13_コレクション


 結果として私はキサキさんに無断で城を離れたことになる。これについてはジュースケが


「この城で起きたことは全て王が把握している。ならばキサキにも伝わるだろう」


 と言って私を納得させてくれた。……一度は納得したはずなのに、“戦場”から逃げている気がしてやっぱり後ろめたい。そんな私の様子に気付いたのか城を離れる際にジュースケは「戻りたければいつでも戻ればいい」と付け加えてくれた。城の空模様なら少し離れていても自分には見える、とも。双眼鏡の左目、レンズを縁取る銀色の細い輪に茜色の光が滑った。

 こうして私たちは王とキサキさんのいる城を背にして廃材の地を走っている。ローファーで踏みしめる地面が何であるのか、どこまで続いているのか、薄い夕焼けの色に見える空のこともナツと話しながら。応急処置の脚のせいか先導するジュースケの背中が機械音をたてて上下に揺れる。私たちの話は聞こえているはずだけれど割り込んでくることはせず、ナツか私が呼びかけるまで振り返らない。彼にも後でもう少し話を聞かなければ。

 そういえば今になって改めて気付いたことがある。(やはりここでも)私たちはどれだけ走っても息切れしないし、疲れない。……と思っていたのに、あまりに無理をするとほんの少し疲れたような?


「言われてみると確かに。透明クジラから逃げている時もそうだったっけ?」


「うーん……」


 何かが変わったのだろうか。それは私たちの方か、はたまた“世界”の方か。

 ここには砂漠の砂丘に似た緩やかな起伏がある。それから崖も。崖の縁に立って底を見下ろすことはまだしていないけれど、巨大な渓谷となっている地形がいくつかあった。対岸にはまた廃材の地が続いている。どこまでも、どこまでも。不思議なことに城の周りと同じような大小の廃材の塊は城から離れた場所にも点在していた。綺麗な直方体に押し固められたこれを『撒き餌』とジュースケが言っていたらしい。一体誰が何のために――その答えはナツと話して推測できたけれど、だとすると透明ダコはあの城以外にも――

 また一つ、電線の無い電柱の群れを見送る。彼らは何の方角も痕跡も、意思も示さない。


「ひ~ふ~み~よ……えっと何だっけ、“五つ”だから、い・む・な?」


 ナツ隊員の報告では電柱は七匹……七つ。もしかして、“ナツのナナツ”って言わせたい?


「気付いたかー。そろそろテントのあった場所よりも遠くに来たかな」


 ナツがそう確認したところでジュースケがもう少しで目的地に到着することを知らせた。道路標識くらいの高さに突き出た棒が目印だったのか、そこで直角に進路を変える。その先、右手の下り坂を降りた一角に、建物の基礎のように四角く枠を固めた低い壁が見えた。


「坂を下りて、ここから見て左手前の角と言えば伝わるか。あの壁の辺りで待っていてくれ」


「ん? ジュースケは?」


 案内役がそう言って指……銃口を差すのでナツが思わず聞き返す。


「俺はこの先で取ってくるものがある。その辺に落ちているはずだ。すぐに合流する」


「うん……分かった」


 と口にしながらナツは私に視線を送ってきたので「大丈夫だよ」と頷く。あ、でも一つだけ。


「ジュースケ、“仲間”がいるって言ってたよね? あの壁のところにいるのかな?」


 確か脚を直してもらうとか――


「ああ、いる。ただし“仲間”と言ったのはナツとハルカの真似をしただけで、二人にそう見えるかどうかは分からないが」


「……ヒト型じゃないってこと?」


「さあな。近くに行けば分かるだろう」


「お楽しみってこと?」


「……ナツは俺に何と答えて欲しいんだ?」


「私も分からなくなった。まぁ分かった、先に行ってるよ」


 納得したのかナツが走り出した。その姿を見送ったジュースケも“取ってくるもの”とやらを探しに90度向きを変えて歩き出す。私も――


「ナツ待ってよー」



* * * *



 近付いてみると、平らな地形に築かれた壁はどうにも建物のそれとは異なる感じがした。地面と同じ雑多な材料を、やはり例の撒き餌キューブと同じように平べったく固めただけのもの。柱を併設して上に屋根が乗るイメージには結び付かない。“そうだった”あるいは“これからそうなる”、そのどちらであっても。……さて。


「これ?」


 ジュースケに言われた通り、左手前の区画に近付いた私たちは何やら不思議な存在と対面した。坂の上からは死角となるように、壁に隠れて置いてあったのは――


「ミシン……だよね?」


「そう見える」


 二人とも中学生の頃に『家庭科』の授業で使ったことがあった。母親が使っているのを見てもいる。確認し合ったところ私たちのイメージする“ミシンの姿”は全く同じ。その形通りの紛れもないミシンが一つ、置いてある。


「後ろのはロボットアーム?」


 これもそう見える。ベルトコンベアに小さな部品を素早く正確に何度も何度も乗せていたのであろう形。どことなく手前のミシンとフォルムが似ているような。二つは腰の高さくらいに固められた四角い廃材を土台にして窮屈そうに乗っていた。


「こっちのこれは……車のボンネット?」


「あぁ確かに。その形だね」


 回り込んで覗くとミシンの後ろには少し形の違うボンネットのようなものが二つ横に並べて置いてあった。“車”を連想させる他の部品は無いけれど、ボンネットは欠けたり潰れたりせずに形を残している。単一の部品だからだろうか。――そうか、ミシンもロボットアームも見たところ“綺麗に”残っている。ここに来る前に持っていたであろう姿、ともすれば機能をも保持して。


「もしもし、ジュースケのお友達さんですか」


 ナツがミシンに声をかけた。膝に手をついて少し屈んで、それはもう突然に。


「ん? 聞いてみた方が早いと思ってさ。ジュースケのお友達なら返事ができるかもって」


「なるほど……ね」


 しかし返事なんて、


『ウィン』


「うわっ」


「え?」


 音。ミシンが動いた音。こう、“押さえ”を下げて針と糸でワンストロークする時の。


「今動いたよね? 喋った?」


「う、うん」


 ナツの声に反応した? いや、それよりこの世界に“電気”は――


「えっと、ミシンさん?」


『ウィン』


「ほらハルカ! 喋った!」


「うー……」


『ウィィン』


 確かにこちらの呼びかけに反応しているように見える。でも、……いや、でもじゃなくてそうか、それならこのミシンはもしかして、“王と同じような存在”なのでは?


「戻ったぞ」


「あ、おかえり」


 不意に後ろから声をかけてきたのは宣言通りすぐに戻ってきたジュースケ。


「ハルカは不思議な表情だな。見つけられたようで何より。それが俺の仲間だ」


 そう言いながら私の横に立ち、双眼鏡と丸ランプの顔がミシンを見下ろす。ミシンには当然顔は無く、ジュースケに視線の代わりを返す仕草もその稼働部では――と思ったら、後ろのロボットアームが挨拶を返すかのように関節を回して先端を振り上げた。ミシンとロボットアームで1セットだ。もう間違いない。これは、“生きている。”


「拾ってきたのってそれ?」


「そうだ」


 ナツが上半身を起こして聞く。ジュースケはライフル銃ではない方の手に小さな機械を握っていた。厚みのある黒くて四角い装置。何だろう。


「これはコイツへの手土産になる」


 ミシンの後ろ、ボンネットに歩み寄ったジュースケはその場に蹲むと、装置を一旦置いてその手をボンネットと地面の間に差し込んだ。


「カメラ……?」


 ナツが呟いたのと同時に私もそう認識した。使い捨てカメラ。ロゴや装飾を担う紙の部分が剥がれて素材の真っ黒なプラスチックの色になった姿。そして、ドーム状のボンネットを覆い被せて守っていたのは――


「こっちも? すごい、カメラが沢山ある!」


『ウィィィン』


 ざっと八台、今ジュースケが加えたので九台。板状のコンパクトなものからカメラマンが使うような大きなレンズを付けたカメラまで、形も意匠もメーカーも、恐らく年代もバラバラのカメラたち。ボンネットを被せて――隠していた?


「このカメラはミシンさんが欲しがってて、それをジュースケが集めてきたの?」


「ほぼ正解だ。最初の二台はこの機械が自分で近くにあるものを修復して形にしていた」


「私からも聞いていいかな。その、どうしてカメラなの?」


 私の問いにジュースケが黙ってしまった。自分でもなぜそう聞いたのか分からない。聞いてしまってから私もあれこれ考え始める。


「ハルカ、俺からハルカに一つ聞き返そう」


 と、ジュースケが、


「ナツは少しの間黙っていてくれ」


「へ?」


 不意に切り返す。


「ど、どうぞ」


「俺は今この機械に“名前を付けよう”と思っている。その方が何かと便利だからな」


「ん? うん……?」


「候補が三つある。『ジョン』と『ナツゴロウ』と『コレクター』だ。どれがいいと思う?」


 言われた通り黙っていたナツが吹き出した。どういうこと?


「あははは、ナツゴロウは絶対ダメ。私が考えるからやめて。ふくく、えっとねハルカ――」


 面白かったのか嬉しかったのか良い笑顔のナツが言うには、このミシン・ロボットアームは「コレクター」、つまり収集家の役割を持った存在であるらしい。ジュースケが王を狙おうとするように、彼もまた物を集めようとする。しかしこれだけだと“なぜカメラ”の答えになっていないからとナツはジュースケに問い、“たまたま気に入ったから”と何とも味のある回答を得ていた。

 ミシン・ロボットアームは命名大臣ナツから『ミッシェル』の名を賜った。

 ミッシェルは王のように地面から別のアームを生み出すことはできずとも、近くにある工具を器用に使って過去にジュースケの脚を直したことがあるらしい。一度王に敗れたジュースケは無心・無意識・無我夢中で撤退、気付けばミッシェルの元に辿り着いた。ミッシェルは見返りを求めず速やかにジュースケを修理した。ジュースケはこの地を自由に動ける身体を使い、この場所から動けないミッシェルのために拾い集めたカメラや工具を届けた。そうして彼らは“友人”となった。


――お前たちの真似をしただけだが、どうだ、俺たちは仲間と呼べる関係だろうか。


 もちろん。立派な仲間だと思う。私たちはそう返した。


「ところでこのカメラって使えるのかな?」


『ウィン』


「いくつか動くものはあるとのことだ」


「ホント? どれだろう、ちょっと借りてもいい?」


「あれ、でも電源が……ねぇナツ」


 何度か言いかけたことをようやくナツに確認する。ジュースケにも聞こえるように声に出して。“電池”なら例外なのか、キサキさんは動いているけれど――ずばりこの世界に、“電気”はあるのか。


「私たちが納得できる形では存在しないのかもね。テントのランプは灯いてたんだけどさ」


 カメラを一つ手に取ったジュースケは、ナツがテントの中で確認したことの説明を私と一緒に静かに聞いていた。


「これだね。ありがとう」


 ジュースケがナツに手渡したのは珍しい形をしたカメラだ。底面からこちらを向いた『一』型の大きな切り口。これはもしかして、“ポラロイドカメラ”?


「そのまま写真が出てくるの!?」


 簡単に仕組みを説明するとナツが驚いた。


「うん、そのはず」


 もし本当にこのカメラが“生きている”なら、電池もインクも専用フィルムも何もかも壁を超えて、今その目で見た景色を写してくれるのかもしれない。いざその期待を前に、ふと複雑な感情が混じっていることに気付く。


「こうやってここを押せばいいのかな。……ハルカ、どうかした?」


「ナツのことだから、一緒に写真を撮ろう、だよね」


「もちろん。ミッシェル、シャッターボタン押せるかな。そしたらジュースケにも入ってもらおう」


「そんなことはないと思うんだけど、もしさ」


 もし、私かナツのどちらかが、あるいは二人とも、“写真に写らなかったら。”


「……オバケ?」


「そう、シンプルに言うとそれ」


 ナツがストレートに表現してくれたおかげで一抹の不安が少しコミカルになった。


「絶対大丈夫だと思うけど、じゃあハルカが私に言ってくれたことを私も言うよ。ジュースケの真似じゃないけどさ」


 ナツに何かお化けにまつわることを言ったっけ……? ナツがひとつ咳払いの真似をして、それから真っ直ぐに私の目を見た。


「もしどちらか一人だけ写らなかったとしても、私はハルカから一歩も離れません。……合ってる?」


「――ありがとう、合ってるよ」


 そうだ、その通りだよね。


「よかった。まぁあれだよ、私とハルカが違うことはないと思うんだ。あるとしたら私たちとジュースケ。その時はジュースケに謝るさ」


「俺は何を謝られるんだ?」


「……」



 もしかしたら、そのポラロイドカメラは最新鋭のものだったのかもしれない。手に収まるかっちりとした正方形の機械が小さな駆動音を立てて、ゆっくりと正方形の印刷紙を吐き出す。ナツが大事そうに両手のひらの上にそれを乗せて、少しの間じっと三人でそれを眺めていた。セピア色の描画はやがて仄かに色味を得ていき、心地よい解像度の中に淡い光景を、私たち三人の姿を写してみせた。


――ジュースケはこのポーズね。私とハルカはこう、やっぱりこっちに来て。左右対称にしよう。……よし。ミッシェル、準備オーケー?

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