対面した私は彼を絶対的な存在であるとさえ感じた。しかし、故に、王はもしもの事態に備えて自分を阻止/停止できる装置を生み出したとは考えられないか。例えば自分が誤った判断を下した時、正常な判断ができなくなった時、あるいは自分の意思とは無関係に自分の力が使われた時――


「……えっと、質問してもいい?」


「もちろん。どんどんお願いします」


「それじゃあ、まずさ、ジュースケはその……王様を止めるには……弱くない?」


「そう……なんだよね」


「あとその考えだと、王様はまだ正常な判断ができる状態だとして、もしかしてキサキさんが王様を勝手に動かしているというか、操っているの……?」


「ううん、それも違うと思う。キサキさんと王は意見が一致して透明ダコと戦っていると……思う」


「だよね。……あれ、じゃあどういうこと? ジュースケが早とちりしたとか?」


 まさしく。少し強引に考えるなら、透明ダコが襲ってくるこの状況はジュースケから見て好ましくない状態で、勝てる見込みのない透明ダコに抗う王の選択は“誤った判断”であるということ。彼はそう判断した。……と私は考えた。


「でも王様はそう思っていなくて、かといってジュースケを倒すわけにもいかないから、仕方なく宥めてる……感じ?」


「うーん……そうなるんだけど、ナツにはどう聞こえる? 自分で納得できないのにナツに説明している感じがして……」


 足を止めてしまったナツの口元がジグザグ線みたいになっている。……そうだよね、ナツは――


「ジュースケはさ、自分が勝ったら、王様が透明ダコに食べられちゃうことを分かってたよね?」


「……うん」


「それなら、王様が消えてなくなることがジュースケにとって、王様にとって、――この世界にとって、“良いこと”なの?」


――違う


 私の中の何かが反射的に否定した。キサキさんも同じように思っているだろうと、すぐにそれを隠すように考えた。何か声を出そうと口が動く、しかしそれが歪む。


「私の考えも聞いて」


 ナツは敢えて私の“反応”を聞かずに続ける。


「私はね、ジュースケに気の済むまで王様を攻撃させるのはどうかって考えてた。王様には少し頑張って耐えてもらってさ。そうすればジュースケは諦めるかもしれないって。もしかしたら一緒に透明ダコと戦ってくれるかもって。……でも、それは無理だろうって分かった」


 短く息を吸って、微かに悲しそうな目で、


「もし王様が透明ダコに負けて消えちゃったら、その時にジュースケがまだ生き残っていたら、ジュースケは……どうするんだろうね」


 絞り出すように。……使命を失った機械は、AIは――


「ごめん、ちょっと攻めるような言い方になっちゃった」


「そんなことないよ。大丈夫」


「へへ。スパッと解決できるような手が私には思い付かなかったからさ。ハルカに聞いてみようかなって」


「私もまだ……」


――まだ?


 分からないと言いかけて、もう一度懸命に思考を巡らせる。私が見えていないもの、ナツがくれた考えと問い。舞台、役割、戦況。そして高度計が示した推移、“フェーズ”。もしジュースケが王に勝てたなら。もし王様が透明ダコを退けたなら。もし透明ダコが全てを消し去ったなら。もし――


「ナツは、ジュースケのことをWITHGRAVと比べてたよね」


「ん、うん」


「透明クジラを追ってWITHGRAVに辿り着いた時のことを思い出したんだ――」


――キサキは王の傍にいるが、俺たちとは本質的に異なる。それは俺にも分かる


――するとまず見極めなくてはならないことが一つ。透明ダコは“どちらを”狙っている?


「私は、透明ダコの狙いは王様だと思う」


「……うん、異論なしだよ」


 ナツが『撒き餌』やジュースケから聞いた話で裏付ける。透明ダコが透明クジラと同質の存在だと仮定して、彼らがこの世界の廃材を食べているのだとして。それならば、“一番美味しいもの”は、王ということになるはず。


「キサキさんは――」


 私はここで“三人目”の名前を口にした。


「きっと、王様を守らなければいけないと思って王様に味方しているはず。王様が何故透明ダコたちに抗うのか、透明ダコたちから襲われているのかは……分からない」


「――この世界のルールだから?」


「……納得しちゃった。良い悪いの前に。流石ナツ」


 そうか、それならば。キサキさんは王と偶然に巡り合ったのかもしれない。私とナツが、あるいはナレィを携えたオゥルくんが“モノが浮かぶ空”でそうであったように、この廃材の地で。しかし王は“この世界の存在”だ。セントナツ号に意思があったのならナツもそうしたかもしれない。キサキさんは王の傍に立って王を支えると決めて、恐らくこれ以上ないほどに戦局に適合した。透明ダコを強力に退けたのだ。それでも相手は「この世界のルール」だった。高度計が示す通り、やがて王たちは――


「WITHGRAVの時はさ、オゥルくんたちの奮闘もあってなんとか良い感じに収まったよね」


 ナツはあの時の結末をほんの少し暈して、思い返すように、確認するように口にした。


「でも今回は私たちじゃ手が出せそうにない。……そうだよね?」


 頷く。


「じゃあ、私がジュースケの側に付くって言ったら、ハルカはどうする?」


「……私は……」


 答えに窮する私にナツは助け舟を出す。


「王様はジュースケを倒そうとしていない。キサキさんと一緒に透明ダコと戦っているだけ。だから、王様の側に付くことがジュースケを倒そうとすることじゃないのは私にも分かるよ」


――誰の味方をするか。それとも、誰の味方もしないのか。


 王は何故生まれたのか、まだその答えが見えない。けれど私はその在り方に強烈な“使命感”を感じた。私に呼びかける機械音の向こうに、どうにか成り立ったような寄せ集めの廃材の身体の奥に、強く強く叫ぶ声。


「――私は、王様の味方をする。でもナツの言う通り、ジュースケのことは生かしてあげたい。王様がジュースケを攻撃するなら、私もそれを止めるよ」


「もし私たちが止めても、それでもジュースケが王様を攻撃しなきゃいけなくなったら?」


 王の間で、一度そうなりかけたあの時のように。


「許してもらえるなら、今は答えを保留させて」


「……分かった。でもね」


「うん?」


「親友なら、一回くらい喧嘩くらいしたっていいじゃない」


 解けたように、私は笑顔を作れたのだろうか、そのまま少し下を向いてしまう。きっとこの場所では私たちしか持っていないものが有機レンズを潤す。


「――ハルカ、空を見て」


 見上げて、“見回した”。

 久しぶりに発せられた緊張感のある船長の声。異変の感知。


「私たちのことを待っててくれたわけじゃないよね……」


 どこか油断していたのかもしれない。推移は少しずつであるはずだと。しかし“フェーズが変わる”とはそうではない。緩やかに注がれていた水が遂に器から溢れたように、限界を迎えた細い一本の支えが折れたように、事態は大きく変転する。


「ナツ、急ごう」


「いい目だハルカ」


 どうだろう、でも――


「全力で走ったら私とハルカどっちが速いんだっけ?」


「……やってみる?」


 私たちの――真剣に話し合った“親友”の一歩はきっと、さっきよりも少しだけ重い。

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